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雨女と

『昨晩、××県△△区で、市内に住む会社員の男性が自宅で死亡しているのが発見されました。遺体は無断欠勤を不思議に思った同僚の方が発見し、奇妙なことに死体はずぶ濡れで、死因は未だ―――』


 俺はそんなニュースを、立ち上がってテレビに設置されているボタンを押して止める。テレビのリモコンの電池が切れたことを、すっかり忘れてたのである。いつもならば明日の会社帰りにでも買おうと思うのだが、今日に限っては何故だか無駄に腰が軽い。俺は、雨が絶えること無くノックするような天気の中、徒歩十分のところにあるコンビニへと向かった。





 ―――いくら梅雨時期だと言っても、限度が有るのではないか。


 すっかり日が落ちて暗くなった空を傘の下から覗きながら、俺は一人、心の中で文句をつける。いや、分かり切っていたことなのだが。

 埃のような灰色の雲から雨は降り注いでいるが、風は無く、まるで空から糸が垂れているように一直線に落ちる雨は、一粒が小さいせいなのか軽快に傘の上で跳ねている。こういうの、篠突く雨、っていうんだったかな。

 そんな軽快な音とは反対に気温はじっとりと妙な程に暑く、雨ではなく湿気と汗が俺のワイシャツを濡らしていた。

 空を覗き込んだせいで、傘の露先から滴る雨粒が俺の頬を伝う。

 手の甲でその雨粒を拭ってから、視線を進行方向に戻した時。


 ―――此方を見ている女性の人影と、目が合った。


 ぞわり、と、背筋が凍えるような感覚。足が竦んで動かなくなる。

 何故、目をこすった瞬間に、無かった筈の人影が現れた?

 何故、暗くて視界が頼りない中、この影を人の、しかも女性だと分かった?

 何故、人影は突然降り出した訳でもないこの雨の中、傘を差していない?

 何故、暗くて人影を認識するのがやっとな筈のこんな状況で、“目が合った”?


 何故、人影は次第に大きくなっていく?


 頭の中は疑問と恐怖に支配された。まるで氷点下まで温度が下がったかのように寒気がする。俺は辛うじて動いた腕で、目をこすった。見間違いだと決めつけるように。


 すると、女性の影は無くなっていた。つまり、ただの見間違いだったのだ。


 それなのに。

 この気温の中、悪寒だけは俺の体から温もりを奪うように、消えなかった。






 ◇◇◇◇◇



「雨女、だな」


 喪服のような真っ黒いスーツを着た青年が、その端正な顔で俺を見据えながらそう言った。


「自分は男ですが……?」

「んなこたぁ見りゃ分かる」


 青年、槌門 明月(つちかどみょうづき)は、笑う。


「妖怪、雨女だ」


 ペテン師だな。と思った。


「おいお前、今ペテンだとか思っただろ」

「だって、信じられませんよ」

「信じられない、ね」


 と、槌門は俺の言葉を繰り返し、にやりと、先程より不敵に口角を上げて続ける。


「それなら兄ちゃん、お前はどうして俺の所に来てるんだ?」


 そう。“怪異相談所”。俺は今、そんなペテン臭い所の応接室に座っている。


 俺はあの日、女性の影を見てから、寒気と湿気に悩まされていたのだ。

 その湿気は、一日しか家に置いていないパンにカビが生えたり、除湿機を稼働させている家の壁にカビが生えたりする程に、いくら梅雨時期といっても妙なものだった。

 そんな時に、通勤電車の中からふと目に入ったのが、この怪異相談所の看板だったのだ。

 勿論信じた訳では無かったのだが、こんなことになった日に見た人影。あれが原因で無いと言い切れるほど、俺は現実主義でも無かった。


「兄ちゃん、もう分かってんだろ」

「……」



憑いてる(・・・・)ってこと」



 槌門は先程の笑みを隠すと、打って変わって真剣な面持ちになる。


「すげぇ巨乳の雨女が」

「……は?」


 彼の予想を反する言葉に、思わず間の抜けた声が漏れてしまった。何故それを神妙な顔で言った?


「だから、兄ちゃん、巨乳の雨女に憑かれてんだって」


 ちっ、と、槌門は悪態をつく。俺は客なのだが。


「ほんとに憑かれてたとして、どうしたら良いんですか?」

「そりゃあ勿論。俺様にかかれば祓うのは簡単だ」


 槌門は立ち上がり、俺の座っているソファの隣。俺しか座っていない筈のソファの、空いている空間へと近づくと、ぴ、と、宙に指で一の字を書いた。ペテン師か、今流行りの中二病だな。と思った。


「……おい兄ちゃん。誰がペテン師か中二病だ」


 声に出ていたらしい。


 槌門はやる気を失ったように重力に従って上げていた腕を下ろし、俺の隣の空席と目を合わせる(・・・・・・)


「……けて」


 その瞬間、発せられた女性の声。俺の隣から、消え入りそうな女性の声が確かに聞こえた。


「助けて!」


 力を持った声が響いた瞬間、声の主と思われる女性…というより少女。小学生が着るような黄色のレインコートを着た、18くらいの少女が突如姿を現す。

 俺は目を見開き、その少女を凝視することしか出来なかった。

 ……あ、巨乳。


「話してみろ」


 突然の出来事に対して槌門は驚く素振りすら見せず、顎をしゃくるようにして少女の言葉の理由を問う。

  そうだ。この子が本当に雨女だとして、俺の悩みの原因だとしたら、助けてと言いたいのは俺の方なのだ。


「私、好きな人といたいだけなのに……、私と一緒にいたら皆死んじゃって……っ」

「え、好きな、人? 死んじゃう……?」


 俺が少女の言葉の不明点を口に出すと、泣き出しそうな顔をしていた少女と目が合った。


「私は一緒にいたいだけなのっ! それなのにっ」


 相当感情が昂ぶっているらしく、少女は先程とほぼ内容が同じことを言うと、両目から涙を零した。一度零れた涙は、雨のように次々と彼女の着ているレインコートを濡らす。


「この前の不審死もお前が原因か」


 槌門は中腰になって少女と目線を合わせると、今までの乱暴な態度とは違う、優しげな声で彼女に問いかけた。彼女は涙を堪えるように口を結んだまま、こくりと頷く。


 ……この前の不審死、ということに俺は心当たりが有る。ニュースでそんな話を聞いた気がするのだ。

 見たのは確か、俺の悩みが始まったあの日。……俺が女性の人影が見たあの日。


「私っ、近くにいたら、その人の生気吸っちゃうからっ、一緒にいたい、好きな人みんな……っ」


 好きな人に憑いて生気を奪う。ということは、彼女は俺を……?


「だからっ、その内貴方のことも殺しちゃう!」


 と、少女が見た先は――。

 俺じゃなくて槌門だった。


「……ん?」


 予想に反することに、俺と槌門の声が重なった。流石の槌門も目を丸くしてきょとんとしている。


「……あれ、えっと、俺じゃなくない?」


 槌門は焦ったように言いながら、こっちじゃないの? と俺を指差す。


「貴方に惚れましたっ、さっき! 一目惚れです!」


 少女は涙を溜めながらも頬を染め、俺では無く槌門を見つめる。何だろう。俺は何に悩んでいたのだっけ。


「……えっと。まぁその、それはどーも」

「――や……っ」


 槌門は気まずそうに苦笑いを浮かべ、先程のように指を出し、宙に指で文字を書こうとしたため、少女は祓われると思い、身体を強張らせて目をぎゅっと瞑った。一度は俺を好いてくれたらしい(巨乳の)少女が消えるというのは、俺としても少し思うところが有る。


「祓わねぇよ……」


 槌門は動きを中断し、怖がる少女の頭の上に、ぽんと手を置く。今度は俺と少女がきょとんとすることになった。


 槌門は再び宙に指を差すと、漢字を一文字書く。


 ―――「制」?


「これでお前は、もう無意識に生気吸ったりしねぇよ。良かったな」


 槌門はそう言うと、俺を横目で見る。

 そうだ。これで俺の悩みは解決したのだ。そもそも彼女が槌門に惚れた時点で……。……解決したと言うのに、この虚しさは何なのだろう。


「ぁ……ありがとうございました」

「毎度。お代は十万だぜ。雷獣(・・)の兄ちゃん」

「――っ、」


 気付いてた、か。


「しかし、やっぱりペテン師ですね。ぼったくり過ぎです……」


「人を試すようなことすっから、迷惑料込みだよ」


 俺は溜め息をつきながら、渋々財布の中身を見る。真面目に働いている俺だが、常に十万円なんて持ち歩いていない。


「つけ、で……」

「ち……っ。分かったよ。ぜってぇ払えよな」


 恐る恐る槌門を見ると、眉根に皺を寄せながらも承諾してくれた。


「それから、槌門さん」

「なんだ……?」

彼女(・・)は貴方の妹さんですか?」


 俺は槌門の隣に浮遊している少女。雨女の少女よりも小さな少女に目を向ける。

 少女は、警戒するように俺を睨み付けた。


「ーーいいや、姉ちゃんだよ」


 そう言った槌門の表情は、何か、酷く寂しげだった。




 何はともあれ、俺の悩みは怪しい男、槌門のお陰で解決したらしい。

 俺はまた、つけを払いに近々此処に来なくてはならない。






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