外伝1・供を選ばば三従士
松木美津流、大鳥桐也、望月一兎の三名は神林希総の三従士と呼ばれる。
三人は大学三年の頃からインターンと称して神林の系列企業にてアルバイトをしていた。松木は主に神林ロジスティクスで。望月は神林警備保障で、そして大鳥はその両方で経験を積んだ。どちらも希総が大学在籍中から役員として籍を置いていた企業である。
松木は事務全般に加えてカバン持ちとして営業の現場にも立ち会った。ロジスティクスの営業と言うのは契約農家からの買い付けと、作物を提供する飲食店への販売とがあるが、松木はその両方を体験した。他にスマート農業の導入の支援も学んでいる。大鳥は体力担当。ロジスティクスでは農業の現場で共に汗を掻き、また警備保障では警護業務にも関与した。彼は武術の心得こそないが、喧嘩慣れしており、その大きな体とバレーで培った反射神経で警護担当の盾として動く術を身に付けた。そして望月は、電子機器関係を学び、ハードとソフトの両方に精通した。
彼らは通常の採用ではなく希総の個人的な雇用者となる。三カ月の研修を経て派遣社員の肩書で現場に送り込まれる。彼らの所属は希代乃が立ち上げた人材交流フォーラム、通称ペルコムである。これまでは人材情報の提供を行ってきたが、新たに人財派遣業にも手を広げた形になる。
初めの一ケ月は伊豆にある神林家の保養施設で、神林家の雇用者としてのスキルを納めた。これはかつて片桐掟がは花嫁修業として課せられた試練で、勉強しかしてこなかった掟はクリアまで半年以上かかったが、学生時代に一人暮らしを経験していた三人は想定よりも短期間で適応した。
大型連休を経て研修場所は神林本邸に移った。
「まずはこれに着替えてもらうわ」
と三人を出迎えた掟。
研修初日に体のサイズを測って作られた黒いオーダーメイドの三つ揃い。いわば彼らの制服である。彼らの主である希総のものと同じだが、唯一の違いは希総のものは襟付きのベストなのに、彼ら三人のものは衿無しと言う点である。さらに言えば彼らのベストは防弾仕様と言う点であろうか。
「それともう一つ」
特製のネクタイピンが支給される。
「これはGPS機能付きなので、仕事中は必ず付けている事。これとスマホとで常に位置を把握していて、二つの位置情報が大きく離れたら非常事態発生とみなされて人員が動くので注意してね」
「VIP待遇ですね」
と大鳥が笑うが、
「貴方たちは神林家の重要な情報にアクセスできる立場だから、拘束されたり逃亡されたりすると困るのよ」
と真顔で返された。
屋敷の仕事を覚えながら合間に講義が入るのだが、その最初の講師として登場したのが彼らのボスである神林希総だった。
「いきなりラスボス登場ですか」
と苦笑する松木に。
「講義の内容的に、余人には任せられないからね」
テーマは神林家の歴史。それも公式の社史ではなく神林家の私的な歴史である。内容に興味を持った掟も聴講を希望した。
「使うテキストはこれだ」
希総の祖父・速水秀臣氏の半生を描く評伝、その三巻である。まだ発売前で世間一般には出回っていないが、神林に関わる記述があるので発売前に確認の為に送られて来たのである。丁度五冊あるが、希総の持っているモノは希代乃の校訂が入っている。通常国会の閉会後に発売されることになっていたのだが、直後に与党の党首選が行われたので販売は予定より二カ月ほど遅れる事となった。
一巻は瀬尾総一郎が総理在任中だったので親子対面の直前まで。二巻は三男春真の誕生までで終わっていた。そして三巻ではこれまで触れられなかった神林家との関係が描かれる。
江戸時代までは小地主だった神林家だが、維新の混乱を乗り越えて企業として立ち上げたのが初代様と呼ばれる神林総平。元は総兵衛と書いて”そうべえ”と濁って読まれたが、戸籍作成時に表記を変更し、読みも”そうへい”と濁らない。
「偶然にも、神林家の血を引く男子は皆名前に総の字が付いている訳ですね」
と望月。
「僕はともかく、父は完全に偶然だろうねえ」
みさきが息子に総一郎と名付けたのは、養父総門から一字を取ったもので、自身が神林家の血筋であることは知らなかったはずだ。
初代総平は正妻の他に数名の妾を持ち、一人娘は正妻の子として籍が入っていたが生母は妾の一人だと言われる。この一人娘に婿養子を取って跡を継がせたわけだが、娘一人を残して早世する。ここから代々一人娘に婿を取ると言う継承が続く。これが世にいう神林の呪いであるが、神林家の口伝では、正妻様と生母様は実は血縁だったと伝わる。生母は正妻の妹か姪だったらしいが、外聞が悪いので伏せていたらしい。少なくとも娘を取られた生母の恨みや、子を生せなかった正妻の嫉妬と言う風説は成り立たない。それを踏まえて著者は神林の威勢に対する妬みが呪いを生み出したのだろうと書いている。
神林の呪いは解けたのか。これが実は序章の章題なのだが、
「出産のリスクを負うのが神林の一人娘で無く嫁に代わった時点で無効でしょう」
と当事者の掟が一蹴する。母が三度の出産を経験しているのでそれほど危機感を抱いていないのだ。
「じゃあ読み進めようか」
第一章では速水秀臣と神林ほのかの出会いと別れを起点とした神林家との関わりが紹介されれる。その一部としてみさきの生涯も書かれているが、ここは希代乃の指示ですべて削除されることとなった。この一件は神林にとっても速水にとってもあまり好ましい内容ではない。その代わりとして、総一郎と希代乃の出会いについて、本人のインタビューが載る予定だ。
「この本の主題としては速水氏がいつそれを知ったかですね」
結論から言えば、世間一般と同じく神林の乱の時点だった。
「神林家の機密保持は完璧だった。なんて持ち上げた記述をされているけれどね」
と苦笑する希総。
続く第二章は希総の誕生を経て神林の乱で終わる。ここに速水秀臣の出る幕はない。
「自分が生まれた時の話をこうして読むのは何とも面映ゆいね」
「生まれたことが記録に残る人間は稀ですからねえ」
と望月。
「その誕生がニュースになったのは、お義父様の子の中でも三人だけね」
御堂家の御曹司として生まれた春真と、同じく神林家の希総。そして父親が代議士に当選した日に生まれた華理那である。若き官房長官として毎日のように顔を出す瀬尾矩総も、生まれた時点ではまだ無名の存在だ。
そして第三章では瀬尾総一郎の政界進出から青年党の結党までが語られる。
神林家のお膝元から選出されていた民自党現職の室町議員の辞職による補選に出馬したのであるが、
「この本でも指摘されているけれど、ここには神林の乱を起点とするバタフライ効果が存在する」
と希総。
不正は許さない。と言う希代乃の意思表明が神林の乱の発端だが、この直後に発覚した室町議員の秘書による不正経理事件へと飛び火した。後援会には神林の社員も多くいた為に、大領の脱会者を生じて組織が維持できなくなったと言うのが辞職に至る真相だ。
ここでの本題は速水秀臣氏の動きである。
実は総一郎の青年党立ち上げの資金提供者の一人として秀臣の名があった。と言ってもそれほどの高額高比率ではない。重要なのが彼の持っていた保守系の人脈であった。彼は娘真夏との確執から、その活動分野を企業経営から政治運動へとシフトしつつあったのだ。
四章は少し時間を戻して御堂本家に入った真冬の活躍が紹介される。時系列的にはここが二巻から直接に繋がるが、
「この章は神林にほぼ関係ないので今回は飛ばす。興味があるなら本が発売した時にでも読んでくれ」
そして最終五章では青年党創成期に関連した秀臣の動きが紹介される。
秀臣は青年党本体の他に、主に右派系の議員への献金を行っていた。その中に現総理の城田も居た訳だが、初めから秀臣の立場を知って献金を受け取っていたのは義母の地盤を引き継いだ副島一人だけだった。彼の義母片倉比佐子は秀臣が以前から支援していた右派系議員の一人だった。
「片倉の大叔母も困惑したらしいね」
地盤を娘婿の副島に譲った後で秀臣と遭ってその真意を訊ねたという。
秀臣の回答は、
「政策を見て、賛同できる議員を選んで献金しているだけ」
総一郎がそこに入っていないのは、父から息子への金の流れは公的なモノと私的なモノとを区別しにくいから。
「実際には会計責任を務めていた千里さんが断ったらしい」
と希総が注釈を入れた。
翌日からは、屋敷の手伝いをしながら時折座学が挟まると言うスケジュールになった。
講師として招かれるのは出向予定先で直接の上司となる課長クラスである。
神林邸に呼び出された課長たちはいずれも緊張の面持ちで門を潜った。いずれもタクシーで乗り付けて、帰りもタクシーを呼んでもらう。当然だが仕事なので代金は神林家持ちである。
講義内容は仕事に関する事がメインであるが、重要なのが顔合わせである。一部はインターンで既に面識があるが、大部分は初対面である。時間帯は昼を挟む時間帯で、ランチは神林邸で出る。社内的には本当の目的を隠して懇談会と言う事になっていて、希総も同席する。
食事会だけならいいけれど、講義にも顔を出したりするので油断がならない。希総の顔を知らなかった某課長が、無礼を働いて大慌てする一幕も見られた。
「この服は分かり易い目印だと思うのだが」
希総はトレードマークである黒いスーツを着てポーラー・タイを着けていた。
「俺たちも同じ服を着ていたから、紛れてしまったのでしょうねえ」
と大鳥が分析する。