他は要らない
彼女の世話は私の役目だ。
透き通るような白い肌を毎日丁寧に洗い清めるのも、まばゆいほどに煌く金色の髪にそっと櫛を通すのも。すべて私が成すべき使命、いや私だけに許された特権なのだ。
今日も彼女はおとなしく私を待っている。
私はそれに気をよくし、丁寧に髪を整えて始めた。耳を隠すサイドの髪を、後頭部へと持っていき一つに纏める。今日は赤いリボンがついた髪飾りにした。赤は彼女によく映える。
彼女が身に着けるすべては、一流の職人が手がけた一品だけで揃えている。もちろん私の衣服もそうだ。一流には一流しかつりあわない。当然、その理由は彼女のために決まっている。
私は最後の仕上げに、そっと彼女のほほを撫でた。やわらかい感触が指に伝わり、触れた箇所からはほんのりとしたぬくもりがうつる。私は思わず笑みをこぼし、そして立ち上がった。
最後に、そっと彼女を撫でる。
そして私は部屋を出た。
仕事の合間にも私は彼女を想う。彼女への贈り物についてだ。何を贈っても彼女は緩やかに微笑んでいるので、その好みは未だによく分からない。私が贈るなら何でもいい、という事なのかもしれないといううぬぼれもあるが、やはり一番喜んでくれるものを贈りたいと願う。
花だろうか。それとも宝石か。……いや、宝石はまだ早いか。彼女はまだ、少女と言って差し支えない年齢だ。立派に女性と呼べるほど成熟するまで、宝石はお預けとしよう。
ならば花だ。
両手に抱えきれないほどの花を買って、それを贈ろう。
きっと彼女は喜んでくれる。いつもやわらかい微笑みを浮かべるその顔に、こちらまでつられて笑ってしまうような、満面の笑みを浮かべてくれるに違いない。
最初は、出逢った頃はひどく仲が悪かった。あの頃の彼女は、今の仲睦まじい姿を見たらどう思うだろうか。今の姿を望んだ私でさえ、あのころは想像もできなかっただろう。
まぁ、それも仕方が無い。私達は所詮、政略的な婚姻関係なのだから。他に惹かれる異性がいた彼女からすると、数回パーティで顔を合わせただけの相手などお断りだったはずだ。
……一方私は、彼女に惹かれていたからむしろ喜んでいた。彼女が自分のそばにいてくれるなら無理やりだろうが何だろうがいいと。もちろん、今はそんな考えなど持ってない。
とはいえ当初は苦労の連続だった。彼女は何度もここからの脱走を図り、そのたびに連れ戻されて部屋に閉じ込める事になってしまった。そこまでする事はないと私は思ったが、彼女はそれなりに身分ある生まれ。脱走して何かあったら困るから、仕方が無かった。
毎朝、罵られるのを覚悟の上で彼女の顔を見るために部屋へ行き、鍵を厳重にかけて仕事に出かける日々。それはあまりにもつらかった。どうしても私との生活がイヤなら、離婚するしかないとさえ思ったほどだ。彼女につらい思いをさせたくは無かった。
だが、ある日を境に彼女は脱走を図る事もなく、むしろ私に微笑むようになった。朝夕に彼女の元を訪れると、嬉しそうに私のそばへ駆け寄ってくる。甘えるように抱きついてくる。
私の思いが伝わった。そう思った。
――しかし、彼女は狡猾で、そしてしたたかだった。私に従順になったフリをして、一人の男を使って脱出計画を練っていたのだ。それは、あまりにひどい裏切りだった。
気づいたのは深夜、二人が逢引しているその物音を聴いてしまった瞬間。全身の血が凍った直後に沸騰していく感覚は、きっと二度と味わう事はないだろう。
もちろん、そんな不快で残酷な感覚は、二度と感じる事はないのだ。
それを与える要因となるに違いない彼女はもう、私から逃げないのだから。
赤いクッションの上に佇む彼女を抱え上げ、そのガラスのように冷め切った唇に誓いを捧げれば、彼女は少しぬくもりを得る。私は彼女を元の位置へと戻し、夕食のため部屋を出る。
今は彼女を閉じ込める鍵は必要ない。
彼女は脱走する事はないし、彼女を奪う誰かは二度と訪れはしない。あの男は遠く深い場所に葬ったし、彼女からは逃げるための道具を一つ残らず奪ってしまったから。
これで彼女は私だけのものだ。
私の最愛の妻である彼女は、特別に作らせたクッションの上で、穏やかな微笑を浮かべてこちらを見ている。そう、私は彼女を愛していた。その微笑を。あのやわらかい笑みを。
だから、それが私のそばに在るのなら。
他は要らない――何も。