ゾンビによる終末世界でゾンビになってみた
ある日突然、世界にゾンビが溢れた。
ゾンビに殺された人間は、新たなゾンビとなって人間を襲い、ゾンビは無限に増殖した。
原因も分からず対策も取れない混乱のまま、世界は終末に向かっていた。
○
僕、普通の高校生、足立悟も、そんな終末世界に生きる人間の1人だ。
いいや、1人だったというべきだろう。
僕はチートも持っていない普通の高校生だ。
あっという間に、ゾンビに仲間入りしちゃったさ。
笑えない。
さて、
ゾンビになってみたけど、思考回路が完全に停止したね。
なにも考えられない。
ただ、痛い。
すごく、痛い。
死ぬときにゾンビに噛まれた傷が、じくじく疼く。
それが辛くて苦しい。
そして、寒い。
とにかく、寒い。
真冬に氷を浮かべたプールに入って歩いているかのようだ。
それが辛くて苦しい。
そして、やたらと喉が渇いて、お腹が空く。
飢餓感と言うのだろうか、まるで何日も水も食べ物もとっていないみたいだ。
それが死ぬほど辛くて苦しい。
僕は、もう死んでるのに、ゾンビなのに、
死んでも死ぬほどの苦しみが永遠に続く。
なぜ、僕がこんな目に遇わなくてはいけないのか。
悲しい。
不公平だ。
辛くて苦しい悲しい思いが、憎しみの燃料になって燃え上がり、その憎しみを生きている人間にぶつける。
生きている人間を見ると、激しい怒りがわいた。
自分と同じにしなくてはいけないと、強く思った。
お前も、僕と同じ目に遭え!
僕の気持ちを知れ!
お前も、僕と同じになれ!
生きている人間を見つけて噛み殺し、そいつが新たなゾンビになると満足……………しない。
尽きない憎しみが、新たな犠牲者を求めて腐った体を突き動かす。
僕は生きている人間を探して彷徨った。
僕と同じでないことに激しい怒りを感じる。
怒り狂う。
僕と同じでないことに激しい憎しみを感じる。
絶対に許せない。
僕と同じ気持ちでないことに激しい憤りを感じる。
平等じゃない、不公平だ。
これは正しくない。
不正は正さなくてはいけない。
僕は義憤に心を燃やした。
僕は正義だ。
僕こそが、正義だ。
生きる人間が死に絶えて、ゾンビで埋め尽くされた世界こそが、世界の正しいあるべき姿なんだ。
そんな世界をつくることが、絶対の正義だ。
死んでも動く僕は、永遠に感じる長い時間を彷徨った。
肉体は腐り落ち、骨だけになった。
でも、動く。
憎しみが、僕を動かす。
やがて骨も風化し、体を持たない幽霊になった。
でも、動く。
怒りが、僕を動かす。
僕は永遠だ。
永久不滅の存在なんだ。
そんな存在になっても、怒りも憎しみも飢えも寒さも痛みも、なくならなかった。
いいや、より一層、強く深くなった。
辛い
苦しい
悲しい
なぜ、僕がこんな目に遇わなくてはいけないのか。
全て、生きている人間のせいだ。
絶対に許さない!
僕はやがて、僕と同じように幽霊になったゾンビたちと合体して、地球全体を覆い尽くした。
これで生きている人間を全て殺すことが出来る。
完全勝利を目前にして、僕の前に1人の子供が現れた。
光り輝く剣を持っている。
子供を殺そうと襲いかかる僕に、子供が剣を突き立てた。
剣は僕を、真っ二つに切り裂いた。
光が溢れた。
あれ? 痛くない。
光に洗われて、傷が消えていく。
僕の怒りが、消えていく。
僕の憎しみが、苦しみが、辛さが、悲しみが消えていく。
張り詰めていた重圧が霧散する。
心が解放されるかのように、楽になった。
義憤を忘れた。
温かい………。
寒さが温かさに、塗り替えられた。
僕は、救われた。
嬉しさの涙が、止まらなかった。
光に洗い流されて、僕が消えてなくなろうとしていた。
走馬灯がよぎった。
それは、永遠に続く苦しみの日々の記憶ではなかった。
ゾンビになる前の、なんでもない日常だった。
その、なんでもない日常が、この上ない幸せだと気付いた。
今になって……今さら気付いた。
その時。
ただの想い出であるはずの、家族や友達が、僕を呼んだ。
両手を広げて、僕を抱き締めてくれた。
僕は……………、
泣いた。
大切な人たちの胸に抱かれて、大きな声で泣いた。
いよいよ、僕が、この世から消えてなくなってしまう前に、僕は聖剣を持つ子供に言った。
万感の想いを込めて言った。
ありがとう
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特に評価は、星がいくつでも構いませんので、入れて頂けたら嬉しく思います。
よろしくお願いします。
カプコンというゲーム会社が作った作品にバイオハザードというものがある。
私は、これの1作目をやったことがある。
それ以来、ずっと、バイオハザードに取り憑かれていた。
トラウマと言っていい。
バイオハザードは私の心に、深い傷を残したのだ。
ゾンビパニックがテーマの作品を読んだり、自分自身もゾンビパニックをテーマに小説のシナリオを構想したりしたけど、心の傷は癒えなかった。
どれも、私が求める結末じゃなかったのだ。
私にとってゾンビパニックは他人事ではなかった。
ある意味、現実的な問題だった。
というもの、私は、とある現象に『ゾンビ』という名前を付けて呼んでいたからだ。
その現象というものが『分かった者は分かろうとしない』
分かった者は、分かった時点で思考回路を完全に停止させる。つまり思考が死んでいる。つまりゾンビだ。
その上、性質の悪い分かった者は、その分かった答えを他人に押し付ける。
答えを与えて思考の活動を止めようとする。
確かに、分かった者の答えには一理ある。
しかし、あくまで一理であって、真理ではない。
ここでさらに悪質な分かった者は、一理を真理にしようとするのだ。
一理が万人に認められると、真理になる。
誰にとっても共通の認識。誰にとっても同じことになるのだ。
人それぞれではなくなる。
みんな一緒。みんな同じになる。
ただの絵と数字の書かれた紙切れさえ、みんなが価値があると信じれば金になれる。
これぞ、まさしく錬金術。
「私が見つけた答えを、絶対に正しいと思いなさい。信じるのです」
こういう人は、やっかいだ。
自分は正しいと思ってる奴は、相手に対してなにをしてもいいと思っているからなぁ。
私が正しい。だから、あなたは正しくない。正しくないのは悪である。悪には罰を与えるのが当たり前である。
悪人は悪人として対処が出来るが、ゾンビは善人の姿で襲いかかってくる。
性質が悪いのだ。
分かりやすい悪人よりも、善人を自称する正しい人の相手をする方が、大変なのだ。
少なくとも私は、今まで生きてきて、このゾンビ共の相手に、とても苦労した。
私は、この心の傷を癒そうと、バイオハザードというゲームに出会ってからずっと、ゾンビパニックのシナリオを構想していた。
でも、どれも、違う。
そこで、私は発想を逆転させてみた。
生きている人間ではなく、死んでいるゾンビを主人公にしてみた。
これが大当たりだった。
ああ、私は、ゾンビを救いたかったのか。
この思いが、深く腑に落ちた。
深く納得した。
欲しいものが……欲しかった結末を知ることが出来た。
大満足です。
さて、この短編小説は、私にとっては金でも、私以外の誰もが、ただの絵と数字の書かれた紙切れのようなものかも知れません。
でも、そんな紙切れを金だと思ってくれる、私と同じ感性を持つ誰かと作品を通して出会えたら、素敵だと思いませんか?
今回、感想と評価をクレクレした理由のひとつがそれです。