第三十話 建築
思えば私は、何かに夢中になったことなんてなかった。
与えられたものの中でただ生きてきた。
まるで、流れるプールでずっと流れ続けるような。そんな人生。
そこが妙に心地よくて、手を動かして泳ぐことさえもしなかった。
消毒液入りの水が流れる大きな桶に浮かんだまま、ずっと空を眺めていたんだ。
ある日、また流れていたら、必死で流れに逆らって歩く男の子を過ぎた。
不思議に思い、じっと観察した。どうやら男の子は底に落としてしまったコインを拾おうとしているらしい。
「諦めなよ。たったの一枚じゃない」
うなだれた口調で男の子にそう言った。
「ダメだよ! 大切なものなんだ」
「どうして? 」
「ばあちゃんがくれたお小遣いなんだ」
「ばあちゃんはまた新しいお小遣いくれるよ」
「ダメだよ・・・ そんなにもらっちゃあ・・・ 」
なんて優しい男の子なんだろう。必死に水を漕ぐ真剣な男の子に、なんとなく魅了された。
「ちくしょう。あいつら・・・ 」
男の子の視線の先には、いかにも悪ガキ面したふくよかな体型の男の子と、その連れが、こちらをみて嘲笑い、悠々と怠慢な腹を浮かせて流れる。
よくあることだ。そう一瞬で片付けた。
「でも、もう疲れるでしょう。そんなに無理しなくても、ばあちゃんは怒らないから」
そう—
流れには逆らわず、あるものの中で生きていく方が良いのだ。
世の中にはルールがある。
時の流れ。
弱肉強食。
覆せないものがあるのだ。逆らえば怪我をする。
せめてこの男の子には、そんな痛い目にはあって欲しくない。
「何言ってんだ姉ちゃん」
男の子は泳ぐのをやめて、流れをもろともせずに立ち止まった。
「ばあちゃんは関係ない。俺が、気に食わないからやってんだ」
怒りを燃やす男の子の気迫で空気が変わる。
「こんなことで一円たりともなくしてたまるか! 絶対取り戻す! 」
美しい情熱に温められ、心が湧き上がるような感覚を覚えた。
「どうして? なんでそこまでして取り戻したいの? 」
男の子はニヤリと笑って、睨みの効いた瞳を光らせる。
「どんな流れがあろうが、俺は、自分のルールだけには絶対逆らえないのさ! 」
男の子は勢いよく飛び込んだ。コインめがけて、腕を回転させる。
激しい水飛沫をあげ、グングン体の動きが早くなっていく。
「うおおおおボボボボ! 」
顔が水に浸かる度に、声が泡に変化した。
何を感じているの? 私。
この胸の高鳴りは一体・・・
強く締め付けられるようで、解放されていくような感覚。それはあらゆる思いを絞り出し、飛び走る水飛沫に映った。
そうだ。私も、頑張らなきゃ。
私も、こんな風に生きていなければ・・・
あんなふくよかな体型になってしまう!
底に足をついて、水をかいて進みはじめた。
そうだ。私は、あの子みたいに何か熱い思いがあるわけでもない。
ならばせめて、歌を送ろう。
自分らしく生きようとしている人の背中を強く推せる歌を唄うんだ!
そう。
この日、私は自分の夢を見つけた。
最高のロックシンガーになると。
シンバル、スネアドラムからはじまり、激しくもストレートにキャッチーなエレキギターのコード信仰が心地よい、一度聞けば頭から離れないような曲が流れた。
「え、なにこれ」
前奏が終わり、女の子の歌が入った。
木の陰から、魚をマイク代わりにして歌う慧茉が身振り手振りをして歩いてくる。後ろには大きな荷物を背負った熊がヨタヨタ歩いてくる。
「こーこーろのまま、歩いて行けば幸せに終われるなら、誰も間違ったりしないーけーど、」
漂流物であろう腐敗したテニスラケットをギター代わりに、何故か柊が弾いている。
「えなんでお前も・・・」
「どーせ苦しんで、ぼろぼろになって、消えてしーまーうのーなら、どれだけ不安でもいい。ゆーっくりでいい。歩いていこおおおおお」
サビが終わったらしく、また伴奏に入った。
空と勝平は、呆気にとられただ眺めていた。
総司は、そっぽを向いていながらも、つま先だけはしっかりリズムを取っていた。
「それ止めろ! 」
勝平は持っていた枝をぶん投げてツッコむ。
伴奏が最後のシンバル叩くと、決めのポーズをしっかり取った。
「はぁあもう疲れたダー」
熊は滑るように腹這いになった。
音が止まり、静かになった家の前の森で、沈黙の風が流れる。
「・・・なんだこれ」
新たな入群の儀式は、静かな終わりを迎えた。
「改めまして双田慧茉と言います。この子はプレア。ヒグマの子ども」
「これでもまだ子どもなのかよ」
勝平は寝そべった熊を小枝で突つく。
「腹減っただー」
「ほらプレア、もうすぐじゃない。あそこの家まで頑張ってよ。そしたら魚あげるから」
「仕方ないだぁ」
ふくよかにこもった声を漏らして、プレアはのしのしと歩いた。
慧茉も荷物を積み降ろし、マイク代わりにしていた魚をプレアに投げると、一行と家の前の地面や石に座った。
「結構遠かったのか? 」
「えっと・・・ まぁそれなりに。向こうの森を超えたずーっと先に、ここよりちょっと寒いけど似たような場所があるの。そこの洞窟に住んでた」
空の問いに、少し緊張を見せながらも答えた。
「飯はどうしてたんだ? 」
勝平は地面に足を広げて座っている。
「ほとんどはプレアが川で魚を取ってくれたの。でも私火起こしが苦手だから、運良く火がついた時しか食べられなくて。火もすぐ消えちゃうし」
「そっか。まぁあんまりうちとかわんねえな」
「変わるよ! 家があるのは全然違う! 」
「なんで? 」
空が聞くと、皆俯いて言った。
「虫・・・ 」
「また虫かよ」
「空さん。虫は、ヤバイっすよ」
「分かったよ! 」
慧茉は、身長百五十センチ程の小柄で、体重は四十キロもあるのかわからない。
斜めに線が入ったデザインのワンピースは少し短めで、スネから足先までは色白の肌と泥が見える。
ショートヘアの黒髪がよく似合う卵型の輪郭で、目はくっきりと大きい。
片側だけ髪を耳にかけて、ツーブロックが覗く。耳たぶには爪のような形のピアスが揺れている。
どうやらロックが好きなのは、確かみたいだ。
「そういや、やけに服が綺麗だな。てか動きにくいだろそれ」
「ああ、あたし裁縫できるから、拾ったもの集めて自分で作ってるの」
慧茉はそういうと、木のカゴから機械を取り出して見せた。
「アタシのアイテム。ミシンだったの」
白いプラスチック製のそれに電源コードはない。普段家には充電パッドが床下に敷いてある為、電源無しで、どこでもできるように改良してある。
「おお! すげえな! 」
「家みたいに電気ないはずなんだけど、なぜか普通に動くのよ。たぶんそこはどこでもできる設定にしたんだろうね」
「すっげ! 俺の膝直してくれよ! 」
勝平ははいているズボンの穴をほじった。
「なにか替えの服はある? 」
「ああ、うちは服には強いぜ」
空はドアをあけ、家の隅に寄せていた大量の服の山を見せる。
「すっごい! 」
慧茉は目を輝かせて飛ぶよう家に上がり、服を拝見した。
「家庭的な奴だなぁ」
「どうよ総司、お前ああいうタイプに弱いじゃねえのか? 」
勝平は猫のような目をして総司の肩に肘を乗せた。
「・・・ 悪くない」
「もういいですか? 動物組の家作らなきゃいけないんで。自慢話もそこそこにしてください」
談笑も束の間、午後過ぎの黄緑にボヤける森に、柊は不満気に一人で行ってしまった。
「なんだ? 怒ってんのかあいつ」
「なんだろな」
「おい総司、お前またなんかやっただろ」
柊の背中を見つめながら、空はいろいろ思考を回したが、特に気に止めることはないと思った。
「柊の言う通りだ。さっさと作らないと、あいつらにまたうるさく言われるからな! 」
「そっすね! 」
「慧茉、一緒に生活するからには、色々と協力してもらいたい。頑張ろうな! 」
「うん! 」
慧茉はしっかりと意思の感じられる返事を返した。
柊の後を追って、一行は森の中へ向かった。
「どうやって木を倒すか、だよな」
「そうっすねぇ。プレアに倒してもらえないっすかね」
「無理だよ〜。流石にヒグマでも。第一やる気が少ない子だから・・・」
何度も歩いた草の倒れた道を一行は進んだ。木漏れ日が一つ、また一つと顔に当たる。
「化け物になって・・・ 叩き折るのはどうだろう」
総司は戸惑いながら言う。
「あ、あぁ。それならいける・・・かも。てかそもそもどうやってやってるんだあれ」
「俺はまだなっことないから分からないんすよねぇ」
「俺は、なんていうか、感情・・・ 怒りとか、そういうもので一杯になった時にふとなってるけどさ、総司と慧茉は、戦う前からなってることになるけど、どうやってるんだ? 」
「・・・ 俺があの男に教えてもらったのは、目的と共振。つまり、同じ目的を共有した上で、それに対する思いが、どっちも同じくらい強くなくてはいけないということ」
「難しそうだな・・・ 」
「私もそう教わったよ。例えば、敵を倒したい。と強く思い込むとして、動物もそれが出来たとしても、それだけじゃダメなんだって。そこに、心と体が反応する程の強い思いをどちらも感じなけれないけない。できれば、その思いの中に互いの存在があるほうがより望ましいって」
「心と体が反応? 」
「呼吸が荒くなり、心拍数は増え体温が上がる。汗が出て、動悸を感じ、アドレナリンがでて自由に体を操れるような・・・ お前で言えば、重症にも関わらず立ち上がるほどの感覚麻痺、興奮に似た激動は、一見ただ暴れているだけのように見えるが、相手を倒す、または終局させるといったような目的を無意識に感じていたはずだ。そこにアンガーもお前に対する思いの強さで上乗せされ、無自覚にこのバグコマンドを入力してたってことさ」
「なるほど。ちょっと理解できた」
「じゃあなおさら無理じゃないっすか? 」
「なんで? 」
「だってたかが木を倒すのに、そんなマジになることできるかぁ? まるで親の仇のように木を憎むみたいな」
「ああ確かに無理だ・・・ 」
「でもアタシなんてこないだの戦いの時、なかなかプレアがやる気になってくれないものだから、『肉』を取ることを目的にしてなれたよ。『ほらあそこに人間がいるでしょ? あれはとても美味しいよ! 欲しいよね? 食べたいよね? 』って言い続けたらあんな性格だから肉の事しか考えなくなって、その間に私も肉、絶対獲物を獲るみたいなことを必死に考えたらなれたよ。なんか、寝る直前みたいに、無意識に合体した」
「お前俺のこと肉と思わせてたんだな・・・ 」
少し開けたら場所に出ると、目の前を柊が猛スピードで横切った。
そのままの勢いで思い切り木に飛び蹴りし、力強い衝撃で大木を大きく揺らした。
「・・・ 何よ。新しい女の子が来たからって・・・ ちょっと女の子らしいことができるからって・・・ みんな・・・ あ、」
柊はこちらに気づいて、静止する。
「や、やっぱり木は倒せそうにないですねー! 」
痰を取り、声を鳴らしてごまかした。
うわぁ、そう言うことだったのか。
難しいっすねぇ。女って。
こうなると、やっぱ俺のせいか。
心の中で男子は会話した。
「ど、どうっしようか。ツルとか枝は取れるけど、なかなか太い木は難しいなぁ」
どうせ探索に行くならと、大量のツルと薪も同時に集めていた。所々で山菜も。
「そうですね。んー」
「もう太くなくていいじゃないっすか? 」
「しかし、動物組だからと粗末に扱うのも」
「思えば、生きた木にこだわってたけど、別に折れて転がってる木でもいいか」
「でもそれじゃ強度が弱くないですか? 」
「いや、素材の強度はそれほどなくても、建物としての強度なら、それなりにつくり方でカバーできるんじゃない? 」
「なるほど」
「海岸にある流木とかさ、あれ使えないかな」
「なんで気づかなかったんだろう。うん・・・ そうしましょう」
「よし! そう決まればさっさとやるぜ! ダラダラ作ってても仕方ない、今日中にやるぞ! 」
一行は元気良く走って海岸へ向かうと、手頃な太さと、強度、わりかし垂直な材料を集めた。
大体の木材は、皮が剥げていたり、軽かったり、形が悪かったりしたが、空はなんとなく、白い肌が見える少し曲がったぐらいの流木が好きだったので、それも多く集めてしまった。
建設場所に戻り、早速はじめた。
「さぁみなさん。まずは穴を掘るのです。そしてそこに柱となる丈夫な木を・・・ 」
柊の指示の元、作業を進めた。
まず地面に長方形を描き、四つ角と長手の真ん中二つ、合計六ヶ所に穴を開けて木を刺して建てる。しっかりグラグラしないように、隙間なうく土で埋める。
次に向かい合う木同士の上に木を繋ぎ合わせてく。真ん中の柱に繋げる木を一番高いところにする。ツルは切れやすく、慎重な作業が必要だったが、なんとか結び合わせた。
すると地面に向かってコの字の鳥居のようなものが三つ建った。つまりは真ん中の柱が一番高い。
そして真ん中のその柱に向かって、両端からまた外枠を繋いでいく。
これで三角屋根の骨組みが出来上がった。
「あれ、意外と簡単だな」
「この人数でやるからですよ」
骨組みに定感覚でツルを通して固定すると、手すりがツルのうんていのようになった。
そのツルになるだけ葉がついたままの枝を引っ掛けて敷き詰める。そうして屋根を作った。
「ざっと完成ですよ」
「おお・・・ 」
感想は、何故か晴れないものだった。
「なんか、雑じゃね・・・ 」
「何言ってるんですか。柱はしっかり固定してあるし、屋根もある。動物組の数を考えると、まだ狭いですが、同じものを増築すれば十分な広さになります」
「うん。そうだね。別にテキトーに作ったわけじゃない。はずなんだけど」
慧茉は柱を撫でる。
「なんだろう。ただ出来ただけだ・・・ この人数だからか、全然達成感がない。俺が集めた流木、全然使われてないし」
「こんなグニャグニャなの使えないですよ」
「おい! 空さんの木だぞ! 使えよな! 」
「確かに。なぜかなんの感情も湧かない。思う以上に簡単だったんだろう。・・・一回壊すか・・・ 」
総司は、大木を振り上げて柱を狙った。
「ちょっと! 皆おかしくなったんですか! 貴方恐ろしいこと言ってますよ? 」
柊は慌てて総司の大木を奪った。
「おおおおおおおおおお! できたのおおおお! 」
会話を割いて、アンガーが屋根の下に飛び込んできた。少しづつ騒がしい声が聞こえてくると、アルたちとフェイトも帰ってきた。
「ほぅ! 人間にしてはやるじゃねえか! 」
「人間にしては! 」
「あらぁ、いいじゃない」
興奮して屋根に入ると、グルグルと回りながら木と地面を嗅ぎ回っている。
「こ、好評だな・・・ 」
「なんだっていいのよ。私たちは自分の満足感にこだわりを持つけど、彼らには安全であれば、それだけで」
「純朴だな」
アンガーはウロウロしながらあたりを見渡す。
「なんかでもソワソワするなぁ。壁が欲しいぞ」
「そうねぇ、全方向から丸見えだから、まだここで寝るには危険ね」
「んー、いやでも逆に見えた方がいいかぁ」
アルとアンガーの会話は柊の話を裏付けるようだった。
「アンガー、気に入ったか? 」
「うん! 」
アンガーの笑顔は、曇りなくただ純粋に咲いた。
「よっしゃ! 飯にするぜ! 」
アルたちがとってきてくれた骨八割のトムソンガゼルらしき肉塊。
取れた魚は少ないが、まぁいいか。
なんとかなる気がした。
自分の思考だけが占めて展開されていた、狭く息苦しい生き方を、空は初めて実感しなかった。
忙しさという一つの幸せもまた、一つの食料として、今はただ、その味に酔っていたい。




