姉弟と兄妹 其ノ肆
行方の分からない霧苑燐以外の死体。死別した兄妹。そして暴走した火車。
事件の要因は絶ったものの、結局一件落着とはいかない結果のみが残ってしまった。
「申し訳ねぇっス。まさか無罪の仏さんをあっしが、」
火車の少年、炎角は、思い詰めたように表情を暗くしてそう呟く。
炎角によれば、なにかを切っ掛けに記憶が途切れ、体の自由も利かなくなったらしい。しかし燐の遺体に、綺麗な少女の遺体に我に返り、必死に自我を取り戻そうとしたが上手くいかなく、燐の遺体を攫った時から丸一日間、ずっと藻掻いていたのだとか。
そして助けを求め、力を振り絞りバイクのエンジンを鳴らした。それが、あの時のエンジン音だ。
(一番大事なところが、抜けてんだよなぁ……)
事の発端のなにか。
それが分からなければ、根を絶ったことにはならない。枝を折ったに過ぎない。
いつかそのうち、また何か問題が起こるだろう。
―――しかし、あの姿……
あの時の火車の姿。おどろおどろしい、まさに妖怪といった姿。
明月はこの相談所を立ち上げてかれこれ五年になるが、あのような凶悪な、完全に理性を無くした、野生の獣のような妖怪は見た事が無かった。
まさに、何らかの箍が外れた状態。
一体何を理由に、あんなことになってしまったのか。それが分からなければ……
「あの……、スンマセン」
炎角は、黙り込んだ明月に慌てたのか、そのあどけない顔に似合わないサングラスを下に下げ、申し訳なさそうに一礼した。
「いや、お前も言わば被害者だよ……」
「でもあっし、他の仏さんの行方も分からなくて……、どう示しをつけたら……」
そう。燐を除いた八件の遺体は、行方不明のままである。
昔はどうであったのか知る術は無いが、今現在の火車の仕事は“悪人の魂”を地獄へ送ることであり、死体自体は運ばないと炎角は言った。
「地獄、ねぇ。んなもんあるのかよ……?」
「……そうですね……、貴方がたが有ると思ったら、有るんスよ」
炎角は明月の質問に、少し困ったように苦笑しながら少し煙に巻いたような言い方をした。
「ところでさ、ねぇ炎ちゃん。なんでそんな可愛い顔してるのに、そんな格好してるの?」
篠はひょいと炎角のサングラスを奪うと自分に掛け、炎角に顔を近付ける。
炎角は刺繍の入った白ラン……、つまり特攻服を着ているのである。中学生のような小柄な少年には、言うまでもなく似合わない。
「えっ、あ……っ、と。あっしはこんな見た目なんで……、普通にしてたらナメられるかなぁと……」
篠に顔を近付けられて赤面する炎角に、まぁ確かに、と、相談所の三人は頷いた。勿論彼が特攻服を着たところで、生まれるのは畏怖では無く違和感のみなのだが。
「スンマセン、あっしは仕事が有るんで……、失礼します。ご迷惑かけてホントに申し訳ない……」
炎角は真っ赤なバイクに跨りながら、腰の低い態度でそう言った。
「おぅ。また何かあったら俺らんとこに来な」
「気を付けてね〜」
「もう来なくて良い」
明月は笑顔を浮かべながら炎角の特攻服に名刺を入れ、篠はにこやかにサングラスを返し、柚月は腕組みをしながら悪態をついた。
炎角はどれに対してかは分からないが、はい、と元気良く頷き、バイクのエンジンを呻かせながら去って行った。
◇◇◇◇◇
「そうか、結局燐ちゃんも……」
遊馬はそう言うと口を噤んだ。死別した若き兄妹、庵と燐。遊馬には、明月と柚月が重なって見えたのだ。
遊馬が明月と知り合ったのは既に柚月が亡くなった後だったが、彼ら二人(遊馬に柚月は見えないが)を一番長く見ているのは、紛れもなく遊馬なのである。
「死別なんて、嫌だね。皆柚月ちゃんみたいに傍に居れば良いのに」
篠は涙ぐみながら、柚月にぎゅうと抱き付く。
「それが幸せとは限らないだろう」
柚月は抵抗を諦め、呟くようにそう言った。
「俺は姉貴がいるから、寂しくねぇけどな」
「……っ、らしくないこと言うな、気持ち悪いっ」
明月の言葉に柚月は顔を赤くすると、篠から離れ三人に背を向けた。
「柚ちゃん、どこ行くの?」
「ちょっと外の風浴びてくるっ」
柚月の姿が見えなくなると、篠が「あー、行っちゃった」と呟いた。
「……ねぇ、大丈夫かな、あの人。相当妹さんのこと好きだったみたいだけど……」
篠は少し考えてから、庵のことを思い浮かべながら再び瞳を潤ませる。
「大丈夫……じゃなくても、残された人にはちゃんと生きる義務が有る」
「まぁ、明月には俺がいたから良かったがな」
そんな微妙に噛み合っていない二人の会話に、篠は「何その惚気」と、目を細めて突っ込みをいれた。涙は途切れたようだ。
「俺は、柚月ちゃんの方が心配だよ」
「何で?」
「柚月ちゃんは篠ちゃんが事務所に入るまで、ずっと明月と二人だったんだろ? お互い姿は見えても触れないんだ。人の温もりに触れられないのは辛いことなんじゃねーかなって」
遊馬は触れられることを確かめるように、明月の頬を人差し指で突ついた。
「そうだな……。だから俺は、篠が一緒にいてくれて安心してる」
「そうかなー、えへへ」
明月の微笑みに、篠は頬を染めて照れ臭そうに笑い返す。
「でもあの子はやっぱり、明ちゃんを大事にしてるよね」
「そうかぁ……?」
「うん、姉弟ならではの、深い繋がりというか、絆……?」
―――ぼーっとしてないで、消火!
と、叫んだ時の柚月の表情を思い浮かべる。いつもはツンツンとクールな素振りを見せる柚月が、表情を崩したところ。
篠は、にへー、と、だらしのない笑顔を浮かべる。
「……俺、ちょっと姉貴探してくるわ」
そう言って立ち上がった明月に、篠と遊馬は顔を見合わせて微笑んだ。
◇◇◇◇◇
いちかけ にかけ さんかけて
しかけて ごかけて はしをかけ
「その童謡の続き、何だったっけ」
「明月……」
小さく透き通るような歌声に引き寄せられるように、明月は足を進める。その先には柚月が、公園に座って歌を歌っていた。
「……はしのらんかん こしをかけ はるかむこうを ながむれば」
「昔、誰かが歌ってたような気がする」
「え…っ?」
明月の言葉に、柚月が目を見開く。
「お前、記憶が?」
明月は緩やかに首を横に振った。
「気がするってだけ。霧がかかったみてぇに、何も憶えてない」
柚月は明月のそんな言葉に、そうか、と一言呟いた。
「明ちゃーん! 柚ちゃーん! そんなとこにいたら風邪ひくよーう!」
と、公園の入り口から篠の声が響く。小さく見える篠の横には、遊馬が手を振っていた。
「私は風邪なんか引かないがな……」
柚月は柔らかく微笑むと、立ち上がる。
「行くぞ明月。」
「……あぁ。」
明月も立ち上がり、二人は篠と遊馬の元へと共に歩いた。