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Waves Tones 【ウェイブストーンズ】  作者: 海月 恒


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第六話 催芽


 奇妙なものを見た気分だった。

「人だ・・・ 人だぞ!」

 浸りと汗が頬をつたる。

「おおおおおおおおおおおい! 」

 空は、飛び跳ねて手を振った。

「アンガー! 人間がいたぞ! ははっ!」

「人間! 人間! 」

 笑ってはしゃぐ空を見て、アンガーは釣られて一緒に飛び跳ねる。

「おおおおい! こっちだーーー! 」

 空はその丘に向かって大きく手を振って走り出した。

 疲労や不安を忘れて、ハジけるような元気をむき出しにした。

 人影もこっちを指差して歩いき始めた。同じ境遇なのだろうか。

 アンガーも遅れて空を追った。

 あんなにはしゃいだ空を見たのは初めてだ。

 アンガーは、空の背中の向こうに見える人影に目をやった。するとその丘にポツポツとまた黒い影が、何個か頭を出したのに気がついた。

 なんだ?

 目を渋らせてピントを合わせる。

 そのいくつもの影は瞬く間に丘に十個以上現れると、雪崩のように丘を下って来た。

「空・・・ あれ」

 ものすごいスピードで近づいてくるその正体に、アンガーは気づいた。

「空! 止まって! だめだ!」

「えっ? 何?」

 アンガーの声は真剣だったが、歓喜している空にはまだ届かなかった。

「あれは危険だ! 歓迎してる感じじゃない! 」

 空の隣まで追いついて、強い口調でいう。

「オイラ知ってるんだ!  あいつら! 」

「え? なに、どういうこと?」

 やっと足を止めた空に続けてアンガーは言った。

「離れた方がいい! すぐ逃げよう! 」 

 後ろへ走り出したアンガーに続いて、空も戸惑いながら引き帰った。

「なんなんだよどうした? あれは犬? 」

「ハイエナだよ! オイラ達を殺しに来たんだ! 」

「はぁ? なんでだ! 」

「オイラが子供だからさ! 子供はよく他の動物の獲物にされるんだ! 特にライオンは大きくなると厄介だから小さいうちに殺すんだ!」

「まじかよ! 」

 足の速いアンガーは、空との距離を開いていった。一方ハイエナは着実に詰めて来ている。

「くっそ! はえーな! 」

 追いつかれる! どうすれば! 逃げ切れない! 

「戦おう! 」

 焦った空は離れたアンガーにそう提案を飛ばした。

「あの数は勝てっこないよ! 」

「で、でも! 」

 このままじゃ俺は・・・

「俺は食われちまうよ! 」

 必死な空の感情をハッと気付いたアンガーは、砂を散らして足を止めた。

 ゆっくりと振り返ったアンガーの顔は、あの時と同じだった。

 やっとアンガーのとなりについた空は荒い呼吸のまま言った。

「大丈夫! 俺もいる! それにお前はライオンだ! どんな奴にも負けねーよ!」 

 不安と恐怖を消し去りたい空は、微笑んで励ました。

 しかし、アンガーの顔が和らぐ事はなかった。

 近づいて来るハイエナの一頭一頭を、カーソルを動かすように目で次々に追う。

「アンガー・・・」

 空は棒を持ち、迎え撃つ姿勢を取った。

「来るぞ! 」

 もう五メートルも離れてない。影ではなく実体として目視したハイエナの顔は不気味だった。感情の読めない目や、すこし開いた口に見える鋭い犬歯。完全に自分達を獲物とみなしている敵意が刺すようにビシビシと恐怖を刺激する。

 不安になった空はもう一度アンガーを見る。

 アンガーの瞳は心臓の鼓動が聞こえそうなくらい躍動していた。

 そしてその緊迫は、もう限界だったらしい。

「ごめん空! 」

 そう言葉を残して、瞬く間に逃げ出した。迷いも、羞恥も、プライドも全て忘れたように、振り返る事なく駆け抜けて行く。その背中は瞬く間に見えなくなった。


「嘘、だろ・・・ 」


 取り残された。ここに、このタイミングで?

 絶望する暇もなく、よそを向いている間に周りを囲まれてしまった。

 今にも噛み付いて来そうな獣の口先に、棒を向けた。

「くっそおおおがあああああああ! 」

 複雑に散乱しそうな思いを怒りに変えて、無茶苦茶に振り回した。

 心地の悪いハイエナの息遣いや唸り声が、余計に心を乱す。

 あいつ何考えてんだ! 置いて生きやがった! ていうかなんでこいつら襲って来るんだよ! あの人間はなんなんだ! 

 激しく動き回る思考が、しかし逆に、攻撃に隙を与えた。

 突然貫かれたように激痛が走った。一頭のハイエナが右のくるぶしに容赦なく噛み付いていた。持っていかれそうなくらい強い力だ。

 痛みで震えながら、ハイエナを棒で雑に叩いて振り払った。

「はぁ、はぁ、」

 頬には汗が、足にはドクドクと血が流れている。

どうすれば・・・


「そんなに粘るなよ」


 いきなり聞こえた人間の声に空は驚いた。

「えっ?」

「さっさと死ね」

 振り向いた先には、あの人影であろう人間がいた。

「お前・・・誰だよ! 」

「名前なんかどうだっていいんだろうが、教えてやるよ。 四阿あずまや勝平(かっぺい)! ヨロシク! 」

 胸を親指で指し、威勢の良い名乗りをあげた。

「四阿・・・かっ・・・ なんで襲ってくるんだ! 」

「あ? なんでって、そういう場所だろうが」

「場所? お前何言ってんだ! 」

「めんどくせ・・・ 行け! お前ら! 」

 その掛け声で、ハイエナは一斉に飛びかかって来た。

「ぐあああ! 」

 同時に来る飛びかかりは防ぐ事が出来ず、腕や足を噛み付かれた。

 激痛が全身に回り、反射的に手足が動く。

「あああああああ! 」

 火事場の馬鹿力だろう。痛みを関係無しに、噛み付いたハイエナ数頭を振り払い吹っ飛ばす。

 やばい。逃げないとこのまままじゃ本当に殺される。

 何処かしらまだ本当に殺しはしないだろうと思っていた考えを、空は完全に捨てた。

 片手で棒をブンブン振りながら距離を取る。

 森がある後ろへ下がりながらハイエナの動きに集中した。

 右足が思うように動かない。

 噛み付きを振りほどいた時点で痛みはほとんど麻痺していたが、痙攣か震えかわからないが動きづらい。

「何してんだお前ら! いけよ! 」

 空を指差して勝平はまた指示する。

「くるんじゃねええ! 」

 乱暴に振り回される棒を恐れてハイエナも戸惑っている。

 そんな攻防戦の後、やっと空は森の雑草に足を入れた。

 川がない! どの辺の森なんだ! 岸壁を降りたら家の近くなのか? だとしたらまずい!

 家がバレたらいつでも襲ってこられる可能性がある!

 次第にハイエナも森に入ってきたが、木々や草が邪魔してうまくハイエナは空を囲めないようだ。

 今しかない!

 勝平に背を向け、足を引きずりながら走りだした。

「ちっ、逃すな! 追え! 」

 ハイエナも草を飛び越えて追ってきた。

「はぁ、はぁ、どうする! 俺! 」

 視線を右往左往させながら、必死でルートを考える。生き残る為の活路。

「あああ! 動け足! 」

 太ももを荒々しく叩く。

 その瞬間。ザザッと真後ろから草を擦る音が聞こえた。変な違和感が全身を駆け巡る。

 来る! 飛んでくる! 

 素早く振り向くと、二、三頭のハイエナが手が届く場所に浮いていた。咄嗟に棒を横にして構え、噛みつきを防ぐ。

 しかし勢いが強く、茂みに足が引っかかって後ろへ一緒に吹っ飛んだ。

「うわああああああ! 」

 その先には地面にがなく、岸壁になっていてそのまま滑り落ちた。

 転がるように落ちていき、地面に背中が叩きつけられた。意識は消えず、大怪我には至らなかった。

「はぁはぁ・・・ 」

 空はゆっくり立ち上がり、足を引きずって走り出した。

 すると一緒に落ちたハイエナ三頭も足をかばい、跳ねるように走る。

「まだ来んのかよ! 」

 でも大体の数を振り払えた。

 方角も分からないまま、とにかく走っては後ろを向いて棒で威嚇し、走っては棒を振った。

 それがどのくらい続いたのか、とても長く感じたが、全然太陽は動いてない。

「ぜぇ・・・ぜぇ・・・ もう無理だ・・・」

 吸い込んだ空気が、器官に当たり正常な音ではなくなっていった。

「もう・・・止まっ・・・」

 諦めかけた時、右手の岸壁に洞窟を見つけた。

「あそこに・・・」

 もはや理由を考える余裕は無い。とにかく今の現状が変わるものを期待した。

 そのまま中に入った。奥は真っ暗で、先があるように見えた。

 しかし数歩進んですぐ気づいた。行き止まりだった。穴では無く、大きな窪みだったのだ。

 すぐにハイエナは追いつき、逃げ道を塞いだ。

 空は息を整えながら、ゆっくりと振りかえる。

 唸るハイエナのキレるような威嚇とまだ余裕のある体力を見て悟った。


 もう、ダメだ。


 行き止まりの岩肌に背をつけてもたれた。

 服が破れ、血だらけの体。少しずつ麻痺が抜けて、ジンジンと血管と心臓の収縮を感じる。

 ぼやけて見え始めたハイエナは、ジワジワと近づいてきているようだ。

 

不気味に笑いが込み上げて、吹き出した。


「ふっ」


 ここで死ぬ。食われて死ぬのか。

 こんな死に方しなきゃいけないのか。

 なんか未練だらけだ。

 死を目の前に思考が凄まじい速度で循環し始めた。しかしフラッシュバックする思い出は、気持ちの良いものでは無かった。

 

 ずいぶん昔、誰かが言った。

 

 人の為、世のためになることをしなさい。それはやがて自分に返って来る。

 

 何の根拠もないけど、純粋に信じた。かっこよかったんだと思う。だから実践してきた。

 人に優しく、人の心に寄り添って。俺にできること全力で。そりゃ完璧じゃないだろうけど、人の笑顔を大切にしてきた。

 いつも人のために何が出来るかを考えて、人の幸せを願ってきた。

 信じていた。みんながそうなること。そうあるべきだと。それがとても綺麗な世界に見えたんだ。

 そうしてみんなが幸せになれるんじゃないかって。

 

 でも嘲笑うように友情や信頼、愛情や思いやり。希望に溢れて見えた世界は、いつも俺を傷つけた。

 父は出て行き、俺と母を残した。

 先生はそれを今時当たり前のことだと片付ける。

 友達は、お前なんかいらないと言った。

 先輩方は遊び感覚で、俺に不合理な命令を下す。

 いきなり俺を殴りつけてきた不良は、厳罰を自慢し、大衆はそれに格好良さを覚える。

 

 人は、人のことなんて考えない。

 

 人の気持ちなんかみようとしない。

 言いたいように言い、信じたいように信じる。何を言っても民意は変わらない。操られるように何かを追う。

 でもそれが普通で。俺はそれを理解しなきゃいけなくて。社会から見ればきっと、間違ってるのは俺。だからこんなに見放されて、理解されず、孤独になったんだろう。

 あいつにも置いて行かれてさ。

 まぁでもそうだよな。

 

「人に優しく、大切に。思いやりをもって・・・」

 誰がいったんだよ。

 どれもこれも全部、俺の勝手。俺が勝手に優しくて、価値観を押し付けていただけ。自己満足。

 

 母の後ろ姿を連想する。台所でいつものように穏やかに料理をする母。

 そう、結局なんにも出来やしなかった。

 

 人の為は、自分の首を絞めるだけ。

 俺が誰かの幸せを願ったって、誰かが俺の幸せを願ってくれるわけじゃない。

 これまでの苦しみも全部、俺の勝手で引き寄せたこと。

 

 あー、ばかばかしい。


 笑える。


 挙句にこうして裏切られて、ここで食い殺されなきゃいけないだもんな。

 

 太陽は窪みの中に、寂しげな少年の影を伸ばす。

 

 なぁアンガー。

 

 俺はそんなに嫌な奴だったか?

  

 握りしめていた棒を落とした。

 ハイエナはそれを見て勝利を確信したような鳴き声をあげた。

 よく頑張った方でしょ。こんな世界で。

 こんな、クソみたいな世界で。

 ハイエナがトドメをさしに飛びかかる。

 その時、噛み付かれる痛みが先に神経を駆け抜けた。

 その痛みの記憶。電気信号は勝手に身体を動かした。

 咄嗟に真っ直ぐに上に蹴り上げ、思い切りハイエナの下顎にヒットした。

 くらったハイエナはビックリしたのかうまく立てていない。

 他の二頭は改めて威嚇しはじめた。絶望的な状況は変わらない。

 

もう抗うなよ。


 俺は奪われる側で、こいつらは奪う側。


 勝った方が正義で、負けた方が悪。


 俺は間違っていて、皆が正しい。


 それが世界だ。それが事実だ。


 もう十分教えられただろうが。なのに、

 なのにどうして。 


 どうしてこんなにも涙が溢れる。


 たった一撃の蹴りが、なんでこんなに重い。


 不意に出た反撃と、溢れる感情で空は気づいた。

 あの時にお母さんに言いかけた事・・・

 

本当は、本当は俺・・・ まだ。


「まだ、諦めたくないよ・・・ 」


 その死の際の一言のように呟いた声に一瞬怯んだハイエナを思いっきり蹴った。

「おらぁああああああああああああ! 」

 叫ぶ声にも力んだ筋肉にも、全てが怒りに支配されていた。

 ハイエナも負けじと何度も飛び込んでくる。その度に蹴り返し、噛まれたら顔を殴り、振りほどいて追いかけた。

 大きく蹴りを空振りして体勢を崩すと、ハイエナはそれを見逃す事なく攻めてくる。

 もう同じ場所を数回噛み付かれて、感覚が無くなっていった。それでも踠き足掻いた。諦める事を知らぬ、泣きわめき続けるワガママな子供のように。

 今まで経験した理不尽全てに憎しみが燃え上がった。必死で堪えて、受け入れ、許し、鋼の扉で閉じ込めていたユルサナイという手段。

 目まぐるしく荒ぶる戦いの中で空は思う。

 

 ふざけるな

 

 人を信じることの何が悪いって言うんだ

 

 人に優しくすることの、何が間違いだって言うんだ

 

 なんで殺されなきゃいけないんだ

 

 人を思うことが、裏切られて、傷つけられて、殺されなきゃいけないほど悪いことなのか

 

 なんで

 

 なんでだよ

 

 なんで人を傷つけたお前らは笑っているのに、人の幸せを願った俺は泣いているんだ

 

 やっぱり、どう考えたって

 

 何度考えたって

 

 おかしいの・・・ お前らだろ

 

 過去の傷も今死ぬ事も、何もかもが悔しくて。

 悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて。 

 どうしようもなく負けたくない。

 死にたくない。

「うわあああああああ! 」

 振り下ろした渾身の拳が、ハイエナの宙に浮いていた体を地面に叩き落した。

 するとそのハイエナは焦ってすぐに立ち上がり逃げ出した、続いて二頭も走り去っていった。

「はぁ、はぁ、馬鹿どもが」

 膝から崩れ落ち、その場にうつ伏せに倒れ込んだ。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 砂をごと手を握りしめた。

「勝ったんだ・・・ 」

 初めて強引に貫き通した自分の意思。理解してもらえなかった経験から、望む事を止めていたはずのもの。

 地面まで流れる涙と共に、感情を説いた。

 こんなに無様で、ボロボロになって。

 それでも今、俺の思いは形になった。


「・・・ 生きているんだ、今。生きていられる・・・ 」

 己の手で確かに叶えた願いを実感しながら、体を仰向けに転がした。

 空は変わらず青かった。人の生き死になど、小さなものだと言わんばかりに。

 それでも心なしかほんの少しだけ、優しく微笑んだように見えた景色は、ひとときの安息を飾った。


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