第四十一話 Joker
風が枯れ葉を巻き込んで、二人の間を流れた。
上空にはオウギワシが、緩やかに滑空する。
黒褐色の荘厳な火山岩を背にした、少し褪せたログハウスの玄関前に、男は朗らかに佇んでいた。
風音が止み、真空になった世界に、空は口を開く。
「伊都は元気か? 」
前髪が靡いて、まつ毛を摩った。
「生きてるよ。一応ね」
表情崩さぬまま、穏やかに答える。
「約束は守ったのかい? 」
「・・・いいや。みんな、ボロボロだけど、生きてるよ」
少し迷ったが、どちらも同じだと思った。
「だろうね。まぁ、分かっていたよ。・・・君に、聞いてみたいことがある」
雲ひとつない空を哀しげに見上げた。
「君には、どう見えた? この世界は。現実の世界は」
その瞳に、目の前の情景が反射する。
伊都の存在で支配されていた空に、その言葉は少し、余白を産んだ。
此処と、現実・・・ 少し考え、様々な思いを込めた。
「・・・俺には、ただそこにある世界が見えた」
青空の唸り声が響く。
「そっか。 ・・・その世界は、君にどんな景色を見せてくれたの? 」
その男の後ろから、白黒の毛並みをした、小柄な生き物が現れた。
「僕には、厳酷だったよ」
凄まじい威嚇をはじめる白黒の動物に対して、負けじとアンガーはエンジンをフル回転させた。
「伊都を、返してもらうぞ」
アンガーと空は、なんの合図も待たず同時に飛び出した。
白黒の動物も、駆け出してこちらに向かってくる。
アンガーと白黒の動物はぶつかり、抱き合って転がった。互いの身体を噛みつこうと、激しい揉み合いが始まる。空も男に近づきながら、いろいろと初手を考える。
殴る、蹴る、押す? いや優先すべきは・・・
何も動かない男の真横を、颯爽と通り過ぎた。と思いきや、そのスピードのまま男の首に腕を回し引っ掛けると、軸足を中心に回転し、遠心力で吹っ飛ばした。
「おらああああああああ! 」
一回ぶっ飛ばさなきゃ気が済まねえっての。
そしてログハウスのドアを、飛び蹴りで大破し侵入した。
「伊都おおおおおおおおお! どこだ! 」
左右を見渡す。右にはクラシックなテーブルと椅子のある綺麗なリビングが。左には廊下があり、奥に閉められている部屋があった。
無性にそこから何かを感じ取り、またそのドアを勢いよく開けた。
何一つ家具のない部屋だった。その隅に、伊都は俯いて座っていた。
「伊都! 来たぞ! 」
空の名を呟き、ゆっくりと顔を上げた伊都の顔は、見違えるものだった。
明るく、平然としたあの繕いは消え失せ、何もかもを無くしたような悲愴を描いていた。
胸に痛みが走る。心の片隅に置いていた、何食わぬ顔をしていればという僅かな願いは、その刹那、崩れ落ちた。 勝手に足は動き出し、伊都の方へ向かった。がしかし、何かにぶつかって怯んだ。
手を前に出すと、何もないはずのただの空間に触れるものがあった。そのままなぞり確かめると、見えない壁が存在していたのだ。その壁は部屋全体を覆っていて、押しても叩いても、びくともしない。
「はぁ? な、なんだよこれ。ふざけんな・・・ 」
焦りと歯痒さで、壁に額をぶつける。
すると、外からの気味の悪い笑い声が聞こえてきた。
「ぁあっはっはっはっは! やっぱり君は最高だよ! 」
倒れたまま腹を抱えて笑う男。
その男の笑い悶える全体の姿が見えた時、異常に気づいた。
家の中にいるはずが外にいたのだ。間違いなく入ったはずのログハウスは、跡形もなく一瞬にして消えて、空と伊都だけをその場に残した。
「ど、どうなってんだよ」
動揺し、辺りを見渡したが、やはり、灰色の開けた大地の中、風に煽られ立っていた。
「花時丸空。AI診断マーク数、二百以上。精神骨格レーダーチャート表、規格外の社会不適合者。現代人とかけ離れた妄想にも似た価値観のせいで、どこにも居場所を持てず、社会と共存できないと判を押された男の子」
白黒の動物の首元に噛みつき、急所を捉えていたはずのアンガー。しかし、一向に白黒の動物は弱りを見せず、むしろ激しく暴れ出し、遂には牙を逃れ、顔面に一撃、爪の斬撃を喰らわせた。
「な、なんの話してんだお前! 」
そう喋った瞬間、男は目の前にいきなり現れた。
「君は、この世界に必要ないってことだよ」
顔面に重い一撃を食らわせ、お返しと言わんばかりに吹っ飛ばした。
転がりながら体勢を整えて踏み止まった。
「痛ぇ・・・ な、なんだ、何が起こってるんだ! 」
血が流れる口元を、手首で拭う。
アンガーに目立った外傷は無かったが、必殺の首絞め噛みつきが効かなかった事に、驚きを隠せない。
「あの白黒、なんか変だぞ」
「こっちもなかなか・・・ 」
イマイチ現状が掴めず、思考を凝らす空達に、男は語りかける。
「彼はラーテル。名前はヴィア。背中の柔軟な皮膚の装甲は、肉食獣の牙であろうが通さない。神経毒に強い体質でね、コブラ等の毒蛇に噛まれても痺れるだけで効かない上、小柄で素早く、獰猛だ。ライオンが地上最大の攻撃力を持っているなら、ラーテルは地上で最大の防御力を持ってる」
「ラーテル・・・ 」
厄介だ。
アンガーでも勝てるかどうか・・・ 勝負の決め手はやっぱり結合しかない。
なんとしてもこいつを倒して、伊都の周りにある壁をぶっ壊す。
「僕は切島 礼。君たちと同い年で、九人目の参加者。とある事情でここに侵入させてもらった」
少し汚れた上着を脱ぎ、軽く畳んで脇に置いた。
「侵入。とある事情? 」
袖のボタンを開けて、まくり始めた。
「何処の誰かは知らない。けどその人たちは、僕らに争っていて欲しいんだ。争いは金を産むからね。僕らの戦いは、どこかの誰かの特になるのさ」
「なんだよそれ。全然わかんねえ。お前はそんなことの為に人殺しにでもなるつもりなのか! なんで争わなくちゃいけないんだ。今この戦いを止めれば、誰も傷つくことなんかないのに」
両方の袖をまくり終えた礼は、少し嘲る。
「それはできないんだ。君が仲間を見捨てきれないようにね。誰だって譲れないものがある。・・・だから君たちは受け入れるしかない。君たちに課せられた現実を」
礼の掌から、紅色に発光した球体が絞りでた。その工程を五回繰り返し、五つの球体を創り出すと、円を描き回りながら宙に浮かせた。
「無情に叩きつけられる現実に対してできることは結局、受け入れることだけなんだよ」
一切の笑顔が消え、手を軽く伸ばすと、球体は目で捉えられぬほどの速さで空の腹部に突撃してきた。
吐き気を催す激痛が全身を駆け巡る。重さ十キロの鉄球が時速100キロで直撃するような衝撃に、汗が噴き出し、涙と鼻水が飛び出た。他の四つの球体も続いて飛んで来ると、四方八方から体にのめり込む。
「空! 」
球体のラッシュ攻撃を防ぐ事も避けることもできず、身動きが取れない空にアンガーは叫んだ。
礼は、まるで指揮者のように手首をスナップさせながら遠隔操作する。
球体の動きを止めに入ったアンガーに間髪なく反応し、急カーブした球体が顔面を横に殴りつける。
なす術が何もなかった。
礼はそれをただひたすら繰り返した。
やがて攻撃に休符が来ると、五つの球体は礼の元に戻り、背中でまた円を描いて留まった。
ほんの一手に過ぎない攻撃。砂埃が消えた頃、手も足も出ないまま空は、虫の息と化した。
「なんてザマだよ。かっこいい事言っといてさ」
礼は涼しい顔で近づいてくる。
「僕はまだ十分の一の力も出してないよ。この調子なら万が一にも君が勝つ事はない。諦めてくれ。そして今ここを見てる大人たちに教えてあげるんだ」
朦朧とした意識を辛うじで繋ぎ止めていた空を、髪を引っ張って持ち上げた。
「もう人間は終わったってこと。だから人間であることに、拘る必要ないって」
映像を見ていた大人達は、想像の域を超える事態に絶句した。
勘九郎と拓扉も、切島の策略に肝を潰す。その拘泥に、唾を飲み込んだ。
この青年。こちらの存在も、今見ていることも知っているのか・・・
「切島、礼。・・・君の息子ですか? 」
「はい」
言葉を疑った。
静かに心拍数を上げる勘九郎。
自分の息子に何をさせているのか。どんな事をさせているのか。わかっているのか。
「もし、仮にこのままこの青年を殺せば公開殺人だ。君の息子は逮捕される」
「すぐに釈放ですよ。今後の手筈を考えてないとでも? 」
「それ以前に、自分の息子に人を殺させるなど、貴様、何を考えているんだ」
永田は怒りを堪えきれなかった。
「貴方は、口を開けば感情論ですね。人を殺した。という事実は消えるんですよ」
永田は、血が走る眼光を見せる。
「彼の心の中からも消えるのか? 」
「全く・・・ 心なんて曖昧なもの考える必要ないでしょうが! なんで貴方はいつもそんな考える意味すら疑わしいものに拘ってるんですか? 」
「心こそ、人が人たらしめているものだからだ! 」
「人の価値は知能で決まる! 人が人たらしめているのは、他の生き物より賢いことです! 心なんていうものじゃない。我々が築いてきたこの社会こそ、人を人として成り立たせているんです! 」
「ならば、その知能さえあれば心は必要ないと? 」
「ええ。要りませんね」
「人が人で無くなっても? 」
「何度言えば分かるんですか? この叡智こそ、人そのものです! 人は人のまま、より上位の存在へ進化していく」
テーブルを叩いて大喝を入れた。
「果たして本当にそう言えるかな」
永田は静かに言い返す。
「栄養食の文化が備わった火星の何十年、何百年先の未来、本当に人は人のままだろうか?」
切島は何も答えない。
「どういうことですか? 永田さん」
永田は切島をじっと睨む。
「食べることをしなくなった人間が、そのまま何十年も生きて、またその子供、その子孫を反映していく。その遺伝子には、当然、食べる事が必要なくなったという情報が徐々に刻まれていく。つまりその個体は、食べるという行為を知らぬ人間になる。考えればすぐわかる。その個体に、歯は必要なのか。舌は必要か。食道は必要か。胃は伸縮する必要があるか。長い腸が必要か? 無くても生きていけるなら、要らないものは除外されていく。切島、君が言ったんだろう。免疫力も骨強度も要らないから消えたと。強い消化器官が必要なく、歯も顎の筋力も要らなくなった人間を想像してみろ。体は痩せ細り、歯はやがて抜け落ちるだろう。口を大きく開ける必要もないのだから下顎は骨格から変化していく。むしろより使っていく機能は成長していく。脳は肥大化し、重いものもテクノロジーを使えば筋力も要らない。機械を操作する、長い手足と指先があれば良い。脳周波なら、もはや脳みそひとつあれば生きていけるんじゃないか。どうだ? ここで想像した生き物は、人の形をしているか? 何が人のまま進化していくだ。この先の未来、火星は全く生態の異なる生物が生きていく星になる! 人という生き物の進化の形が、ここで決められようとしているんだ! 一人の男の思想の元にな! 」
勘九郎は数回頷き、永田の言った問題点を素直に受け入れた。
現状、地球と火星でバラけて暮らす一家も多い。踏まえて、そういった生物としての変化が、社会的問題になるのは必至だろう。
「しかし、私も学者だ。環境に応じて進化していく流れは止められないのは分かっている。だからこそ、今一度、人の心を確かめる必要があると思うのだ。このままの流れでは、火星にやがて生まれる新人類が、道徳心を持っているとは思えない。それが意味するものは、また同じ争いを繰り返すだけじゃないのか」
滅法説得力のある言葉と、この場の誰もを気圧す風貌の人徳。
しかしそれでも、切島は顔色を変えることはなかった。
「それさえも、進歩するテクノロジーで完封する。道具は使う人次第と言いますが、環境によって人間性が変わるのなら、道具が人を変える事だってあるでしょう。どちらにせよ、もはや抗いようのない時代の流れであることは、どうやら分かって頂いているみたいですし。でもやはり、永田さん。貴方の考えでは、人間は前に進めないんです。貴方自身も、過去の栄光にすがるばかりで、何も進めていない」
冷静に言葉を並べた切島。眼鏡の奥でどんな目をしているのか。誰にもわからなかった。しかし永田だけは、怯むことなく、真っ直ぐに目を見ていた。
「・・・前に進んでないのは切島、お前だろう」
切島はゆっくり顔を上げて、永田を真正面から睨んだ。
その相貌はまるで、危険なほど危うく揺れ動く魂の炎が、火柱を立てようとするようだった。
ヴィアはアンガーの首元を噛み締めていた。苦しさにのたうち回る姿を、目の端に見る。
礼は無言のまま、動けない空の顔面を、何度も、何度も殴りつけた。
躊躇も、憐情も一切なく、ひたすら無心に。
やがて掴んでいた髪の毛を離し、横にした。
「空君。君の人生はいつも、大切な人が苦しむのを見ているしかなかったね。ただただ隣で見ていることしかできなかったね。それでも世界は容赦しなくて、理解してくれる人もいなくて、世の中は君を見放し、独りにした。誰に救われることなく生きてきた。君は、その社会不適合な精神故に、自分を守ることもできない。誰かに助けを求めることも出来ない。本当、つくづく同情するよ。でも君は何故か、人に優しく寄り添おうとする。誰かの悲しみを見過ごせない。なんで? 世界はいつも、君を苦しめて来たじゃない。そうしていればいつか、誰かが君を助けてくれるとでも? また誰かにそうしてくれるかもって? 無駄だよ。もう分かってるくせに。いつまで君は、世の中に期待し続けている」
虚な目をした空の隣に疲れて座った。地面には血が撒き散らされている。
「君に足りなかったのは、捨てる覚悟だよ。世界が美しく、優しいものだと思い込み過ぎていた君は、現実と理想のギャップに深く絶望した。でも諦めきれなかった。だからどんなに冷たい社会の波に飲まれても、人はそうあるべきだという、くだらない理想論を捨てきれない。自分だけは違う。自分だけは優しい人でいよう。人に優しく。自分に厳しく。馬鹿だな。誰もそんな生き方しないよ。皆自分が楽に生きたいだけ。でも君には、それが出来ない。何も捨てる事が出来なかったから、何も叶える事が出来なかったんだよ。
・・・君と僕は、そこだけが違ったんだ」
また頭を引っ張り、伸びた首に、高音を響かせながら、超高速で円状に回転する球体が近づいて来る。球体は残像を残し、綺麗な円を描いている。
「だから君は、何も変えることが出来なかった」
消えかけた意識の中でも、礼の言葉は胸の中を騒ぎ立てた。
「君は、弱かったんだ」
心が陽の届かない深海に沈み込んでいった。傷つき、壊れ、絶望したあの日々が、脳裏を支配していく。
その通りだ。勝手に勘違いした。世界は、優しいものだって。だから、おかしいのは世界だと思った。
なんで、誰も助けようとしない。
なんで、知らんふりをするんだ。
苦しんでいる人がいても、自分本位に簡単に片付ける。
誰に知られることもなかった誰かの苦しみや悲しみは、どこかに消えるしか無くなった。
助け合いだといったじゃないか。
思いやりだといったじゃないか。
そう信じていた。それだけなのに。
子供だったんだ。結局。
現実でも、ここでも、俺は何一つ、捨てることが出来なかった。だから目の前の出来事を、何も、変えることは出来なかった。
こいつが言った通り、四人殺していれば、四人は助かったのかな。
伊都を放っておけば、みんなでまた楽しく暮らせたのかな。
馬鹿だなぁ俺。なに考えてんだ今さら。
分かってたじゃねえか。自分のことは、自分が一番。
分かってたから、必死になってた。
弱かったから・・・
だからずっと。
力が入らず、目蓋が落ちてきた時、声が聞こえた。
「空は・・・弱くない! 」
声帯の締まりを無視して、アンガーは叫ぶ。
「何も捨てなかったから・・・ オイラは救われたんだ! 」
尻尾を掴む空の手の温もり。
暖かい膝の上で頭を撫でる、空の優しい微笑みが。
何度も、何度も、何度も、何度も。
あの時も、あの時も。あの時も。
「何も・・・捨てないでいてくれたから、オイラは・・・戦えたんだ」
力強く、立ち上がった。
あの日の、大きなボロボロの背中。
背負われた、苦しみも悲しみも、怒りも憎しみも。
ほんの少しの喜びと、穏やかな日々も。
君が全部、一緒に分かち合ってくれたから。
「何もかも背負っていく強さを、教えてくれたんだ! 」
ヴィアの強靭な顎を振り払い、凄まじい咆哮を叩きつけ、追い払う。
涙ぐんだ空の瞳に、生気が戻る。共鳴した身体に、力が漲った。
爆発する思いの炎が、雄叫びを轟かせる。同時に、礼の下顎に、強烈なアッパーカットを振り抜いた。
「し、死にぞこないがあああ! 」
礼がまた球体を操ろうとした瞬間、空は礼の背後にしがみついた。背後に球体を向かわせる度に、空は礼を前に向かせて身を守る。
「自分ごとくらいやがれ! 」
遂にはその一つを、礼の太腿に直撃させる事に成功した。
礼はいきなり瞬間移動し、距離を取った。少し屈んで、痛めた足を抑える。
「良くやるよ本当。・・・なんでこの女為に、そこまで必死になる? 他の奴らはどうせ途中で投げ出したんだろ! 」
「あいつらがどうしようが関係ねえんだよ・・・ 俺は俺の為にやってんだ」
折れた腕と脇腹、足が痛み、立ち上がることは出来なかった。しかし眼光だけは、眩く尖っている。
「勘違いするなよ、俺はヒーローじゃない。間違えてばかりで、失ってばかりで、傷ついて、傷つけてばかりで、お前が言う通り、世界にとって要らない存在なのかもしれない。それでも・・・ それでも、何もなかった俺に、戦う理由をくれた奴がいた」
アンガーは、いつものように凛として構える。
「何もなかった俺に、ついてきてくれる奴がいた」
肩に優しく手が掛かる。
気づけば隣に、勝平や総司、みんなが来ていた。肩に手を回し、ルルと勝平に支えられて立ち上がった。
「俺が俺として生きてきた時間は、それでも・・・ 意味はあった」
支えてくれた二人の力強さが、空の心を揺さぶった。
妙に暖かくて。優しくて。
痛みによく沁みて、涙が溢れて止まらなかった。
「俺は、これからもこうやって生きていく。たとえ何も救う事が出来なくても、やっぱり、何も置いて行きはしない」
一行は少し微笑むと、それぞれ語り出した。
「ごめんね。空くん。私、どうかしてた」
「私は余計なお世話に生かされました。今度は私が返す番です」
「空さんにずっとついて行く。そう言いましたよね? 」
「お前にはやっぱり、何かある」
「空っちが命かけるなら、ウチも、かけても後悔しない」
「凄えよ。お前。俺も、負けてらんねえから」
空は涙を拭って大声で叫んだ。
「聴いてるか伊都! 今行くから、もうちょっと待ってろよ! 」
礼は、ピクピクと震えると、怒りを顕にする。
「偽善者どもが・・・ もういい。後悔するなよ」
「言っとくけどな、全力出してねえのはこっちも同じだ」
快晴の大空に太陽は花のように咲いた。
一呼吸、ゆっくりと吐いて、目を閉じた。
心の水面の波を消して唱える。
アンガー。いくぞ。
非常に穏やかな気持ちのまま結合が始まった。
髪の毛は真っ白に変色し、王の鬣を形成していく。鼻は黒くなり濡れた。犬歯が伸びて、身体も大きく膨れ上がる。
ゆっくりと見開いた瞳は、黄金に輝き、強くも恐ろしい、王者の覇気を放った。
自我ははっきりしている。以前のような開放的な気持ちではなかった。
ちゃんと見えた。世界も、身体も、みんなの顔も。
「なんか、変な感じ・・・ あれ俺喋ってる? 」
「そうか、初めてでしたね。5/5 は」
柊はすらっとした腕と指先を、ミラの鼻先に向け、結合をはじめた。
鮮やかな緑色に全身が光ると、手や胴体は細長く、髪は逆立って膨らんだ。口が大きく裂けて、瞳孔が爬虫類の縦長のそれになると、太くて長い蛇の下半身を雄大にうねらせる。
「このように動物と人間の影響力が半分ずつの状態が5/5」
「お前はいつもアンガーの力に影響され過ぎていた。8/2くらいか。フェイト」
「御意! 」
フェイトは総司の背中に飛び込むんだ。吸い込まれるように入ると、銀色の光と共に、変態していく。元々細身で長身の総司の筋肉量が、中肉に増える。
足は獣脚となり、尾は剛毛をそのままに広がった。背中越しにこちらを振り返る総司の目は優しいままだった。
「私たちもいくよ。プレア」
「終わったらなんか食べれるだか? 」
「そりゃたんまりと」
声色を変えてプレアは、真面目な顔をした。
「ふん、さっさと終わらせようぜ」
茜色に発光した慧茉の体は、小さくなってプレアの胸の中に、入り込んだ。
凄惨な雄叫びを上げて巨大化していくプレアが日本足で立つと、十メートル以上の木々を頭ひとつ抜いて立ち上がった。
慧茉のヘアースタイルであるツーブロックが、あくまでも自然な毛並みにのように巨大な獣の頭に反映される。
「ありゃなんなんだよ」
「あれは・・・なんでしょうね。回を重ねるたびに巨大化してますね」
「あの大きさが、慧茉の強さの象徴なんだろう」
「じゃあみんなデカくなるようイメージすりゃいいのか? 」
「そのイメージができれば、そう難しくはないんですけどね」
峯呂は、首や腕を伸ばし、指の骨を鳴らした。
「おぉ、お前らかっけえな! だが俺たちも負けてねえぜ? ヤマ! 序盤から一気に叩くぞ」
「オーケー。ぶちのめしてやる」
ヤマから分解していく電子の細胞は、電気を纏いバチバチとスパークする。
それらは全て峯呂の体に刺さるように吸収されていき、ヤマ本体であろう大きな雷が、雷鳴と共に頭上から落ちて入った。
金髪だった峯呂の髪は黒いアッシュが混じり、筋骨は空とアンガーに劣らないくらい盛り上がった。四肢には、虎模様が浮き出て、獣脚に。尻尾は長くしなやかに伸びた。
結合完了した峯呂の身体からは、スパークが、散り散りと飛びてては消えていく。
瞳孔は小さくなり、戦闘態勢に入った格闘家の、異常な集中力とその周波が、場の空気を締める。
「みんな器用に結合するね。当たり前にできることじゃないはずなんだけど」
礼は球体を頭上高く、弧を描いて停止させた。そして強く光出すと顫動しはじめる。
「この球体は、コマンドのショートカット。発動させれば、固有の効力を発する」
柊は瞬時に理解する。
「なるほど。皆さん、あれがあの男の能力源です。あれを破壊しましょう」
「ひとつ目は、自身への付加力。テレポート、状態回復」
礼は体の受けた傷を瞬時に回復させ、何事もなかったかのように真っ直ぐに立った。
「二つ目は、監視、連絡。君たちの動きも様子も、WCPOのサーバーに繋がったこの中のシーケンスで閲覧可能。性格や経歴も全部見させてもらったよ」
球体から投影される画面に、データらしい文字が映る。
「そして、創造」
三つ目の球体がどんよりと鈍く光った途端に、礼の隣に突如出現したのは、禍々しい風貌の戦車だった。
「M1エイブラムス。数十年前に主力だった兵器。他にもアルマータ、チャレンジャー、ブラックパンサー、ヒトマルシキ・・・ 」
次々に出現する戦車に、固唾を飲み込む一行。地面が重量で揺れるたびに、動揺を誘われる。
「戦車だけに限らないよ。予め保存しているオブジェクトは、この仮想空間の許容上限まで配置できる」
今度は五十人程の塊の軍隊を何隊も出現させた。人形のように銃口を上に向けて停止して整列している。その数ざっと三百人以上。
「環境変化」
強風が大木を薙ぎ倒した。天気は特に変わった様子はなく、巻雲すらないも関わらず、いきなり針のような豪雨が身を濡らした。一部遠くで落雷も見える。
「まぁ、起こすってだけでピンポイントで合わせれるわけじゃないから、あんまり使えないんだけどね。・・・でも」
礼のはるか背後に聳え立つ火山が、爆音を響かせた。
荘厳に力強さを醸し出した黒煙が、青空を塗りつぶしていく。そして赤黒く輝いた溶岩が、火口からはみ出たのが見えた。
恐らく何百メートルは離れてはいるが、その麓には、見えない壁に閉じ込められた伊都が居る。
「人間一人くらいは確実に殺せる。さぁどうする、時間少ないぞ」
礼はシャツのボタンをゆっくりと開ける。
「焼き死ぬのは見るのもされるのも耐えがたいだろうね。それも全部、君があの子を生かしたからだ」
「全部、守り抜いてみせる」
「証明してみせてよ」
ヴィアは礼の肩に飛び乗った。
粉雪の様に体を溶かしていき、舞い落ちた部分から結合していく。
髪は父の様にオールバックになり、真ん中は首から背中にかけて、ラーテルの毛並みである白色に変化した。口元も大きく裂けて、牙が口から漏れる。手足は黒くなり、鋭い鉤爪が伸び、筋肉が中量になりシャツが張ると、襟が立ち、怪しく尖った。
「この代理戦争で、どこまでそれが通用するか」
礼は消えたかと思うと、衝突音だけが先に聞こえた。
真横まで来て、結合できない勝平とルルを吹っ飛ばしたらしい。そして、気付けばもといた場所に立っていた。
「僕は、時代の秒針を進ませる、」
血濡れた指先で小鼻を触り、赤く染めた。
「切札」
五つの球体を、意のままにジャグリングする。不気味に微笑む顔には血の滲む赤鼻が目立つ。細長い指の一つ一つに力を入れて、奇怪な咆哮をあげる礼。
その姿はまさに、道化師。
狂人だった。




