第1章:???師の目覚め
⁑⁑⁑ジッジジ⁑⁑⁑
世界が再構成される。
?億回の殺意、?億回の絶望、そして自ら引きちぎった神の鎖。
それらすべてが、白く輝く泡となって消えていく。
暗闇の底で、俺は自分という存在を、一枚の真っ白な譜面として描き直した。
頬をなでる風が、驚くほど柔らかい。
鼻をくすぐるのは、埃っぽい石畳と、どこかの屋台から漂う焼きたてのパンの香り。
「……あ……」
まぶたを開けると、そこは王都の裏路地だった。
かつて、何度も、何度も、俺が「追放」という名の死刑宣告を突きつけられた場所。
だが、今の俺の心にあるのは、焼けるような憤怒ではない。
それは、長い長い演奏を終えた後のような、静かな余韻だった。
俺は自分の手を見た。
?億人を殺し、?億回貫かれた指先は、今や職人特有の硬いタコができている。
腰に触れる。そこにあるのは、世界を呪う「年代記」ではない。
木製の持ち手がついた、小ぶりな**【調律用ハンマー】と、一本の【音叉】**。
「……職業、楽器職人……か。悪くない」
俺は立ち上がり、パンパンと服の埃を払った。
記憶はある。だが、それは「復讐のためのデータ」ではなく、何層にも重ねられた「古いレコード」のように、俺の奥底で静かに眠っている。
俺はもう、誰かに強いられた物語の主人公じゃない。
世界の音を聴き、ズレを直す、ただの「職人」だ。
その時だった。
「――おいカイル! いつまで寝てんだ、こののんびり屋が!」
聞き覚えのある、しかし毒気の抜けた明るい声。
路地の向こうから、一人の青年がこちらへ駆けてくる。
眩しい金髪、太陽のような笑顔。
一億回、俺を裏切った男。そして今、俺が「ただの熱血漢」へと書き換えた、新しい相棒。
「レオン……」
「なんだよ、寝ぼけてんのか? 今日は大事な日だろ。俺たちの『初仕事』の日だ!」
レオンは俺の肩をガシッと掴んだ。
かつては「汚れ」がつくのを嫌うように避けていたその手が、今はごく自然に、親愛を込めて俺を揺さぶる。
俺の魂はもう、彼を拒絶しなかった。
彼の肩から鳴る「音」が、とても真っ直ぐで、濁りのないものに変わっていたからだ。
「そうだったな。……クラリスは?」
「ここですよ、カイルさん。もう、男の人ってどうしてこうガサツなのかしら」
レオンの背後から、聖女の法衣ではない、活動的な旅装束に身を包んだ少女――クラリスが現れた。
彼女の腰には大きなポーションの瓶がぶら下がっている。
「計算高さ」を削ぎ落とされた彼女の瞳は、今はただ純粋に、これから始まる冒険への不安と期待で揺れていた。
「二人とも、準備はいい? カイルさんの『調律』がないと、私たちすぐ武器をダメにしちゃうんだから」
クラリスが笑い、俺の腕をそっと引く。
その瞬間、俺の中に一つの「ログ」が流れた。
システムではない。俺自身の「勘」が奏でる、未来の旋律だ。
(……ああ。聴こえる)
三人の足音が、王都の大通りへと向かっていく。
そのリズムはまだ少しぎこちないけれど、一億回の中のどの瞬間よりも、美しく調和していた。
【SNS:王都実況掲示板:新人パーティー観察スレ 1】
1:名無しの冒険者
王都の門付近に変な三人組がいるぞ。
金髪の剣士と、可愛い回復術師。ここまでは普通。
2:名無しの冒険者
なあ、あの真ん中にいる、ハンマー持ってる奴は何だ?
武器……じゃないよな。ずっと鉄の棒(音叉)を耳元で鳴らしてるんだが。
3:名無しの冒険者
ああ、あれ昨日ギルドに登録した「楽器職人」のカイルだろ。
勇者志望のレオンの幼馴染らしいが……楽器職人を連れて冒険とか、正気かよ。
4:名無しの冒険者
楽器職人www 攻撃されたらカスタネットでも鳴らすのか?
5:名無しの冒険者
でも見てみろよ。あの剣士のレオン、カイルに肩を叩かれた瞬間、めちゃくちゃ足取りが軽くなってないか?
遠目から見ても、あいつらの「リズム」だけなんかおかしいぞ。カイルは掲示板の視線など露知らず、腰の音叉を軽く弾いた。
キィィィィィン……。
「……よし。世界の状態は、良好だ」
一億一回目の人生。
記録係を卒業した男の、最初の「調律」が始まった。




