太一無双
四月某日。滝川太一は校内で新入生から声を掛けられた。
「滝川太一さんですね」
とここまでは良いとして、
「十代目獅子王の」
と呼ばれて反応に困っていると、
「自分は滝川さんとは同郷で、その当時助けて戴いたことがあります」
太一は身に覚えがあり過ぎて相手の顔に覚えが無かった。
「獅子王と名乗った事はない筈だけれど」
語るに落ちるである。
「実はバレー部の主将が中学時代の先輩で。そこからの情報なんだけれど」
「鹿角さんは四年だけれど」
と首を傾げる太一。
「ああ。僕は一年浪人しているから。中一の時に先輩が三年で」
と余計な説明をさせてしまった。
「それで僕に何か?」
「うちのサークル活動に協力してもらえないかと」
鹿角の知り合いなら太一がバレー同好会に入っていることを承知している筈だ。
「協力とは?」
「実は僕らのサークルと言うのは格闘技研究会で・・・」
素人ばかりで経験者が居ないので誰か指導できる人間が居ないかと目星をつけて来たらしい。
「どこで活動しているの?」
「引き受けてくれるのかい?」
「取り敢えず活動状況を見てからかな」
他の兄弟なら即答で引き受けていただろう。だが太一だけは瀬尾総一郎の頼まれたら断れない性格を受け継いでいない。この慎重さは母親である翼の教育の賜物だ。とは言え即答で断らなかった点も母親譲りの教えたがりで世話焼きな気質の現れと言える。
太一は鹿角と会うためにバレー部の練習コートを訪れた。引き受けるかどうかは別にして最も気になったのは、
「そう言えば君も獅子王だったね」
と鹿角が笑う。
「俺の世代にとって獅子王言えば君の先代だからねえ」
「なるほど」
「俺に気を使う必要はないから、君の判断で決めてくれ」
「ええ。彼らの様子を見てから決める心算です」
「そう言う所は大将に似てるよな」
サークルは大学に認可を受けているが、活動は外部の施設を自腹で借りて週一で活動している。
「メンバーは五人と言っていなかった?」
事前に名簿を貰っていたが、集まっていたのは三人だけだった。
「ここを借りられる日程が定まっていないので、その時に体が空いている人間だけが来るんです」
皆勤賞は手続きを担当している会長だけだ。
「しかしここではあまり派手な活動は出来ないでしょうに」
床は板張りで各人がクッションマットを布いているが、使えるのはその狭いスペースだけなので床に倒す様な投げ技は論外である。
「今のところは体作りが中心ですね」
場所の都合もあってか思いのほか無難な活動内容である。格闘技は覚えたてが一番危険なので、素人集団が無茶な事をしていたら一言言ってやろうと構えて来た太一は少し拍子抜けしていた。
「そもそも、何故格闘技だったんですか?」
この内容であれば格闘技研究会を名乗る必要もない。
「何か体を動かす活動をやりたいとなって、五名が一致したのが格闘技だったのです」
「なるほど」
太一はスマホで検索を掛けながら、
「全員が揃う日程を教えてください。場所は僕の方で手配しますので」
「指導を引き受けてもらえるのですか?」
「それは全員と面談してから改めて返事します」
指導をするにしても、どの程度の内容を求めているのか、全員の意見をすり合わせる必要がある。
太一が手配したのは御堂家の運動施設である。その一角に畳敷きの格闘技専用エリアがあるのだが利用率はあまり高くない。事前予約は必要だが年会費以上の追加料金は掛からない。サークルのメンバーは非会員なので入場料(維持協力費と言う名称である)を払う。
集まった面子はレンタルの道衣に着替えさせられた。この費用は太一持ちである。
「始める前に二つほど質問があります」
太一と五人は正座して向かい合う。
「格闘技をやろうとした動機と目標。どの程度の強さを目指すのか」
一人目は、
「団体競技が苦手で、個人競技として候補に挙がった中から消去法で選んだ。自分の身を守れるくらいになれれば良い」
以下順に、
「元々興味はあったけれど、勉強優先でチャレンジする機会が無かった。履歴書に趣味特技として掛ける程度には成りたい」
「実は小学生の頃に空手教室に入った事がある。その当時は体も小さくて、一週間ほどで辞めてしまったけれど。出来れば段が取れるくらいになりたい」
とこれが鹿角の後輩で、一浪しているのでこの中では一番の年長。身長も太一と同じくらいあるが如何せん体型が華奢である。
「僕は単純に強くなりたくて」
この四人目が言い出しっぺらしい。
「目標と言うか、自信が持てるようになりたいかな」
「みんな色々と考えているなあ」
と最後の一人。
「僕は単純に女子にモテたい」
強くなれば自信がついてモテるようになるかもしれない。いずれにしても彼はすこし体重を絞った方が良い。
「技を覚える前に、まずは基礎体力をつけるところからですね」
そこから半年。太一は個別にメニューを作成したが、五名はそれを着実にクリアしてその体形は劇的な改善を見せた。それを受けて彼らが集められた場所は、神林警備保障のトレーニング施設であった。五人は貸し出された神林のジャージに着替えている。
軽い柔軟運動をした後で、太一は五人の訓練用の警棒を配った。これで叩かれれば、怪我はしないまでも結構痛い。
「これを使って向こうの十人と戦ってもらいます。但し向こうは一人ずつで、こちらは五人総がかりで」
十人は半年間の再訓練課程を終えた新入社員で、全員が何らかの格闘技経験者である。学生側には内緒であるが、これは彼らにとっての最終試験である。向こうの勝利条件は、暴漢役の学生たちを迎え撃って怪我をさせずに制圧する事であるが、
「足の裏以外が畳に付いたら失格で、誰かが一撃を入れたらそこで終了です。一撃与えた人間には賞金として千円が与えられます」
十人居るので全部で一万円。もう一桁大きければ協力して最後に山分けもあり得るが、この金額ならば早い者勝ちが成り立つ。
「それでは始めようか」
審判を務めるのは教官である風間氏である。
「・・・全滅かあ」
誰も一撃入れられず、賞金は発生しなかった。
「あれが特技として履歴書に書けるレベルです」
と笑う太一。
「皆さんがあのレベルに達するまで最低でも十年掛かります。従って、履歴書に書くのは難しいでしょう」
時間を掛ければ可能だと言っているだけ優しい。
「それでも、格闘技を学ぶことが無駄とは言いません。ある程度の力があれば相手の力量も知れて、余計な戦いを避けられるようになります」
どちらが強いか勝負しよう。と言っているのはまだまだで、達人同士なら向かい合った時点で互いの力を把握できるので戦う必要もない。
「折角だから、君からも一手指南してやってくれないか」
と風間氏に頼まれると、
「では全員まとめて相手しましょう」
太一は構えすら取らずに自然体で立つ。大勢を相手にするときは構えはむしろ邪魔になるのだ。十人は太一を包囲して攻撃の隙を伺うが、全員を視野に捕らえてからは、一度も動きを止めずに残る九人を順に仕留めていく。連携を取る隙を全く与えない為だ。
ご丁寧にも打撃が得意な人間には打撃で、投げ技が得意な人間は投げ技で対応した。打撃に関しては、拳ではなく掌底を用いている。拳による殴打は相手を殺傷しかねないし、また拳を痛める危険性も高い。よって太一は拳を鍛えるような訓練はしていない。
「一人で大勢を相手にするコツはあります?」
と訊かれて、
「一番良いのは周りを囲まれる前に逃げる事ですが」
と前置きした上で、
「囲まれてしまった場合には、一つは包囲網の穴となる一番弱そうな相手を倒してそこから突破する事」
これは今しがた太一が実戦して見せたことだ。
「もう一つはあまりお勧めしませんが、一番強そうな相手を集中的に叩きのめす事。上手くすれば残った相手は戦意を失って逃げてくれるかもしれないし、最悪でも二度と手を出してこないでしょう」
今回は倒れたら脱落と言うルールなので使わなかったが、実戦であれば一撃で動けなくする技をいくつも持っている太一である。
「久しぶりに手合わせしようか」
と風間氏声をかけて来た。
「ではこれを使いましょう」
と訓練用の警棒を二本取って一本を差し出す太一。
警棒は両手で扱うほど長くないので必然的に片手持ちで半身の体勢を取る。太一は右手に棒を持って右半身であるが、風間は敢えて逆腕の左手に持って左半身を取った。
互いに突き技を繰り出す。攻防が目まぐるしく交代し、見ている方も呼吸を忘れて見入っていた。
利き手を使っている太一の方が若干有利に見えるが、風間の方は利き手を温存して返しの一撃を狙っていた。二人の警棒が一瞬止まって鍔迫り合い状態になった瞬間、風間は右足を踏み込んで右拳を叩き込む。太一はそれを左手で受け止める。
「この辺にしておこうか」
どちらからともなく武器を引いた。どちらも相手を殺す技に長けていて、それを使わない為に敢えて武器を用いて戦っていた。喩えは物騒だが、大国が核を封印して通常兵器で戦っている感じだ。
「どんな修練を積めばそれほどの腕前になるんだい?」
と質問を受けて、
「僕が滝川の父の真似をして鍛錬を始めたのは五歳の頃でしたね」
と答えたら風間氏以外の全員が呆気に取られていた。
「成長に影響しない様にブレーキを掛けられましたが」
成長期に筋肉を鍛えすぎると身長の伸びが抑制されてしまう。成長期には筋肉よりも骨格の正しい成長こそ望ましい。言われてみれば太一は非常に姿勢が良い。
「技に関しては、小三くらいから適宜仕込まれて」
中学に上がるまでには父の技をほぼ吸収していたと笑う。
「英才教育ですか」
「それが最大限の効果を生むのは本人のやる気が最大限に考慮された場合で。皆さんも勉強に関しては好きでやっていた口では無いですか?」
さて格闘技研究会は、その後人数が増えて初期メンバーの五人が卒業する頃にはメンバーは五十人近くに膨れ上がった。初めは他大学からの参加が多かったが、学内の格闘技系の部員からの挑戦を太一がすべて撃退したために多くの掛け持ち部員が誕生した。そして太一が卒業した後も技術交流会としての側面は残り続けた。