アプリケーションの機能
アレクサンドル・キルヒコッフは自分の成果であるためか、少し興奮しながら語り続ける。
「このアプリの凄いことはね、自分の成長を自分で決められることにある。
たとえばだね……そこの君」
そう言って、彼は旭人を指差す。
「名前はえっと……」
「旭人です」
「アキトね……うん、覚えた。
たとえばの話だが、君がまず痩せたいと思う。
でも努力なんてしたくない。
そんな時にこのアプリケーションで[体]という数値をあげると、すこし体が引き締まるんだよ。
少し何かの通販商品みたいな謳い文句になってしまったが、事実なので誤解しないで欲しい」
「――何もしないで、痩せる?」
「そう、そこが肝心だ。
特に何も――この例の場合は痩せるための努力だけど、それをする必要はないんだ。
いや、必要はないと思うが正しいかな。
ただ生きていることで必ず毎日ポイントが手に入る、とシミュレートに寄る結果は出ている。
実体験はしたことが無かったからね……あくまで推測の域でしかないよ。
でもまあ、高確率で間違いは無いと思っている」
「毎日増えるポイントで、何もせずに痩せられる……か」
「自分で痩せて他の数値にポイントを振った方が、私は有意義だとは思うがね」
アレクサンドルはそう言って、旭人の軟弱な意志をへし折ってくる。
「それじゃ、俺はこの体を維持するために、無駄な時間を費やさなくていいってことか?
維持ではなく、より発展させることに時間を割けるってことだよな?」
「それは違うよ。
むしろ維持だけではなく、発展すらも同時に行えるって事さ。
つまりだね、運動は全て自己成長アプリに任せ。
空いた時間でショッピングをする。
アニメーションを見る。
新しい論文を書く。
知識を蓄えるために本を読む。
お金を稼ぐ時間を増やす。
――など様々なことに費やせるってことさ」
「「なるほど……」」
確かに自己成長アプリケーションはとんでもない存在らしい。
だが、それでも――。
「それでも進化……というには頷けないものがあるな」
旭人はそう主張した。
その言葉にアレクサンドルは笑みを浮かべ頷く。
「あぁ、良かった。本当によかった……。
君のような人材が生き残ってくれて…………」
「俺が?」
「そう、君がだよ。
常人じゃこの程度で満足してしまう。
どんな言語でも話せて、他人以上に凄い、他人以上に自由な時間がある。
これだけで一体どれほどの人が満足してしまうと思う?」
「確かに、俺は……十分だと思っていたな」
もう1人の男はアレクサンドルの嘆きにそう答える。
「けど、そんなのは進化じゃない!!
だから自己『成長』アプリケーションなんだ。
最初から人の手で『人間』を進化させることなど出来やしない。
促すことしか出来ないんだ!!
出来たとしても、それは進化ではなく改造だ!」
自分で興奮しすぎた事に気付いたのか、アレクサンドルはお付きの――いかにも執事然とした男にお茶を頼み、それを啜ってクールダウンしていた。
旭人たちもアレクサンドルの熱気に当てられていたので、差し出されたお茶を遠慮無く受け取った。
美味い。匂いだけでも分かっていたが、口に入れた途端広がる香りは明らかに旭人たち庶民が飲む物とは一線を画した紅茶だった。
それをちびちびと味わって飲みながら、他の人物を観察した。
当事者たる三名は興奮し、それ以外の、それぞれの担当者は至って冷静であった。
その事からアレクサンドルは、自分たち以外がわかり得ない言語で話していたのだろう。
紅茶を飲み干し一息つくと、アレクサンドルは再び話し始めた。
「まあ、でもそれは仕方のない事かもしれないね。
そもそも人それぞれだし、この後どうするかなど被験者に強制するつもりもない。
だからどうしようと当人の勝手だよ」
その言葉に少し落ち込んでいた、もう一人の男が笑みを浮かべる。
どうやら彼は進化には興味が無いのだろう。
「私ですら、君くらいの歳だったら十二分に満足することだっただろう。
だが、君――アキトのような年齢でそれに達することが出来るのは、とても素晴らしいことなんだ。
君は常人とは違う経験をしてきたんだろうね」
「お、おれは……」
変に煽てられ、旭人はいい気になっていた。
アレクサンドルの言う素晴らしい物とはイジメの過去あり、それを聞いた途端、急に恥ずかしくなり、情けなくもなってしまった。
「いや、いい。喋らなくていいよ。
常人と違う経験ということは総じて凄惨たるものがあるからね。
君もその類いだろ?
気にする必要は無いよ、私がそう思っているだけだからね。
まぁ、話が逸れてしまったしね。説明に戻らせて貰うよ」
そう言って一呼吸し、間を取った。
それは旭人にとっても気を落ち着かせる意味でありがたいことだった。
もしかすると、旭人のことを思っての事だったのかもしれない。
「自己成長アプリケーション。
先ほどの例で[体]というポイントを振ると話したよね。
そのポイントが使えるものは全部で5つある。
[頭]・[顔]・[体]・[腕]・[脚]
これらはそれぞれの名前が示すとおり、その部位を強化することになる。
[頭]は知能。
[顔]は造形。
[体]は体型。
[腕]は力。
[脚]は早さ。
極めていけば、どれもいずれはギネス記録をも上回ることになるだろう。
だが、これは進化の過程に過ぎない。
私たちもどうなるかは想像の域を出ない。
本当はもっとサンプル――被験者を増やしたいところだったんだが、私の資金やスポンサーの懐具合では100名が限度だった」
彼はそう自嘲する。
熱の入れようからまさかとは思ったが、自らの財産もなげうっているプロジェクトだったことに旭人たち二人は驚愕する。
しばらく待ってみたが、アレクサンドルは続きを話そうとはしなかった。
内容的にも説明が一段落したのだろうと旭人は考えた。
そこで旭人は『質問は後にして欲しい』という言葉を思い出し、それを利用することにした。
「アレクサンドルさんは――」
「アレクでいい」
「ちなみにアレクさんはどの能力値を育てるつもりですか?」
「教えてもいいが……真似はしないで欲しいな。
――というより意味がない」
「意味がない?」
「あぁ、私もそろそろ歳を取ってきた。
つまり――体が鈍くなり、精力的に活動出来なくなり始める頃に差し迫っている。
ゆえに[体]を振って、最盛期並みになってからその都度、臨機応変にやっていこうと思う。
どうだい? 参考にならないだろ」
確かに老化の対策では、真似のしようがないとも言える。
だが、[体]を強化するのは悪いことではない。
このトラウマの象徴である脂肪がなくなれば、これまでとは間違いなく変われるのだから……。
そんなことを旭人が考えていると、もう1人の男――ジミー・ボーナイザーは問いかける。
「それでどうやって使うんだ?
効果がわかっても使えなきゃただのゴミだぜ」
身も蓋もないその言葉にアレクサンドルは苦笑する。
「確かにそうだね。うん、その通りだ。
使えない物など意味がない、まるで核兵器と一緒だね」
「おいおい。穏やかじゃねーな」
「まぁ、確かに例が悪かったと認めるよ。
それで使い方だったね。
これは――寝てるときにレム睡眠を通して使うことが出来る。
明晰夢と同じだね。
つまり、眠れば使えると言うことだ」
眠れば使えるという言葉に、旭人は少し声を荒らげ異を唱えてしまう。
「さっき、一度起きてからまた寝たが、その様な事はなかったぞ!」
「それは多分、自己成長アプリの認識がなかったからだよ。
持っていても使い方が知らなければ使えないだけの事さ。分かったかい?」
冷静なアレクサンドルの様子に、旭人はそんな物かと納得してしまう。
これで多少慌てたり、表情が動いたりすれば信頼が置けなくなるが、そういうことは一切無かった。
アプリの使い方。
眠っている時に使える、と思うだけで使えるようになるのだろうか。
そのことに疑問があり、少しでも不確かな物を残すべきじゃないと思ったので、再びアレクサンドルに問いかける。
「それなら使い方を知っていたアレクさんは、そのアプリケーションを使えたの?」
「私はまだ寝ていないから、使ってはいないね。
そもそも麻酔で眠らされていたのは眠るのとは違うからね」
次に続ける言葉を先読みされた感じになってしまった旭人は、出そうと思っていた言葉を飲み込んだ。
「これで大体の説明は終わりだけど、他に質問はあるかい?」
「一つある」
少し強ばった顔をしたジミーは、己の疑問を解決してくれるはずである、アレクサンドルに問いかける。
「いずれ俺たちはここから解放されて元の生活に戻ると思う。
そのときだが――俺たちに監視されるのか?」
その言葉に旭人はハッとなる。
考えもしていなかったことだ、一般市民である自分に監視がつくことなど。
被験者と呼ばれるなら、その後の経過も報告する義務が生じる可能性がある。
いままで考えもしなかったのは、ここで死ぬつもりであったからなのだが……生き残ってしまったからには、確かに考えなければならない事柄である。
自分の未熟さに呆れるしかない旭人。
だがそんな彼を余所に話が進んでいた。
「そうだね……監視するとも言えるし、しないとも言えるかな」
「そういう物言いだと、チップかアプリケーションに何か仕込んでそうだな」
「あぁそれだけはあり得ないよ。
スペック的に余分なものなど一切入れるスペースはなかったからね。
そこは安心していい」
再びぎくりとする内容が飛び出てきた。
たしかに巨大掲示板にしても、マインドコントロールのような話題が上がっていた。
そのことを旭人は失念していたからだ。
「なら一体どういうことだ?」
「それは簡単だよ。
私たちは進化を進む過程で、どの人間よりも素晴らしい存在になる。
ならば必然的に、その行動が世間の目に留まらないわけがない。
つまり自分で結果報告することになるってことだね」
「……なるほどな。
オリンピックや国際的注目を集める大会で活躍すればそうなるかもな。
薬物審査とかに引っかからなければいいが……」
「そういうことだね。もちろんオリンピックに参加出来ると思うよ。
生体チップは異物ではあるけど……やがて身体と同化して異物ではなくなるはずだから」
ジミーは一つと言ったがその後も細々とした質問を繰り返した。
そして一通りの答えを貰い満足すると、一人でさっさと部屋に引き上げていった。
早速眠って自己成長アプリを起動するのだろう。
「それでアキトは何かあるのかい?」
「そうだなぁ……一部のゲームのように、ポイントは後日に持ち越せるとか分かるかな?
まあ、自分で試せばいいだけの話だけど」
「それは……無理だと思う。
確かに誰もまだ試したことがないが……そういう設定はした覚えがない。
少なくとも初期設定のままの自己成長アプリケーションでは不可能だろう。
仮に残せたとしても、毎日増えるポイントがあるのだから残しておく必要はないだろ?
もし一度に強化をして、現在の肉体が耐えられない様な事があったならば、馬鹿らしいじゃないか」
確かにその通りだ。
これはゲームではなく、現実なのだから。
筋トレだって一度にやり過ぎると身体を壊す。
勉強だって一度に詰め込みすぎると知恵熱を出す。
そう考えると、その手段はとても現実的ではないと理解が出来た。
「なるほどね……たしかに身体が持たない可能性があるか」
「そう言うことだね……頭を一度に強化しすぎて、パーンッとふっとぶとか考えたくもないね」
考えたくもないと言いつつ、想像できるような事を平然と言うアレクサンドルは、実にいい性格をしている。
思わずそれを想像してしまった旭人はブルっと体を震わす。
その様子を見たアレクサンドルは微笑んでいた。
それをしっかりと見ていた旭人は、やっぱりコイツは性格悪いな、と第一印象を改めた。
「他には何かあるかい?」
「そうだな……進化というくらいだから、限界を超えると言うことだろうけど……。
自己成長アプリケーションでも越えられない壁、と言う物は出てくる可能性はあるかな?」
そう尋ねるとやはり嬉しそうに頷くアレクサンドル。
「やっぱり君はいいね。
先ほどの彼は一度言葉にして伝えたにも拘わらず、即物的な考えを改めることはなかった」
アレクサンドルはさりげなくジミーの在り方を否定した。
まぁ、それはもはや、どうでもいいことかな、とアレクサンドルは続けたが、確かに旭人にはどうでも良いことだ。
「今は君の質問に答えよう。
――わからないとしか言いようがない」
「わからない? 勿体ぶってそれは酷いぜ」
「正直な話、それは済まないとしか言い様がないな。
何しろこれが初めてのことなのだからね」
確かに旭人たちが初の試みだ。
先駆者と言ってもいい。
だからアレクサンドルの予期せぬ事も当然ながら出てくるだろう。
それが致命的なバグであったとしても、彼を批難するというのは酷と言うものだ。
いや、例えそうだとしても署名し命を預けたのだから、それは自己責任以外何物でもない。
とは言え、感情は生き物だ。
たとえそれが正しくても、自分が納得出来なければ暴れ出す理不尽な怪物だ。
だからそれを制御することなど不可能かもしれないが――。
「まぁ……その限界を超えられなければ、進化は出来ないと考えた方がいいね。
成長限界になったら違う能力を強化するべきだよ、うん」
「諦める……ということか。そいつは悲しいことだな」
「そうだね。すごく……悲しいことだね」




