4-35話 フラッターの巣にて
キオクを無くしたスライムの私は、真っ暗な場所に閉じ込められている。
うーん、ここはどこだろう。
真っ暗になる直前に見た光景は、大きな鳥みたいなものが私めがけて落ちてくる光景だった。
じゃあ、ここはその鳥のお腹の中なのかな。
あ、でも周りが固いや。じゃあ……えっと、鳥のくちばしの中?
……うん、なんか私生きてるし、多分ここは鳥のくちばしの中なんだと思う。
私を飲み込みもせず、くちばしでついばみもせず、口に含んだままどこかへ運ばれているようだ。
えっと、じゃあ、暴れないほうがいいよね。
なんか動いているみたいだし。
多分上空だと思うから、下手に暴れて落ちちゃったら大変だ。
確実に地面にぶつかってぐちゃぐちゃになっちゃう。
う~ん……次に口を開けた瞬間を狙って逃げ出すしかないかも。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
時折起こる羽ばたきのような揺らぎが終わり、どこかに着地したような振動が来る。
あ、そろそろかも。外から光が漏れ出したら、一気に飛び出そう……今だ!
「うわぁっ!?」
視界に飛び込んできたのは、ギャアギャアと泣く鳥だった。
カラスの雛かな。3匹いる。毛の色がちょっと明るい。
でも、大きい。スライムの私よりも。多分、どこかで見た気がする大人の大ガラスと同じくらいだと思う。
恐る恐る、後ろの親鳥を確認する。
大ガラスよりもはるかに大きい、たぶん人間よりも大きいカラスだった。
えっと……なんだっけ、フラッター……だったかな、多分。
雛たちが巣の中に落ちた私を見つけ、くちばしてついばんで来ようとしてくる!
「わ、わあっ! やめて! やめてったら!」
私はたまらず、突っつきから逃れようと動く。
木の枝のような、太い木のようなその巣から逃げようとする。
「……ひやっ!?」
巣のへりに立ち、驚く。下はとんでもない高さの崖だった。
逃げようとする私を追って、雛たちがよちよちとこちらに歩いてくる。
どうしよう、どうしよう……。
私はその巣のへりから……崖に向かってジャンプした!
「ふぅ……ここなら大丈夫かな」
私はジャンプして飛び降りた……と見せかけて、巣の裏側にくっついて避難した。
粘着質の体のおかげで下には落ちない。天井裏から雛たちのぎゃあぎゃあという声が聞こえる。
とりあえず私は、突っつかれて傷ついたコアを、体を青くし、薬草の成分を出して回復する。
「でも……ここからどうやって脱出しよう……」
どうやらこの巣は、崖の途中に引っかけるようにして作られた巣のようだ。
不安定なようで、フラッターの巨体にも耐えられるほどの強度のある巣だ。
真下方向、地面があるはずのほうを見てみる。遥か下方に森の木がある。
あそこまで、崖の側面を伝って降りていけば大丈夫かな。
あ……でも、もし降りている途中で親鳥に見つかったら、逃げ出したことがバレちゃうかもしれない。
う~ん、どうしよう。
ここはひとまずここにぶら下がったまま、フラッターを観察しよう。
私とここに連れて来たフラッターは、私を吐き出した後、すぐにまたどこかへ飛び立ってしまった。
多分、次の餌を探しに行ったんだと思う。
逃げるチャンスと言えばそうかもしれない。
でも、念のため様子を見る。
少し経つと、またすぐにフラッターが巣にやってきた。
どうやらさっきとは違う個体みたい。
そっか、大人のフラッターは、雛のお父さんとお母さん、2匹いるんだ。
様子を見ずにすぐに降りていたら危なかった……確実に見つかっていた……。
2匹の親鳥は、交互に餌を採取してくる。
ものすごい大きなミミズに、キリサキバッタみたいな昆虫……。
多分、真下の森にいるモンスター達なのかな。
やっぱり普通の鳥と違って、捕まえてくる餌がものすごく巨大だ。
……うん、どう考えても正面から戦って勝てる相手じゃないね。
幸いというか、私と同じスライムを捕獲して連れてくることは無かった。
水分は私1匹だけで充分だと思われたのか、それとも単にこの近くにはいないのか。そういえば、随分長い事くちばしの中に入っていたっけ。
時間はそのまま立ち、夕方になり、夜になった。
親鳥は1匹が巣に戻り、もう1匹は巣の上空の崖の上に陣取る。
騒がしかったひな鳥たちの鳴き声が聞こえなくなる。
私はこっそりと上に移動し確認する。
……寝ている。
雛たちも親鳥たちも。
うん、今がチャンスだ。
私は巣を離れ、崖を降りる。
フラッター達を起こさないように、できるだけゆっくりと。
そろりそろり、時間をかけてゆっくりと降りて、やっと下の地面まで到達した。
周囲を確認してみるが、他に生物の気配は今のところ無い。
どうやら安全のようだ。
おなかすいたな……眠い……。
その日はそれ以上動けず、木陰の中で寝ることにした。
周囲を警戒しながら寝るのは久しぶりな気がした。
聴覚を完全にオフにはせず、視界も完全に暗くしないまま眠る。
魔水晶の洞窟ではゆっくり寝られたのに。
……それ以前は、どこかすごく安全な場所で眠っていたような……。
明け方になったのだろうか。小鳥がさえずる声で目が覚めた。
周囲を見渡す。やっぱり明るくなっている。
上を見渡す。まだフラッターは寝ているのだろうか。
木陰から見える上空には、重い色の雲が見えた。雨が降るかもしれない。
まだちょっと眠い。
うつらうつら、意識を完全に失わないように寝るのは、なんだかあんまり寝た気がしない。
でも、まだフラッターの巣の真下なんだし、そろそろ移動しなきゃ……あ、木の実だ!
私はとりあえず目の前の木の実に飛びつく。
バキバキバキ、ドスン!
「ひゃっ!?」
突然真上から、何か大きなものが落ちてきた音が聞こえた。
木の枝を折りながら地面に落下したようだ。
「な、なに……?」
落下物から立ち込める、焦げたような匂い。
落下物を確認する。
鳥だった。
上で何か騒音のような音が聞こえ、再び落下物が落ちてくる。
……やっぱり、フラッターだ。
フラッターが2匹、燃えながら落ちて来た。
多分、あの巣の親鳥達だ。
「どうして……?」
折れた木の枝の隙間から、上の様子を眺めることが出来た。
「巣が……襲われている……」
私が昨日いた巣の傍に、大きな大きな鳥が羽ばたきながらその場に静止していた。
大きなフラッターよりも、さらに大きな鳥。
体には火を纏わせている。
『おかあさん、あれはなあに?』
『あれは大きな大きな燃える鳥、ヒクイドリよ』
突然、私の『キオク』が蘇る。
そうだ、あの鳥はヒクイドリだ。
私がまだ小さい頃、村で上空を飛んでいたのを見つけ、お母さんに聞いたんだ。
……おかあさん……?
駄目だ、また変なキオクだ。
おかあさんって何?
スライムの私に、親が?
上空では、ヒクイドリがその羽根の火で巣を燃やさないように気を付けながら、巣の中に顔を突っ込む。
次に顔を見せたとき、そのくちばしにはフラッターの雛が咥えられていた。
弱肉強食の、野生の世界。
私はその光景に震えながら、しかし目を離す事も出来ずに見ている。
ヒクイドリはもう一度、巣に顔を入れる。
2匹目の雛が喰われる。
しかし雛が暴れたせいか……巣に、火がつく。
木製の巣は、あっという間に燃え広がる。
ヒクイドリは諦めたのか満足したのか、その場を離れ、どこかへ飛んでいく。
巣が崩れ出す。
燃え盛る炎と共に……私の方へ向けて落ちてくる。
「き、きゃああああっ!?」
巣は、私には直撃はしなった。
がしかし、私の周りは、ばらばらになった巣の、木の枝で取り囲まれる。
「……あれ?」
巣と一緒に、黒い塊があった。
巣に残っていたはずの、最後の1匹の雛のようだ。
どうやら落ちた際に、自生する木の枝がクッションになったおかげだろうか。
まだ、息がある。
ピィ、ピィと、力なく鳴き声を出す、残された雛。
どうしよう。
倒すべきだろうか。
でも……。
『おかあさん、ことりさん、おちちゃった。かわいそう……』
『じゃあ、お手当てしてあげる? 叔父さんに相談してみよっか』
『うん……』
まただ。
また、変なキオクだ。
そのキオクが頭に浮かんで……私は。
私は気が付いたら、その雛を、私は自分の体液を使って治していた……。
何やってるんだろう、私。
小鳥とは違う、全然大きな鳥なのに。
昨日、私を食べようとした鳥なのに。
私はどうして、こんな事を……。
「……はっ!?」
私は、考え事の世界に浸ってしまっていたらしい。
周囲の確認が疎かだった。
周囲は、火が燃えている。
火を付けながら落下した巣の木の枝と、地面に落ちている落ち葉のせいで、周辺は火の海に包まれようとしていた……。
「どう……しよう……」
昔から、考え事をすると時間を忘れてしまう癖があった。
お母さんに、何度も心配された。
修行時代も、クルスさんやオパールさんの前で考え事をしてしまった事もあった。
さすがに冒険者になった後は気を付けていたのに……野生の生活で勘が鈍ったのかな……。
……クルスさん……オパールさん……? 冒険者?
……って、駄目だ。また考え事している。
今はこの火の海から脱出する事を考えないと……。
……もう、手遅れかも……。
諦めかけたその時。
突然、私の身体を何かに挟まれる感覚がした。
そして、私の身体はふわっと浮き上がる。
「えっ……」
フラッターの雛だった。
私を食べるでも、ついばむでもなく、私の身体をくちばしに挟んで運んでくれている。
よちよちと不器用に、それでも必死に飛ぶ。もしかして、生まれて初めて飛んだのかもしれない。
「もしかして……助けてくれるの?」
フラッターの雛は、私を加えたまま1回だけギャウと鳴いた。
曇天はさらに黒くなり、ついには雨が降る。
燃え広がる森を、その大雨は消してくれた。
延焼はそれほどでは無かった。
「はい、木の実、探してきたよ」
私は、フラッターの雛さんの前に、雨の中集めて来た木の実を差し出す。
ちょんちょんと、洞穴の入口の水たまりの水を飲んでいた雛は、ギャウと鳴いて木の実に口を付ける。
私も数個貰って、体の中に入れて溶かす。
ひょっとして雛さん、私の言う事が伝わっているのかな。私にはそういう力があるらしい。
「さっきは、助けてくれてありがとう」
雛さんは、どういたしましてと言いたげな様子で、またギャウと鳴いた。
捕食する者と、捕食される者。
本来はそのはずの、フラッターの雛とスライムの私は、その洞穴の中で、2匹寄り添って雨宿りする……。




