3C-6話 暗躍
《私》と僧侶は、アム・マインツの街に拠点を移した。
「へぇ、結構いい街じゃないか」
僧侶はこの街をそれなりに気に入っていたようだったが、私はそうは思えなかった。
オータムフィールドは自然豊かな町だったが、この街は、石造りで出来た、重苦しい街。
一度ゴブリンとして数年間過ごしていた私には、人間の価値観が分からなくなっていた。
この街は歪に見えた。
私はこの街には来たが、冒険者の魔法使いとして活動を再開することは無かった。
娘を失った事で、魔物使いを手にかけた事で、攻撃魔法が使えなくなっていた。
炎が原因で娘を失い、炎によって魔物使いを殺した。
火に対する、魔法に対する抵抗感が生まれたせいかもしれない。
まあ、全ての魔法が使えなくなったわけでは無いし、私の目的には、さほど支障はなかったが。
僧侶は来てすぐ、彼は冒険者ギルドに届出だけは出していたが、この街に来てしばらくの間は、すぐに冒険者稼業を行うことは無かった。
しばらくは、教会や治癒所で仕事を受けていた。
まだこの街に来たばかりの僧侶は、冒険者ギルドで受けられるクエストは少ない。
大体はパーティーを組むこと前提のクエストが多いので、個人はなかなか参加できない。
不安定なギルドのクエストより、治癒所でその日の日銭を稼ぐ方が安定していた。
治癒所は主に、月曜日と金曜日が特に人手不足になる。
月曜日は休み明けのため、金曜日はその週の疲れと週末への浮かれにより、怪我をする人が多くなる。
治癒所から僧侶に要請が多くなるのは、この2日が多かった。
それはつまり、私が僧侶の目を気にせず、自由に動ける日、という事でもある。
自由に動ける日を使い、私は動いた。
スライムを捕獲するために。レア物スライムを探すために。
最初の1か月は、計画の下準備を整えた。
最初は、私が使える転職の祭壇を探すことに終始した。
冒険者ギルドの祭壇はもちろん使えない。
使えば、私がゴブリンだと一発でバレてしまう。
人の目の届かない、今は使用されていない祭壇が必要だった。
私は人のいない、無人となった貴族の屋敷に忍び込んだ。
転職の祭壇は、冒険者以外にも、そこそこの貴族なら所持している場合がある。
それ以外でも、騎士の家系、魔術師の家系など、自身の家で転職の祭壇を持つ場合がある。
また、全く無関係でも、箔をつけるため、あるいはただのコレクション目的のために購入する場合がある。もちろんその場合は裏ルート経由になるが。
いつだったか私が殺したあの3人も、そう言う経緯でジョブチェンジした連中だった。
工業の街アム・マインツは、鉱山関係で成り上がった貴族が多い。
同時に、経営に失敗して没落した貴族も多い。
今は無人となった没落貴族の空き家が、それなりに残っている。
私は、以前鍛えていたシーフの技能で屋敷に潜入し、転職の祭壇が無いか調べて回った。
未使用の転職の祭壇を発見したのは、潜入を開始して2週間後だった。
まあ早めに見つけられた方だろう。
その次は、街を出入りできる地下通路を探すことに終始した。
大抵の貴族の屋敷はそうなのだが、緊急時の脱出用に、秘密の地下通路がある。
地下通路から、今は使われていないかつての坑道に降りることが出来る。
私は祭壇を使いゴブリンに姿を変え、街の外へ抜け出せる坑道を探した。
ゴブリンの『暗視』と『嗅覚』なら、効率よく探すことが出来た。
人の気配どころか魔物の気配すらない地下坑道を探索し、嗅覚を使い、地上の匂いのする場所を探す。
いくつか見つかったが、その多くは街の憲兵隊に監視されている場所。
私はさらに、憲兵隊が把握していない出入口を探し続けた。
この街に来てちょうど1か月経った頃、誰にも見つからない出入口を発見できた。
これで私は、誰にも気づかれずに街を出入りできる方法を確保できた。
次の1か月は、スライムを大量に集めるための手駒造りに勤しんだ。
私はゴブリンの姿になり、他のゴブリンの信頼を得る事に取り組んだ。
街から程よい近さの場所に『キャロスラック』という村があり、その付近にゴブリン集落があった。
その日、相棒が他のパーティーと組んで、2~3日ほど留守にした事があった。その時がチャンスだった。
私ははぐれゴブリンとしてその集落に接触した。
以前と違い、その集落では、私は初めから自分の実力を誇示した。
腕試しとして喧嘩を売ってきた雑魚ゴブリンを、人間仕込みの剣術だけで一蹴した。魔法など使う必要は無かった。
私は容姿こそ普通の『ソード持ち』とは同じだったが、実力的にはもっと上。
前の集落では新ボスのナンバー3程度とされていたのだ。
ゴブリン集落は、力と知恵を持つ者が優遇される。
私はその集落で、あっという間にそれなりの地位を得た。
以前の集落とは違い、畏怖の目で、私は他のゴブリンから見られていた。
「お前、ここを乗っ取るつもりなのか?」
この集落のボスゴブリンにそう聞かれた。
私は、そんなつもりは無いと答えた。
ただ、ある目的があって、この集落の戦力を借りたい、と、そう伝えた。
ボスは私に対する警戒を続けていたが、私が献上品を差し出すと、途端に態度を好転させた。
自分の地位が安定される事が分かったせいか、その後の活動でも、あまり口出しすることは無かった。
キャロスラック集落だけではなく、他のゴブリンの集落へも声を掛けた。
キャロスラックのゴブリンから聞いた、ボスが袂を分かつ前の古巣の集落。
街から見て北東側にある、森の中の寂れた集落。
そして、そこのゴブリンから聞いた、人間には知られていない隠れ里の集落。
いずれもキャロスラックの集落程の規模は無かった。
老いたボス、痩せたボス、世間知らずなボス。いずれも容易に取り入ることが出来た。
アム・マインツに来て3か月目。
私は各集落内で、そこそこの地位と戦力を有するようになった。
『時々現れる変な奴』扱いではあったが、私が指揮できる手駒はそれなりに揃った。
私はこれで、本来の目的を実行できるようになった。
私は雑魚ゴブリンを引き連れ、周辺のスライムを集める。
集めたスライムは、集落内に作らせたプールに入れる。
合間を見て、ゴブリン達に文字の指導をする。
と言っても、スライムの数を管理させるための、ごくごく一部の文字だけだ。
変な知恵を付けられてしまっては私に謀反を起こされる可能性があるかもしれない。
ごくごく簡単な、数の数え方と書き方程度に留めておいた。
まれに、ボスや他のゴブリンの要請で、人間の小村や街道を襲う。
自分は目立たぬよううまく立ち回りながら、他のゴブリンに無詠唱で加速魔法を使い、ちょっと小細工してやる。
そうすれば、人間の目には私は『ちょっと速いソード持ち』程度に見えるだろう。
下手に動いて、また討伐依頼を受注されてしまっては困るからだ。
ゴブリンの被害が多くなるにつれ、僧侶は、治癒所や他のパーティーに駆り出される日数が多くなった。
私が人間を攻撃すればするほど、私が自由に動ける時間は多くなっていった。
スライムは、そこそこ溜まってきた。
最初のうちは1日で2~3匹程度だったが、次第に私の手駒は増え、私が動ける日も多くなり、効率はどんどん上がっていった。
他の集落も、おおむね順調だった。
北東の寂れていた集落なんかは、私が来た時には廃村寸前だったが、私が手を貸すと次第に盛り返していった。
『悪食』の種族特性があるとはいえ、新鮮な食べ物があると健康度は上がる。腐った食べ物より、新鮮な食べ物を優先的に食べるように指導した。
衛生観念と食生活を整えるよう指揮した結果、他の集落とほぼ同規模の数にまで戻ってきていた。
しかし、私はさらに手を加えた。
以前、妊娠前の集落でそうしていたように、『生肉を食べられないゴブリンに調理した肉を与える方法』を伝えた。
これで、スライム捕獲に使えそうな戦闘種のゴブリンをどんどん増やすことが出来た。
ある日。
私がキャロスラックの集落にいた時、あの日のあの男が入ってきた。
青白い肌ながらも人間の容姿であるはずなのに、正門から堂々と入ってきた。
いつもなら誰が来ても警戒するはずの見張り連中は、まるでその男の事など見えていないかのように無関心のまま、男を中に招き入れた。
「だいぶ溜まったようですね。では、これが報酬です」
その男は金貨を私に渡した。これまでの様々な稼ぎよりも遥かにいい稼ぎだった。
男は、プールの中のスライム達を、自分の持ってきたマジックパックの中に入れた。
マジックパックが生物を入れられるとは聞いたことが無かったが、実際目の前で、男はそうやってスライムを収納した。
「また今後もよろしくお願いしますよ。ああ、出来ればそのうちレア物のスライムも」
男はそれだけ言い、どこかへ去っていった。
アム・マインツに来て4か月目。
スライム捕獲の効率は、どんどん上がっていく。
集落の周囲のスライムはとっくに刈り尽くし、少し離れた場所に遠征しに行くケースも増えた。
この頃になると、私を訝しがっていたキャロスラックのボスゴブリンも、私に協力してくれるようになった。
私はあの男との取引で得た金貨を使い、ボスゴブリンに贈り物を送った。
贈り物は、特に酒が喜ばれた。
これまでゴブリンは、人間の酒というものにあまり触れる機会が無かったのだろう。
せいぜい、腐った果実の発酵成分を食すのがいいところだったらしい。
私が人間だった頃は、馬車を襲って酒を奪うゴブリンも中にはいたと思うが……まあ、ボスゴブリンのところまで酒が行き着く事は今まで無かったのだろう。
人間の街ではただの安酒だが、ボスはその程度でも大変気に入ってくれた。
他の集落も順調そのもの。
倍近くにまで数が膨れ上がった集落の食生活を補佐するため、木の実を優先的に集めさせた。
今年の秋は、人間の街まで届く森タマネギやキノコの数が減るだろう。
冒険者ギルドにそういう常時依頼が出るかもしれない。
もし人間と出くわしたら、無理に戦わずに撤退するようにと伝えておいた。
隠れ里の集落などは、私が来る前の3倍ほどに膨れ上がった。
複数のボスゴブリンが出現する抗争状態にあわや陥りかけたが、闇に乗じて新ボス候補を暗殺する事を提言し、実行させ、その他のゴブリンが無駄に数を減らすことを阻止した。
一部でそんな一触即発状態はあったが、ほとんどの集落は、もう私が指揮指導する必要も無くなってきていた。
ボス達が直接指示してスライムを捕獲してくれるようになった。
ゴブリンに人間の金銭の価値は分からないものの、『頑張ってスライムを集めれば、私から良い物が貰える』と理解したボス達は、それはそれは頑張ってくれた。
果実とは比べ物にならないくらい気持ちよくなれる『酒』と、それを稼ぐ手段である『スライム』の存在により、ボスはどんどん私の指示通りに動く駒へとなっていき、同時にそれ以外の事を考えられない自堕落な奴になっていった。
その月の後半ともなると、私のほうは、自由に動くことが出来なくなってしまった。
今まで治癒所で頑張っていた僧侶だったが、その噂を聞きつけた冒険者が、パーティに誘ってくれるようになった。
臨時のスポットで他のパーティーに加わり、それなりに上手くやっているようだ。
僧侶が日帰りする日も多く、不定期ながらいつ帰るか分からない状況になり、私は不審に思われないようにするため、出来るだけ人間の姿で街に留まる事が多くなった。
拠点も、今までの宿屋から、冒険者ギルドの近くの宿屋に移した。
転職の祭壇のある貴族の廃墟も解体工事が始まってしまったので、新たな祭壇を探さなければいけなくなった。
アム・マインツに来て5か月目。つまり先月。
街で、とある事件が起こった。
東地区のエンヴィオという名の商人が、何らかの理由で憲兵隊に逮捕された。
その商人が取り調べられるうちに、あれよあれよと余罪が発覚。なんでも、魔物の闇取引でも行っていたらしい。
あっという間にその商人の屋敷は取り潰しとなり、無人となった。
もしやと思い、そこに潜入してみた。
やはり、あった。転職の祭壇が。
この商人には無用のもののはずだが、どうやらコレクター気質がある商人だったようで、その他雑多な品と共に倉庫に取り残されていた。
私は再びゴブリンとして活動できるようになった。
宿を移したおかげで、僧侶は、比較的余裕が出来たようで、宿に滞在する日が多くなった。
また、今の宿はいろいろと動き辛く、ゴブリンに変身できる日は少なかった。
唯一自由に動けるのは金曜日。
疲れが溜まり、週末でソワソワする冒険者はやはり多いのだろう。金曜日は怪我人が多くなる。僧侶は毎週金曜日には必ず治癒所に出向くという長期契約を結んだようだ。
この宿は食堂も併設しているので、金曜日が書き入れ時になり、特に忙しくなる。
つまり毎週金曜日が、私がゴブリンとして活動できる唯一の日となった。
スライム集めの成果は上々。
どうやら私がいない間に、4つの集落は、効率よくスライムを捕獲する連絡網を構築していたらしい。これには私も驚いた。
どうやらキャロスラックのボスの功績のようだ。
後2~3か月もすれば、ボスゴブリンから、もっとヤバい上位種のゴブリンに進化するのかもしれない。
スライム捕獲の効率を優先するためとはいえ、流石にゴブリンも増えすぎたかもしれない。
あくまで人間の街で暮らす私にとっては、いい事ばかりとは限らない。
ボスゴブリンが最上位に進化したら、私の言う事も聞いてくれなくなる危険がある。
対策を何か考えるべきだと思った。
問題はもうひとつ。スライムの数がいよいよ少なくなってきた事だった。
『南南西の森』や『リブン湿地』では、その姿をほとんど見なくなっていた。
他の集落も同様のようだ。隠れ里の集落なんか、もう2週間も新規のスライムを捕まえられていないらしい。
いずれ、何らかの方法を考えなければならない。
そして依然として、『レア物』は見つかってはいない……。
それから少し日数が経ち、そして、あの日。
南南西の森には、私ももう何度もスライム捕獲に同行している。
先週は4匹だけだった。1匹は殺してしまった。
さすがにもう、ここにはスライムはそれほど残っていない。
私と同行する雑魚ゴブリンも、荷物持ちの盾持ち2匹だけ。残りは他の場所へ行っていた。
この森の探索も、これで最後かもしれない。そう思いながら、私は森に入る。
森の深部で、邪魔な雑魚モンスター共を蹴散らしていた頃。
私は、人間の気配を感じた。恐らく冒険者だろう。
私は隠れる。人間とここで会うのは得策ではない。
こんな場所にゴブリンが出たら騒ぎになる。
ボスもその辺はうまく指揮してくれていた。今まで人間と出会わずにやっていけたのだ。ここで見つかるわけにはいかない。
私は、物陰から冒険者が通り過ぎるのを待つ。
そして私は、発見した。
「なんだ、あれは……」
思わず、そうつぶやいていた。
まるで少女のような姿をした、人間サイズの大きなスライムが、そこにはいた。
これは先週の事。
《私》がついに、まるで人間のような形をしたレア物のスライムを見つけた、その日の事だ。




