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Waves Tones 【ウェイブストーンズ】  作者: 海月 恒


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第三十六話  心酔


 決着は一瞬だった。

 峯呂の数発の攻撃に微動だにしなかった慧茉の重い一撃が、軽々と峯呂を地面にのめり込ませた。

 数分立っても出て来なかった為、ぐったりとした峯呂を引っ張り上げて家へと運ぶと、空とルルは居残りメンバーに後のことを任せて、モリ付きへと向かった。

「いいの? また勝負かけるかもよ? 」

「大丈夫だろ。あんなにナメくさって勝負かけて、女の子に一撃で沈められたんだ。プライドが砕け散って、恥ずかしくて顔上んねーよ」

 磯の辺りまで着き、ルルは首にぶら下がった細い銀の笛で、ラックを呼ぶ。

「慧茉っちパねぇ・・・ まぁ、そういう時は一番見られたく無いだわさー。ウチもよくわかるわ。てかでも、そんな強い慧茉っちに、空はどうやって勝ったわけ? 」

「え? あぁ・・・ なんかブチギレててなんか、こう、それも恥ずかしくて言いたくないな。女の子に男がマジギレしてたって・・・ 」

「ワロタ。そりゃあいけませんえ空さん。女の子には優しくしないと〜 」

 悪戯な顔で肩を二回突いた。

「そうだよなぁ。反省反省・・・ 」

「素直でヨロシイ」

「おおおおおい! またオレッチの女取ろうとしてんだろおお! 」

 大きな波とともに、ラックは元気に飛び跳ねると、やはりルルの近くにいる男には罵声を飛ばしてきた。

 その後、ルルのスポーン地点である海底洞窟に向かう為、二人はラックの背中に乗り、洞窟を目指し沖へ行った。

 しかし途中で空だけを振り落とすと、尾鰭に捕まらせて、引きずって泳いで行ったのだった。

 



「俺負けた? まじ・・・ 」

 薄暗い部屋の中、峯呂は皆に見守れられて目覚めた。

 青ざめた顔で起き上がると、絵に書いたように膝を着いて落胆した。無言のまま時間が経ったが、峯呂の動揺は治らない。

 そして何事も無かったかのように縫い物をする慧茉に対して、口が動いた。

「な、なんでだ・・・ あんだけデカけりゃ、スピードが落ちて当然のはずだ! 」

「別にデカくないよ? 私とプレアからすれば、普通だけど」

「だ、だとしても! 物理的におかしいだろ! 」

「うーん。そう言われてもなぁ・・・ 」

「何らおかしくありません。何故なら、彼女らは、貴方より速いからです」

 柊は角で本を読みながら冷静に返す。

「俺は見てた! 初動も、動きの軌道も見えていたんだ! でも避けれなかった! 」

「ちゃんと観てなかったんですよ」

 目もくれぬ柊に、峯呂は苛立ちを覚える。

「じゃ・・・ お前には見えるってのか? 」

 立ち上がり、柊に近寄った。

「おい。もう終わっただろう」

 近くで見ていた総司が峯呂の腕を掴み抑える。

「うるせえな・・・ てめぇは黙ってろや!  」

 怒りに駆られ、総司の胸ぐらを掴んだ。

 そのとき、死角から峯呂の顔面を、思い切り勝平が殴りつけた。

「お前いい加減にしろよ。それでも格闘家かよ」

「てめぇに何がわかんだよ! 」

「もーうるさい! 」

 柊と同じく本を読んでいた伊都は呆れて外へ出ていった。

 沈黙が少し続き、柊が本を閉じて口を開く。

「はぁ・・・ 大きな物体が、遅く動いているというのは間違いです。速度は紛れもなく、貴方の動きより速いんですよ。確かに、我々の目には遅く見えます。ですが、そう見えるだけなんですよ。相対速度です。わかりやく言いましょうか? 貴方は地球の動きが遅いと思っているでしょうが、実際は二十四時間で四万キロ動いています。貴方は一時間で、千七百キロメール走れますか? 新幹線でも一時間で三百キロくらいです。無理でしょう? そういう事です」

 言葉を無情に並べる柊。故に細かく分解された意図が、簡単に峯呂に浸透した。

「まぁ、現実の物理ではそうです。しかし忘れてはいけないのは、ここは現実じゃないということ」

 立ち竦んだまま、峯呂は動かなかった。

「あいつは・・・ あいつは勝ったのか? 」

 裁縫の手を止めて、慧茉は遠くを見るような目をして話す。

「そうだね・・・ 空は、特別だもん。きっと比べられることじゃない」

 清々しくそう言うと、少し笑ってまた裁縫を続けた。

 歯を食いしばり、座り込んだ峯呂。

 少し考え込んだ後、自身の頬を強く叩いて、顔を振った。

「負けた! 俺の、負けだ・・・ 初めて負けちまった。でもいつか! 双田さんを倒して、あのリーダーをも倒す! 」

 瞳を燃やして、拳を掲げた。

「調子いいよなぁほんとおまえ」

 勝平はそう言うと、また薪を焼べた。

 同じ頃、同じような話が、外の動物組の小屋で行われたのだろう。

 小さな黒い虎もまた、同じような目を輝かせていた。

 

 


 海底洞窟の真上に辿り着いた空とルル。

 先程のラックの悪戯に、息継ぎが出来ずに死を覚悟した空は、むせて溺れかけ、ルルに体を浮かせてもらっていた。

「ゴッホオオオオ! ウェエエ! 死ぬううう! はああ苦しい! 」

「落ち着いて! 大丈夫大丈夫! ラック! やりすぎまじで! 」

 空の背中を弾くように叩いた。

「ウチみたいに上手に泳げる人間ばっかじゃないんだよ!?」

「うぅ・・・ 」

 少し反省したのか、顔を水中に隠した。

 空は徐々に呼吸が安定してきたが、ルルの腕をしっかり握ったまま離さない。

「どう? 落ち着いた? ゆっくり大きく息するんだよ? 」

「はぁ、はぁ。お、おれ、こんなに海が怖くなったの初めてだ。ちょっと、やべえかも」

 水温は冷たく、体が重い。

 気管に水が詰まった違和感が続き、危険と緊張を伝心するよう鼓動は大きく早く脈を打った。

 夜の沖合いは、どこを見ても真っ暗で、ルルの顔も、薄らとしか見えない。

 もちろん足場は全くなく、なんとか体を持ち上げようと、バタバタと足を動かすが、落下するように沈み込む。そこではルルの腕だけが形あるもので、命綱だった。

 月明かりで海面が照らされているおかげて、僅かに波の高さが分かるのだが、それもまた今の空にはパニックになる要因となり得た。

「やべえやべえ・・・ ちょ、絶対離すなよ? うわまたきた! 」

 頭上を軽々と超える大波に飲み込まれ、視界を遮り微かな光すら奪っていく。

 次第に水の中にいるのか、いないのか分からなくなり、体内に足りない酸素を求めて、全身が身勝手に動き回った。

「空! 落ち着いて! 」

「はぁ、はぁ! うわああまたきたあああ! 」

 波が頭を押し込むように海水に沈み込ませる。

 沈んだ海の中で、水を怖がってもがく空の表情に、ルルは昔の自分が重ねた。

 四方八方からの荒波に揉まれ、上か下わからない水の中。

 苦悶する空の頬に手を添えて、ルルは空にキスをした。

 訳がわからずもがいていた空の動きが、ゆっくりになり、完全に停止する。

 目を閉じていて何が起こっているのか分からない空が感じていることは、何故か分からないが、息の苦しさが薄れていったことだけだった。

 空は無意識に、その苦しさが薄れる何かを、何かから夢中で吸い取とった。

 波が去り海面に頭を出して目を開けた時、空はやっと理解した。

 ルルの高い鼻先が、頬に触れる感触。

 肝心な唇の感触は、イマイチ覚えていなかった。

「落ち着いた? 」

 空は今のことを整理しようとすると、恥ずかしくてまた慌てふためきそうだったが、貰った息のおかげか、冷静さを保った。

「ああ、うん。ごめん。なんか」

「ううん」

 男女関係に強いルルでも、流石に少し頬を赤くした。

「ウチも昔、海で溺れてさ、兄貴がそうしてくれたことがあったんだよね」

「そうだったのか。ほんと、足引っ張っちゃってごめん。おかげでもう大丈夫だから」

「じゃ、じゃなきゃ困るっての! 頼むぜリーダー」

 ルルがいつもの調子に少し雑に切り替えると、空もそれに乗っかり、気まずさを払拭した。

「こっから真下に五十メートルくらいかなぁ。そこにあんだよね」

「五十メートル? え、五十メートル? 息止めたまんまいかなきゃいけないんだよな? 」

「そそ。まぁラックに連れて行ってもらうから楽勝だけど、問題は耳抜き。できる? 」

「待て待て。楽勝じゃねえよ! どんくらい息止めとけばいいんだ? 」

「んー、私がやって多分一分かからないから・・・ 三十秒くらいじゃね? 大丈夫! 」

「そ、それならなんとか・・・ 」

「大事なのは耳抜きだよ? いい? 耳が痛くなってきたら、唾を飲み込んで耳管を開いて空気を通すの。じゃないと鼓膜が破れてまたパニックになったら水飲んで、今度こそ死んじゃうからね? 」

「怖えよ! 耳管ってなんだよ! 」

「じゃあいくよー? 」

「ちょっちょっとまて! 」

「はい! 黙って! 大きく深呼吸をして下さーい」

 目の前で模範をやって見せるルル。

 仕方なく真似をして言葉を肺に留める。

「いい? 酸素を多く取り込む呼吸方は、細かく細かく息をすって吐いてを繰り返すの。肺胞の一つ一つに酸素が行き渡るようイメージしてね? 」

 ルルはまるで過呼吸のような、または走って息切れした後のような呼吸をはじめた。

「ほ、ほんとにそんなんで・・・ 」

「し! し! 早く真似して! 誰の為にやってるとおもってんの! 」

 言われるがまま、疑心を飲み込みまた真似をした。

 しかし確かに、やっていくうちに、肺が軽くなっていった。イメージでは肺が二倍くらいの大きさまで膨らんでいるようにも感じる。それでいて、膨らみが苦しく無いのだ。

「そうそうその調子。徐徐にゆっくりになって・・・ ハイ止めて! いくよ! 」

 ルルはそういうと空の手を取って、ラックの背鰭を掴むと、尋常ではないGによって海中にひきづり込まれた。

 真っ暗で何も見えない為、いっそ目を瞑った。

 このルルの手を放さぬ限り、俺はきっと生きている。

 水が髪を流れる感触が、流れるというよりは擦れるような感覚に変わり、その速度を実感する。

 違和感がやってきたのはすぐで、誰かに両耳の穴に指を突っ込まれていると思った。

 そしてまたすぐに違和感を強め、鼓膜を潰す勢いへと変わっていった。

 それは耳だけでなく、身体中と肺、内臓をも締め付ける。

 これか! 痛くなってきた!

 唾を飲み込むんだな?

 今までの人生で、これほどまで唾を飲み込むことに集中したことはない。

 ただ単に、唾を飲み込んだだけなのだが、意識しすぎて妙に飲み込みの感じがいつもと違ったので、怖くなり、何度も何度も飲み込み続けた。

 痛みは消えた! 内臓の圧迫にも慣れた! 後は息が持つか。 

 しっかり握っとこ。離れたら今度こそ死ぬわ。

 必死で食らい付いた。

 まだかまだかと水中から出るその時を待つ。

 ラックの進みが早さに緩急がつきはじめ、体を引っ張る方向が繊細に調整された。

 そして思ったより早くその時はやってきた。

 ルルが背中を叩いて合図する。

「ぷはあああああ! いけた? おれ生きてる?  」

 空は顔を拭って、目を開けた。

 そこにはピンクのランタンがひとつだけ光る、球状の洞窟のだった。

「はぁーよかった。ウチの指導のおかげっすね! とりまあがろー」

 二人は洞窟へ上がり、あたりを見渡す。

「ここが海底洞窟。静かだな」

 岩の色は黒色で、岩肌は小さなクレーターが無数にあり、岩角は丸みを帯びている。

 ランタンは色を黄色や赤、青から紫へと変色しながら発光している。しかしどれも鮮やかな優しい光で、長く見ても嫌にならない。

 岩の陰影と、控えめなカラフルが織りなす空間は、ロマンチックでありながらも、温もりに溢れていた。

「付けたままいったのか? 電池切れないの? 」

「ああこれね、水がエネルギーになるんだよ」

「ほええ、すっげぇ」

 見かけは普通の電池式ランタンだが、芯の部分にキャップがあり、そこに水を入れるらしい。

「よし! 道具はあったよ! とっとと魚取りいこうぜ? 」

「もういいのか? 」

「夜更かしは美容の天敵なんですー。 さっさと落ちたい」

 返りのついたお手製の木のモリと、水中眼鏡。海底で拾ったという果物ナイフを持ち、ルルは準備完了。

 空はランタン係として、後ろから照らすことに専念する。

「どれくらい取れるかな」

「ウチは最高で四十匹取ったよ」

「す、すげえ。全然一人で生きていけるじゃん」

「まあーねー? でも、それは空だって同じでしょ? 」

 ルルの凛とした顔付きに、影はなかった。

「まぁ、・・・そうかも」

 自信を無くしやすい空にとって、その言葉はとても嬉しかった。

 自分の力を認めてくれてる気がした。

「じゃあ取るのは任せていいのか? 俺メガネないし、特に何にもできないけど」

「任せとけ! ラックに捕まってランタンだけ持ってて、捕まえた魚はこのヒモに通していくの」

「わかった」

「おい、オスのニンゲン」

 洞窟入口の水辺からラックが話しかける。

「・・・さっきは、ごめん」

「あ、いいよ! 俺が泳ぐの下手だっただけだ」

「怒らないのか? 」

「そうよ。空だってちょっとは怒っていいんだよ? 」

「いやぁ、なんか基本的に俺怒れないからさぁ・・・ 」

 これまでの戦いが頭を過ぎった。

 ・・・どこが?

「いや、やっぱ・・・ ま、とにかく! 俺たちの都合でラックには手伝ってもらってるしさ。それになんか、悪気ないっていうか。・・・ ルルのこと、ほんと特別に思ってんだなぁって思ったよ」

 そこまで嫌気がしなかったのはたぶん、戯れの中にどこか愛情があったからなんだ。

 嫉妬してるだけなんだよな。

 ラックは少し考えると、

「名前、教えろよ」

 照れくさそうに水面に顔を隠して言った。

 動物ならではの純粋さに、空は自然と笑った。

「俺は花時丸空。空って呼んでくれ」

「クウ。か。・・・ッヘ! オレッチの女は渡さねえからな! それとこれとは別だぞ! 」

 完全に調子を取り戻す戻すラック。それもまた愛おしく、空は微笑んで返した。

「ああ、わかったよ。だったら、嫌われないように、しっかりしろよ? 」

「わぁーってるよ! ガッテンだぁ! 」

 ルルも優しく微笑んだ。

「頼もしいでしょ? ウチのカレシ」

「そうだな。ちょっと魚臭いけど」

 二人だけの世界だった海底。

 ランタンを動かすと、洞窟は全く別の顔を見せる。

 家は、人が消えると一気に歳を取ってしまうことを、感じた瞬間だった。

 暖かな生き物の温もりや、世界で一番心が安らいた時間が、痕跡だけを残して、灰になるように。

 淋しそうな顔をするルルに、笑顔を見せる。

「いつでも、帰ってきていいさ」

 心に開いた風穴の疼きを撫で、ランタンの光は海へ旅立った。

 

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