少女の悪戯 其ノ壱
それは都会から離れ、少し寂れた町の山の中。
石畳の道なりに少し歩いたところにある階段を登ると、すこし控え目ながら、それは存在していた。
まるで穢れを拒むように。まるで浮世を拒むように。まるで世界から切り離されたように。
神社。一口に言えばそうだ。
しかしその雰囲気は、何処までも澄んでいるような、何処までも天に近いような。
小さいながら、神の加護を一身に浴びているかのような神社の、その背景を飾るのは、澄み渡った、まるで青色が溶け出したようなグラデーションのかかった空と、眩しく輝く陽だ。
付近を流れる川の水は、底や泳ぐ魚がはっきりと見える程に綺麗で、まるで空気を洗うかのように絶え間無く流れている。
槌門明月、柚月は、そんな神社に何処か似つかわしくない大荷物を抱えて今やっと辿り着いた。
この神社は光宮出神社。
明月は記憶は、此処から始まっている。つまりは明月にとってここは故郷であり、実家のような存在だ。
故に月末になると、毎月様子を見に来るのである。彼女に任せてある、神社の様子を。
「あー! 明月おにいちゃん!」
「よぅ、一姫!」
二人を迎えたのは、趣のある神社に似合わない、一姫と呼ばれた可憐な少女。歳は12くらいであろうか。鳥居と同じ色の袴、つまりは巫女服を纏っている。
一姫は明月を見るなり、甲高い声を張り上げて歓喜の表情を浮かべると、小さな足をぱたぱたと鳴らし、小さな歩幅で駆け寄って来た。
「おい一姫。何で今更猫被ってんだ」
柚月はそんな高いテンションに着いて行けないと言った様子で、呆れ顔をしながら溜め息を付く。
「可愛いじゃろ? この前“らのべ”で読んだ“妹きゃら”を参考にじゃな……」
柚月の言葉を聞くなり一姫は目を細め、先程とは打って変わり、そのあどけない顔に似合わない、大人びた笑みを浮かべる。
「二次ヲタニート座敷童め……」
「お客が来ないと暇なんじゃ。でもほら、ちゃんとこうして掃除もしておるぞ」
一姫は、その小さな手に持っている箒を見せ付けるように掲げて頬を膨らませた。
柚月の言う通り、この少女、一姫はこの光宮出神社に住まう座敷童である。
座敷童とは、家に幸運を招く子供の形をした妖怪だ。座敷童である一姫がここにいるかこそ、神主がいない光宮出神社でも、神社としてそこに有るに相応しい、凛とした姿を保っていられているのだ。
「……あれ? のぅ明月、あの雨女の娘はどうしたのじゃ?」
「あー……、篠には店番を頼んであるんだよ。ちょっと、最近問題が」
「問題とな?」
明月、柚月が到着して数分経つのに姿が見えない篠に気付くと、一姫はきょろきょろと周りを見渡しながら小首を傾げた。明月はそれに対し、少し言いにくそうにそう言って苦笑を浮かべる。
「おぅ。先週なんだがな」
と、明月は先週の事件、火車の事件を事細かに説明した。
特に、自我を失い記憶を失った火車についてを詳しく。
「……ほぅ。暴走、か」
一姫は顎に手を添え、目を瞑る。
「明月。妖怪は恐怖だとか、“得体の知れないもの”を具現化したものじゃが、その妖怪の“形状”は何で決まると思う?」
「形状……」
一姫の言葉を繰り返すと、今度は明月が目を瞑る。
「そりゃ、“得体の知れないもの”の具現化なんだから、得体の知れないものなんじゃねぇ? 例えば、鬼なら角が生えてるだとか、猫又なら尻尾が枝分かれしているだとか」
「そう。人間は人間の決めた“定義”に当て嵌らないものは全て異形だと決める。そんな思いが妖怪を生むことも有るのじゃ」
「卵が先か鶏が先か、みたいな話になってきたな……」
“妖怪が異形”というのと、“異形ならば妖怪”。
柚月は、重点をさっさと話せと急かすように溜め息混じりにぽつりと呟く。一姫は高圧的に笑いながら、「気の短い娘じゃ。」と返した。
「妖怪の形状。これは、人間が考えた不気味な形というものと、不幸なことに“定義”と違う形で生まれてしまったものが、妖怪となってしまったもの。この二つが考えられるのじゃが。人の心や言霊によって力を持った妖怪は、想像上の“得体の知れないもの”ではなく、生物となった。そして進化していったのじゃ。人間を脅かすのに便利な形。“人間の形”へと」
「と、いうことは。もしかして昔の妖怪はもっと不気味な形だったのか……?」
明月のそんな質問に、一姫は、くく、と喉を鳴らすように笑った。
「そんな時代もあったのぅ。」
「一姫。一体お前は何歳なんだよ……」
「500を過ぎた辺りから数えるのを止めたの」
「ご……っ!?」
予想を上回る一姫の年齢に、明月と柚月は息を合わせて驚愕の声を漏らす。
幼い見た目でも年齢は伴わないことは知っていたが、そこまでとは聞いてなかったのだ。
「何しろ人が家を造った辺りからずっといるからのぅ。人間について一番詳しいと言っても過言じゃないぞ」
一姫は、にんまりと可愛い笑顔を浮かべて見せる。そんな表情から、どう考えても500歳を超えるとは信じられない。
「まぁ兎に角な。妖怪の形状は“人にとって異形なもの”、じゃった。しかし妖怪は、力を得て進化した。この意味、分かるか?」
「人の妖怪に対する恐怖が無くなった、か」
柚月の返事に、一姫は「御名答。」と笑って見せる。
そう。科学によって様々な事が解明されて来た、この現代。昔よりも人間は、妖というものを考えなくなったのだ。
例えるならば一目蓮。嵐を呼ぶ妖怪とされたが、現代科学において嵐は温帯低気圧などの影響で起こると定義されてしまった故、誰も妖の所為だとは言わなくなった。
―――噂の一人歩きならぬ、言い伝えの一人歩きだな、と明月は、少し意味のずれたことを考えた。
「もう分かったじゃろ。」
「そんな、薄れてきていたはずの、人による妖怪へと恐怖の感情が、火車に注がれ、その恐怖に見合う形へと火車が姿を変えた、ってことか?」
「うむ。まぁ、それは理由であって原因ではない。何故そんな感情が火車の童に注がれたか。そこまでは儂にも分からん。すまんな」
「いんや、ありがとな」
明月が礼を言うと、一姫はあどけない顔に似合わない、艶のある微笑みを浮かべ、明月の腕に抱きつく。
「礼なぞいらぬ。儂と明月の仲ではないか」
「どんな関係だ……。」
柚月が目を細めると、一姫も同じように目を細める。
「愛人関係かの?」
「な……っ、明月っ! 貴様もしかして……!」
「はっ!? いや、俺は無罪だ!」
一姫は取り乱して言い争う明月と柚月の様子を、にやにやと悪戯っぽい笑顔で眺めていた。
◇◇◇◇◇
「ねぇ、―――さん。こんなところで妖怪の匂いがしますね。」
少女は、一人月を眺めてそう言った。
彼女は誰かに言ったようだったが、誰も近くにはいないし、誰も答えない。
「貴方は大人しくしててくださいね。」
少女は長い綺麗な髪を風に靡かせながら、誰にともなく笑いかける。浮かんだ月と同じように、唇で美しい弧を描いて。
どことなく無機質で、どことなく冷めた笑顔を。