7章 不確定記録の「?」
⁑⁑⁑ジッジジ⁑⁑⁑
視界にノイズが走る。
脳をかき回されるような不快な浮遊感。耳の奥で、古い蓄音機が壊れたような不協和音が鳴り響く。
熱い。胸を貫かれた黒騎士の剣の熱さが、まだ肺の奥にこびりついている。
痛い。レオンに蹴られた腹の感触が、内臓をせり上げさせる。
だが、次の瞬間――。
鼻腔を突き抜けたのは、魔王城の死臭ではない。
爽やかな、あまりにも瑞々しい、若草と馬糞の入り混じった「王都」の匂いだった。
「――おいカイル、聞いてるのか? お前は今日限りでクビだ」
目の前に、レオンがいる。
その背後には、可憐に首をかしげるクラリスがいる。
一億回、欠かさず繰り返された「儀式」の光景。
だが、何かがおかしかった。
俺の脳内に、いつも流れてくる【世界のシステムログ】が、酷く乱れている。
[Error: システム・クロックに異常を検知。]
[Warning: 現在のループ回数を特定できません。変数が……∞……?に置換されました。]
[Log: 記録係カイル、存在の不確定性が増大しています。]
(……何回目だ? 今、俺は何回目の人生にいる?)
一億回。その数字は俺の魂に刻まれていたはずだ。
それだけの回数、俺は死を積み上げ、絶望を知識に変えてきた。
魔王をデバッグし、レオンを底辺に叩き落とし、世界を書き換えた「はず」だった。
なのに、なぜ俺は、またこの「追放の瞬間」に立っている?
「おい、無視すんなよ。無能すぎて耳まで腐ったか?」
レオンがイラついたように、銀貨の入った袋を俺の足元に投げ捨てる。
カラン。
その音が、一億回のループの中で聞いてきたどの音よりも、重く響いた。
(……いや、違う)
俺は【言語理解】のピントを合わせる。
レオンの思考を読み取ろうとした。だが、聞こえてきたのは、これまで知っていた薄っぺらな傲慢さではなかった。
(――……いいか、これで最後だ。次こそは、成功させてくれよ……『カイル』……)
「え……?」
俺の口から、声が漏れた。
今、レオンは心の中で何と言った?
俺を蔑み、利用することしか考えていなかったあの男が、なぜ、祈るような声を上げた?
俺は慌ててクラリスを見た。
彼女はいつも通り、聖女の皮を被った冷笑を浮かべている。
だが、その深層意識は、今まで見たこともない「悲鳴」を上げていた。
(――痛い。心が、もう壊れそう。何億年も、あなたの死を見続けるのは……。でも、止めちゃいけない。私たちが悪役にならない限り、この『記録』は完成しない……!)
指先が震える。
一億回の孤独だと思っていた。
俺だけが地獄を歩み、俺だけが記憶を積み上げ、俺だけが苦しんでいるのだと。
だが、もし、俺を裏切ったこいつらまでが「ループの共犯者」だったとしたら?
「……お前ら、何を知っている」
俺の声は、低く、獣のように唸った。
「はあ? 何を知ってるだって? お前が無能だってことなら、街中の奴が知ってるぜ」
レオンは不自然なほど大声で笑う。その顔は、一億回見てきた「悪役の演技」そのものだ。
だが、俺の【自動書記】は、彼の足元にある「地面」の記述が、異質な文字で上書きされているのを捉えた。
[Log: 地点座標に不可視の『保護コード』を検知。]
[Detail: この世界の全事象は、カイル・フォン・オーウェンの『成長』のために最適化されています。]
「……っ!」
吐き気がした。
俺が「不遇」だと思っていた、あのアリのような幼少期も。
勇者パーティーで家畜のように扱われた日々も。
魔王城で捨て駒にされ、一億回死に続けた、あの凄惨な地獄ですら。
すべてが、俺を「最強の記録者」に仕立て上げるための、誰かの描いた**「育成プログラム」**だったというのか?
「冗談じゃない……」
俺は腰の『無名の年代記』を力任せに開いた。
本は真っ赤に発光し、ページが猛烈な勢いでめくれていく。
一億回分の記憶。魔物の弱点。世界改変の術式。
それらすべてを、俺は「自分の力」だと思っていた。
だが、ページをめくる指が、ある一点で止まった。
本の最後のページ。
そこには、俺自身の筆跡ではない、しかし俺によく似た文字で、こう記されていた。
『――一億回の死をもって、ペンは研ぎ澄まされた。
さあ、観客が待ち望む、最高の逆転劇を上演しろ』
その記述を見た瞬間、俺の視界に、これまで見えていなかった「枠」が現れた。
それは、SNSの通知でも、システムのログでもない。
この世界の外側から、俺を覗き込む、無数の「視線」だ。
【観測者:Aのコメント】
「ようやく一億回突破したか。長かったなー」
【観測者:Bのコメント】
「ここからの無双が見どころなんだよね。早くレオンをざまぁしてよ」
【観測者:Cのコメント】
「この主人公、まだ気づいてない。自分が『売れるため』に苦しまされてたってことにwww」
耳鳴りが、咆哮に変わる。
俺の、一億回の苦しみ。
クラリスに裏切られ、胸を焼かれた時のあの絶望。
魔物に食われながら、「次はこうしよう」と冷徹に考えざるを得なかったあの狂気。
それらすべてが、どこかの誰かの「娯楽」として消費されていた?
「ふざけるな……ふざけるな、ふざけるなッ!!」
俺の叫びと共に、王都の広場の地面が割れた。
【自動書記】が、俺の怒りに呼応して、世界の法則を粉砕し始める。
「カ、カイル!? どうしたんだよ、急に!」
演技の仮面が剥がれ、レオンが本当の恐怖に顔を歪める。
クラリスが、震える手で俺の肩を掴もうとした。
「カイルさん、落ち着いて……っ。そんなに怒ったら、記録が……物語が壊れちゃう……!」
「壊れていい。こんなクソみたいな物語、俺の手で終わらせてやる」
俺はペンを握りしめた。
それは、世界を救うための道具でも、魔王をデバッグするための道具でもない。
俺を閉じ込めた、この「ループという名の檻」を、物語の作者ごと、読者ごと、すべてを消し去るための凶器だ。
[Warning: 最終スキル【記録抹消】を検知。]
[Error: 主人公が『読者』を攻撃対象に指定しました。]
[Critical: 物語の継続が不可能です。]
「レオン、クラリス。……お前たちが何者であれ、一億回の殺意は変わらない。
だが、まずはその『外側』にいる奴らからだ」
俺は、空を見上げた。
青空の向こう側にいる、俺の絶望を楽しんでいた「観測者」たちへ向けて、ペンを突き立てる。
「見ているんだろう? ……これが、俺の選んだ『真の一億一回目』だ」
世界が、ひび割れていく。
王都も、魔王も、レオンも、過去も、未来も。
すべてが「記述」のインクとなって、俺の本の中へと吸い込まれていく。
真っ白な空間。
何もなくなった世界で、俺はたった一人でペンを走らせる。
次に俺が記録するのは、誰にも読ませない、誰にも観測させない。
俺だけの、たった一回きりの、本当の人生だ。
⁑⁑⁑ジッジジ⁑⁑⁑
【error:⁑⁑⁑ジッジジ⁑⁑⁑
error:⁑⁑⁑ジッジジ⁑⁑⁑
error:⁑⁑⁑ジッジジ⁑⁑⁑
error: 重大なエラーが検知されました】
【システムメッセージ:接続が切断されました】
【原因:記述対象の強制削除】
【物語を終了しますか? >Yes】
と同時に真っ暗になった。
一部、スキル改変、登場人物の記憶オールリセット
メモリーツリーの不具合により、カイルのステータス、アイテム以外オールクリア
強制再編成を行い、元の場所へ強制移行させて頂きます




