川瀬譲司の憂鬱
「ジョー、ちょっといいか」
五限目終了のベルがなったすこし後。隣のクラスの晃斗が、教室のドアからひょこりと顔を覗かせて手招きしていた。隣には今朝の集会で見た、アメリカからの留学生の姿が。ハロー? と俺のとびきりスマイルをお見舞いしたら、彼は「やあ」と日本語で返してきた。
晃斗より頭ひとつ分ほど小さいその彼は、爽やかな王子みたいな笑みを湛えながら、俺に握手を求めてくる。
「はじめまして、ジョー。アキトから話は聞いてるよ」
「入部希望なんだと。先生に話通してもらえるか」
「おー、マジで? 分かった。じゃあ後でユキりんとこ行ってみるわ。えーっと、名前は……」
「クロウでいいよ」
「そかそか。クロウ、ね」
……彼のあだ名はプリンスで決まりだ。今決めた。
すっと通った高い鼻、彫りの深い顔、そして海みたいに透き通った綺麗な青い目。一生勝てない相手だと思った。いや、別に張り合おうとかそういう気持ちは全然ないんだけど。
彼が一字一句発するたび、バラ色の吐息とともにキラキラしたものが放出されているような、なんだかそんな気さえしてくる。
(少女漫画かっつーの)
ちなみに俺の脳内イメージでは、画風は今時じゃなくて、ほら――あのやたらと目がキラキラしてて、髪が風に靡いてる感じの。
「訊くまでもないだろうけど……経験者、だよな?」
俺の問いにプリンスはもちろん、と少しだけ得意げに笑うと
「今日の放課後、見学に行ってもいいかな。君達チームの実力を確かめておきたいんだ」
そう言って、無邪気に白い歯をのぞかせた。
【川瀬譲司の憂鬱】
去年も一昨年も、冬の大会は海外からの留学生がいるチームが優勝していた。本場の人間を入れるってぶっちゃけズルいと思う。だって身長も体格も、俺らとは比べモンにならないから。
しかし彼──プリンスは、まあ外国人にしちゃあかなり小さい。実際、俺や晃斗よりもずっと低い。まあ単に俺達がデカいだけというのもあるけど……
他のチームの外国人選手は軒並み二メートル越えのバケモノだし、そいつらに比べれば……いや止めとこう。比べるのはよくねえ。
まあ、小柄なプレイヤーには小柄なりの戦術ってのがある。小さい分瞬発力もあるし、低い位置からのドライブは長身プレイヤーにとって厄介だ。
もしかしたら、彼は俺らのチームに想像以上の結果を齎してくれるかもしれない。
夏を最後にほとんどの三年生は引退し、五十人いたチームメイトは三十人にまで減った。
俺達椿ノ宮高校バスケットボール部の過去の実績はというと、今年引退した先輩達が入る五〜六年前のインターハイでベスト4入りが最後。その年は冬の大会に出場こそしたものの、結果は遠く及ばずだった。
俺の代でなんとしてでも過去の栄光を塗り変えてみせようという意気込み(だけ)はあるのだが、チームの全体のレベルは、技術力においてもまだ他の強豪校と肩を並べるにはいたらない。
キャプテンに抜擢されたのは嬉しかったけれど、正直今の俺じゃまだ、チームを引っ張っていく自信はなかった。
彼が俺達にとっての、強力な助っ人になるかどうか――期待と不安は半々、と言っておこう。
「じゃあまた、部活で」
「おう。じゃあな」
左手を挙げ「楽しみにしてる」と爽やかな笑みを浮かべながら、プリンスと晃斗が肩を並べ隣の教室へと戻っていくのを見届けた。
六限目の始まりを告げるチャイムが、廊下に響きわたる。
「さー、あと一時間。頑張りますか」
****
「普通科二年D組、川瀬です。黒羽先生に用があって参りました。入ってもよろしいでしょうか」
短いホームルームと終礼を終え、俺は一目散に職員室へと向かった。
“ノックは二回、学科・何年何組・名前を必ず言ってから! 用件ははっきりと手短に”
そう書かれた貼り紙を横目に、俺はその呪文みたいな言葉を口にした。
クラスでは委員長として、部活ではまだ日は浅いが、チームのキャプテンとして。俺に託された責任や重圧はそれなりにあるし悩みは色々と尽きないが、充実した高校生活だと思っている。
中学の頃は生徒会長なんかもやったりして、周りからは何かと頼りにされることが多かった。自慢じゃないが、これでも成績は上位の方に入るし、友達だってそれなりに多い。
『文武両道』は警察官である父の昔からの教えだ。とりわけ厳粛な家庭、というわけではないけれど、幼い頃からずっとそんな風に育てられてきたせいか、不真面さとはあまり縁がない。
常にできる限りでのベストを。――それが俺の信念。なんつって。
「弱小バスケ部の新キャプテンか。いいぞ、入れ」
ドアに一番近い席で書類を片付けている体育教師・鬼頭姫乃が、気怠そうなつり目で俺を一瞥し、再び書類へ目を落としながらそう言った。
きっと学校一恐れられている存在の彼女は、うちの高校のチアリーディング部顧問だ。
創部からまだ五年程だが、ツバコーチア部は毎年全国大会制覇という偉業を成し遂げている超強豪チームである。それは顧問である彼女のスパルタともいえる指導の賜物らしいのだが、えげつない程の練習量と徹底した教育に、音を上げて退部していく生徒も多いと聞く。
(世間一般的に見て)それなりに綺麗な方だと思うし、口を開かなければ男の一人や二人、すぐに出来そうな感じはする。彼女のオトコ事情なんて別にどうでもいいし、そんなことをいちいち生徒に心配される筋合いもないとは思うが、噂によると彼女は三十路手前で独り身らしい。これで彼氏や旦那がいればもっと穏やかで女性らしくなるのだろうかと考えると、早くイイ人を見つけて欲しいとも思ってしまう。
トレードマークの赤ジャージとその名前から、生徒の間では“赤鬼”とか“オニヒメ”なんて呼ばれている。
しかしこのオニヒメ、毎度の事ながら嫌味な教師だ。
(弱小じゃねーっつうの!)
「……失礼しまーす」
心の中でそう思いながら、窓際のデスクでPCと睨み合っているバスケ部の顧問・ユキりんこと黒羽征景の元へ向かった。
画面からふと視線を上げてこちらを見たユキりんは、おー、と小さく手を振る。
「先生、ちょっとお話が」
一年の副担任を受け持つ彼は、俺がこの高校に入学した頃に赴任してきた。二十五歳とまだ若く、くわえてその甘いルックスから女生徒に人気があるらしい。
左手に光る指輪から分かるようにすでに結婚していておまけに子どももいるようだが、多くの女子にはそんなこと関係ないようだ。
妻子持ちでありながら職場では若い女子に黄色い歓声をあげさせる。まったくもって罪な男である。
前任のバスケ部顧問が定年を迎えたことにより彼がその後を継ぎ、今年で二年目だ。
「今日来た留学生の子、知ってますよね。彼、うちに入部希望らしくて。練習を見学したいって言ってるんスけど」
「マジで? うん、いいんじゃない。経験者なんだろ?」
「らしいっスね、どうやら……」
「それならもう参加させれば? 今日も二時間いつものメニューこなして、練習試合やろうか」
「ウィッス」
「俺、まだ仕事あるから終わり次第そっち行くわ」
よろしく、と告げてから、ユキりんは席を立つと足早に職員室を出ていった。