姉弟と兄妹 其ノ弐
「あー、あと何件……?」
「次で最後です! しょちょー!」
疲労困憊と言った様子で尋ねる明月に、元気良く篠が答える。
遊馬からの依頼を受けた明月、怪異相談所の三人は、被害者に聴き込みをすることにした。
この三日で回ったのは八件。近場から始まって日本の津々浦々……とまではいかないために、電車で行ける範囲内で聴き込みに周った結果として、残念ながら成果はほぼゼロであった。
この八件で得たものといえば、被害者遺族の悲痛の叫びだったり、憤怒だったり、遺体に対しての無感情だったり、或いは……火葬や埋葬が不要になったことへの喜びだったり。つまり、喜怒哀楽の入り混じった人々の声を受けた故、疲労感のみを得る結果となったのである。
細やかながら、感じた共通点として、一つは時期。全ての事件に共通して、この八月に入ってからであるということ。もう一つは遺体の消える場所。亡くなって、お通夜後から火葬する前のことらしい。
「最後は何処だ?」
「はーい柚ちゃん先輩、事務所の近所でありまーす。先程遊馬ちゃんからメールで情報貰いたてのほやほやでありまーす」
「お前いつの間にアドレス交換したんだよ……」
―――何で俺じゃなくて篠にメールを寄越すんだあいつ。
と、呆れたように目を細める明月を他所に、篠は「あぁ!」と一人で何やら落胆の声を漏らした。
「この依頼終わったら付近の温泉泊まるっていう明ちゃんとの約束が! 酔わせてなんちゃらする作戦が!」
「煩悩ただ漏れだぞ尻軽雨女」
柚月のそんな罵声に対し、何故か、にへー、とだらしない笑顔を見せる篠。
今 までの彼女にとって男性に惚れるということは、その人の死とほぼ同義であった。彼女は人を好きになればなるほどその人との別れを経験しなくてはならなくなり、かといって別れを気遣えば、同時にその人を好きになってしまうという負の連鎖とも言えるサイクルに陥っていたのである。
そんな彼女だからこそ、今、何も心配することもなく、何も気遣うこともなく、そして何も失う心配もせず、人のことを好きになることが可能だということに対する歓喜は、人一倍であった。
彼女にとってそんな感情は、途轍もなく尊いものなのだ。篠は、心底幸せそうな笑顔で柚月に抱きついた。まるで、この幸福が逃げないよう、捕まえるかのように。
柚月は眉を顰めながらも満更でもないような表情で、「このタイミングで、何故愚弟ではなく私に抱き付くんだよ……」と呟いく。
「……ごめんな。今度仕事ない時に旅行しよう。篠、姉貴」
「わーい! やったぁ!」
「ちょ、やめろっ」
そんな二人の様子を眺めながら、微笑ましげに頬を緩めてそう言った明月に、篠は柚月に抱き付いたまま、まるで兎のように跳ねて喜びを表す。その動きに従い、彼女の、ゆるいウェーブのかかった髪がふわふわと揺れた。
◇◇◇◇◇
首都、東京の、その中でも特に都会の、ビルとビルの間。そこのひっそりとした隙間に、敢えて存在感を隠したように、明月の立ち上げた事務所、怪異相談所は立っている。まるで、森に隠された木だ。
しかしそんなビルの中で、“怪異相談所”という看板のみが、周りから飛び抜けて何とも言えない不気味さと怪しさを放っている。その相談所こそが、怪しくて異彩では無いかと、柚月は良く馬鹿にした。
そう、そんな異彩さ故、此処を訪れる人はかなり少ない。つまり仕事が無い。つまり収入が無い。
「助けてください……!」
故に、見るからに育ちの良さそうな、見るからに品の良い青年のそんな言葉に、明月は邪悪に口元を歪めた。
「霧苑 庵さん、ね。そっちから来てくれるとは」
この青年は、例の事件の最後の被害者である。
あれから帰宅した三人は青年と鉢合わせになり、息つく暇も無くこの青年の話を聞くことになった。疲労困憊していたはずの明月だが、彼の名前を聞くなり目を爛々と輝かせた。
彼は疲れも何処かに飛んで行く程に有名な名家、霧苑財閥の一人息子、霧苑 庵なのだ。
「妹は……っ、死んでなんか……」
しかし今、そんな彼の顔色は正に、顔面蒼白。彼のその眼鏡の影には、細いフレームの眼鏡ではとても隠し切れない隈が痛々しく刻まれていた。
彼の話しによれば、彼のただ一人の妹、燐が連れ去られたのは、昨晩、庵が寝ている間のことだったらしい。14歳の燐は幼い頃から肺を患っており、医師から長くはないと言われていた。しかし最近は調子が良く、いつも家庭教師に習っている燐が登校出来るほどだったという。そんな最中、朝になり、気が付くと燐は何も残さずに消えてしまった。何の前触れもなく。
―――普通に考えれば、亡くなったんだろうが……。
庵の様子からして、歳の離れた妹を、まるで親のように溺愛しているのだろう。はっきりとそう言うのは酷というものだ。
「……。」
明月は、そんな庵と自分を重ねていた。姉である柚月を亡くした自分と。
しかし明月は庵と同様に、そんな柚月の遺体を見ていないのだ。
「あれ……、今まではお通夜の後だったのにね……」
「手掛かりが一つ、消えたな」
柚月と篠は顔を見合わせる。明月の思考など気にしていないようだ。そんな二人に、明月は内心安心した。
「藁でも良い、もし僅かな確率しか無くても、妹が戻って来るなら……」
そう言って庵は、それ自体がもう高級そうなジュラルミンケースを開ける。
―――中を当然の如く埋め尽くして居たのは、勿論、
「うわ、福沢さんがいっぱいっ」
歓喜というよりは、驚愕する篠。
それも当然だ。普通の人間ならば(篠は人間では無く妖怪だが)、一億円分の諭吉さんを目の当たりにする機会は少ないであろう。
「無事に妹を見付けてくれたら、幾らでも出します。どうか……」
「要らん。」
「え……っ?」
思いがけぬ明月の返事に、庵はきょとんとしながら疑問を漏らした。今にも死んでしまいそうに窶れた顔をしていた庵だが、このような表情をするとあどけなく見える。
「理由は二つだ。一つ、俺は悪徳商人じゃねぇ。一つ、俺は金儲けのためにこの仕事してるんじゃねぇ。それにーー」
「それに……?」
「いや、何でもねぇ」
「これで十分」と言いながら、明月は詰め込まれた一万円札を一束分取り出す。
「いや、愚弟。それでも多いから」
「いてっ!」
柚月は篠の手を取ると、明月の頭頂部へとその拳を下ろした。篠が共に行動するようになり、柚月は明月に制裁を下す術を得たのである。これは使える、と柚月は心の中でほくそ笑んだ。
「はいはい……、まぁ移動費とかその他諸々で、この位は」
と、明月は唇を尖らせて札束の中から少し抜き出した。
「あの、依頼を受けて下さるのですか……?」
「おうよ。(どうせこの依頼はアスから受けてたしな)」
「あっ、何か私、今明ちゃんの邪悪な思考が読めたよ」
心の中でほくそ笑む明月であったが、篠はその僅かな表情の変化を逃さなかった。そして明月の手からお金を奪い取る。
「おにーさん、私達もうこの依頼受けてるから、これは受け取れないよ」
「いえ、これは僕の気持ちです」
それに、と、庵は一拍分、間を空ける。
「こんな明らかに貧乏くさい事務所ですし……」
(ーーん?)
明月、柚月、篠の三人は同時に頭の中で疑問符を浮かべた。彼の品の良い口から、「貧乏くさい」という単語が出たことが、俄かには信じられなかったのだ。
「それに、お礼無しなんて僕のプライドが許しません。例えペテン師であっても……」
庵は丁寧な動作で、そっと篠の手を取り、その両手で握るようにしてお金を持たせる。しかし、同時に発せられたのは、そんな紳士的な動きと似つかわしくない言葉だ。
慇懃無礼。そんな言葉が明月の脳裏に浮かんだ。微妙に意味は違うが、庵にはその言葉がぴたりと当てはまるような感じがした。
明月は咳払いを一つして気を取り直す。
「なぁ兄さん。なんで妹さんがいなくなったのは怪異関連だと思ったんだ?」
「燐…、妹は、深夜に外に行くような子じゃないですし、うちのセキュリティは銀行のように万全ですから…。」
怪異でも関係してないと無理、か。
明月はそう呟き、「妙だ。」と、この度の事件について、既に数回口にした言葉を再び漏らす。
「まぁ、分かりました。分かりましたよ。承りました。何か他にあれば、連絡してください」
明月は庵に名刺を渡しながら、事務的にそう言った。




