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夜中に傘を開いたら迷子の幽霊が現れた(前編)

作者: なやみムヨウ

  

 軽トラは新車を買って乗り潰せという、友人の言葉は正解だった。

 上下に揺れる四角い透明なキャンパスは、これまで十年近くに渡って俺の網膜に色々な作品を振動のおまけつきで見せてくれた。

 車はこの軽トラで3台目となるが、最初の1台は入社祝いに親父が中古で買ってくれた30万の軽、二台目は自分の給料で友人から譲ってもらった50万のセダンだったのだが、そのセダンが事故で廃車になった時に、3台目に買ったのがこいつだった。

 この軽トラももう来年で5回目の車検を迎えることとなるが、足回りが完全にロートルのボクサーがトレーニングをサボり続けたかのようなステップと、キッズ用ゲームコーナーにあるポップコーン製造機の手回しハンドルのような手応えのステアリングの感触が気になるくらいのもので、目の前でガタガタ音を立てて縦に揺れる四角く透明なキャンパスは新車で乗った時から変わらず絶景だった。


 実家から車でおよそ1時間半。

 細い路地の先に点々と建った住宅地の一角、ロクに舗装の行き届いていない田舎道を愛車は40キロ地点に到達したマラソンランナーのような意気込みで進んでいく。

 揺れる車窓からは、緑の看板が目印のコンビニと昭和の時代から経営しているであろう古い風呂屋に本屋が見えた。


小坂こさか』と表記されたこの町が今日から俺の新たな住処となる。


 ポケットに入っている鍵の感触を確かめつつ、ボロの軽トラを運転すること十数分。

 ようやく目的地に辿り着いた。


「え~と、間違ってないよ・・・な」


 不動産屋と見に来た時と寸分違わない一軒家がそこにある。

 余裕のある駐車スペースに何故か遠慮がちに軽トラを停めると、俺は玄関の鍵を開けて恐る恐る中に入った。

 慣れない家屋の匂いが鼻をつくが、じきに慣れるだろう。


 格安で一軒家が手に入ってしまった。


 親のいる実家から職場まで結構な距離があるもので、職場から近い場所で独り暮らしをしようと以前から考えていたのだが、アパートで暮らすより一軒家の方が費用対効果が大きい田んぼばかりが目立つ土地相場の安い田舎の中小企業が俺の勤め先なので、中古の空き家を探した方がてっとり早かった。

 

 色々見て回った結果、最終的に目に止まったのが土地面積185平方メートル、家は2LDKの平屋だが、外に立派な納屋がどーんと建てられ車3台分くらいならギリギリ停められるスペースを持った築15年の立派な家だった。

 以前の家主が高齢のため施設に入ってしまい、誰も住まないということで、かなり安く売りに出されていたため、これまで10年以上汗水たらして働いて得た、たんまりの預金と、両親からの援助もあって、一括で購入することが出来た。

 正真正銘、俺の家だ。


 再び外に出ると、軽トラの助手席からホームセンターで作ってもらった表札を取り出し、ドアの横に立てかけた。 


相模原さがみはら」と立派な字体で書かれた表札がかかると、悪い気はしない。

 相模原伸吾さがみはらしんご今年で36を迎える、役職なし彼女なし独身な俺の名前だ。


 最低限の家具は残してくれているからありがたい。

 テレビも冷蔵庫や洗濯機も使えるし、食器や調理器具も揃っている。

 必要なものは軽トラの荷台1回分で全て載せれたから、引っ越しの手伝いもまったくいらなかった。

 男一人の家なので、殺風景なものだが最低限のものがあればいいし、これから必要になったものを買い足していけばいい。


 時刻は夕方。

 明日は休みだが、とりあえず今はすることがないので、近所の散策にでも行くか。


 引っ越しの時に軽トラに積んで持ってきていた折りたたみ自転車を納屋から引っ張り出すと、俺はとりあえず近場をぶらつくことにした。


 自転車で20分ほどの距離にある酒屋で発泡酒を3本と安いつまみを買ったところで、鼻歌まじりにフラフラ走っていると、急に自転車のハンドルに重みが増した。

 ガクガクと震えるタイヤは推進力と慣性を失い、俺のペダルを踏みしめるトルクを無視するかのようにピタリと止まる。

 パンクだ。そう言えばロクに空気も入れてなかったな。

 まあいい、押して歩いても大した距離じゃあるまい。


 そう思い夕暮れの中を一人とぼとぼ歩いていたら、ふと首筋に冷たいものが落ちた。

 一瞬冷たいと思ったのを皮切りに、ポツポツと小さな感触が来たかと思えば、天が急にゴロゴロと機嫌を損ねてしまった。

 にわか雨だ。

 雨足は強く、着ているシャツと短パンが水を吸って肌に張り付いてきた。

 家まではまだ距離がある。

 自転車を引っ張り出すんじゃなかったな、押して歩くことしか出来ないこいつは今となってはただの邪魔なお荷物だ。

 

 前髪からしたたり落ちる水の感覚がまた鬱陶しい。

 髪を切っておくべきだったと思いながら半ば諦めの気持ちで、濡れるに任せるがままうつむいて胃の中の牧草のストックを消化しきり力を失いなった牛歩のような足取りでバシャバシャ水たまりを蹴っているとふと目の前の電柱に一本の傘が立てかけてあるのが見えた。

 どうでもいいが、牛が牧草を保存しておく胃袋は第何だったか、覚えていない。


 黄色い生地の傘が立てかけてあった。

 近くには誰もいない。

 黄色い傘なので、子供のものかと思ったが、大人の身体をすっぽり隠せるくらいの大きさはあった。

 大人用の傘で黄色というのも珍しい。

 丁寧に包んでバンドでしっかり留めてあった。

 忘れ物か?それにしては包み方が値札でもつけてあるがごとく丁寧すぎる気がする。


 柄の部分には「乃延秋ののべあき」と書いてあった。

 持ち主の名前のようだ。 

 子供の字ではない、きちんとした書体で書かれている。

 アキ…女の子の名前だろうか。

 少々の罪悪感とためらいがあったが、頼りない僧帽筋が容赦なく打ち付ける雨滴に負けてしまい、俺はその乃延秋なる人物の黄色い傘を手に取ると、バンと広げ、家まで持ち帰ることにした。


 傘をはじめて発明したのがどこの誰かは知らないが、その功績を全人類を代表して称えてやりたい気分だ。

 すでに濡れてはいたが、それ以上の被害をこうむることなく、何とか帰宅することが出来た。

 傘を畳み、パンクした車体を玄関のわきに停め、持ち買った貴重な発泡酒とつまみの入ったビニール袋を式台に置き、廊下を濡れるがままに進むと、ずぶ濡れの衣服を脱衣カゴにぶち込み、熱いシャワーを一身に浴びた。

 そう言えばボディーソープを買うのを忘れていた。

 まあいい、シャンプーだけはあるので、ひとまず髪だけしっかり洗い、ラフな部屋着に着替えるとバスタオルでワシワシと頭を拭き、濡れた廊下を雑巾で拭いた。

  

 衣服を洗濯している間、ふと持ち帰った傘が気になり、玄関へ向かった。

 引き戸の横にかけておいた傘を持ち、ガラリと戸を開け、その場で広げる。

 電話番号だ。

 広げるまで分からなかったのだが、肩の内側にはタグがつけられており、そこに電話番号が書いてあった。

 

 固定電話の番号。

 持ち主の自宅かもしれない。

 まだ家に電話を引いてないので、携帯でかけてみるととにした。

 

 時刻は夜の7時。

 夜分遅くもない時間なので、失礼にはならないだろう。


 呼び出し音が何度か鳴ったが、相手が出る気配はなかった。

 

「仕方ないか」

 

 とりあえず預かっておくことにしよう。

 発泡酒を置いてあったことを思い出し、玄関にあったビニール袋を取ってキッチンに向かった。

 

「ん?」


 ふと、酒を冷蔵庫にいれる時、妙なことが起こった。

 3本あったはずの発泡酒が2本に減っているのだ。


 確かに3本あったはずなのに…


 玄関の鍵はかけてなかったので、誰かがこっそり侵入して拝借していったのだろうか。だとしたら笑えない。

 慌てて玄関の鍵を閉め、2階へ向かった。

 一応の寝室兼自室だ。

 とはいえ、かび臭い布団と、携帯の充電器しか置いてないが。

 

 徐々に買い足していかなければいけないな。


「いい部屋じゃないか」


 そうか?

 何もないから広く感じるだけで、これから男の楽園に変わり果てていくだけだぞ。


「折り畳みの机くらいはあったほうがいいな。酒が置けん」


 なるほど、確かにそうだな。

 今度の休みに、買っておこうか。

 …今、俺は誰と話しているんだ?


「乃延秋だ」


 ノノベアキ…そういえば、あの黄色い傘にそんな名前が書いてあったな。


「…は??」


 20代…いや、10代後半くらいの若い女性がいた。

 細く、白く、長い黒髪に覆われて顔がよく見えないが、白いシャツ、黒いロングスカートにベージュのトレンチコートを羽織った女性が両の素足を床につけ体育座りしていた。


 絶叫を通し越して恐怖で言葉を失ったが、これが後に俺の幽霊との最初で最後の体験談になる。



    

前後編ものを書こうと思いつくままに書いてます。というわけで後編へ続きます。

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