第二十九話 サイン
双田 慧茉
女の子はそう名前を残して、日が落ちる前に帰った。
なけなしの夕食をすませ、帰ってきた動物組の文句を処理。食後の片付けをして、一向はすぐ眠りについた。
その夜、消えかかった焚き火の残り火に目を渋らせながら、空はなんとなく目を覚ました。
目を擦り、外に薪を取りに出た。
あくびをして夜空を見上げる。無限に広がる夜空の茫洋さに、また立ち止まった。
どれくらい時間が経ったんだろう。
初めてこの空を見た時から。
思考の波に乗ろうとした時、何やらガサガサと奥の草むらから音がした。
なんだろう。動物かな。
恐る恐る近づいて行く。
「わっ! 」
「えっ!」
女性の声に驚いて腰を引いた。
頰を赤らめた柊が草むらから顔を出した。しゃがんでいた。
「えなにしてんの! 」
「ちょ、ちょっと向こうに行っててくれません・・・ ? 」
「どうした? なんかあったのか! 」
「ちょ! ストップです! 」
空がまた近寄ろうとすると柊は強く言って止めた。
「その・・・ お小水・・・ 」
「あ、ああ! ごめんごめん! 」
夜飲んだ水がよくなかったのか、今朝食べたヤシの実が悪かったのか。
俺の腹も強くなったもんだ。
薪を取って、部屋に戻ろうとした。
「・・・花時丸さん? 」
「ん? 」
「今日は、取り乱してすいませんでした」
張りのない声は下向きに発せられこもっていた。
「いやいや、むしろありがたかったよ。俺、どうすればいいか分からなかったから」
「総司さんが二人を連れて帰ってきた時、ボロボロになった姿を見て、彼女に怒りを覚えました。でも、やっと女の子の参加者に会えたから、ちょっと嬉しくて・・・ 」
背を向けたまま傾聴した。
「どんな子なんだろうって、期待したんです。仲良くなりたいなって思って。だから、あんな風な顔されたのが、なんだか嫌で」
「そうだったのか。苦しそうだったもんな。あの子」
柊は事を済ませるとゆっくり空の方へ歩いた。
「私も、まだまだですね。冷静でいなければ」
俺のセリフだよ。
一呼吸して、整える。
「お前が叱ってくれたから、あいつはやっと自分に向き合おうとしたんだ。向き合って、欠けた何かを、ちゃんと自分自身で欲しがったから、俺の話も聴いてくれたんだ。意地張ったままじゃ、誰のどんな言葉も、届きはしないんだから」
「そう・・・ですね」
空は微笑みを背中で隠した。
「ありがとう。お前が居てくれてよかった」
本当、みんながいてよかった。
すると柊は持っていた薪をいきなり奪い取った。
「こちらこそありがとう。見捨てないでくれて」
柊はニッコリと笑うと、髪をなびかせ振り返る。
「本当、優しいね」
艶やかに跳ねて部屋に戻った。
胸の奥が、キュンと突き上げられるような感覚を覚えた。
なんだいまの。美しかったぞ・・・
また夜空を見上げて、空は思い返した。
まだまだなのは、俺だよ。
鮮明に覚えていた。
化け物になって、女の子をデタラメに殴り倒した感触と、下から見上げる恐怖に滲んだ目。
あんなに怖がらせて、酷いこと言った。
空はため息を吐くと、家に背を向けて歩きだす。
無心で歩き続け森を抜ける。浜辺までたどり着くと、砂に埋もれた岩に腰掛け、静かに歌う海波の合唱を眺めた。
化け物になると、怒りで全部見えなくなる。総司とフェイトが止めてくれなかったら、俺は・・・
足のギリギリまで遊びにくる波が優しく海水に泡を立てる。体をつついては舞い戻っていく潮風も陽気にみえる。
無心で情景を感じとりながら、茫然と先の見えない闇の水平に目を慣らす。
「潮風はしょっぱいね」
後ろから聞き慣れた声がした。
「なんか空も、しょっぱい顔してる? 」
「ふ。人間より上手いんじゃないか? 」
アンガーは穏やかに話しかけると、空の隣に座った。
「オイラもなかなかだと思ってたけど、空もなかなかだった」
月が出ているにもかかわらず、まるで理解できない程果てしなく膨張し続ける、闇。
景色と混濁した感情の絵画は、ただただ真っ黒に塗りつぶされている。
「偉そうなこと言っておきながら、俺がこんなだもんな」
「空と分離する時、すでに罪悪感のカケラを感じたよ。それ程までに、君が自分を常に見張っている事を知った。でもさ、そんなに自分を責める必要ないんじゃない? 特に今回に限っては、オイラたちが負けなかったことで、守られたものは多い」
満ちてきた波に足を食われる。
「結果的には。だろ。次はどうなるか。今度こそ人殺しになってしまうかもしれない」
「大丈夫だよ。空は、絶対そんなことにはならないさ。自分の頑固さは、自分が一番よく知ってるだろ? 」
「ほぉ。言ってくれるぜ」
微笑み合う人間と動物。
幾光年先から覗く星々が、笑うように煌めき瞬いた。
「何が引っかかってるの? 」
アンガーは真面目な顔をして、暗い水平線を見たまま言う。
「なんていうか、すっごい嫌な気分、なんだ・・・ お前が言うように、あの戦いは避けられなかったのはわかってる。でも、あの子のあの顔が、すごく・・・ 胸が苦しくなる」
「好きになったの? 」
「そういうことじゃねえよ」
じゃれる波の音に一旦心を寄せ、落ち着かせる。
眉をハの字にして、少し笑った。
「俺、人に嫌われるのすごく嫌なんだ。そうなると人間界じゃすぐ除け者にされてしまうし。だから恥ずかしい話、結構人に気を使って生きてんだよ俺。自分の思いを堂々とぶつける度胸なんてないんだ」
「そうは見えなかったけど」
目を瞑ったまま応える。
小学校から高校まで。思い返すとほんと、情けない思い出ばっかり。
「嫌われたり、避けられたり、無視されたり。それが痛くてたまらなかった。だから、上手く人に好かれる為に。・・・嫌われない為に、人の気持ちや、サインを見逃さないようになった。人の心の揺れ動きを、過剰に気にしてしまうようになった。だから・・・ あの子にも、嫌われるのが怖かった。心を閉ざされてしまうのが、怖かった。結果的には、とりあえず戦いは終わって、皆生きてる。でももし殺してしまっていたら・・・ 俺は一生、あの子に嫌われたまま、憎まれたまま、生きていかなきゃいけなかった」
空は目を曇らせる。
「それが、心底嫌だった。・・・笑っちゃうよな。あんなこと言いながら、人の幸せよりも、人に睨まれる痛みの方が気になって仕方ないなんて。結局自分のことしか考えてないんだ」
アンガーは空の太ももに顎を乗せた。
「それで十分じゃないか」
温もりが伝わってくる。アンガーの小さかった頭が、大きく重くなったことに気がついた。
「でも、俺は自分のことしか考えてないんだ。そんな奴のこと、信用できるか? お前に言った事だって、俺が・・・ 言って欲しかっただけで・・・・ 」
「だから信用できるのさ。自分にやって欲しいと思えるってことは、それだけの自信と確信を感じてるって事さ」
海に反射する夜空に、アンガーはのどやかに目をひらいた。
「そんなに自分に爪をたてないでよ。空が思うより、空は良い人間だ。誰がなんと言おうと、オイラの気持ちは変わらない」
満たされるような心の器の中で、ポカポカと湯気が立つ。
「オイラだって怖がりだ。知ってるだろう? でも怖がりでいい。それでもこの恐ろしく掴みようのない世界を、一歩ずつ、生きていけばいいんだ。だから空は言ってくれたんじゃないか」
「えっ? 」
彗星の光が、遥か水平線の向こうへ落ちた。その刹那、星の荒野映す深淵なる海に、一筋の壮麗な地球の輪郭を輝かせる。
「『お前は間違ってない』って」
アンガーの柔らかな笑顔が、光で一瞬だけ見えた。
知らない間に、大きくなりやがって・・・
意地か何かわからないものが、涙を鼻水とともに内側に引っ張った。
指先の冷えた手で、アンガーをゆっくり撫で、光の収束を待った。
車から降りて本部に降りた切島は不機嫌だった。
ピリピリとしたムードを漂わせて、せかせかと部屋へ向かう。
あの糞爺ども。くだらんことばかり言いやがって。
自身の部屋に着くと、持っていたハンドバッグをソファーへ投げる。
「・・・ いちいち手間とらせんじゃねえよ・・・ 」
浮かんだ白いチェアに、荒っぽく腰掛けると、アンドロイドが持ってきたコーヒーを一気に飲み干す。
一呼吸置く間もなく、電話のコールが鳴り、目の前に映像が飛び出てくる。
「チッ。出たよ・・・ 」
首筋を掻き毟り、映像にタッチして電話に出る。
「切島君。お久しぶり。元気かな? 」
「お世話になっております。元気です」
何食わぬ顔で画面に映る。
「例の件、近状を聞かせてもらおうか」
相手側の顔は暗くてよく見えない。男の声で、若くはない。
「順調ですよ、なにもかも」
「ふん。まぁ結果さえ出てくれれば問題はない」
男は手から赤い液体をフワリと浮かせた。
「だが、あまり時間がないことを忘れるな。こっち側の事情もある。なにやらもたついているようだが、他国の会議じゃとっくに結論は出ているぞ」
「はい。しかし焦ることはありませんよ。時間の問題です」
「相変わらずだな」
浮いた赤い液体を口で吸い込むと、ゴクリ、とわざとらしく大きな音を鳴らして飲み込む。
「私の信頼を裏切るようなことだけにはならないよう祈ってるよ」
「・・・ 」
「さっさとやれ」
通話が切れ、真っ暗になった画面に切島の顔が写る。白く光った眼鏡が小刻みに震え、カチャカチャと音を立てると、握っていた分厚いガラスのカップを握りつぶし、破片が飛び散った。
それでも力を緩めず、破片ごと握りしめ、流れた血が透明なテーブルに広がっていく。
「・・・ ナメやがって・・・ 」
破片にアンドロイドが近づき、足に設計された新型の掃除機がモーターを回転させはじめた。その吸引音は、ペンで紙に殴り書く程の音量まで抑えられていたが、
「五月蝿い! 」
アンドロイドを強く蹴り倒し、画面を操作して起動停止させた。
息を整えると、画面を操作して、パスワードを入力。
またある島の映像を映し出す。
髪を乱したまま、コントロールパネルを操作して、フードを被った男に映像は近ずいた。
フードの男は、白黒の小さな動物を撫でていた。肩に乗せたり、頭に移動させたりして戯れる。
数行のプログラムを打ち込み、音声入力の準備ができると、切島は叫んだ。
「礼! さっさとやれ! 」
驚いた動物は、頭を飛び降り、フードの男の背に隠れる。
「はい。父さん」
電気もつけないまま、画面の映像の光に照らされる切島。
顔のシワがいつにも増して濃く見えるのは、陰影のせいだけではないらしい。
つま先を揺すって、腕を組み、ただただ画面に食い入った。
炭火の香ばしい香りと湯気が漂う店内。アンティークなウッドテーブルには油がこびりつき乾燥していて、球体の竹籠に包まれた温かみのある電球色のペンダントライトは、傷ついた心と体を、肩を揉むようにリラックスさせる。
近代的な機材を一切使わず、百年前と変わらぬ仕様を貫く高級焼肉店。
新東京都の街はずれにあるその老舗は、勘九郎の行きつけだ。
「one? 」
「テロリストの名前ですよ」
「ダサすぎだろ」
「ダサいですよね 」
テーブルに埋め込まれた七輪から、勘九郎は次々に肉を口に運び、リスのように頬を膨らませる。
「がせいのでろりずどのなまえなんでべつにどおだっでいいげどざすがにそればおれでも・・・ 」
「食べるペース間違ってますよ」
喉仏を大きく動かし、飲み込んだ。
「動きが活発になってるらしいな」
ジョッキ一杯に入ったビールを、一口で半分吸い取る。
one
三十年前の事件をきっかけに生まれたテロ組織。手榴弾や火炎瓶、銃など躊躇なく護衛隊に浴びせ、富裕層に危険な集団として認知される一方、市民の声を挙げて戦うレジスタンスとしての一面もあった。
当時の沈静化で、中核となるリーダーたちは銃殺され、影に後退していった組織。もう二度と歯向かってくることはないだろうと思われていたが、また火星各地で小規模のデモが、ダラダラと行われ始めたのだ。カラスの群れが、追い払われても距離を取るだけで、ジッとこちらを伺うように。
鎮圧されていたはずの反逆の意思が、再び閉じられた扉をこじ開けようとしていた。
「また沈静化と言って虐殺が行われるのでしょうか」
拓扉の箸は、あまりすすまない。
「・・・ 今の俺たちにはどうすることもできない、悔しいがな。なんだお前にしては珍しく肩入れしてるのか」
「なんですかそれ。俺だって人並みに憐れみの心持ってますよ」
「そ、そうかそうか。すまんすまん」
勘九郎はビールを飲み干し、お代わりを合図する。
「ま、テロやデモなんて、所詮、寄せ集めの民意です。一人一人が強固な意志をもっているわけではありません。なにかと理由をつけて、鬱憤ばらしや、小銭集めのが大半でしょう。みんなでいれば、みんなでやれば怖くない。そんな集団意識に安心を求めた弱い人間の塊ですけどね」
「だが、どんな思いも、俺にとっては大事なものだ。一人一人の声に耳を傾けることができない俺にとって、集団意識だろうがなんだろうが、大切にはしてあげたいがな」
拓扉は少し微笑むと、肉をガブガブ食べ、米を口にかきこんだ。
「奢ってくれるんですよね? 」
「ああ、公費だ」
「勘九郎さん! サービスたい! 」
「ありがと親父さん! 」
美しいサシの入った牛肉二人前がテーブルに運ばれた。
勢いよく肉と米を頬張る二人。
店主は、テレビも携帯も持っていないらしく、勘九郎が総理大臣という事は、全く知らない




