5-12話 12月27日 5:00 そこに浮かぶもの
テレス・バルテは、冒険者ギルド第7支部、チーム名『銅の硬貨』のリーダーの女戦士。
今回のモニナ国へは、メルティとロランの護衛のために参加していた。
実際のところ、今作戦にはBクラスのウォルトチームが5人全員参加している。
それよりも2つランクの劣るDクラスの彼女は、正直に言ってしまうと実力不足だった。
彼女自身、それをよく理解している。
テレスは、鉱山業の街アム・マインツの西地区出身だった。
西地区は、数多くの工場や工房がある工業地区となっている。
そこに住む住民は、常に工場から出る汚れた空気の中で生活する事を強いられている。
低賃金の工場労働者も多く、裏通りはスラム街も多い。
テレスは、そんなスラム街のあばら家に産まれた少女だった。
父親が稼ぐ僅かな賃金で買った食べ物を、6人の兄弟で分けて食べる。
そんな貧しい暮らしを幼少の頃のテレスは過ごしてきた。
6人兄弟の3人目として生まれたテレスは、15歳の成人と同時に冒険者ギルドの門を叩いた。
よくある冒険者と同じく一獲千金を夢見て冒険者になったものの、冒険者となってからの活躍は、お世辞にも優れたものとは言えなかった。
痩せぎすだったテレスは、戦士というジョブを得たはいいが、体格や筋力には劣っていた。
装備も、貧乏なテレスに用意できたのは、錆びた剣やボロボロの鎧。
当然、まともな戦果など得られなかった。
Eクラスの僅かな稼ぎの一部を家に入れながら、残った金でなんとか整えた中古品の装備は、耐久度も弱く、すぐに買い替える必要がある。
夢見ていた冒険者の暮らしとはまるで違う、理想とはかけ離れていたものだった。
それでも、なんとかテレスは食らいついて生き延びてきていた。
クエストが無い日は日雇いの工場の軽作業で糊口を凌ぐ。
脆い防具のせいで常に怪我は絶えず、満足なクエストを受けられる日も少ない。
まだまだ遠い上のクラスを目指して泥のように頑張る。
そんな、自他ともに認める、底辺に位置する戦士だった。
早い者なら半年で、そうでなくても大半の冒険者なら2年も経てば、皆ひとつ上のDクラスへと昇格できる。
しかしテレスがひとつ上のDクラスへと昇格できたのは、実に5年も経ってからの事だった。
同期達にはすっかり取り残され、テレスとパーティーを組めたのは、同じくあぶれ者のボーマンと変わり者のディディエの2人だけだった。
冒険者としての才能には恵まれなかったが、代わりに、広い人脈は得られた。
テレス達は基本的には、戦闘員としての資質はあまり問われない、誰でも出来るが人気もあまり無い、いわゆる便利屋系のクエストをメインに受けざるを得なかったが……そういった依頼は引き受ける者も少ないためか、依頼者からは意外と喜ばれる。
戦士としての腕は相変わらずさっぱりだったが、そういった冒険者活動をこなすテレスは、それなりに充実していた日々を過ごしていた。
そういったテレス達銅の硬貨の仕事ぶりは、冒険者達からも覚えられる。
依頼の質を下げている、依頼料の値切りに繋がる……と、テレス達のやり方を嫌う冒険者も少なくは無かったが、皆概ねではテレス達をひっそり応援していた。
酒場の常連冒険者からは、酒や料理を飲め食えと振舞われる事も少なくなかった。
欠員が出たから臨時で加わってくれと、他の冒険者との共同クエストに誘われる事もあった。
テレス達銅の硬貨の成長は、ひとえに他の冒険者仲間と、街の人々のおかげだった。
やっとのことでDクラスに上がれる頃には、テレスの体格や装備は、一応はそれなりのものになってきていた。
お世話になった依頼者達からの頂きものや、工場の同僚達からのおすそ分け、ぼろぼろの装備を見かねた職人の無償の手入れ。
そのため、テレス達は、Dクラスに上がった後も、そんな街の人達とのつながりを大切にしていた。
本来ならば依頼料が高くてギルドに依頼出来ないようなクエストも、テレス達は格安で引き受けていった。
冒険者ギルドの受付嬢、事実上の副ギルドマスターのソレーヌもまた、そんなテレス達の事をよく見てくれていたのだろう。
ソレーヌは基本的には笑顔だが、どこか心の底の読めない営業スマイルだと感じることが多く、テレスはちょっと苦手だった。
クエストの質を下げている自分達の事をあまり好いていないのではないかと気にしていた。
なので、後に『袖付き』への参加を打診された時、テレスは驚く事となる。
自分達をよく見てくれていた事、こんな冒険者らしくない自分をそこまで評価してくれていた事に……。
冒険者としては遅咲きで、まだまだ半人前で未熟なテレス。
慌ただしい街の年末、どうしても外せない用事のある仲間2人を残し、単独でモニナへのクエストへと参加を決意する。
今回の任務に同行するBクラスのウォルトチームが優秀なので、自分に出来ることは少ない。
どちらかと言えば、メルティやロランと同じく、守られる側ですらある。
なので、自分に出来る事と言ったら、夜警ぐらいのものだった。
「マリナちんのお酒に付き合ってくれただけで充分だったのに~」
ウォルトチームのマーガレットからはそう言ってくれた。
でも、まだまだ弱い自分がこんな所へいるんだ。何かもっと役に立たなければ……そう思った。
「いえ、少し寝かせてもらったのですっきりしました。替わりますよ」
「そうお?」
テレスは夜中じゅう、窓の外を警戒する。
「テレスちゃん、気づいてる?
向こうの建物の男、こっちをやたらと見てるわよ」
「えっ!?」
言われてみれば……確かに視線を感じる……ような、感じないような。
「……すみません、気づきませんでした」
「まあまあ、気にしないで~。
ま、何か仕掛けてくるつもりは無いみたいだしね。
おそらく向こうも冒険者なんでしょね。しかもかなり上級の。気付かなくてもしょーがないよ」
マーガレットは確かに寝ていたはずだ。
だが、こんなに寝ているような状態でも、ずっと起きていた自分が気付かないような視線に気付く……。
テレスは実力の違いを思い知る。
そう言っているうちに、その部屋の窓が開く。
そして男が中から出てきて、外壁装飾の出っ張りを伝って幾つか隣の部屋に移動し、その中に入る。先程の視線の主だろうか。
「……夜這いでしょうか」
「ん~どうだろ。
向こうで何かあったのかもね」
マーガレットは、こちらには危険はないと判断したのだろうか。再びうとうとし始める。
こんな夜警ひとつですら、自分は全然及ばない。テレスはそれを実感してしまう。
でも、こんな事でめげてなんかいられない。
他人との実力差なんて、今まで散々味わい続けてきているんだ。
それでも、そんな自分をソレーヌさんは必要としてくれた。
だったら、自分でも出来ることをきちんとやろう……そう思った。
数時間経っても、テレスは夜警を続ける。
夏ならばもうそろそろ日が昇る時間だ。だが、今は冬、最も夜が長い時。まだまだ外は暗い。
中庭には、軽量蛍鉱石製の街灯が常に点灯している。
外を歩く人も、僅かに増えてきていた。
今回の任務は、メルティとロランの護衛。
ロランとはあまり縁が無く会話はあまりしていなかったが、メルティとは縁があった。
新人冒険者募集のビラ配りを手伝っていたとき、そのビラを受け取ったのが、冒険者になる前のメルティだった。
昔の自分と同じ、やせぎすの、ボロボロの服を着た少女。
そんな少女が冒険者ギルドの門を叩く。
仮に生き残れたとしても、自分と同じように苦労するかもしれない……。
そう思い、それとなく様子を見ていた。
どうやら前代未聞の『ジョブ無し』という、ある意味自分より別の意味で苦労している様子だった。
状況が状況だけに、特に手伝えることも無く、ただ遠くから見守るしかできなかった。
このまま冒険者では無く、別のまっとうな仕事を選んでくれたら……そう思った事もあった。
その後珍しいジョブを譲ってもらい、そのおかげでどうやら無事に冒険者家業を始める事が出来たと聞き、ほっとすると同時に心配もしていた。
テレスが10月末のゴブリン騒動で大怪我を負い入院している間、人づてにメルティの話題を耳にすることが出来た。
どうやら魔法を扱えるジョブらしいと聞かされた。金無し戦士である自分と同じような苦労はしなくても良さそうな状況に、心底安堵した。
しかしそのさらに少し後、メルティに赤の依頼が出される。
テレスも捜索に志願しようとしたが、まだ怪我が完治していないため、捜索への参加を制止されてしまう。
テレスは歯がゆい思いをしていたが、幸いにも無事にメルティは帰還してくれた。
その後、街中でばったりメルティと会ったことで、彼女と話すようになり、彼女が『スライム娘』であることを知ることになる。
どうやら彼女の苦労は、自分よりもさらに大変なものであると気づかされる。
幸い、冒険者としての素質はかなりのものらしい。これからもきっと活躍してくれるだろう。
あっという間に自分を追い抜いて、素晴らしい冒険者になってくれるに違い……ない……。
そう考えながらふとメルティの寝ているほうを見た時、とんでもない事が起こっているのに気が付いた。
「あの、マーガレットさん……」
テレスは寝ているマーガレットに声を掛ける。
「……ん。テレスちゃん、外の様子はどう?」
「はい、先程モンドさんが中庭を歩いていた以外は、目立った動きをする人は誰も」
「そっ」
マーガレットは、テレスを見て微笑む。
夜警は合格。そう言ってくれているような目線だった。
「ところでさあ、テレスちゃん……」
マーガレットが、視線を部屋の中を見る。
そう、異変は、外では無くこっちのほうだ。
テレスだけでなくマーガレットにとっても予想外だったらしく、明らかに動揺している。
「あれ、どういう事なんだろうね……」
「わかりません……」
水がめの中で液体状になって寝ていたメルティが、水がめからふわっと浮かんで飛び出し、空中を浮遊していたのだ……。
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……とまあ、そんな感じで夜警してくれていたテレスさんに起こされた私。
そんな私の身体は、ぷかぷか空中に浮かんでいた。
「……なんで浮いてるの?」
「分かりません……」
テレスさんとマーガレットさんに、そう言うしかできなかった。
う~ん、そういえば、修行時代にオパールさんが言ってたような、言ってなかったような……。
『一番最初に人間の味方になったスライムは、ぷかぷか浮かぶ回復魔法が得意なスライムだったんだ。人間になりたいスライムで、王宮の騎士と一緒に冒険して、最終的には願いが叶って人間になったんだよ……』
……いやでも、オパールさんの世界のスライムの話はフィクションの話だしなあ……。
流石に関係ないよね……?
その後、起きてきてしまったマリナさんとミークさんと、さらに騒ぎを聞きつけて部屋に来てくれたロランさんとテトさんと、全く同じやり取りを繰り返す。
ウォルトさんは来なかった。どうやら今留守にしているらしい。
「えっと、今までメルティちゃんが経験してきた状態変化って、毒化のバブルスライムと金属のメタルスライムだけど……」
「これは流石に初めてよね……」
この中で付き合いの長いロランさんとマリナさんが、私の身体の事をおさらいしながら考えてくれる。
「毒の時は、水の魔素を使って状態を反転させる……だっけ?」
「はい……」
私はロランさんの言葉に頷く。
「メタルスライムは、雷魔法の魔素よね?
あ、あと普段から使っているシリコン化、あれは確か炎の魔素だったわよね?」
「そうです」
マリナさんの言葉にも頷く。
「じゃあひょっとして……風の魔素と土の魔素にも、何か変化があるんじゃない?」
テトさんが聞いてくる。
「う~ん、今まで特にめぼしい反応は起こらなかったんですよね……」
確か修行時代、オパールさんがいろいろ研究してくれたはずだ。それはレイ君の記憶の継承を経て、私も知識として知っている。
炎と水と雷はめぼしい反応は見られたが、風の魔素に関しては、僅かに何らかの反応は見せるものの、特に目立った変化は起こらなかった。土の魔素は、私の周囲に魔法を使える人がいないので分からない。
「体が浮き上がる……イメージ的には風の魔法って感じだけど……
ここ最近、特に風魔法を受けたとか、魔素を取り込んだとかは無かったはずよね」
「魔物との戦闘も特に無かったはずだね。
街道でちょっとモンスターに襲われたけど、倒したのは僕達で、君は戦闘に参加しなかった」
マリナさんとテトさんも意見を述べる。
確かに……イメージ的には、風魔法の力で浮き上がったって感じだけど……?
「風魔法と言えば、フラちゃんが使ってたよね。風の刃」
ロランさんの言うフラちゃんとは、私のお友達のカラスのモンスター、フラッターのフラちゃんの事。私の宿屋で一緒に生活している。
ここモニナの市街地には、使い魔扱いと言えどもモンスターは入れないので、アム・マインツの街に留守番してもらっている。
「ねえメルティちゃん、フラちゃんと一緒に居るとき、何か体に変化は無かった?」
「う~ん、そう言われても……。
あ、でも強いて言うなら、フラちゃん、小さいスライムサイズになった私を背中に乗っけても、そんなに重さを感じなかったって言ってました。
もしかして……風の魔素には、体重を軽くする効果とかあるんでしょうか?
フラちゃんと一緒にいて風の魔素を取り込んだおかげで、体が軽くなった……?」
「んー、アタシはさぁ、別の理由だと思うよ」
マーガレットさんの意見は、それまでの風の魔素説とは違う考えだった。
ここモニナに来るまではそんな体重の変化を特に感じなかった。
そもそも、フラちゃんと離れ離れになってから体が軽くなるなんてのもおかしい。
「私もそう思う。やっぱり……昨日飲んだあのゼルゲンの毒なんじゃないか?
滅茶苦茶大きな変化と言えばそのくらいだし」
テレスさんの言葉にマーガレットさんが頷く。2人とも同意見のようだ。
「でも姉御、あの毒に、人を殺す以外の効果があるなんて聞いたこと無いぜ」
マーガレットさんの意見は、毒物に詳しいミークさんに否定される。
「そういえばメルティちゃん、体の紫色の件はどうなったの?
見たところ透明に戻れているみたいだけど……」
マリナさんの問いに私は答える。
「あ、はい。一応消えてます。……あ、でも、体内マジックパックに色素は収納されているので、色はいつでも戻せますが」
感覚でなんとなくそうできる事は理解できているが、一応体の色を紫にできるか試してみる。
うん、ちゃんと出来る。
元の透明の色にも戻せる。
「あ、でも、何て言うんでしょうか……えっと、気合い?を入れておかないと、すぐに紫色に勝手に色付いちゃいそうな感じです」
「そうなのね。……ええと、大丈夫? 体調に変化は?」
「大丈夫です。……浮いてること以外は」
気遣ってくれたマリナさんにそう答える。
結局、あれこれみんなで考えてみるが、体が浮いている原因はなんにも分からない。
私本人にも分からないんだし、しょうがない。
「メルティちゃん、とりあえず……地面に降りられる?」
マリナさんが私に問う。
「えっと……無理みたいです」
「じゃあ……浮いたまま移動出来たりは?」
「それがその、それも無理みたいです。
体を動かしてみているんですが……こう、その場でもがくようにじたばたするだけで、前にも横にも……」
「そうなの……困ったわね……」
「はい……」
本当にどうしよう。このままじゃあ、動く事すら出来ない。
「メルティちゃん、手を伸ばして地面に付けてみたら?」
ロランさんが案を出してくれる。
「あ、そうですね!
え、えいっ! ……あれ、駄目だ……」
手は伸びる。でも、伸びた手もそのまま宙に浮いてしまうため、ぜんぜん前に進まずその場に留まる。伸びた腕だけが、たわんだ糸のようにくにゃくにゃになる。
「あ、じゃあメタル化は?
重たい金属になれば地面に降りられるんじゃないか?
靴だけ金属にしてみるとか?」
ロランさんにスタンガンを持ってきてもらって、足の靴の部分だけ金属にしてみる。
……宙に浮く重たい金属が出来上がるだけだった。
「おいテト、お前なんかいい案ないか?」
ミークさんが、横のテトさんを肘で突っつきながら聞く。
「そんな急に言われても……あ、そうだ。
いっその事、羽根を付けてみたら?」
「羽根ぇ?」
「ほら、神話の天使とかがさ、羽根を生やして飛んでいるだろ?
あれを真似してみたら?」
「へぇ、いいんじゃない?
メルティちゃんの天使姿かぁ~」
何故かマーガレットさんが、にやにやしながら頭の中で妄想しているようだ。
「まあ、物は試しにやってみたら? 天使の羽根」
なるほど、天使の羽根……。
「あの、すみません……天使ってどんな感じですか?」
「えっうそ、メルティちゃん、天使知らないの?
教会のステンドグラスとかで見た事ない?」
「すみません、私の田舎にはそういうの無かったです。
名前は効いた事ある程度で、実際に見た事は……」
マーガレットさんは意外そうに思いながら、天使について説明してくれる。
「えっと、背中の鎖骨のあたりから羽根を生やすんですね。こう……かな?」
私は、背中に当たる部分の形状を羽根に変える。
と言ってももちろん、粘着質の液体の羽根だけど。
「うん、まあ大体そんな感じだけど……なんで黒い羽根なの?」
「え、違うんですか?」
「うん、天使は白い羽根。黒だと堕天使とかよ。
堕天使のメルティちゃんもそれはそれで可愛いけど~」
そっか、白い羽根なのか。
そういえばフラちゃんの羽根をイメージしたから黒くなっちゃったな。
というかそもそも、色自体を付ける必要は無かったかもだけど……。
「あ、すみません、白の絵の具が足りないみたいです……」
「そっか。まあ別にいっか。これはこれで可愛いしね~」
「……マーゴ姉さん、そもそも羽根の有無じゃなくて、移動できるかどうかでしょ」
あ、そうだった。テトさんに言われるまで私も忘れてた。
背中の羽根をばバサバサさせるみたいにして動かしてみる。
「あ、前に進めました!」
ちょっとだけだけど、前に進むことが出来た。
「良かったわね、メルティちゃん!
これで動けるね!」
マリナさんは喜んでくれた。
その後、部屋の中で、そのまま飛行移動の練習をした。
部屋の中をぐるぐる回って、飛んで動く練習をする。
「メルティちゃん、どんな感じ?」
テレスさんが私を心配しながら聞いてくれる。
「はい、まだまだ遅いですけど、だいぶいい感じです」
「そっか。あ、でも、また紫の肌になっちゃったね」
「あっはい。羽根を動かすことに集中しちゃうと、つい肌が紫色に……ついでに羽根も黒になっちゃいますね」
「そっか~」
紫肌で部屋を飛び回る生き物を、何とも言えない表情で見つめながら応援してくれる。
「……いや、まあいいんだけどさ。
そもそも、背中に羽が生えたまんまじゃあ、どっちみち外へは行けないだろ」
部屋を飛び回る私を見ながら、ミークさんがぼそっと呟く。
「でもホラ、なんか段々と高度が低くなってる気がしない?
こうやって飛び回っていれば、魔力か何かが消費されて、元に戻るかも」
テトさんが同じく呟く。
確かに……このまま頑張れば地面に戻れそう……かな?
戻れるといいな……朝ごはん食べに行きたいし……。
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その宿泊客は、モニナへ観光に来ていたごく一般的な男だった。
たまたま早くに目を覚まし、なんとなく窓の外を見る。
すると男は目撃してしまう。
反対側の建物のとある部屋の中で、ふわふわ空を飛ぶ、紫色の肌、黒い翼を生やした女性の姿を。
「……なんだ、あれ?」
部屋は薄暗く、はっきりとは見えない。
しかし確かに空を飛んでいるように見える。
しかし男は、寝ぼけているのか、すぐにまたうつらうつらとし始める。
「おい、おい起きろ!」
少し経ったような、しばらく眠ってしまったような時間の後、同室の連れの男にたたき起こされ、目を覚ます。
「う~ん……何だよ、せっかく寝てたのに……」
「聞いたか? 出たらしいぞ!」
「出たって何が……」
「サキュバスだよ!
サキュバスに精気を吸い取られて死んじまった奴がいるんだってよ!」
そう言われた男は、先程の光景を思い出す。
紫色の肌。
背中に生やした黒い羽根。
そして、部屋の中を飛び回っていた。
男はもう一度窓の外を見る。
どの部屋だったのかは思い出せない。それっぽい部屋は、今は雨戸で閉じられている。
しかし、さっき見たあの光景。
あれは夢?
それとも…………。




