第八話 焼べる
開いたままのドアから見える鉛色の空と暗い森を背に、左腕を抑え傾いて立っていた。しかしその目は鋭く尖り、大きく見開いていた。静かに、無感情でただしっかりと自分を見つめている。
だからこそ余計に怖くなった。今にも殺されそうな気がした。
アンガーは、また梁の陰に隠れた。
「ごめんなさい。 本当に」
震える声で言う。
「何が? 」
空はすぐに返した。
ズサっと何かが心に刺さったのを感じた。
もう顔を見れない。見てしまったら恐怖で死んでしまいそうだ。
でもちゃんと言わなきゃいけない。
ラニにも同じ事をしたんだ。その報いが来たんだ。父ちゃんとの約束も守れずにのうのうと生きて。それでも少しは大きくなったつもりでいた。でもオイラは同じ事を繰り返した。何にも変わっちゃいなかった。
言わなきゃダメだ。そしてその仕返しをもらうんだ。
「オイラが、空を見殺しにした事」
アンガーは起き上ると目を瞑り、空に背を向けた。
「でも、仕方なかった。オイラが生き抜く為に逃げなきゃいけなかった」
半分嘘、半分本心。それでもいい。どうせ仕返しをもらうなら、いっそのこと全てを吐き出そう。
大きく息を吸ってアンガーは語り始めた。
「父の名はクラウド。王様だった。でも決闘に負けて、群れを乗っ取られて家族全員殺された。オイラ以外。オイラの役目は妹を守る事だった。でも決闘に勝ったライオンから逃げる途中で妹を囮にして逃げた。空にしたみたいに」
アンガーはだんだんと涙苦しくなっていったが、こらえて続けた。
「兄貴達は、勇敢に立ち向かっていった。命を犠牲にして役目を全うした。でもオイラは出来なかった。立ち向かおうなんて思いもしなかった。ただ怖くて仕方無かった。笑っちゃうよね。何が立派な王様だ。なれるわけが無い。何も守れるわけがなかった。自分が恥ずかしくてたまらないよ」
空は黙って聞いた。
「どうしてオイラなんだ。なんで守られたのがオイラなんだ。オイラが死んでいればよかったのに! 」
梁に爪を刺して叫んだ。その怒りは雨と呼応するように激しさを増す。
「何度同じ事を繰り返せば気がすむんだオイラは・・・ オイラは、オイラが大っ嫌いだ! 」
「本当に自分が嫌いなのか? 」
空は自虐を切るように言うと、そのまま居間に上がり大黒柱に背を持たれて座った。
「格好つけなくていい。お前、何に怒っているんだ? 」
「何ってオイラは・・・」
「死んでもいいって思ってるなら、なんで生きようとしたんだ? 」
空の言葉にうつむいたまま動揺するアンガー。
「俺を置いて行ってでも、生きる事が正しいとお前は思ったんだろ? 仕方無かったって、そう言ってたじゃねえか」
何も言葉が出ないアンガー。
「お前は誰かに言って欲しかったんだろ? 」
きっとあの時、本当はラニが言いたかった事。アンガーはあらゆる言葉を連想した。
お前が強ければよかった。
決闘を見に行かなければよかった。
お前が弱いから。
お前だけが誇りを守れなかった。
この恥さらし。
「お前は間違ってない」
呼吸が止まった。
「ここに戻ってくる途中で色々考えてたら、生きる事ってこんなにも戦いの中にあったんだなって思ってさ。お前が行った時、最初は絶望したし悲しかったけど、今はなんとなくわかる気がするんだよ。逃げるっていう言葉が少し良くないだけで、それも戦う事の一つだって」
空は天井を見上げて言った。
「だってここにはさ、生きていく事以外に正解なんてないんだから。だから、お前の選択は間違ってない。生きる為の正しい事をしたんだよ」
空は微笑んでいた。いつもの優しい空だった。
それを見てアンガーは、気が抜けたように穏やかに泣き始めた。
外れないようにガタガタに打っていた心の釘が溶けて、感情のダムからゆっくりと美しく滝を流すように。
共鳴した雨はより激しさを増した。どんより暗い乱層雲は、雷雲と混ざり荒れ、その隙間に稲光が走る。
「どうして・・・ どうして負けちゃったんだ父ちゃん。全てを守るんじゃなかったのか? 絶対に負けちゃいけないんじゃないのか! 偉そうに言ってたくせに! 」
雷が天を唸る。
家族の温もりを思い出しながらアンガーは続けた。
「ウーラノス、なんで一緒に逃げてくれなかったんだ。お前がカッコつけるから、残されたものは苦しんだ。ニエーバだってそうだ。逃げれば良かったんだ! お前らが誇りなんか守って命を守らなかったから、ラニも真似をしたんだ! お前らはオイラを守ったんじゃなくて、生きる事をオイラに押し付けたんだ! 」
クラウドの咆哮。全身の細胞に語りかけてくるあの感覚をアンガーは無意識に自分に感じた。
「みんな勝手に死にに行きやがって。なんで、なんで最後まで一緒にいてくれなかったんだああ! 」
その時、尻尾に暖かいものを感じた。
垂れている尻尾を空は握りしめていた。空も泣いていた。
アンガーは聞いた。
「空。どうして生きる事はこんなにも苦しいの? 」
歯を食いしばり、尻尾を握ったまま空は黙った。
「大切な家族の死を踏んで生きていくぐらいなら、死んだ方が楽だ」
アンガーは俯いたままつぶやくように言った。
だからこそ生きなきゃいけない。
空はそう言いたかった。でも心の中のアンガーはすぐに言い返してきた。
なんで?
それがお前の大切な人の願いだから
苦しんで生きていくことが願いなの?
そうじゃない
でもオイラは苦しい
それでも生きて欲しかったんだ
勝手だよ
大きな闇に揺れるアンガーの心は、悲しみでいっぱいだった。
もがいて足掻いているんだ。折り合いのつかない現実の中で。
空は、一思いに口を開いた。
「俺が一緒に死んでやる! 」
正解なんて分からなかった。それでも今俺は、こいつを助ける為に、いや、助ける為の覚悟が必要だと思った。
「俺はお前一人に生きる事を押し付けない」
知ってるよ。本当に憎んだり、恨んだりして無いって。それでもそう思わなきゃ、こいつは生きていけなかったんだ。
「だからさ、」
アンガーの尻尾を強く握り直した。
「だからもう、二度と置いて行くな」
アンガーが頷いたのか、無反応だったのか、前髪で前を隠して見なかった。これは自分の願いだったから。
でもこれが精一杯だよ。アンガー。それでも俺は自己満足に、自分の都合を押し付けることしか出来ない。
どんよりとした空気と天気の中、内でも外でも降り注いだ雨はまだ止みそうに無い。しかし何かが変わる時はいつも、激しい何かがぶつかり合うものだ。
運転手のいないタクシーから数人の大人が降りて来た。素っ気ない歩き方で、スタスタと一面ガラス張りの格式ばったビルへ入って行く。
音がしないエレベーターでグングン上に登り、着いた階の廊下を、ローファーの靴底が高価そうな音を立てて進む。
浮いたスクリーンに写るデジタル時計が十五時を示し、薄暗い部屋で、円状に並んだ席がうまった。
「今日は、お忙しい中お集まり頂きありがとうございます」
上座で勘九郎が挨拶をし、声と同時に部屋の電気がついた。
部屋の角でクリップボードを見る拓扉。
「今日は、NWSの会議報告と、ある議案の為にお集まり頂いた次第でございます」
「議案? 」
影で顔が見えない奥に座る大人が言い返す。
「ええ、個人的かつ、独断ですでに決行されている事についてです」
勘九郎の言葉で一気にざわめく会場。
「一体何を言っているんだね? 」
「最初からお話しましょう」
拓扉のメガネが光を不気味に反射する。
「ご存知のとうり、二千三十年。各国の富裕層は、追われるように火星への移住を開始した。食料は地球からの高価な支給品を主に、暮らしは此処でのそれと変わりない程に贅沢でしょう。しかし毎度の支給の為の品やリボンチューブ(宇宙エレベーター)などに出費する国々の国庫金との兼ね合いで、火星での食料開発、いわゆる養殖、畜産を進めた。そして近年まで、そこでの労働人員募集を兼ね、一般市民の移住を国力をあげて推進した。
全ては、人類繁栄の為。いや、増えすぎた人口に必要な食料確保の為。しかし当時、まだ火星では基盤となる国家機関が設けられていなかった。
その為、最初に移ってきた富者達を筆頭に原始的な資本主義社会が作り上げられた。それは権力分立が実現できない、非常に危険な状態だった」
「はぁ・・・」
大人達は退屈だと言わんばかりにため息をついた。勘九郎はそれを見て席に座るとまた話を続けた。
「そして三十三年、ある事件が起きた。
ある金持ちの息子一人が、農業用マシンの技術者の女性に恋をした。彼はその娘をとても気に入り、プロポーズをした。しかし幼馴染と地球での婚約が決まっていた彼女は、丁重に断ったそうだ。
思い通りにならないことが初めてだった彼はそれに腹を立て、権力を使い彼女を誘拐し、強姦した。ボロボロになり帰ってきた彼女をみて激怒した父親は、居場所を突き止め、彼を殴り殺してしまった。強姦した男の父親はそれを知ると、自身の護衛を派遣し、彼女と父親、その他家族もろとも皆殺しにした。
それ以降も彼らの傲慢な態度が改まる事はなく、遂には火星の一般市民が揃って暴動を起こし始める程火種は広がった。報復を恐れた富者達は護衛隊を配置し、市民と隔離されたエリアを敷いた。そして圧倒的な武力と財力を行使して、頻繁に起きていた反乱を徐々に沈静化させていった。
これが火星社会の根本だ。故に貧困の差は地球以上であり、現在表立った事件は少ないものの、表面下で動くテロ組織の存在は問題視されている」
「そんな昔話や小言はいい。本題を話したまえ」
「カタッ」
大人の素っ気ない返答に、改谷がペンを落とした。
「まぁ、聞いてください」
ペンを拾う改谷を見ながら勘九郎が話を続ける。
「話は変わりますが、私が出席している『ニューワールドシステム』通称NWSの総帥を、私はとても尊敬しています。彼の登場以降、この先何十年分の進歩を現段階で実現できたでしょうか。今ほど国々の争いのない時代は無かったでしょう。火星でも、彼が政権を握っていれば、今の偏った社会にはならなかったかもしれません」
「今度はタラレバ話か」
大人達は糸の掴めない話に笑い始めた。
「国境を無くし、独裁国家を無くし、分け隔てない関係のラインを造り、何処かが得をし、何処が損をするというような流れを絶ち、社会の仕組みを根底から構築し直した。まだまだ問題はあるにせよ、対応し、改善する為の環境を整えた。たったの、たったの五年間で! 」
勘九郎は話すうちに熱が入り、その大きくなる声量で、大人達は笑いを辞めた。
「何故彼はそんな事が出来たのでしょうか。ご存知の方もいるでしょうが、彼は人間ではありません」
「カタッ」
改谷はまたペンを落とした。
「AN と呼ばれる、完全な人工知能です」
勘九郎の言葉に会議室は一気にざわめいた。
「つまり我々人類のリーダーは現在、血肉を持たない機械だというのか? 」
喚く大人の一人が言う。
「ええ、そうです」
「何を考えているんだ上は! 」
会場内の騒めきは跳ね上がり、十数名の大人の動揺が蔓延した。
「まだ話は終わっていません」
机を叩き静粛を促す声が、動揺を沈めた。
「重要なのは人間かどうかでは無く、私益に囚われない判断を下せるかどうかです。少なくとも先代はそう判断し、ANを中心に国体を取った ・・・ いや、取らざるを得なかった」
冷めたブラックコーヒーを一口飲み、ゆっくりとコップを置いた。
「そのアヌが、一向に良い兆しを見せない火星の状況について、早めに対処すべきだと言い始めました」
沈黙する大人達に、勘九郎は話を続けた。
「ここからが本題です」
真っ暗な世界で鳥のさえずりが聞こえた。目を開けて、高い吹き抜けを理解すると体を起こす。
寝てたわ。
梁を見るとアンガーも寝ている。
天気の良い早朝の心地の良さとアンガーの穏やかな寝顔は、空の心と表情を和ませた。
窓から差し込む優しい陽の光に微笑みを覗かれると、空は立ち上がり日課をこなそうとカゴをもって外に出た。
昨日はなかなか大変だったなぁ。もう結構限界なんだけどなぁ。
つか不思議に思ってたんだが、昨日あんだけ怪我してたのに、もう治ってるんだよなぁ。これ異常だよね? 普通?
ここで暮らしてると目の前の事で一杯一杯で小さな問題は悩む暇も無いんだよな。だから怪我の痛みが無くなった時点で、何も気にしてなかったけど。どうなってんだか。まぁいいや。
今日は何が落ちてるでしょうか。気まぐれなプライベートビーチは。
一人で黙々と思考する。空の得意技だ。
「あれ」
森を抜けそうな場所で、隣に歩く白いライオンに気がついた。
アンガーは眠そうで、ムッとしているような表情だ。ウトウトしながらもしっかりとついてきた。
空はそれを見て少し笑うと、何も言わずに一緒に浜へと歩いた。
その後、いつものように川での魚捕りをする。すっかり元気を取り戻し、取れた三匹の魚の一匹を自分にものだと言い争いを始めた。
「今日はオイラが頑張ったんだぞ? 」
「何言ってんだ! 俺の方が体がデカいんだから食って当然だ! 」
「じゃあ家まで競争だ! 」
「上等だ! 」
今までのようにただ意地を張っているだけでは無い。何処か楽しそうに走る姿は、過ごした時間と経験を考えさせる。
獣道続く森の中、葉の間を溢れる丸い陽の光が、暗い緑の洞窟で輝く。
「ヘヘッ オイラの勝ち! 」
「俺が籠持ってんだよ! 負けて当たり前だろうが! はぁ、はぁ」
アンガーに続いて家の近くまで来た空は息を切らして言った。
「えっ」
アンガーは家に近寄らずに立ち止まっていた。その理由を空はすぐに理解した。
玄関前に人間が立っている。それは見たことある坊主頭だ。うじゃうじゃ動き回る十数頭のハイエナも、嫌なくらい知っている。
アンガーの隣に立った空。浸りと汗を拭い動揺を隠した。
勘九郎は、両手を机につけて言った。
「アヌはこう言いました」
『人間に食事は必要か? 』




