6章 R3章:Ⅱ ※印(?/???00,000,000)
レオンが差し出した手は、驚くほど白く、清潔で、そして傲慢な力強さに満ちていた。
「記録係だって? 面白い、俺様の伝説を一番近くで書かせてやるよ!」
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内にある【言語理解】は、彼の声の裏側に潜む本音を瞬時に翻訳していた。
(――都合のいい「腰巾着」を見つけた。こいつなら、どんなに扱き使っても文句を言わなさそうだ。俺を引き立てるための『無能な比較対象』が必要だったんだよな)
わかっていた。
幼少期から「不気味な子供」として蔑まれ、人の悪意をデータとして受け取り続けてきた俺には、彼らの笑顔がどれほど薄っぺらい仮面であるかなど、鑑定するまでもなかった。
だが、当時の俺は、孤独に耐えかねていた。
空腹で死ぬよりも、石を投げられる日々よりも、この「光」の中に居場所を求めてしまったのだ。たとえそれが、いつか自分を焼き殺す太陽だと知っていたとしても。
「……よろしくお願いします、レオンさん」
俺がその手を取った瞬間、隣にいた聖女クラリスが、三日月のような目で微笑んだ。
(――あら、可愛い。この子、自分が使い捨ての『消耗品』として選ばれたことに、まだ気づいていないのね。せいぜい、私たちの名声の踏み台になってちょうだい)
彼女の思考もまた、澱みのように俺の脳へ流れ込んできた。
これが、俺の「一回目」の人生における、最大の誤算。
そして、一億回に及ぶ「死」のプロローグだった。
冒険が始まってからの日々は、まさに「家畜」としての記録だった。
レオンの剣が光を放ち、魔物を一刀両断する。その陰で、俺は十人分はあろうかという巨大な荷物を背負い、泥まみれになりながら、必死で彼らの後を追う。
「おいカイル! 記録はどうした! 今の俺の流麗な剣捌き、ちゃんと『神の如き一撃』って書いたんだろうな?」
「はい……レオンさん。しっかり記録しています」
俺は息を切らしながら、ペンを走らせる。
実際には、レオンの剣技は粗削りで、無駄が多い。力任せに振り回しているだけだ。だが【自動書記】は、主人の望むままに「真実」を歪めて書き記すことを、この時はまだ拒まなかった。
夜、キャンプの焚き火を囲む時も、俺の居場所は輪の外だった。
レオンとクラリス、そして他の取り巻きたちは贅沢な肉料理を頬張り、高い酒を飲む。俺に与えられるのは、彼らが食べ残した硬いパンの耳と、ドロドロに濁ったスープだけだ。
「カイルさん、お疲れ様。あなたは戦えないんだから、食事もこれくらいで十分よね? 体が重くなったら、私たちの荷物が運べなくなっちゃうもの」
クラリスが、聖女の微笑みと共に腐りかけたリンゴを差し出してくる。
「……ありがとうございます、クラリスさん」
(――ふふ、本当に惨め。見ているだけで自分が『選ばれた人間』だって再確認できるわ。やっぱり、下に誰かがいないと、優越感って味わえないものね)
俺は、彼女の心の声をBGMに、泥のような味のリンゴを噛み締めた。
この時の俺は、まだ「いつか認められれば、本当の仲間になれる」という、愚かすぎる希望を捨てきれずにいたのだ。
一回目の中盤。俺たちのパーティーは、王都でも名の知れた「新進気鋭の英雄」として扱われるようになっていた。
その功績の半分以上は、実は俺の「記録」のおかげだった。
「レオンさん、右。三秒後にオークの増援が来ます」
「クラリスさん、結界を左へ五センチずらしてください。魔法の干渉を防げます」
俺の【自動書記】と【言語理解】は、戦場におけるすべての「最適解」を弾き出していた。
俺の指示通りに動けば、彼らは無傷で、かつ最も華々しく勝利を収めることができる。
だが、彼らはそれを「自分の才能」だと誤認した。
「ははっ! 俺の勘は今日も冴えてるぜ! 魔物の動きが手に取るようにわかる!」
「レオン様、流石ですわ。私の魔法も、今日は一段と神懸っています」
俺の助言を「ノイズ」として聞き流しながら、彼らは名声を独占した。
俺はただの「荷物持ち」であり、たまに的確な予測を口にする「少し運のいい無能」として扱われ続けた。
そして、運命の魔王城攻略。
王都の人々の期待を背負い、俺たちは禁忌の地に足を踏み入れた。
だが、そこは俺の計算を遥かに超える、絶望の巣窟だった。
「……おかしい。事象のログが、収束しない」
俺の持つ「無名の年代記」が、不吉な赤色に点滅していた。
魔王城の魔力密度が高すぎて、スキルの解析が追いつかない。
「おい、カイル! 次はどっちだ! 敵はどこから来る!」
レオンが苛立ち混じりに叫ぶ。彼の剣は、すでにボロボロだった。
「待ってください……今、解析を……」
「使えないな! 運だけが取り柄のゴミが、いざという時にこれか!」
レオンの罵声が響く。
その瞬間、床が崩れ、俺たちは最深部の手前、『嘆きの回廊』へと突き落とされた。
周囲を囲むのは、伝説級の魔物、黒騎士の軍勢。
「……あ、ああ……」
クラリスが腰を抜かし、悲鳴を上げる。
レオンもまた、そのプライドを打ち砕かれ、ガタガタと震えていた。
彼らには、もはや戦う意志など残っていなかった。
「レオン、これを使え!」
俺は、唯一持っていた貴重な「転移結晶」を彼に投げた。
それは、ギルド長から「本当に危ない時に、君だけは逃げろ」とこっそり渡されていたものだった。
だが、レオンはその結晶を掴むと、俺を見ることもなく、自分とクラリスを光の範囲に入れた。
「助かったぜ、カイル。……お前の記録、ここで終わりだな」
その瞬間の、彼の瞳を忘れない。
安堵と、醜い自己保身。そして、お荷物を切り捨てられるという歓喜。
クラリスもまた、消える直前に俺を見て、口パクでこう言った。
『――死んでくれて、ありがとう』
光が弾け、彼らは消えた。
残されたのは、重い荷物を背負ったまま、魔物の群れに取り囲まれた俺一人。
「……ああ、そうか」
一回目。
俺が心臓を貫かれ、冷たい石畳に倒れ伏した時、脳裏に浮かんだのは、怒りでも憎しみでもなかった。
ただ、果てしない「後悔」だった。
(もし、もう一度やり直せるなら)
(次こそは、あいつらの『伝説』を、俺の手で書き換えてやる)
その強い想いが、休眠していた「無名の年代記」の真の機能を起動させた。
【固有スキル:無限回帰】。
視界が白濁し、音が消える。
心臓の鼓動が止まり、魂が肉体を離れる感覚。
そして、次に目を開けた時、俺の耳に飛び込んできたのは、懐かしくも反吐が出る、あの男の声だった。
「――おいカイル、聞いてるのか? お前は今日限りでクビだ」
ここから、俺の「二回目」が始まった。
最初は、驚きと恐怖に支配され、一回目と同じ選択を繰り返して死んだ。
三回目は、レオンを殺そうとして、返り討ちに遭って死んだ。
四回目は、王都から逃げ出そうとして、魔物の氾濫に巻き込まれて死んだ。
十回、百回、千回。
死ぬたびに、俺の心は摩耗し、代わりに「記録」だけが冷徹に積み上がっていく。
「……レオン、お前、その一歩を踏み出すと右脚を骨折するぞ」
「はあ? 何を言って――ギャアアア!?」
「クラリス、その魔法の呪文、三節目の発音が間違っている。……爆発して顔に火傷を負いたいなら、続けていいが」
「な、なんですって!? ……ひっ、本当に火花が!」
ループを重ねるごとに、俺は彼らの「正解」を知り、同時に「失敗」も知り尽くした。
彼らを最高に輝かせる方法も、彼らをどん底に叩き落とす方法も、すべてを「記録」した。
一万回を超える頃、俺はもう人間としての感情を、どこかに置き忘れてきた。
十万回を超える頃、俺は魔物の言葉を完全に理解し、彼らと語り合えるようになった。
百万回を超える頃、俺は自分の体を流れる魔力を、文字の並びとして視覚化できるようになった。
そして、一億回目。
俺は再び、あの運命の『嘆きの回廊』に立っていた。
レオンの蹴りを受け、崖下へ突き落とされる。
一回目と同じ、あの絶望のシチュエーション。
だが、今の俺の瞳に、絶望の色はない。
俺は背負っていた重い荷物を、空中でパージした。
中に入っていたのは、レオンたちが略奪した金品でも、予備の武器でもない。
一億回のループで俺が書き溜めた、この世界の「バグ(弱点)」のリストだ。
「さあ……始めようか、レオン。一億一回目の人生は、お前たちが一度も見たことのない『真のエンディング』だ」
俺は、一回目にはできなかった「着地」を鮮やかに決め、襲いくる黒騎士たちを、たった一言で凍りつかせた。
「【記録抹消】――お前たちの『敵対心』は、今、この瞬間に削除された」
黒騎士たちが、戸惑うように剣を下ろす。
俺の背後で、魔王城の闇が、俺に従うように蠢き始めた。
一億回の屈辱。一億回の孤独。一億回の死。
そのすべてが、今、俺の指先に宿る「ペン」へと収束していく。
俺を「無能な記録係」と呼んだ世界そのものを、俺は今から、根底からデバッグしてやる。
「レオン、クラリス。……一億年分、たっぷり可愛がってやるよ」
俺の、本当の人生が、ようやく始まった気がした。
⁑⁑⁑ジッジジ⁑⁑⁑
「?回目」の人生は、絶望の味しかしなかった。
後の一億回に及ぶ地獄の、それが最初の?一歩だとは、当時の俺は知る由もなかったのだ。




