少女の悪戯 其ノ参
祭壇の上。
血だらけ顔を寄り添わせ、青年と少女が支え合うように座っていた。彼等は兄妹であろう。月明かりのみで照らされたその面影は、何処と無く重なるところが有る。
「貴方、凄いですね」
そんな二人に、足音を消して一人の少女が近付く。
「普通の人間だったのに、そんなことするなんて。想いの強さですね。素敵」
少女は、恍惚とした笑顔を浮かべる。美しく、何処か狂気的に見える笑顔。
「放っておいてください……」
青年はその狂気に、妹を庇うようにその腕で力強く抱きしめながら、疎ましげに眉を顰めて目を細める。片方が抉り取られた目を。
「ねぇ、その子がそんな風になったのはどうしてですか?」
「……」
青年は言葉を噤んだ。
「酷いですよね……。ねぇ」
少女は微笑む。人工物のように整った、美しい顔で。
「敵討ちしましょうよ」
少女は二人に近付き、囁くように言う。
その瞳はまるで、暗闇に誘う悪魔のように冷淡で妖艶で、天国に誘う天使のように純粋で綺麗であった。
◇◇◇◇◇
明月は、神社の地下に設けられた書庫の書物をひっくり返すように読んでいた。
一姫のお陰でそこまで埃っぽくは無いものの、微かにカビの匂いが漂ってくる。しかしそれさえ気にならない程に、明月の表情は真剣そのものであった。
「……い。おい。明月」
「ん? あぁ、姉貴。どうした?」
数回目にして、そんな柚月の呼びかけに気付く明月。見上げた柚月は、少し不機嫌そうな仏頂面をしていた。
「此処、寒いだろう。読むなら上に持って行って読めよ」
「何だよ姉貴、心配してくれてんのか? 明日は雪どころか爆弾が降ってくるな」
「その減らず口に今すぐ爆弾突っ込んでやろうか」
本を開いたまま微笑む明月に、柚月はその眉間の皺をより一層濃くする。
「で、明月。結局手がかりは見つかったのか」
「いんや、全然だな」
今回の、妖怪の暴走。今のところそれについての手がかりは、一姫が言っていた、人の“恐怖”によるものということだけである。
「前例も無ければそれについても全く無し。書いてあることっつったら妖怪についての伝説だ」
明月はペラペラと書物も捲りながら、お手上げだ、と苦笑して見せた。
「例えば。人間の火事場の馬鹿力みてぇにさ、何らかのリミッターが、何らかの理由で外れて、あんなんなっちまったってんなら単純なんだがなぁ」
「……そんなに簡単にあんなんが起こったら、堪ったもんじゃないだろう」
呆れ顔でため息をつく柚月に、明月は、まぁな、と言って次の本を取り出し、お目当ての情報を探す。
「――っと、これは……」
そこで明月は、ある一行で目を留める。
その書物によれば、『彼の人曰く、あれは妖狐の力が暴走し――』と。しかし、ここで記事は墨か何か、黒いもので塗り潰されていた。
「これ、何か普通のノートに手書きだな。しかも割と新しい感じが」
「ふん、情報は全く増えて無いじゃないか」
「そうだけど、前例があっただけで――」
と、そこでぱたぱたと忙しない足音が聞こえ、乱暴に書庫の扉が開かれた。
「明月、ちょいと来てくれっ!」
一姫の慌てた様子に、明月は今持っていたノートをすぐそこに置くと、一姫の後を追った。
◇◇◇◇◇
明月と柚月が駆け付けた先には、昨日の少年、日日が神社の前の、階段を登ったすぐのところに倒れていた。明月は慌てて日日を抱きかかえて温かい室内へと運び、布団に寝かせる。
「眠ってるみてぇに綺麗な顔だな……」
しかし気付くのが遅かったのか、それとも倒れてしまった時点で手遅れだったのか、日日の呼吸は既に――
「いや、勝手に殺すな」
既に止まっているなんてことはなく、室内に運んで脈を確認すると、きちんと生きていた。しかも暫くすると、すやすやと安らかな寝息を立て始めている。倒れたのは、ただの貧血であったらしい。
「いやしかし、びっくりしたのぅ。良かった良かった」
寝息を立てる日日の顔を覗き込むと、一姫はそう言って安堵のため息を漏らした。すると日日は、小さく唸り声を上げて目を覚ます。
「あ……れ……。君、やっぱり天使だったんだね……。僕を連れて行って――ぐふぉう」
「寝ぼけてねぇで起きろ阿呆」
日日は一姫の手を握り、感動の再会。しかし、日日の命の灯火も限界に近く――、と、そんな映画の1シーンのような雰囲気を、明月の蹴りがぶち壊した。腹部を蹴られた日日は、悲痛の叫びを漏らす。
「痛いです……って、あれ……!? 夢じゃない……!?」
日日はのろのろと上体を起こし、未だ何かを握っている自らの手を見て、その手から辿るようにして顔を確認すると、目を丸くした。
「おい明月、あいつ今胸のところで少し視線が止まったぞ」
「一姫の胸見てたって?なんだ、乙女みてぇなこと言っといて、とんだロールキャベツ系だな」
明月と柚月はこそこそと、しかしわざと聞こえるような小声で会話をする。柚月の声は聞こえないものの明月の声は日日にも聞こえる。
日日は顔を少し赤らめたが、聞こえないことにしたようだ。
「君、天使ですよね……っ」
「いんや、妖怪じゃ」
日日は一姫の手を握ったまま、まるでプロポーズ前のような真剣な面持ちで言うが、それに対して一姫は何の躊躇いも間も無く即答した。どうやら日日一人がロマンチストのようだ。
「妖怪……?」
何のドラマ性も無いような状況に、日日は諦めたようにため息をつくと、訝しげな笑顔を浮かべて一姫を見つめながら首を傾げた。
「うむ。座敷童じゃ」
「座敷、童……。それなのに、何で触れるんですか……?」
日日にとって、妖怪というのは幽霊と同じで触ることが出来ないものだという認識をしていたらしい。
どさくさ紛れに一姫の頬を包むように触る。手には、確かに少女特有の柔らかさと、温もりが広がった。
「妖怪が、触っちゃ駄目かのぅ?」
一姫は頬に触れる日日の手に自らの手を添え、頬をすり寄せるようにすると、上目遣いで小首を傾げながらそう言う。途端に、日日の顔が茹で蛸のように真っ赤に染まった。
「いや……っ! だめ、とかじゃなくですね……っ、なんでかなーって、僕はその、嬉しい限りなんですけど……!」
「寂しいのぅ。儂は妖怪じゃから、いつも一人で此処に居なくてはならぬ。掃除もご飯も一人きりじゃ」
「じゃあ……、じゃあ僕、此処に住みます!掃除でも何でもしますっ!」
と、そんな日日の言葉を聞くと、一姫は待ってましたと言わんばかりに、日日の手に添えていた手を離し、にぱっと笑った。
「やったー! これから宜しくのぅ、日日!」
(小悪魔だ……)
明月と柚月は、引きつったような笑みを浮かべながら一連のやり取りを見ていてそう思った。
「……おい、日日。お前此処に住むって、家は……」
「大丈夫っす! 僕、地元から離れて一人暮らししてるんで!」
日日は今までのおろおろとした態度は何処に行ったのかというように、生き生きとした顔で言い切る。
「いや、でもお前。妖怪と二人暮らしとか……」
「大丈夫っす!愛に種族なんて関係有りません!」
そこまで言われると、明月は黙るしか無い。
自分の祖父が大事にしていた神社に人が住むというのは少し心配であったが、この日日という少年が悪者だとも思えないし、何より一姫がいれば大丈夫であろうと思ったのだ。加えて、元から一姫一人に掃除などを任せるのはいたたまれなく感じていたのだ。
「……わかった、良いよ、わかったよ。ただ、何かしたらぶっ殺すからな」
「やったー!」
諸手を挙げて喜ぶ日日。
そんな日日を横目に、一姫の顔はまるで新しい玩具を貰ったような、ずる賢い笑顔を浮かべている。
小悪魔どころか悪魔だ、と、その様子を一人見ていた柚月は、何とも言えない苦笑いを浮かべた。
◇◇◇◇◇
「もー! おそーい!」
明月と柚月が相談所に戻ると、篠がそんな声を上げた。頬を膨らませ、わざとらしく怒っている。
「すまねぇ、ちょっと予想外のことが。てかお前、たったの二日……、」
「私がどれだけ暇だったか! 遊馬ちゃんとLINEしかやること無かったんだから!」
「あす……。何してるんだあの三十路……」
明月はため息混じりにそう言うと、頭を抱える。
長く付き合いのある、いつも忙しいと思っていた友人が、突然現れた少女とLINEのやり取りをしているとの事実は、中々に知りたくないものであった。
「で、私を置いてきぼりにして、何か手がかりあったの?」
「まぁ、あったにはあったが……」
一つは、一姫による証言。そしてもう一つ。ある日記のようなノート。
手がかりになるであろうそのノートは此処に持ち帰ろうと思っていたのだが、日日との騒動を経て書庫に戻ると、何処かに消え去っていたのだ。書庫を探したが、結局見つかることは無かった。
「良いだろう、あのノートは。どうせ読めなかったし」
考え込む明月に、柚月が励ますような口調で言う。
すると、篠が「もーっ」と、さぞかし不満そうな声を上げた。
「話まで置いてきぼりーっ?」
ぷんぷんという効果音が似合うような怒り方をする篠は、唐突に明月と柚月に飛び付く。その勢いの良さに明月と柚月はバランスを崩し、三人一緒に床に倒れてしまった。
「ってぇ……」
「重い……」
口々に文句を漏らす姉弟だが、篠は逆に、満足そうに笑顔を浮かべると、ぎゅうと二人に抱き付く。
「おかえりなさい!」
篠の笑顔に、明月と柚月はお互いに横目で目を合わせてから溜め息混じりに微笑んだ。
「ただいま」
「……っ、あれ?」
と、そんなアットホームな雰囲気の中、突然篠が何かに気付いたような声を出す。
そして体を起こすと、明月の締めているネクタイをしゅるりと解いた。
「ちょ、篠……!?」
「ねぇ」
篠は笑顔を浮かべる。満面の笑顔。
しかし何故か、目が全く笑っていない。その恐ろしい笑顔に全く心当たりのない明月は、唖然としながら固まっている。
「何このキスマーク! 浮気だー!!」
「は……っ!?」
篠が明月のワイシャツを指で差しながらそう叫び声を上げる。明月がその指の先を見ると、確かにそこには、赤い口紅のようなもので付けられたキスマークがあった。
「なっ、お前私の目を盗んでそんなことしてたのか!? ロリコン! 変態!」
「え!? 明ちゃん、一姫ちゃんに手出したの!? サイテー!」
二人の少女に責め立てられる、大の大人である明月。きっとこの様子を遊馬にでも見られたら、カメラに収められて一生笑われるだろうと、明月は何故か不思議な程に冷静にそう思った。
「あの小悪魔め……」
そして明月の脳裏には、楽しそうに無邪気な邪気をその頬に湛える一姫の笑顔が浮かぶのだった。