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編んだ音で生きて

作者: 白藤あさぎ

12(つき)戀紬(こいつむぎ)


秋月10月  編んだ音で生きて



湖のほとりで、僕と彼女は隣り合って座っていた。秋も半ば、あたりは一面あったかい色で溢れていた。枯葉の少し湿った匂いが冷たい空気と混ざって体に入る。音も無い静かな景色の中で、僕は彼女の息遣いだけに耳を傾けていた。


規則的に、細く微かな息遣い。決して乱れない、機械的な正確さを持った呼吸は、なぜか彼女が死んだように思わせる。

僕はそれが急に怖くなって、思わず彼女の手を強く握った。反応が返ってくるわけでは無い。冬の間水みたいに冷たい肌を感じてしまえば、怖さはもっと大きくなる。

顔を上げて、彼女を見つめた。


僕が大好きな空色の瞳。秋空の目がさめるような色じゃなくて、ぼんやりした春の空みたいな。何色だって、僕は彼女が大好きだから、構わないんだけど。

遠くを見つめたまま僕を見ない彼女の目は嫌い。人形みたいに固まった表情が嫌い。僕がどれだけ話しかけても、抱き締めても、彼女は僕を見ないし笑わないし、話さない。


彼女は半年前から、ずっとそう。

声を立てて笑って、庭を駆けて、歌が好きだった彼女はどこかに行ってしまった。どんな想いも届かない、この空よりずっと遠くの場所。


半年前、彼女の10歳の誕生日パーティがあった。僕と僕の兄も招待されて、僕は行ったけど兄は行かなかった。別の用事があって、街の方に出かけていた。


酷い雨の日だった。

僕の両親と兄を乗せた馬車が横転して、三人が病院へ運ばれたと知らせが来たのは、僕と彼女がダンスを踊っている最中だった。


病院についた頃、父さんと母さんは息を引き取った。兄はかろうじて命が繋がったけど今もずっと寝たきり。目を閉じて、規則的な息を繰り返すだけ。彼女は僕の足元に蹲ってわんわん泣いていた。僕は涙は出なかったし、その時自分が何を考えていたのか一切思い出せない。多分悲しかっただろうけど、定かでは無い。


ー*ー


「お帰りなさい!今日もまた笛の音を聞かせてくださいまし!」


彼女を家まで送って、湖から帰ってくると開口一番、高い声でせがむ。

僕の目の前でふわふわ飛び回るバレリーナの妖精。

一体いつから見えるようになったのかわからないけど、気がつくと僕が笛を吹いている間、足元をキラキラ輝かせて踊っていた。靴から溢れた煌めきが天の川みたいな光の帯を織り成して、その上を滑るようにくるくるふわふわ。


お祖母さまにその話をすると、おっとり笑って教えてくれた。妖精はなんでも1つ願いを叶えてくれるらしい。フェアリーテイルにあるように、その代わりとして自分もなにか差し出さなくてはいけないが、人間には手の届かないことも妖精の力で叶えてくれるのだと。


僕は、このバレリーナの妖精が何を求めているのか知っていた。


「ただいま。今日はもう遅いから笛は吹けないよ」


そういうと、あからさまに顔をしかめる。


「夜がいいんじゃありませんか!月の光の下で美しいセレナーデとともに踊りたいんですわ!」

「そういって僕に笛を吹かせて、その音を持っていくつもりなんでしょ?」

「あら、私は純粋にあなたの音を好いておりますのに」


一度願いの対価を払ってしまえば、もう二度とそれが戻ってくることは無い。この妖精が求める僕の笛の音。それは、僕の一番大切なもの。僕の魂そのもの。失えばきっと死んでしまうだろう。

でも願いがある。彼女をもとに戻してほしい。また笑ってほしい。僕を見てくれなくてもいいから、遠くからでも幸せでいるのがわかるなら。


「…どうして僕の音がいいの?プロのフルート奏者でもないのに。僕よりずっといい音を奏でる人なんて、世界中にたくさんいるよ」


言いながら窓際の椅子に座って、丸い小机に置いてあったケースを開いた。ろうそくの明かりを控えめにした青暗い部屋の中で、それは銀色に柔く輝く。


「あなたの音がいいんですの。私が、あなたの音を求めてるんですわ。それに、ご自身でもお分かりじゃないんですか」

「…。確かに、僕の音は僕の命そのものだと思ってるよ。それくらい、特別なものだから?」

「はい。妖精は価値ある光を求めるものですから」


ぼんやりと笛を見つめた。

これを吹いている時だけ、僕を見てくれた両親。これを吹いてる時だけ、僕にも価値を見出してくれた兄さん。僕と同じ顔で、同じ年で、周りよりあらゆるものが秀でていた兄さんが可愛がられるのは当然だし、特別羨ましいとも思わなかったけど、母さんが僕に笑いかけてくれて、父さんが僕の音を人に自慢するのを見るのはどこか安心した気持ちもあった。


でも苦しい。あたたかさを、僕に教えないで欲しかった。

それしか僕には価値が無いんだって、思わせないで欲しかった。

それ以外の僕を殺さないで欲しかった。


「君にあげてもいいけど、まだ駄目。まだもう少しだけあの子を待ってたい」

「もう!いったいいつまで焦らすつもりですの!?」

「欲しいものは後になればなるほど手に入れた感動って大きいんだよ。その時になったら、とびっきりのセレナーデを聞かせてあげる。絶対にがっかりさせないから」

「……仕方ありませんわね」

「その代わり、その時は僕の願いも叶えてね」

「わかってますわ。それは妖精界の約束ですもの」


妖精の金緑の瞳がきらりと一瞬光る。その言葉は信用に足るものだから、僕は安心してフルートのケースの蓋を閉じた。

もう何日も吹いていない。両親が死んで、兄が寝たきりになったあの日から。

でも不思議と自信はあった。もともと練習する習慣があったわけじゃない。気持ちが出来上がれば自然と手にとって、心に浮かんだ旋律を編むだけ。それが複雑だったり単純だったりは、その時の気持ち次第で、とくに考えて吹いてるわけじゃない。


最後に織る曲はいったいどんなふうになるんだろう。


「…明日…もう一度あの子に会ってくるよ」

「…ズルいですわ。どうせ聞いていないのに、あの方にばかり音を紡いで」

「笛を吹くとは言ってないよ。笑ってくれたらそれもできるんだろうけど」

「さっさと願ってくださいな。あの方を元に戻してと」


僕だって言いたい。早く元気になって欲しい。もう半年も経ったのに、時間が止まってしまったまま動き出さない彼女を見ていたくはない。

だけど…とても自分勝手な想いなのはわかってる。彼女にもう一度春の風を与えて、氷を溶かすのは僕でありたい。止まった時計のぜんまいを巻くのは僕がいい。


そうしたらきっと振り向いてくれる。そうしたら、僕を好きになってくれるかもしれないから。


ー*ー


次の日も、僕は彼女のお屋敷に向かった。慣れきった道を抜けて、門をくぐって、ドアベルを鳴らす。

出てきたメイドが、これも慣れきったように微笑んで迎えてくれた。


今日は10月の第三金曜日。広場に花売りのワゴンがくる。だから彼女が好きな花で花束を作って、兄さんのお見舞いに一緒に行こう。

今まではひとりで行っていたけど、彼女も本当は行きたいかもしれないと思った。事故のショックで、彼女のお母さんが当分は落ち着かせたいと言って、お見舞いにはいってないって聞いてたし。


「兄さんのお見舞いに行こう。君が行けば、きっと喜んでくれるよ」


相変わらずなにも言わない。兄さんの名前を出しても、少しも揺れない。

そんなことに、ほっとしてしまう僕は悪魔みたいだ。きっと今笛を吹いたら汚くて醜い音になるだろう。

心を隠して微笑んで、彼女の手をとった。


ごめんね。

すぐにでも願ってあげるべきなんだろうけど、僕にはまだそれができそうにない。


はぐれないように、ぎゅっと手をつなぐ。ほとんど引きずるようにして彼女を連れて広場を歩いた。隣を歩いてくれなくてもいいんだ。握り返してくれなくてもいい。僕は、今も十分自分勝手で傲慢な気持ちで動いているから、君に何かを求めちゃいけない。


苦しくなるたびに、そうやって言い聞かせた。必死で求める心を押さえつけた。



病院について、兄さんの部屋に入る。とても明るく清潔な部屋だけど、生きた心地のしない冷たさ。ここに1人で来るのも最初はとても気が滅入ったけど、今日は彼女がいてくれる。


「兄さん。お見舞いに来たよ」


返事の無い間。僕は一体、いつも誰に向かって話しているんだ。


「今日は彼女も一緒だよ。これは、彼女が好きな花。兄さんはもちろん知ってただろうけど」


花瓶に花を生けようとそばにあった棚に近づいた。


その時、隣でふわりと動く気配がした。


視線を向けると、彼女がベッドに置かれていた兄さんの手をとって、涙を流していた。

重なっただけの手。なのに強くこの目に温度が映り込んで来る。2人の想いが見えるようだった。


ガラガラと自分の中のいろいろなものが崩れていく。大きかった欠片はやがて砂ほどになって虚空に消えていく。

なにか激しく心が乱れて、叫び出したいのに声が出せない。湧き上がる感情をぶつけることができない。僕は自分でそれをする方法を知らない。


僕には音しかないから。


でも今はそれさえも失われてしまいそうなほど激しく耳が鳴っていた。喉が熱くて、熱くて苦しくて。

目を逸らしたいのに2人を見つめ続けていた。


やがて彼女は膝から崩れるように折れて、声をあげて泣き始めた。僕の代わりにそうしているのかと思うほど、それはとめどがなくいつまでも続いた。

僕は彼女が泣けば泣くほど気持ちが引いていって、静かにその場を立ち去った。


日の当たらない廊下の影。うずくまって、僕は彼女の声が聞こえなくなるのを待った。ここは寒くて無機質で薄暗いけど、僕はいつだってそういうところにいたし、もう今更だ。

これ以上動く気力もなくて、膝に顔を埋めた。


いつだって、誰だって、僕を求める人なんていなかったんだから。

だからこんなのは当たり前の結果で、わかりきっていたはずのこと。

やっぱり僕は泣けない。何を失っても、何が叶わなくても、涙が出ない。受け入れて仕舞えばいいんだ。自分は元からそうだったと。


特別にもなれないし、彼女に光を与えられるのは僕じゃない。


これは…当然の報いだ。

愛しあう2人を、僕は殺したも同然だった。


ー*ー


「ねえ、これから兄さんの病室に行こう」

「え…こんな夜更けにですの?」

「うん。だって君は月夜がいいんでしょ?」


その日の晩、月の美しい夜。笑っていうと、妖精はぱっと顔を輝かせた。行きましょ行きましょと、急かしてくる。


今日、彼女は家に帰らなかった。まだあの病室で兄さんと一緒に居る。

面会時間とかあっても彼女には関係無い。僕も、親族だから入るのは問題無いだろう。笛を吹くというと止められそうだから、それはもちろん隠していくけど。



「それで、音をくださる代わりに私に叶えて欲しい願いってなんですか?」


笛を準備していた僕に、妖精は尋ねた。


「兄さんを治して欲しいんだ。目を覚まして、元気になって彼女を迎えに行けるように」


昼間の慟哭が嘘のように素直にその言葉が出た。

僕が一番望むことは、何よりも彼女が幸せであることだし、僕ではそれがあげられない。もう諦めもついたから。


「…それは嫌ですわ」


返ってきた言葉に顔を上げた。嫌とはどういうことか、理解できなかった。なんでも叶えてくれるんじゃなかったのか。けれどそう問うことも躊躇うほど、目に映る妖精の表情が歪んでいた。泣きそうだった。


「…どうしたの…?」

「それだけは嫌ですわ。あなた、自分のために願い事をなさい」

「…僕のためだよ」

「違うわ。彼女のためでしょう?」

「これは、僕の罪滅ぼしなんだよ」


傲慢で自分勝手で、愛してほしくて必死だった僕が犯した罪。


「だって、今兄さんがいる場所には、本当は僕がいるはずだったんだ」


いうと、妖精はわからないというように首をかしげる。


「あの日事故にあうはずだったのは僕。音楽会にいって、笛を吹くはずだった。でもどうしても彼女のパーティに行きたかった。だから兄さんに頼んだ。双子の僕となり代わって行って欲しいって。兄さんも楽器をたくさん習ってて、フルートも吹けたから」


あの日入れ替わった。僕はどうしても彼女に伝えたいことがあって、好きよりもっと大事な、ありがとうを伝えたくて。

なにも誕生日じゃなくてもよかったんだ。特別な日に特別な思い出を欲しがった僕のわがままが招いたこと。僕が音楽会に行っていれば、兄さんは事故に遭わずに済んだし、それにショックを受けた彼女が心を失うことはなかった。

両親も、もしかしたら死なずに済んでいたかもしれない。むしろ僕が死んで、両親は助かったかもしれない。


そうなればよかったのに、僕は今もここにいる。


「兄さんは優しかったから、頷いてくれた。僕の彼女への気持ちを知っていたけど、送り出してくれたんだ。なのに僕は兄さんと彼女の邪魔をした。だからこれは、自分のための罪滅ぼしなんだ。彼女の大切な人を奪って、傷つけた罰。…ねえ、どうして君が泣くの?」


話をするあいだ、彼女は銀の涙を流し続けていた。困って、無意識に手を伸ばす。妖精に触れられるのか疑問だったけど、涙の濡れた感触が指先にあたった。


「やっと欲しかった僕の音が手に入るんだよ。最高のセレナーデを聞かせてあげる」

「あなた、そしたら死んじゃうんでしょ」

「それでいいよ。どこにいても僕はひとりだから」


例えば僕がここで寝ていることになったとしても、ここには誰もこない。

それと変わらない。


「今更変なこと言うよね。僕が死ぬのをわかってて、音を欲しがってたんじゃないの?」


おかしくて笑うと、妖精はようやく表情を変えた。


「あなたが私のこころを変えたのよ。でもいいわ。命ごともらってあげる」

「…僕を求めてくれるのは君が初めてだね」

「そう思うなら、私のためだけのセレナーデを聞きたかった…」


その言葉には答えられなかった。今の僕の心は、彼女への思いでいっぱいだから。


銀の冷たい柔らかさが唇にあたった。ゆっくり息を吹き込んで、楽器をあたためる。静かに燃える灯火の熱を吹き揺らして送るみたいに。


音を紡ぎ編む前の、一瞬の静けさ。前触れが永遠のしじまを作るこの瞬間。僕の周りにはなにも無くなって、研ぎ澄まされた感覚だけが支配する。


流れるように旋律を紡ぎ始めた。

ずっと、心の奥底で灯り続けていた思い。僕にこの音をくれた彼女に、届きますように。


ぐちゃぐちゃに絡まった胸の内の糸。その細い隙間を縫って、脆く頼りない部分に触れてくるみたい。


かつて僕の音をそんなふうに言った。


どうしようもなくなってくるの。勝手に涙が流れてきて、触れられたくないのに、気づいてほしくて仕方なかった心が溶かされていって、どうにかなってしまいそうなんだもの。

それってすごく怖いことよ。ほんとはみんな、いつだって泣きたくて叫びたくてたまらないから。


多分、違う。

ずっと、それを願っていたのは僕の方だった。泣きたくて叫びたかったけど、周りの人はみんなそれができるのに、僕は出来なかった。

僕は誰かにそんなことをもたらしたかったわけじゃなくて、僕の中の糸の合間を抜けて奥底に届く何かが欲しかった。

それが、君からの愛じゃなくてもよかったのかはわからないけど。僕が求めたのはそれだったから、きっとそれ以外じゃダメだったかもしれない。


でも、その言葉だけで十分だったんだ。君がくれたその言葉が、僕が笛を吹く理由になって、それが両親の心を繋いで、温めてくれたから。

それ以上を望んではいけなかったんだよね。


長い長い夜の果てに、今までの思いを全て解き放つような音を。それはとても激しく重く、淡く切なく、苦しみながら優しさのあるもの。魂を削るように僕は音を奏で続けた。



バレリーナはキラキラと光をこぼして踊っていた。

僕は、彼女への気持ちを全部編んで紡ぎ終わったから、その踊りに合わせて音を重ねた。


いつの間にか僕は彼女と兄さんを見下ろすほどの高さにいた。

妖精が織り成した光の帯の上を螺旋を描きながら月に昇っていく。


幸せになってね。


最後にそれだけ心に願って、目が覚めた兄さんに笑いかける彼女を見つめた。


僕の頬から落ちた雫が、夜の星に紛れて落ちた。





一途な気持ちを愛してしまったんです。

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