「姉」と「妹」の話
狭い川の上に大きな船がゆらりゆらりと揺れている。
私の他にも何人かがこの船に乗っている。
乗客たちは皆、ゆらりゆらりと揺れる船がこれから繰り出す旅路を楽しみにしているのだ。
汽笛が鳴り、船は川を進む。
ゆらりゆらり。
左右にレンガの壁のある狭い川を器用に進む。
街の住人たちは私たちを見送るように軽快な音楽を奏でる。マラカス、タンバリン、チェロ、ヴァイオリン、アコーディオン、カスタネット、様々な楽器の音色が私たちを見送った。
「ねぇ」
「なあに?」
私の呼びかけに、姉が振り返る。
私の姉は、誰もが愛らしいと称賛するその笑顔を惜しみなく私に向けてくる。
「この船はどこにいくの?」
「貝を取りに行くのよ。貝は綺麗だから」
「貝?」
「そう。貝はね、とっても少ないの。ほんとはもっとあるのに」
鈴の音のような声で歌うように楽しそうに彼女は囁く。
まるで悪戯を思いついた無垢な少女のように。
彼女の言う「少ない」と「たくさんある」は矛盾してるのではないかと私は首を傾げる。
「貝って難しいのね」
「そうね。…貝はたくさんあるのに、隠されてるから、みんなは『少しだけしかない』って思いこまされてるの。ほんとは海にも川にも貝なんて存在しないのよ?今日も、私たちが取りに行く前に街の人たちが貝を設置してるの。どうしてだか貴女にわかる?」
「街の復興のため?」
私はしばし考えてから答えを出した。
貝を取りに行く人が楽しめるように、街の人々が貝を設置してるのかもしれない。
私の答えに姉は満足そうに微笑み、私の髪を撫でた。
「違うわ。あれはね、餌なの。私たちを誘き出す餌。貝を設置すれば、貝を取りに来た私たちを捕まえれるでしょう?街の人たちは貝を使って私たちを食べるつもりなの」
ふふっ、と笑ってから姉は私にそう言った。
私は姉になんと返せばいいのか分からなかった。
船は貝のいる場所に到着した。
乗客たちは海の中に入り楽しそうにわいわい話しながら貝を取り始め、すぐにみんな貝に食われてしまった。
姉は私の手を引いて「いきましょう」と言った。
ゆらり。ゆらり。
私と姉は海の中に深く深く沈んでいく。
深い深い海の底。太陽の光が届かない海底。
暗闇に包まれたそこはひどく不安定な気持ちにさせる。
何も見えないのだ。
私は、私の手を引く姉の腕に抱きついた。
「真っ暗だわ」
思いの外不安そうな声が私から出てしまった。
「そうね、海底は暗いのよ。私たちは人間だから、海底での生活は難しいかもしれないわね」
「真っ暗だと、殺人鬼が来たときに心臓を刺されて負けてしまうかもしれないもの」
「そうね、それは嫌だわ。なら、殺人鬼が海底に来る前に首をはねてしまいましょう」
「陸に生きてる殺人鬼を探すの?」
「そうね、でも殺人鬼か殺人鬼じゃないかは分からないのだから全員の首をはねるの。そうしたら殺人鬼だけじゃなく、いつか殺人鬼になるかもしれない人にも怯えなくてすむでしょう?」
だから貴女は何も心配することはないのよ、とでも言うように姉は私に寄り添いゆっくり海底を進む。
私たちは海底のエレベーターの入り口にたどり着いた。
エレベーターの中に乗り、びしょ濡れの服を絞ればスカートからぼたぼたと海水が落ちる。
姉は、髪に絡まった真っ赤なサンゴを解く。
真っ赤なサンゴは姉の桃色の髪をたいそう美しく着飾るかのようで、私はそれをきれいだと思ってしまう。
私は姉から目をそらした。
「部屋は何階?」
「6階」
姉に聞かれ、私は答えた。
私はホテルの6階に部屋をとっていたからだ。
エレベーターは海底からぐんぐん上に上がっていく。
やがて海面を超え、地上まで上がり、6階へと到着した。
姉が「待ってるわね」と言い、エレベーター前のソファーに腰をかける。姉が腰をかけると、周りの人々が跪いて姉にクッキーや紅茶を用意し出す。
私は666号室に入り、必要な荷物をまとめようとする。
私には何が必要なのだろうか。
悪い人から身を守るための台所包丁。
好きなものを好きなだけ手に入れるための財布。
人に見られちゃだめなものを隠す黒色の大きなゴミ袋。
プレゼントされた宝物の兎のぬいぐるみ。
学校に行くための真っ赤なランドセル。
さみしい夜にお話しをする水槽の中の小さな生き物。
甘くてとろけるおいしいおいしいチョコレート。
それらを眺めて私は一度目を閉じた。
何も必要なんてなかったのかもしれない。
私は何も持たないことにした。
私は部屋から出て、姉に「もう大丈夫」と言う。
優雅にソファーに腰掛ける姉は満足そうに微笑んだ。
コトリ、と姉がティーカップを机に置く。
机は赤い液体でべったりだ。
姉が先ほどバラバラにしたであろう死体たちを踏み歩き、私たちは再びエレベーターに乗る。
上へ上へ。
エレベーターはぐんぐん上に進んでいく。
最上階は雲の上だった。
姉の後に続いて私もエレベーターから降りる。
雲はとてもふわふわしていて、油断すると沈んでしまうかもしれないとほんの少し怖くなる。
姉は雲の上に座り、私に「こっち」と言う。
私は姉の隣に座り、雲の上から下を見る。
下は海だった。
美しい緑色の海。
そこにはたくさんのワニが泳いでいた。
ワニたちは皆、頭がなかった。
体と尻尾と手と足だけのワニ。
「ワニ!」
思わずはしゃいだ声をあげてしまう。
ワニは同じ場所をぐるぐると回っていた。
頭がないからぐるぐる回るしかないのだ。
私はワニをずっと見ていたかったけど、雲は私たちが座っている間もどんどんどんどん動いていく。
やがて、ワニは見えなくなってしまった。
いつしか雲は姉の城へと辿り着き、私たちは雲から降りた。
城で働くたくさんのダンゴムシたちが姉に「女王陛下万歳!」と歓声をあげる。私はダンゴムシが苦手なので彼らにはあまり近付きたくない。
そして。
姉は全ての生き物の首をはねた。
みんなみんな、頭がなくなってしまったので同じことをぐるぐると繰り返している。
シェフはずっとティラミスを作っている。
信号機はずっと赤いランプを示している。
ダンゴムシはずっと女王陛下万歳と叫んでいる。
頭のない姉は今日も私の頭を撫でようとする。
私は頭がないから撫でてもらえないことが今日も悔しい。
End.