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新社長の一日

 神林第二ビルは神林家のお膝元K市内にある。六階建てで、神林の系列二社が入っている。神林ロジスティクスと神林マテリアル。どちらも希代乃の代に複数の企業を合併させて誕生した企業である。

 建物は元は普通のオフィスビルであったが、それまでは言っていた事務所をすべて他所へ移動させ、内装も手を入れて使っている。一階は共用で受付だけが別になっている。二階はマテリアルの本社フロアが置かれ、開発研究部署が別の場所にある。そして三階より上はロジスティクスが入っている。希総の目的地はその最上階である。

 希総はこの四月からロジスティクスの社長に格上げになった。四年前に外部より招聘した二代目社長から職を引き継いだものだ。希総は大学進学と同時に専務取締役として経営陣に加わっていた。前社長は相談役に退き、専務の椅子は現時点では空席である。

 ビルにはエレベーターが三基あって、一つは二階にあるM社員用のモノ。二つ目が二階を飛ばして三階から六階までのL社用のモノ。そして最後は六階のL社長室へ直行する社長専用のモノだ。当然希総が使うのはこれだ。

 当然ながら希総しか使えないし使う意味も無いのだが、状況を理解していない新人社員が駆け込んできた。

「社長室に用件でもあるのかい?」

 と希総に訊かれ、キョトンとする新人。

「このドアはこれを使わないと開かないんだよね」

 と社員証を見せる。

「え。あんたが社長?」

 ケースに肩書が書かれているが、これは人が見て分かり易くするためのモノで、中に公的な個人認証カードを入れる事でシステムと連動する仕組みだ。このカード自体が神林の技術を採用したモノなのでこの運用は容易である。

 ドアが開くとそこは社長室である。

「おはようございます。社長」

 エレベーターのドアが開くと、社長室長以下、隣室の秘書課が勢揃いで待ち構えていた。

 希総は苦笑しつつ机に歩み寄ってカバンを置くと、

「これ、毎回やるのですか?」

 と問い掛ける。

「前の社長がどうだったかは知りませんが」

 社長室は社長不在の時には外から入れない様にロックされる。そして社長が部屋に入ると廊下側の入口には在室のランプが灯り、隣に面した秘書室からも入室が可能になる。前任者の時には下のエレベーターが動き出すと、秘書室側のロックが外れる仕様になっていたが、

「僕の在任中は、不在時には誰も部屋に入れない様にします。朝の挨拶も秘書一人で充分です」

「了解しました。若社長」

 と言って担当秘書を残して退室したのだが、

「何故三人も居るのかな?」

 室長が交代制を指示したらしいが、

「一人で良いよ」

 と言ってジャンケンで決めさせた。

「石田蒼依さんですね」

 希総は三人がジャンケンをしている間に社員データにアクセスしていた。

「宜しくお願いします」

「まず確認事項ですが、僕が出社するのは火曜と木曜だけです」

 月曜日と金曜日には社長を務めるもう一つの会社である神林警備保障で勤務する。土日は休みで水曜日は神林の系列企業を巡回する予定だ。

「なので、スケジュール管理にはこれを使います」

 と言って仕事用に支給されたスマホを取り出す。

「仕事のスケジュールは前日までもここに入れてください」

 神林で開発したスケジュール管理用のアプリが入っている。警備保障の秘書ともこれで連絡が取れる。

「承知しました」

 と言ってアプリを紐付けして動作確認をする。

「本日の予定を書き込んでみました」

 午前中が書類の決裁。午後には就任最初の会議が行われる。

「了解です。ところで午後の会議だけれど、参加者が一人増えるので、もし僕の不在中に到着したら待たせておいてください」

 と言って書類を提示する。

「この方は」

 石田秘書は知っている風だった。

「会長から推薦を受けた。まあ実際に決めるは僕だけれどね」

 希総は書類の決裁を始める。

「未だに紙なんだね」

 と苦笑する希総に、

「これでも昔の十分の一以下なんです」

 スピードが要求される案件についてはデジタル決済に置き換わっている。残っているのは重要かつ秘匿性の高い案件で、紙に記して金庫に仕舞う方が安全だと判断されたモノだ。これは前社長・諸星純生の功績である。彼は情報処理分野の専門家として希代乃が目に付けた人物だ。彼を迎え入れる為に彼の会社ごと買収したくらいである。

 希代乃は諸星の会社を警備保障の技術強化に用いようとしたが、文字通り畑違いのロジスティック社への登用を提案したのは希総である。

「これからの農業はDXが不可欠です」

 諸星がロジスティクスの二代目社長になると、希総は専務として彼の下について学んだ。経営に関しては周囲のスタッフが対応した。

「もう終わったのですか?」

 石田秘書が丸一日かかると踏んでいた書類決済は午前中に片付いた。

「ランチはどうされますか?」

「今日は社員食堂を覗いてみようと思うんだ」

 系列企業も入っているが、農産物を扱う企業の社食である。どんなものを出しているか興味のある所だ。

 食堂は地下にある。社長室のエレベーターは一階と社長室を直接結ぶので、食堂へ行くには社長室を出て一般のエレベーターを使うしかない。この時間帯は混雑が予想されるので、一般社員は使わないのが不文律だ。従って乗ってくるのは幹部クラスばかりで、皆希総の顔を知っている。そんな中で、

「見掛けない顔だな。新人さんかな」

 と声をかけてきたのは営業二課長の浅沼だった。常連の顧客との対応を主とする営業一課に対して、常に新規開拓を目指す事から攻めの二課と呼ばれている。希総は愛称にちなんだ黒いスーツに父から贈られたヒモタイプのネクタイと、良く知られたスタイルだったのだが、外回りが中心で社内事情に疎かった彼は気が付かなかったらしい。

「新社長の神林です。宜しく」

 と言って右手を差し出す。

「え!」

 動揺する浅沼を見て周囲から苦笑いが起こる。

「これから社食でランチなのだけれど、一緒にどうかな?」

 希総は打診の心算でも、この状況では命令に等しい。 

「勿論喜んでご一緒します」

 社員食堂は食券制で現金も使えるが、社員証で決算して給料から自動引き落としも可能だ。基本的に現金を持ち歩かない希総としては後者一択になる。

「好きなモノをどうぞ」

 と言って自身は日替わり定食のBを選ぶ希総。浅沼はそれよりも若干安いAを選んだ。と言っても併せて千円に届かない。

 これは社員章を使った場合の価格で現金で払うと五割ほど高いが、店で普通に食べると倍は取られる筈でそれでも割安である。料理の質には問題が無く、安く仕入れた食材を使って原価ぎりぎりの価格で提供しているからだ。人件費を上乗せしていないので、社食単体では赤字になるだろう。

 希総は全体を見渡せる一番奥の角に座り、浅沼はその対面に着座する。研修期間中の新人が纏まって食べているのが見える。その中には朝に出くわした彼の顔もあった。

「久しぶりに食べました」

 浅沼がここで食べるのは研修期間以来だという。

「貴方のような優秀な人材が何故わが社に?」

 浅沼が二課長を拝命したのは四年前の三十歳。それだけで優秀さが知れる。

「自分は農家の三男坊でして」

 実家が契約農家で、家業を継ぐ予定の長兄はスマート農業を導入して規模を拡大している。

「神林会長ってどんな方なんですか?」

 と逆に訊かれる。

「初対面の人間からは良く訊かれるけれど、僕にとってはまず母親なんです」

 と笑う。

「他所の母親と比較しても意味は無いけれど、甘い母親で無いことは確かですね」

 経済的には余裕があったどころでは無いが、欲しいものは何でも買ってもらえたという訳でもない。むしろ我欲を押さえて他人の為に尽くすことを押し込まれた。すなわちノブレス・オブリージュである。

「なるほど。年齢に見合わない落ち着きも生まれだけでなく育ちの賜物と言う事ですか」

 浅沼と連絡先を交換して社長室に戻ると、

「大泉氏がお待ちです」

 希総を見ると差っと立ち上がって一礼する大泉。希総はそれを見てカバンから書類を取り出して、

「掛けて下さい」

 と言って大泉の向かいに座る。彼は数年前に若くして本社の役員になったエリートである。それが舌禍事件で役職を免じられて閑職に回されていた。と言うのが表向きの話。

「もう宜しいんですね?」

「はい。お陰様で」

 大泉の失言は新総理となった瀬尾総一郎と希代乃に関する事柄。彼の権力を神林の為に利用すべきと言う発言は、希代乃の逆鱗に触れた。彼は役員の職を解かれたが、これは事前に事前の打ち合わせ通りの小芝居であった。

 母子家庭に育った大泉が死病に倒れたは母を看取る為に自分を申し出たのだが、その意を組んだ希代乃がこの芝居を持ち掛けだのである。希代乃の意図は社内の引き締めと社外からの誹謗中傷の防止。この芝居を大泉が受け入れたのは、自分が原因で息子のキャリアを止めてしまう事を母が良しとしないであろうと察したからである。

「母が貴方を呼び戻した理由が良く判りました」

 大泉の境遇が彼の父瀬尾総一郎にどこか重なるのだ。

「ではこれを」

 と言って用意していた辞令を渡す。表向きとは言え希代乃の不興を買った人間が本社に戻れるわけはない。しかし希総の下でなら再起も可能である。

「承りました」

「では行きましょうか」

 会議室に入ると、集まっていた幹部たちが立ち上がって出迎える。希総は空いている上座に座り、浅沼氏はその右隣に立って紹介を待つ。

「今年度から社長を務める神林希総です。と言っても昨年度まではそこの専務の椅子に座っていたので全員見知った顔ですが」

 と空席になっている椅子に視線を向ける。

「まずは人事について。僕の後任の専務としてここにいる大泉君を充てる事になりました」

 と有無を言わせずに宣言を下す。

 役員の人事権は社長の希総にあるし、その希総はこの会社の筆頭株主でもある。希総が四割を持ち、残りは希代乃が三割、そして残りは神林重工が保有している。神林重工の社長は希代乃なので、希代乃が提案して希総が了承すれば誰も異議を唱えられない。

「この度専務を拝命しました。大泉武衛であります。宜しくお引き回しのほどをお願い致します」

 と言って右手を胸に当て、左手を後ろに回して優雅に一礼した。

「では大泉新専務はそこの空いている椅子に座ってくれ。次に千葉副社長に取締役の一人に加わってもらう事となった。宜しく頼む」

 昨年度までは会長の希代乃と社長の諸星、そして専務の希総が取締役であった。諸星が相談役となって取締役から外れ、代わりに副社長の千葉が加わる事になる。

「では議事進行は僕の方で行う」

 前社長は面倒だからと副社長に丸投げしていたが、これが本来の形であろう。

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