4-40話 アイヒェ村
「メルちー、ここがメルちーが育った村だよ」
「……はい」
私は、スライムの姿のまま、ターシャさんに抱きかかえられて、アイヒェ村跡という場所まで来た。
ターシャさんは、他の冒険者と一緒だった。
ターシャさんの先輩だというシェットさん、同じ宿だというファルマさん、そして私と何度か話したことがあるというカルディさんという冒険者だ。
フラちゃんも、私と一緒に冒険者についてきてくれた。
カルディさんは魔物使いというジョブらしく、フラちゃんはさほど警戒していない。
と言ってもなついたわけでは無く、ちょっと離れた木の枝の上を飛び移りながら付いてくる。
「……どう? 何か思い出せる?」
「いえ……」
「そっか……」
私とターシャさんはそんな会話を繰り返しながら、村の広場という場所へ向かう。
「メルティちゃん!」
「メルティ……」
広場に行くと、何人かの人が居た。
ロランさん、ミリィさん。あと先輩のビターさんとシフさん。
みんな、どこかで見たキオクがある。
同期のみんなはキオクの量は多い。
でも、繋がらない。
覚えているはずのキオクが、まるで別の人の記憶のように感じる。
「イサっちとイルイルは?」
「マキノが連絡のために向かっている。じきに戻ってくるはずだ」
「そっか……」
もっと他にも人はいるらしい。どうやらみんな、私を探してくれていたらしい……。
他のみんなが戻ってくるまでの間、私はターシャさんと一緒に村の中を見て歩くことになった。
もしかしたら、何か思い出せるかもしれない、と。
村の酒場。私のおかあさんが働いていたらしい。
村の牧場。数年間、私は叔父さん達とここで暮らしていたらしい。
「やっぱり、ダメ?」
「はい……」
「どうしても、思い出せない?」
「いえ、思い出せるキオクはあるんです。
でも、それが繋がらないんです。
まるで、私じゃない人の記憶を見ているような……『メルティ』という人の物語を見ているような……。
思い出せるキオクが、自分のものだという確信が持てないんです……」
「そっか……うん、ゆっくり考えていこーよ!」
「はい……」
ターシャさんは、私に優しく声を掛けてくれる。
でも、その優しさが私には辛い。
ターシャさんは私をメルちーと呼ぶ。
私の名前はメルティで、メルちーはあだ名。
それは理解できる。
でも……私が、私自身がメルティだという確信が、今の私には無い……。
散歩をしながら、ターシャさん達はいろいろなお話を聞かせてくれた。
私が皆と知り合ってから、今までどんな冒険をしてきたのか。
南南西の森でゴブリンと戦った事。
23番旧坑道という場所で数日間冒険した事。
ザジちゃんが誘拐されて、救出するために頑張った事。
言われてみれば、そう言うキオクもあったなと思う。
私は楽しそうに話すみんなの表情を見ながらその話を聞く。
そのお話を聞くと、私まで楽しくなってくる。
でも……やっぱり、私じゃない、メルティという自分じゃない誰かの冒険譚を聞いている感覚しか湧かない。
皆の優しさは、理解できる。
でも、それが今はとても辛い。
みんな、私が元の自分を取り戻せることを期待してくれている。
でも、私にはそれが出来ない。
期待に応えることが出来ないのが苦しいのかもしれない。
もしかしたら、このまま自分を取り戻せないほうがいいかもしれない……。
今は、フラちゃんと一緒がいい。
フラちゃんと一緒に居るほうが落ち着く。
キオクを無くして以来、私は野生のスライムとして、モンスターとして生きていた。
今の私は、まだモンスターのままだ。
人間と一緒には、いられない……。
イルハスさんという人が帰ってくるまでの間、今度は1人で村を散策する。
ターシャさん達はいない。その方が、気を遣わずに済むだろうという、みんなの心遣いだ。
フラちゃんが一緒に来てくれた。
1匹のスライムが雪の地面の上を這いずって進む。体に雪がつかないよう気を付けながら。
その後ろをちょこちょことフラちゃんがついてくる。
途中、とある1件の廃屋が目に留まる。
私は気になって、その家に近づく。
玄関の扉には鍵がかかっていた。
でもなぜか、私には鍵がどこにあるのかの記憶がった。
玄関の近くに、鍵を隠しておける場所がある。
そこを探すと……あった。
私は扉の上を這い、その鍵で扉を開けて中に入る。
「ここは……」
とても見覚えのある内装。
家具は無くなっていたけど、私は懐かしさに包まれた。
「私の、家だ……」
そう。
ここは、私の家。
私が10歳になるまで、おかあさんと2人で住んでいた家だ……。
『ほら、もう起きなさいメルティ。朝よ』
『ムニャムニャ……おかあさん、おはよ~……』
一人の女の子が、母親に起こされている。起こしてくれる母親の顔が目の前に映る。
ううん、これは幻。
私の中にある『キオク』が再現している、私の過去の記憶だ。
その幻影を、私は他人事のように眺めている。
『ほらメルティ、ごはんよ』
『わあ、すごい!』
『いっぱい食べてね』
『うん! あれ、でも、おかあさんはいいの?』
『うん、お母さん、今日はお腹が空かない日なの』
キッチンのテーブルがあった場所の幻影を眺める。
キオクの中の少女は、どう見ても人間の子供の一人前にすら達していない量のその食事を、疑いもせずに笑顔で頬張っている。
『おかあさん、なにしてるの?』
『編み物よ。おばさんのお家の羊さんから毛を貰って来たからね。メルティの服を編んであげるわ。うんと綺麗な服を編んであげるからね。今年は寒い思いをしなくて済むわよ』
『わあい、やったー!』
ぼろの服を着た女性が、子供にそう話しかけている。
『それじゃあ、お仕事に行ってくるわね。おばさんの言う事をよく聞いて、いい子にしているのよ』
『うん……』
玄関の前で、母親の身体に顔をうずめる光景が思い浮かぶ。
寂しそうに母親の足元に抱き着いている子供の頭を、よしよしと手で撫でる感触の記憶が蘇る。
何も残っていないはずの空き家の中で、色々な家具と共に、たくさんの『オモイデ』の幻影が脳裏に浮かんでくる。
楽しかった記憶。
寂しかった記憶。
そして、悲しかった記憶が。
『おかあさん、死んじゃやだよ……』
『ごめんね、メルティ。お母さんちょっと無理しすぎたみたい……』
少し背丈の大きくなった女の子が、ベッドに横たわる母親に泣きついている……。
「おかあさん……おかあさん……」
思わず、その言葉を繰り返してしまう。
とても悲しい気持ちになる。
「私、どうして、どうしてこんな辛いキオクまで、思い出そうとしているんだろ……」
どうして、どうして、どうして……。
居てもたってもいられず、私はその家から飛び出していた。
雪の上を、転げるように這い進む。
身体に雪がまとわりつく。視界が雪で覆われる。
フラちゃんが、カァと近くで鳴く。心配してくれている。
「フラちゃん……私……私、ひょっとして、思い出さない方が幸せだったんじゃないのかな……」
つい、フラちゃんにそう言ってしまう。
フラちゃんはモンスターだ。今の私と同じ、モンスター。
もしこのまま、キオクを思い出すことを拒否してしまえば、私は普通の野生のスライムに戻れるかもしれない。
その方が幸せなのかもしれない。
厳しい野生の中で生きていかなければならなくなるけど、少なくとも、人間の世界の苦しみを忘れて自由に生きていくことが出来る。
頑張って私のキオクを取り戻そうとしてくれるターシャさん達には悪いけど……。
フラちゃんが、私の雪をつっついて取り除いてくれる。
そして、私を背中に乗せてくれた。
「フラちゃん……行こっか」
私はフラちゃんに言う。
フラちゃんは、どこに? と聞いてくる。
ターシャさんのいる教会に戻る?
それとも、森の中に戻る?
ほら穴の中で、リリーボレアさんが来るのを待つ?
私は、私は…………どうしよう。
私はどうしたらいい?
私を背に乗せたフラちゃんが空を飛び、少し高い木の枝に止まる。
私の指示を、私の決断を待ってくれている……。
「……あれ?」
木の上から、村の中を1人で歩く人影を見つけた。
「あれは……ロランさん?」
ロランさんは、手に何かを持って、どこかへ向かって歩いている。
どこへ行くんだろう……。
フラちゃんが、行ってみる? と聞いてくる。
「うん……お別れするなら、ロランさんに言ったほうがいいかもね……」
ターシャさんやイルハスさんには言い辛い。
でも、ロランさんはどうやら私達のパーティのリーダーだった。
とっても優しい、私達のリーダー。
だから多分、ひと言伝えたほうがいいかもしれない……。
「……ロランさん」
背後から話しかけられたロランさんは、驚いてこちらを見る。
「びっくりした……メルティちゃんか。
どう? 記憶は取り戻せた?」
「……いえ」
私は思わず、そう嘘をついてしまった。
お別れの言葉をどう切り出そうか……。
私が迷っていると、ロランさんは、元々見ていた場所に視線を戻す。
その場所は、薄い石の板に文字が書いてある場所だった。
確か、お墓、という場所だ。
そのお墓の前には、お酒が置かれていた。お供え物らしい。
「そのお墓、誰のお墓なんですか?」
「誰って……そっか。思い出せてないんだね、本当に……」
そのキオクは、思い出せていない。
私のキオクの中でも特に、そのキオクを得る事を、心のどこかで拒否している部分だ。
ロランさんは、再びお墓に視線を戻して、そして呟いた。
「そっか、記憶が無いのなら……言わなくちゃいけない、のかな。
今のメルティちゃんがメルティちゃんじゃないのなら……なおさら言わなきゃね」
そう言いながらロランさんは腰をかがめ、話し始める。
「ここはね、俺の兄貴の墓なんだ」
「おにいさん、ですか? ロランさんのお兄さんが、この村に住んでたんですか?」
「ああ、そうさ」
「じゃあ、ロランさんもここに住んでたんですか?」
「いや、俺は兄貴とは離れて暮らしていたんだ。
この村に来たのは一度だけ……兄貴の葬儀の時だけだよ」
「そう、ぎ……」
「メルティちゃん、実は俺と君はね、葬儀の時に一度会ってるんだよ。3年前にね」
「えっ?」
「あの時君は、俺に怒ってきたんだ。
俺の兄貴が死んだのは、俺のせいだ、って……」
「えっ……ごめんなさい、全然思い出せません……」
「いいんだ。実際、そう言われても仕方ない部分はあるんだけどね」
「そう……なんですか……すみません、全然思い出せなくて」
「いや、記憶喪失のせいで思い出せないんじゃなくて、本当に覚えてないだけなんだろうけどさ。
冒険者ギルドで再会したとき、俺、初めは君があの時の子だと思い出せなかったし……君は本当に覚えていない感じだったし」
「……何が、あったんですか、この人と……」
私もそのお墓のほうを見る。
そのお墓に刻まれた名前を見ても、なにも思い出せない。
思い出さなきゃいけない気がするのに。
覚えていなきゃいけないはずなのに。
ロランさんが、言い辛そうに話し始める。
「うん、えっとね……そこに眠っている『ギザ・ローレンファーム』は……腹違いの兄なんだ」
「ギザ……さんと、ロランさんが、兄弟……」
何かを思い出せるようで、思い出せない。
ギザさん、その名前を実際に耳にしても……はっきりとしない。
何か、何か大切な思い出があったような気がするんだけど……。
心のどこかで、その事を思い出すことを拒否している。
今までにないくらい、思い出したくない。そう思っているような、そんな予感がする。
駄目。
思い出してはいけない。
なにも思い出さず、このままこの場を離れよう。
これ以上は何も聞かずに、このまま野生へと帰るんだ。そうするべきなんだ……。
でも。
聞かなきゃいけない。
私とギザさんとの間で何があったのか。
どうしてギザさんは死んでしまったのか。
ギザさんの死が、どうしてロランさんのせいなのか。
忘れてはいけない。
思い出さなければいけない。
そんな気がする。
「ロランさん、その……聞かせてください。何があったのかを……」
私は、ロランさんに話の続きをお願いしていた。
「……分かった。と言っても、俺自身は村にいなかったから、又聞きの話が多くなるけど……」
そう言って、ロランさんは話し始めた……。




