▼アーキ・スフィア
▼アーキ・スフィア(あーき・すふぃあ)
●概要
情報世界。すべての実領域(物質世界)と等価値な〝情報〟を持つ、『世界のもうひとつの側面』とでも言うべき総体に対する、綴導術師たちの間での呼称である。
綴導術師たちが〝蒼導脈〟から世界を見た時、世界は情報で構築されていると言える。三次元的に存在する物質世界のすべてはこの<アーキ・スフィア>に記述される情報と完全に等価値であり、物質世界とは<アーキ・スフィア>上に記述された情報の投影像である。
このことから、<アーキ・スフィア>を物質世界の発生源として物質世界とは別の(あるいは上位の)場所に収められているものであると解釈されることもあるが、綴導術師たちにとって両者は完全にずれのない等価値のものであるので、それら解釈への厳密な回答には意義を見出さない。
すなわち世界とは<アーキ・スフィア>であり、<アーキ・スフィア>とは世界である。
●情報世界に記述される世界の様相
<アーキ・スフィア>内に記述される情報は、宇宙の『すべて』である。
宇宙とはその境界表面に記述された情報の投影と同義であるので、宇宙内部の全事象、全法則、物理定数、全空間、全物質、全エネルギー、などのあらゆるすべてもこれに記述され続けている。
そのため綴導術の観点では物質、時空、エネルギーは根源の情報として等価である。
●情報集積総体としての<アーキ・スフィア>
綴導術の概念において、物質界に存在するすべての元素、物質、物体は、それに包括されそれを構成するありとあらゆる〝情報〟を持っている。
たとえばひとつのリンゴの実があった場合、その成分、遺伝子構造、それらの分子・元素構造、『赤い』という色、『丸い』という形、大きさ、その大きさや糖度の配分に至るまでに受けた外的要因や内的要因といった、その全存在をつかさどるあらゆる〝情報〟である。
ひとつのリンゴはひとつの木に成っており、ひとつのリンゴの木にはほか無数のリンゴの実がなっている。リンゴの木は土壌に根を張り育ち、リンゴの木を育んだ土壌も長年に渡りさまざまな動植物の死骸を取り込んで組成変化をしてきた歴史(情報)を持ち、さらなるはるかかつてにはどこか別の場所から運ばれてきたものである。
そして、この情報の海を世界全体まで広げて〝総体〟として解釈したものを<アーキ・スフィア>と呼ぶ。つまり、<アーキ・スフィア>とは、数多の独立または連動した〝情報クラスター〟の集積総体である。
スフィア(球)と呼称されるゆえんは、綴導術師たちにとってこの情報世界の総体が球状に見えるという意味ではなく、上記の通りすべての情報が最終的にはつながり、元の位置に戻ってくることが可能だからである。
●観測可能な情報境界の限界深度
しかし綴導術師がその魔術師たちから受け継いだ情報世界へ対する知覚範囲は、世界全部には及ばないと思われている。彼らが明確に視ることのできる<アーキ・スフィア>の限界的範囲は今現在のところ、あくまでも住んでいる〝宇宙〟までの範囲である。それも一度に宇宙すべてを見渡すことができるという意味ではない。
綴導術師たちが<アーキ・スフィア>すべてを見渡そうと考えた時、<アーキ・スフィア>が返してくるポテンシャルは観測・計算される宇宙のサイズをあまりに逸脱している。このことは彼らが平行して研究を行なう〝ブレーンワールド原理〟や〝多元宇宙解釈〟を実証的に裏づけているとも言える。
であるので、普段に綴導術師たちが言う<アーキ・スフィア>とはこの〝宇宙〟までの範囲を指し表す意味合いが強い。場合によっては〝世界〟全部や下記に後述する〝神域〟までもを含めた意味合いで論述されることもあるが、彼らが宇宙の物理法則や存在の構築理論を研究する上で〝宇宙〟は充分な広さを持った領域であり、それ以外の領域は無視しても問題がないものとして扱えるためである。
このことから、綴導術師が普段見ている<アーキ・スフィア>とは宇宙の境界表(球)面に記述された情報であると同時に、さらに視点を広げた場合は、〝神域〟までもを含めた上位構造の一部へと切り込みを入れて現れた、『パンの断面図』の、ほんの表面(平面)ようなものにすぎない。どこにどの方向から切れ込みを入れても同量の〝宇宙〟は現れ得るし、そして、それらは我々とは異なる物理法則や宇宙定数を持っているかもしれない、まったく異なる『別の』宇宙なのである。
●〝神〟としてのアーキ・スフィア――〝神域〟と〝始原の執筆者〟論
綴導術師たちが作る特別な品の中には、神話に描かれるできごとや、神話に登場する神々になぞらえた形状や効果を持つものも珍しくはない。
彼らがそういった品を作る時、単に文献などから得た知識になぞらえてその通りとなるように情報を構築することもあれば、<アーキ・スフィア>内のある領域から流出する情報を模倣するか、あるいは引き込んで構築を行なう場合もある。
綴導術師たちが神々という存在を世界の根源たる<アーキ・スフィア>に探し求めた時、どのように見ても神話に語られる〝神〟としか言いようのない情報クラスターの片鱗が見出されることがある。
いわゆる〝神域〟と呼ばれるこれらの上位存在的な情報クラスターがどこから発生したものなのかという点については、神学的・宗教的な立場や価値観の相違からなかなか議論が分かれるところである。人間が神話を創造してから悠久の信仰を経たことによって確固たる地位を得たのかもしれないし、あるいは真逆に、本当に人間の伝える神話と大差のない経緯から神々の発生と天地の創造がなされて、その結果としての世界の変遷を<アーキ・スフィア>の側から無意識に受信した人間たちが神話として編纂を行なったのかもしれない。いずれにしても神々の力を借りた、あるいは模倣した品は、絶大な力を持つに至ることが多い。
そして後者のように、まず神々が存在したとし、世界の発生――すなわち<アーキ・スフィア>をデザインした〝最初の情報記述者〟がいると解釈を行なうことを〝アーキテクチャー〟論と呼ばれる。
また、もうひとつのアーキテクチャー論として、<アーキ・スフィア>がこうした〝神域〟も含めた世界のすべて、そして<アーキ・スフィア>を自覚できる人間という知的生命体自体が生じるように自らをデザインしたとする論もある。この場合<アーキ・スフィア>は世界であるので、動物や植物、人間も<アーキ・スフィア>の一部である。つまり人間は<アーキ・スフィア>の〝知性〟の一部なのではないかと解釈を試みる一派の持つ論である。
どちらも〝人間原理〟に非常に近いものであり、学問としての綴導術の発展や研究寄与(もしくは秘術の実践にも)にはあまり直接的な働きかけをしないと考えられることが多数であるので、綴導術というよりは、神学の一種として見られる傾向にある。実際、このアーキテクチャー論者には綴導術師でない神学者も数多く見られる。
それらとはまったく目標を別として、情報クラスターとしての解明を目指して〝神域〟を研究する学派も存在するが、今のところ〝神域〟へのアクセス自体が困難であることが現状である。これは前項の通り〝神域〟が我々の観測し得る範囲(宇宙)よりも上位の構造に隠されているためだと思われる。あるいは、綴導術師に知覚される〝神域〟自体が、人間の知性の限界によって知覚できない部分があるために見かけ上が『虫食い状態』になって捻じ曲げられた『仮の』上位構造の片鱗としての発現であるのかもしれない。このように考える場合、〝神域〟という情報クラスター自体が上位構造の〝真の神域〟からこぼれ出した〝神性の流出〟であると考えることもできる。




