第二話「魔王の再来」
警鐘が鳴り止まない。
ザキカメアの街全体がざわめき、戸口から顔を出した人々が空を見上げていた。
鐘の音は低く、重く、胸の奥を殴るように響く。
まるで世界そのものが警告を発しているかのようだった。
「魔王だって……!? 本当に、魔王が……!」
通りのあちこちで誰かが叫び、子どもを抱えた母親が泣き出す。
男たちは武器を取りに走り、冒険者ギルドから次々に戦士が飛び出してくる。
俺は走っていた。
剣を腰に差したまま、大門へと向かう。
周囲の冒険者たちと肩をぶつけ合いながら、ただ前へ。
心臓は跳ねるように高鳴り、喉は乾いていた。
それでも足が止まらない。
祖父が戦ったという魔王。
その存在を、この目で確かめずにはいられなかった。
◇
やがて、大門前に着いた。
そこにはすでに数百の冒険者と兵士が集まり、武器を構えて空を睨んでいた。
月明かりに照らされるその光景は、壮観でありながらも不安と恐怖に覆われている。
人々が見上げる先に――いた。
漆黒。
夜そのものを纏ったような人影。
高い空に浮かぶその魔族は、人の形をしていた。
だが背には翼もなく、ただ重力を無視するように宙に佇んでいる。
目は赤く、口元には笑みさえ浮かんでいた。
そして、最も目を引いたのは背後から生えた巨大な尻尾だった。
太く、異様に長い。
その表面を覆う黒い毛が、月光を反射してきらめいている。
ただの毛ではない――ひと目でわかる。
硬質な輝きは、鋼鉄の刃をも凌駕する。
「……あれが、魔王……」
「なんという力なんだ……っ!?」
冒険者たちの声が震えている。
「ふん…」
伝承の中でしか語られなかった存在が、いま現実に目の前にいるのだ。
◇
その名を、誰かが口にした。
「ジュヤン=ゲケツ……! 古代の魔王だ!」
ざわめきが広がる。
古来より存在するとされる“原初の魔王”。
遥か昔、大陸に最初の戦火をもたらした存在。
その名を耳にした瞬間、空気そのものが凍りついたように感じられた。
ジュヤン=ゲケツ。
黒い尾をゆらりと揺らす。
その尾の毛一本一本が、最高硬度の魔石の数百倍の硬さを誇るという伝承がある。
その後、彼はゆっくりと視線を下ろしてきた。
その目が、大門の下に集まる冒険者たちをひとり残らず射抜く。
見られただけで、息が詰まる。
膝が勝手に震えだす。
声を出そうとしても、喉が固まって言葉にならない。
隣の冒険者が小さく吐き気をこらえる音が聞こえた。
「人間どもよ……」
低く、地を這うような声が夜を貫いた。
「百年の眠りの間に、随分と増えたな」
言葉の意味よりも、その響きそのものに心を握り潰される。
音の一つ一つが、刃のように鋭く耳へ刺さった。
◇
誰かが小さく呟いた。
「……あの日の再来だ」
老いた冒険者の声だった。
髭を蓄えたその男は、かつて祖父の世代を知る者だろう。
「百年前も、こんな夜だった……。 あのときも、この場所で魔王が立ちはだかっていた……」
その言葉に、俺の背筋が凍りつく。
そうだ。
これは伝説ではない。
ただの物語ではない。
俺の祖父が、命を懸けて戦った相手。
世界を揺るがす存在――魔王。
いま、目の前にいる。
冒険者たちが武器を構える音が、耳に集まる。
震えながらも、誰一人退く者はいなかった。
空から降り注ぐ漆黒の視線に、ザキカメアの大門が押し潰されそうになる。
夜風が吹いた。
その瞬間、魔王の尾がひと振りされた。
空気が裂けた。
大門の外の大地が抉れ、石が粉々に砕け散る。
誰も、声を出せなかった。
ただ、世界が終わりに向かって動き出したことだけは、全員が悟っていた。
――これは、始まりだ。




