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Waves Tones 【ウェイブストーンズ】  作者: 海月 恒


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第四十五話  永久凅萎


 


 

 ある秀才がいた。成績優秀、文武両道の、若き希望の星。

 幼少の頃から数々の試験や大会に記録を残し続け、世界トップクラスの大学に入り、その経歴と、頑とした鋼の意志によって、誰をも認めさせてきた。何一つ落ち度のない順風満帆な人生。

 そこに一つの転機が訪れたのは、二年目の春だった。

 校内の食堂で、読書と、動画を同時に愉しんでいた男に、礼儀もなく肩を突いてきた女がいた。

 ある教科において、一番の成績を収めていることを知っていたらしく、教えを乞いに来たのだ。

 特に何も考えなかった。そういう人間は少なくはない。

 しかし何故かその時はいつものように、なんとなく断ることはしなかった。強いて言えば、彼女の香水が嫌いじゃなかったという程度。

 話すうちに見えてくる彼女のステータス。

 一年下の可愛らしいその女の子は、ギリギリ合格できたレベルのいわば凡人。元々家柄が、高貴だった男と比べて、何もかもが、低次元のそれであり、段々と興味は薄れてきた。

 話しもイマイチ伝わらない。

 理解も遅いし、応用もできてない。

 苛立ちを隠しながらもなんとか範囲を終え、清々しい気持ちで、関係を終えた。

 年末のテスト。文句無しでぶっちぎりの一位を取った男は、特に順位を見ることすらしない。結果は分かっていたからだ。しかしその日は、食堂が休みであり、学内のコンビニに行かなくてはならなかった。

 ふと通る発表場所。教科別の順位表。見やすい文字で浮きだされた電子版に、名前がずらりと並んでいる。

 気づかなかったのだ。

 自分が教えた教科の一位が、彼女の名前である事に。

 シーチキンとチョコレート、天然水を買って教室に戻る際、やっとその異常事態に気がついた。

 男は走った。彼女を探し回る。

 生涯で負けを味わったことがない男の胸の内は焦燥感で溢れていた。

 ありえない。俺が遅れをとるなど。

 しかもあの理解度で一体どうやって。何者なんだ。あの女。

 どこを探しても見つからない。広すぎるキャンパスでは、到底見当もつかなかった。

 友達といえる人間もいなかった男は、誰に聞くこともなく、焦りと驚きで足乗りを早め、全ての建物を回った。

 陸上で、全米二位の成績を持つ男の体力も、やがて息を乱し、広場のベンチに座る。

 すると、美しいバイオリンの旋律が聞こえてきた。それは優しく心臓を撫でるようだった。

 釣られるよう引っ張られ、文化ホールに足を運び、重いドアを開けると、そこに彼女はいた。

 孤独なスポットライトに照らされて奏でる、深い愛の音。

 堪らず、空いていた席に座り聴き入った。

 もちのような素肌で、天使のように朗らかな表情が、マイナーコードに合わせて苦しく、険しくなる度に、その健気で、純粋な心の儚さに、男の胸が締め付けられるような感覚を覚える。

 初めて、人を美しいと感じたのだ。

 演奏が終わり、司会がテンポよく言い放ったコンテストの優勝者の名前。

 男は微笑んで頷いた。

 そこからは早かった。

 連絡先を交換して、知り合い以上の関係になるまで。

 色んな話をした。いろんなことを知った。

 彼女は常人離れした努力家。

 両親は共働きで、福祉系の仕事。

 身長は百六十弱。体重は、なぜか教えてくれなかった。

 ここまで長い時間、他人と一緒にいた経験はなかった。それじゃ足りないと思うのも。

 うんざりしていた、あの時間をも後悔するほどに。

 何せ、彼女の人間性が、男にとって新鮮で、美しく、清らかで。何卒、良い匂いであったからであろうか。

 交際を開始して、二年。

 自分が卒業する最後の年、最後のテストで遂に、全ての教科で彼女が自分を上回った時、悔しさよりも、嬉し涙が溢れた。

 生涯、誰に負けることもなかったことが覆ったこの瞬間、男は愛を知ったのだ。

 この人になら、負けてもいい。

 この人になら、自分の弱さを見せてもいい。

 初めて、人を信じ、許した。

 その後、結婚して幾星霜。

 男の気持ちは変わることはなかった。 

 男の芯の強さは、彼女の存在が大いに関係するだろう。

 子を持ち、家庭を持ち、男にとって、世界は美しいものだった。

 まさに順風満帆。これ以上ない人生。

 そのはずだった。

 あの、粉のような雪の日。

 あの車に乗るまで。 

 氷のように冷たい肌。生気のない顔。

 全てが一瞬にして消えたあの日から、全てが変わった。


 

 

 

 椅子を倒して立ち上がった切島。

 透明な壁を崩壊させた白髪の化け物に目を疑う。

「・・・あ、あり得ない。一体何者だ・・・ 」

 凄絶な戦いを繰り広げるバケモノたちに、大人たちはただただ息を飲んだ。

 そしてフツフツと、浮き上がってくる感情が、圧倒的な戦力をひっくり返し、道化師のバケモノを追い詰める一行を心の中で鼓舞していた。

 理由も背景も、漠然としか知らないはずが、それでもただ必死で生きようと戦い、協力し、支え合う姿に感嘆したのだ。

 永田は、その思いを禁じ得ない。

「君と同じなんじゃないかな。切島。彼も、世界を認めることができなかった。許すことができなかった」

 落ち着いた表情に涙を浮かべた。

「・・・ 」

「切島。お前は、何に抗おうとしている。ここまでして、人から何かを奪ってまで、何を成し得ようとしている」

 唖然として、感情が波打つ。

 水面に映る記憶が、次々と頭を駆けていった。

 体は硬直していなかった。まだ僅かに暖かかった。

 しかし、抜け殻のような顔。目の前の真実自体が、到底受け止め切れるものじゃなった。

 雪がフロントガラスに降り積もる中、まだ柔らかい体を、力一杯抱きしめた。

「それはきっと、君が唯一、心を信じた人。そしておそらく、君が、心を拒むようになったあの出来事が・・・」

「黙れ」

 永田の言葉に、毛が逆立ち拒否反応がでる。震えて握った手の甲に、筋が浮き出る。

「お前、終わらせてやる・・・ 」

「構わん。これで、君が前に進めるのなら」

 大きく見開いた目で睨みつける。

「・・・その為に全てを捧げてきた」

「前に進むとは、一方を捨てることではないぞ」

「何が分かる! そうしなければ・・・ 」

「そう単純ならば、人は誰も、間違ったりしない」

 葉を透ける日の木漏れ日のような妻の笑顔が浮かび上がる。

「そうで無ければ・・・ 君の大切な人は・・・ 」

 言葉を失う。

 茫然と、ゆっくりと時間をかけて記憶を辿り始めた。

「ああそうだ・・・妻は自殺した。幼い礼を迎えに行って、校内に呼びに行っている間に死んでいた。毒を飲んでな。礼は、何も知らないまま、何度も話しかけた。俺は当然何もいえなかった。お母さんは寝ているから、帰ってから話しなさいと言って、一人で先に家に入らせて、彼女の死を確かめた。あまりの衝撃に笑ったよ。遺書もなければ、最後の言葉も特になく、パッと消えたんだ」

 開き直り、嘲たようにして続けた。

「礼も少しずつ理解し、事の熱りが冷めた頃、俺は原因を探しはじめた。彼女と付き合い深い人、職場や近所、両親、聴き回って情報を集めた結果、見えてきた真実は、ゲノム編集差別による自殺。っふ・・・ 俺の選んだ人がまさかそんなことで自殺するなんて、自分をも疑ったよ」

「ゲノム編集・・・ 」

「別に珍しくもない。大学でのあの異常な集中力と記憶力は、超人的でしたから。もちろん私は知っていましたし、気にしませんでした。彼女も深く考えているようには見えませんでした。・・・いや、今となってはそれが間違っていたのか。・・・見た目もそうですが、白い髪に白い肌、ヘーゼルの瞳。揃いすぎていた彼女は、人から妬まれることは多かったそうです。妻になってからも、その差別は続いていて、だから幸せになったのだと、彼女自身の人間性が理解されることはなかった」

 切島は眼鏡を取り、その複雑な感情を宿した目を見せる。

「凡人である彼女が、高額な体細胞ゲノム編集を受けられたのは、理由があります。まだ安定した治療ができるレベルでなかったある国では、その被験体になることで、高額な謝礼金が発生していたんです。それで奇跡的に成功し、生活と大学資金を得て、私に出会った。そのまま順調に進み、幸せに思えた矢先に、彼女は自分で人生に終止符を打った。自殺など、私がもっとも嫌厭する死に方で、私の幸せは文字通り煙のように消えた」

 奇妙に微笑み、顔を上げる。

「皆さんに聴きたい。間違っているのは妻ですか? 世の中ですか? どちらもですか? どちらも違いますか? 私には、決めることができませんでした。もし自殺したのが妻でなければ、馬鹿馬鹿しいと一蹴したでしょう。しかしこんな私でも、愛を叫んでいいのなら言いたい。妻は、この世界に殺されたのだと」

 殺意に満ちたその相貌に、室内は氷つく。

「ですが、それでも足りないと思った。そんなことは重要ではない。私が求めるもの。それはもっと、革新的な答え」

 乱れたオールバックをそのままに、映像の中のバケモノを見上げた。

「だから私は、ある取り引きをした」


 

 

 

 僕は、絶対、負けられないんだ。

 絶対に。

 礼は起き上がり、血反吐をボロボロと吐き出す。 

 四つの球体を破壊し、残るは礼と、能力不明の、一つの球体のみ。

 勿論、空と伊都。ルルを除いた一行も、立ち上がる力を残していない。

「みんなありがとう。後は俺がやるから、休んでて」

 空の声に安堵の表情を浮かべた五人は、溶けるような発光をして次々と動物と分離し、すやすやと眠りについた。

「コロセコロセコロセコロセコロセコロセ・・・」

 白目を向いたまま礼は呟く。その様子を見て、尋常でない思いの強さを感じ取る。

 何がそうさせているのか、空の思考は、もはやそっちに重きを置いていた。

 立つよな。やっぱりお前は。

 勝てるかな。この状態で俺。

 もう伊都は救ったんだ。ノルマ達成、あそうだ。

「伊都! 溶岩が来る前にみんなを抱えて避難させてくれ」

「いいけど、・・・空君は?」

 羽ばたいて浮遊する伊都は、不安な顔をした。

「俺は大丈夫! 必ず戻るから、みんなを頼む」

 迫り来る溶岩を見て、やるべき事が明確になり、颯爽と羽を動かす。

「絶対だよ? 」

 嫌な予感が消えなかった伊都は、地面にふわりとおりて、空の顔を両手で包んでグイっ自身に向けた。

「ずっと側にいる。・・・空君はそう言った。言ったからね! 」

 そのまた泣き出しそうな顔が、空の不安を払った。

「ああ。分かってる。ありがとう」

 優しく微笑んで、肩を撫でると、思いを託し、背中を押して飛び立たせた。


 アンガー。俺、なんかまた恥ずかしい事言ったかな。

 今更かよ。大丈夫、空はずっと、ちょっぴり恥ずかしいから。

 なんだそれひどいな。

 朗らかに笑って、血だらけの身体を礼に向けた。


 礼は意識を取り戻していて、また穏やかにこっちを見ていた。

「言葉はいらないね」

「ああ」

 歩いて近づいていく、ボロボロの二人。

 徐々に駆け足になり、強く踏み出し、二、三メートルを容易に一歩で飛び越える獣脚。

 喧々囂々と、大袈裟に荒らした大地と溶岩の煙を、好き勝手に暴れ回るバケモノ二人がくり抜くように貫いて向かい合った。

 そして、衝突。どちらの一撃も顔面を捉えていたが、一歩も引かない。

 そこから拳をぶつけ合う。

 殴り合いの衝撃に、土煙は巻き上がり、黒煙は互いの攻撃の軌道を追った。

 猛烈な猛攻に空間は震える。顔面、胸、腹、腕、打ち込み合うたがった思いに、風圧が周辺をなぎ払っていく。

 怒りと悲しみ、憎しみが拳として身体にのめり込む度に、己の危うさも幼稚さも、全てが伝わっていくように。また伝わってくるようだった。

 故に、余計に、二人は苛立ちを覚える。

 歯を食いしばり、叫びたて、掴み合って、引っ掻きあって、叩き合って。

 どうにもならなかった思いを、喚き散らす。


 いいじゃないか・・・ 君たちは、まだ生きていけるじゃないか。譲ってよ。僕はもう、後戻りできないんだ。

 

 俺だってもう何も無くすわけにはいかない。ここで死んだら、あいつらが無くしかけていたものは、本当に消えてしまうんだ。

 

 だから、それでもいいじゃないか。生きていけるじゃないか。

 僕はここで死んだら。

 本当に死んでしまうんだから

 

 激しい戦いの最中、微かに聞こえた言葉に手を滞らせた一瞬、礼の一撃が首を横嬲りにし、吹っ飛ばされた。

「はは。どうしたの? 同情するとやっぱり、君は戦えないか? 」

 腹を抱える礼に、空は怒りを吹き出す。

「お前・・・ 今まで何人殺した」

「数えてないよ。いちいち。その国のプログラムを終了させる為に必要ない数だけ」

「人殺しは」

 空気をガラリと変えた王は、礼を睨みつける。

「殺されても仕方ねぇよな」

 踏み出した怒涛の一歩。後ろで大地を爆発させたように加速して、礼の懐に飛び込んだ。

「殺してもいい。そう簡単に片付けていいなら、そんなに楽なもんねえよ」

 壊れたはずの右手が、グルグルと回って正常な骨格に戻ると、殺意の篭った強烈な王打を、顔面にぶち込む。

 な、嘘だ・・・ 自己再生?

 顔を歪め、転がっていく礼。

 頭は、もはや限界だった。

 現実的に破壊不可能なはずの無効化チートを破り、なんの権限もコードを知らぬはずの男が、不可解な再生能力を見せる。

 一体どうなって・・・

「俺は、死んだ方がいい人間はいると思ってる。お前はそうなのか? 」

 ・・・なんでだ父さん、話が違うじゃないか。こんなやつがいるなんて・・・

「そんな奴が、例え何か叶えたところで、誰も喜びはしない。少なくとも俺は、そいつの幸せを望まない」

 礼の心の中を綺麗な母の笑顔が過ぎった。

「黙れ・・・ 」

「でもそれは、お前が、選んだ道なんだろ」

「だまれええええええええええ! 」

 礼も一気に間合いを詰めて、空気を斬り裂くような一撃を怒りに任せて叩き込んだ。空の左腕に鍵爪が刺さり食い込み、血が吹き出した。

 しかし空の眼光の厳しい怒りは、瞬き一つしなかった。

「これが、一方を捨てたやつの力なのか? 」

 礼は動揺し、離れようとするが、食い込んだ爪は前腕の骨に引っ掛かり取れない。

「だから、何も変えることができないんだ」

 そのまま礼の言葉を返すと同時に、ゼロ距離の王打を顔面に喰らわせる。

 転びながらも、踏み止まると、礼はまた向かってくる。

「・・・黙れ。僕は・・・ 」

 必ず取り戻すと誓った。

 必ず。必ずもう一度。あの日常を。奪われた全てを。

「この手で、必ず奪い返してやる! 」

 殺意。そして硬く己に打ち込んだ業が、礼を本物のバケモノにしていった。

 理性の外れた、あの時の空のように。

 瞳は見えず白眼で、全身から体毛が吹き出し、身体を一回りも二回りも大きくした。

 大きく裂けた口のせいか笑っているように見える。

 そのまま急加速して飛んできて、打ち込んできた攻撃は、今までと比べてものにならない威力で、ガードした空を遠くまで吹っ飛ばした。

 刹那、炎上する彼の感情が、心に入り込んでいく。


 約束したんだ。

 僕が。

 僕が必ず、貴方を生き返らせる。

 

 

 

 

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