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雨の日に始まる~桂まゆ~

作者: 日下部良介

『笑ホラ2017』企画に参加して頂いた桂まゆさんへのギフト小説

 暑いのは嫌だけど、せっかくの夏休みにこう雨ばかり降られてもねぇ…。そんなことを思いながら、私は天気予報を報じるニュース番組を見る。休みに入る前、行きたいところがいくつかあった。けれど、雨が降っていたのでは気分が萎える。もう、三日、部屋から出ていない。

 気分転換にベランダへ出る。手摺から軒先に手を伸ばす。雨の雫が手のひらを濡らす。

「なかなかやまないですね。雨」

 声の主は隣の部屋に住む青年だった。何度か顔を合わせたことはあったけれど、話をしたことはなかった。彼もまた、私と同じようにベランダの隔て板の向こうで手のひらを軒先に伸ばしている。恥ずかしさとバツの悪さから、私は思わず手を引っ込めて部屋に戻ろうとした。

「ねえ、お隣さん…」

 彼の声に、私は立ち止まった。そして、再び隔て板の向こうにいる彼の方に目をやった。

「お天気祭りでもやりましょうか」

「お天気祭り?」

「そう! 雨乞いの逆で、お日様に出て来てもらうために」

 にっこり笑う彼とは対照的に、私は顔をこわばらせた。変な宗教にでも誘われるのではないかと思ったから。

「近くに美味しい蕎麦屋があるんですよ。そこで蕎麦でも食いながら晴れるのを祈りましょう」

 彼が言ったのに答えるように、私の腹の虫が鳴った。そう言えば、もう昼になると言うのに、朝から何も食べていなかった。その蕎麦屋なら、私も知っている。行ったことはないけれど『美味い』という評判は聞いていた。


 結局、彼と一緒にそばを食べに行くことにした。部屋を出ると彼は傘を二本持って待っていた。

「これをさして行きましょう」

 彼が差し出したのは風情のある蛇の目傘だった。マンションのエントランスを出て蛇の目を広げた。パチパチと傘を叩く雨の音が新鮮に聞こえた。


 狭い路地を彼の後について歩く。彼の傘と私の傘が同じメロディーを奏でる。それが彼をずっと前から知っていたような錯覚を起こさせる。

「着きましたよ。ここです」

「えっ?」

 そこは私が思っていた蕎麦屋ではなかった。暖簾も看板も何も出ていない、普通の民家だった。

「ここ、お蕎麦屋さんなのですか?」

「ええ、僕の秘密の隠れ家です。どうそ」

 そう言って彼が店の戸を開ける。私は一瞬、入るのを躊躇したけれど、出汁に使われているのだろう鰹節の香りに魅かれて店に入った。そして、彼が示した席に着いた。

「少々お待ちを」

 彼はそう言って厨房の方へ歩いて行った。そして、そばを打ち始めた。


 ここは彼が大事なお客様だけをもてなすために開いているお店なのだそうだ。しばらく待っていると彼が二人前のそばを持って戻ってきた。

「鴨つけそばです。どうぞ召し上がってみてください」

 私は彼に促され、箸を取る。スモークした大ぶりの鴨肉とたっぷりの九条ネギが入ったつけ汁にそばを浸して口に運ぶ。一瞬で口の中にそばの風味が広がる。

「美味しい!」

 それは今まで食べたどこの蕎麦よりも美味しかった。


 食べ終わって、店を出るといつの間にか雨はやんで夏の日差しが顔を出していた。

「お天気祭り、効いたみたいですね」

「あっ、本当だ」

「えっ?」

「いや、まさか本当に晴れるとは…」

 そう言って照れくさそうに笑う彼。そんな彼の笑顔が私の心も照らしてくれているように思えてきた。





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― 新着の感想 ―
[良い点] 雨に閉ざされた現実世界から、まるで異世界に迷い込んだような。 日下部さまの、ファンタジー。 堪能させて頂きました。 [一言] 以前、「ファンタジーは書けない」とおっしゃられていたと思います…
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