第三話「開幕」
夜が裂けた。
ザキカメアの大門の前で、空を見上げる数百の視線が、一つの影に釘付けになる。
魔王ジュヤン=ゲケツ。
その口元がわずかに動いた。
笑みとも嘲りともつかない表情で、彼は静かに言葉を落とす。
「……百年ぶりの一神祭。 ナリ=アーツを殺した責は重いぞ? 人間ども」
その声は低く、重く、耳から脳に突き刺さる。
冒険者たちは一斉にざわめき、息を呑んだ。
「ナリ=アーツ……? 百年前の魔王……!」
「祖父が戦った、あの戦の……!」
「百年……なるほど…! あれから丁度百年…今回も始まってしまうのか……一神祭が…!」
俺は胸が掴まれたような感覚に襲われる。
祖父・永和が命を懸けて戦った相手――そして、この街最悪の名だ。
そんな魔王の仲間の一人が、今まさに俺たちの前に立っている。
「ふざけるな……!」
思わず叫んでいた。
膝が震えても、喉が詰まっても、それでも言わずにはいられなかった。
「俺たちは、祖父や先人たちが命をかけて守った街で……負けるわけにはいかないんだ!」
自分の声が虚しく夜に吸い込まれていく。
けれど、その叫びに反応するように、周囲の冒険者たちが次々と武器を掲げた。
「そうだ……! この街を渡すものか!」
「子や孫の未来を守れ!」
士気が、ほんの少しだけ高まった。
◇
最初に動いたのは、魔王だった。
黒い尾がゆらりと振るわれた瞬間、大気が爆ぜる。
音もなく、だが圧倒的な衝撃波が前方を薙ぎ払った。
「うわああっ!」
最前列にいた兵士十数名が、一瞬で宙を舞い、大門の石壁に叩きつけられる。
骨が砕ける音が、戦場全体に響き渡った。
誰もが息を呑む。
たった一振りで、これだけの破壊。
「来るぞ!!」
誰かの叫びを合図に、冒険者たちが一斉に飛び出した。
矢が放たれ、魔法が放たれる。
火球が空を駆け、雷光が夜を裂き、氷槍が唸りをあげる。
だが――
「無駄だ」
魔王の声と共に、黒尾がうねる。
その毛が広がり、まるで黒い鎧のように彼の全身を覆った。
火も、雷も、氷も。
すべての魔法が、尾の毛に触れた瞬間、音もなく霧散していった。
「……そんな……!」
「魔石の数百倍の硬度……本当だったのか!」
絶望が広がる。
◇
それでも、剣を持った戦士たちは突っ込んだ。
前衛が叫びながら空に跳び、魔王に刃を叩き込む。
「うおおおおっ!」
剣が、斧が、槍が――黒尾に阻まれる。
金属同士が打ち合ったような甲高い音を立て、すべて弾き返される。
「ぐっ……!」
「刃が、折れる……!」
剣が砕け、戦士たちが弾き飛ばされていく。
尾がひと撫でされるだけで、鎧ごと切り裂かれ、地面に血が散った。
俺は歯を食いしばる。
喉の奥から叫びが漏れそうになるのを必死にこらえた。
勝てるわけがない――そんな考えが脳裏に浮かぶ。
だが同時に、祖父の姿も浮かぶ。
あの日、祖父は恐怖に屈せず、立ち向かったはずだ。
ならば、俺も。
「まだだ……まだ終わってない!」
声が掠れても構わない。
自分自身に言い聞かせるように、叫ぶ。
◇
魔王ジュヤン=ゲケツは、ゆっくりと手を広げた。
その仕草は舞うように優雅で、しかし死を告げるように冷酷だった。
「百年前、ナリ=アーツはどうしてこんな雑魚どもに敗れたのだ……。 群れて、喚いて、それでも尚、我には指一本と触れることのできない無能どもではないか……」
赤い瞳が下界を見下ろす。
その視線が俺と交わった瞬間、全身の血が凍った。
呼吸が止まる。
心臓が握り潰されるように苦しい。
だが、同時に――燃え上がるものもあった。
「……やってやる」
小さく呟いた声は、誰にも届かなかったかもしれない。
それでも俺は剣を抜き、前へと踏み出した。
この瞬間。
ザキカメアの街を賭けた戦いが、始まったのだ。




