4ープロローグ
拝啓 ロニー君へ
この手紙が君の手に渡る頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。
君と過ごしたのはひと冬の間だけだったけど、あの頃の事は今でも忘れられません。
君と初めて会ったのは、君が8歳の頃だったよね。
あの教会の修道女だった私は、あの日の教会内の学校で、初めて君に会ったんだっけ。
クレイユメドウの街は、第10地区の中でも特に雪が深く寒い場所で、お父さんと一緒に安息日のミサに訪れる君は、いつも耳と手を赤くしながら来てくれたよね。
初めて会った時、私が手を振ると、君はお父さんの後ろに隠れちゃったけど、何度か会ううちにお話ししてくれるようになったよね。
他愛もない会話だったけど、今でも覚えているよ。
君が学校に通うようになって、しばらく経った頃。
あの教会の神父様はどうしようもない人で、よく若い修道女のお尻を触って困らせていた。
その日は私もお尻を触られていた。
でも、君がそれを見つけて、神父さんに怒ってくれた。
暴力はいけない事だと、あとでお父さんや大人の人に怒られていた。
神父さんは街の人をいいように言いくるめちゃって、『君が突然殴りかかってきた』という事にされてしまった。
でも、本当の事は私はちゃんと知っていたよ。私のために怒ってくれたんだって。
嬉しかったよ。
でも、隠し事をしていた私は、ちょっと申し訳なく思っちゃった。こんな私のために叱られてしまっただなんて。
その日以来、私達は、前よりもっとお話しするようになったんだよね。
学校のお昼休みに。他のクラスメートが帰った後の放課後に。
そして、あの日の夜に。
なかなか帰らないお父さんを探すために、君は街の酒場を訪れていた。
正面には荒くれの大人たちがいっぱいいたので、君は裏口から中に入ろうと思って、裏通りに入ってきた。
そこで見られちゃったんだよね。私の本当の姿を。
昼間の真っ白い肌とは真逆の、真っ黒い肌。
横に細長く垂れた耳。
四角い瞳孔の瞳。
頭から生えた2本の角。
果実のように柔らかな、赤く色付いた胸。
細く垂れさがった尻尾。
腰から下を覆う、白く丸い羊毛。
私の、魔物としての姿を。
そして、毛の中に隠してあったナイフを取り出す、私の姿を。
ビックリさせちゃったよね。
でも、君は大声を上げないでくれた。もしかしたら、声も出せないくらい驚いていただけかもしれないけど。
私は君に、私の本当の姿の事をお話しなければいけなかった。
「お姉さん、人間じゃないの?」
「そうよ。私……魔物なの」
「……魔物なのに、人間の言葉が話せるの?」
「……うん。最初は話せなかったけど、いっぱい練習したんだよ」
「普段は、人間に変身しているの?」
「うん」
「どうやって変身しているの?」
「変身魔法っていう魔法を使っているの。と言っても、完璧じゃないんだけどね。
肌の色は反転魔法を使って、あとの部分は、見た目を誤魔化す魔法を使って……」
「お姉さんみたいな魔物は、みんなその魔法が使えるの?」
「わかんない。私と同じ魔物に会ったことが無いから」
「どうして?」
「絶滅しちゃったの。もう私だけ」
「そう……なんだ。ひとりぼっちなんだ……」
「……うん…………」
確か、そんな話をしたんだっけ。
私はもう、この街にはいられないなと思った。
目的も果たせず、このまま去るしか無いなと。
でも、君は私の正体を隠してくれると言ってくれた。誰にも教えないと。
本当に秘密にしてくれるのと私が聞いたら、
「大丈夫だよ。元々嘘つきだと思われてるもん」
と、君は悲しそうにうつむいていたっけ。
君もひとりぼっちなんだねと私が言ったら、お姉さん、いなくならないでね、と君が言って……。
私達、なんだか似ていたよね……。
あの後も、君と私はよくお喋りをしたよね。
いつも通り、教会で。
時々夜にこっそり会って、私は魔法を使わずに、本当の姿でお話しすることもあった。
あの頃は、本当に楽しかったなあ……。
でも、ごめんね。突然いなくなってしまって。
薄々気づいていたと思うけど、私の本当の仕事、修道女じゃなかったんだ。
あの教会の神父さんを殺めるために潜り込んだ、暗殺者だったんだ。
冬の終わりに、やっと目的を達成できそうな日が来て、私は仕事を終えることが出来た。
でも、疑われていた私は、そのまま街を抜け出すしか無かった。
君には書き置きを残すだけで精一杯で、ちゃんとお別れも言えなかったね……。
最初にも書いたと思うけど、この手紙が届く頃には、私はもうこの世にいないと思う。
こういうお仕事だからいつも危ないんだけど、今回はたぶん、生き残れそうにないんだ。
だから、もし君のところにこの手紙が届いたのなら、そういう事だと思う。
あ、でも、私の仇を討とうだなんて思わないでね。
君が今どこで何をしているのかは分からないけど、君には私の分まで真っ当に生きていてほしいんだ。
そして、お願いがあるの。
どうか、私の事を、私という種族の魔物がいたことを、どうか忘れないでほしいの。
最後に、私の宝物を送ります。
受け取ってもらわなくても、かまわないから。
突然こんなお手紙を届けちゃってごめんね。
大好きだったよ。
親愛なるロニー君へ リリーボレアより
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もう何度も読み直しているその手紙を、僕は大切に仕舞った。
あの『お姉さん』が僕の前から消えてから、もう10年の月日が流れていた。
羊の魔物。
遥か昔、おとぎ話の時代に絶滅してしまったと噂されるモンスター。
羊の姿をした獣人で、一部は植物の特性も持っている。
あの人は、その生き残りだった。そして多分、最後の1匹。
僕はあのお姉さんの遺言通り、街に生きる一人の人間として、これまで生きていた。
まあ、『真っ当な』人生と呼べるかどうかは分からないけど。
これまでそう生きていたし、これからもそうするつもりだった。
でも。
僕はあの日、見つけてしまった。あの『本』を。
僕は地下酒場で、いつもの様に、客の隣に座りながら、お酒を注ぎながら接客していた。
僕にはお姉さんから教えてもらった『占い』という特技があったから、それを目当てとしたお客さんがそれなりに付いていた。
いつものように常連客のクソオヤジが、酒場の『オンナノコ』達をはべらせながら飲んでいる。
その中の一人だった僕に、クソオヤジはプレゼントをくれた。
「えっ……本当にいいの?」
「ああ、もちろんさ。君が欲しがっていただろう?」
「でもこれ……高いんじゃないの?」
そんな風に差し出されるものの定番と言えば、アクセサリか花束だろう。
だけど、この日僕が貰った物は、それらとは違うものだった。
この男がそれを持っていると知った日から、僕はこの男にアプローチをしていた。
この男の相手をするのは憂鬱だったけど、この日は僕がこのお店に勤める最後の日という事で、僕は我慢しておしゃべりしていた。
「しかし……本当にこんな本で良かったのかい?」
「この本、ずっと探していたの。実在するとは思っていなかったけど」
僕は男から本を受け取る。
表紙に読めない文字が描かれた、クリーム色の手帳サイズの古びた本を。
さて、この後どうしよう。
僕は、いつもお客にするように、カードをめくり占ってみる。
ただし、今日は僕自身の今後の行く末を占うために。
『8番』と『7番』のカードが表となった。
ここに、出会いがあると、占いは差し示している。
行ってみるべきだろうか。
幸い、この仕事のおかげで、路銀は貯まっているし……。




