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Waves Tones 【ウェイブストーンズ】  作者: 海月 恒


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第二十八話 君が創った世界


 物心つく前からお父さんと二人だった。母の顔は知らない。

 それでも十分だった。優しいお父さんの声が大好きで、一緒にいるだけで安心できた。

 (慧茉エマ。人は正しいことをしなければいけません。悪いことをしてはいけません。小さな子供でさえ知っていることでも、大人になるとなかなかそれが出来ない。

 慧茉は、大きくなっても、それができる大人になって下さい。そして幸せになって下さい。

 父さんの願いは、それだけです)

 古来から続く宗教に属していたお父さんは、私がまだ幼い頃からそう教えてくれた。

 緩やかに、おとなしい笑顔で。

 でもある時期を境に、その笑顔のシワが苦しそうに見えはじめた。

 小学生の頃、家が火事になった。

 気づいた時には遅く、私は二階に閉じ込められた。

 窓から見下ろした庭先に、お父さんが私の名前を大声で叫ぶ姿が見えた。

 初めて聞く、お父さんの緊迫で裂けてしまいそうな荒々しい声が、とても怖くて、私は動けなくなってしまった。

 なんとか救助アンドロイドに抱えられ脱出し、一命を取り止めた私を、お父さんはずっと離さなかった。

 暖かい腕の中で、私は安心しきって眠くなった。でも微かに見えたお父さんの表情は、安堵とは程遠く、なにかを睨みつけているように思えた。

 後になって知った事だが、原因はタバコの火だったらしい。


 タバコなんて、お父さんは吸ってなかったのに。

 

 明らかに事件性があったはず。しかしだれもそれには触れなかった。

 それから生活は一変した。

 お父さんは操られるように、誓約の暗記と規律の遵守を何かと理由をつけて私に説き勧めた。

 特に暴力的にというわけではなかったが、教えられたことを間違うと静かに叱り、機嫌が悪くなった。

 私はそれがすごく嫌で、お父さんの機嫌が損なわれないよう、ゆっくりだったが文句を言わずその生活に馴致した。

 勿論、学校や友達の中じゃ浮いたけど、今時、特にそれでいじめられることはなかった。私より個性的な人なんて一杯いた。

 だからそれが辛かったわけじゃない。多少嫌なことはあるけど、我慢できた。

 お父さんの、機嫌の為なら。

 そう。いつしか私の信仰の根幹にあるのは、お父さんの機嫌になった。

 理由はどうであれ、信仰を守った私は、お父さんが言っていた『正しい事』をしているんだと、強く思い込んだ。

 けれど、いくら『正しい事』をしても、私の古い記憶にある、優しいお父さんの微笑みは、あれ以来、みられることはなかった。

 あの火事で、一緒に燃えてしまったのかもしれない。

 お父さんの祈りと、夢。幸せや平和、全てが、灰になってしまったのかもしれない。

 

 焼け焦げた記憶を開くと、放たれた熱と匂いが感覚を包んだ。

 黒い闇を纏う炎の群れが、部屋の奥からじわじわと攻め寄せる。その向こうに、怪しげな黄色に光る目玉を二つみた。

 白い鬣からねじれた角を生やした、大きな化け物は、じっとこちらを見つめて訴えてくる。

 

 神は、いたか?

 

 首を傾げて化け物はそう訊いた。

 私のちっぽけな頭ではなにも整理できなかった。

 きっとこれは、お父さんの機嫌という言い訳に頼りすぎて、自分で答えを探さなかったからだろう。

 自分の気持ちにも。火事も、お父さんの心も。

 言うことを聞いていれば上手く行くからと、考えることを止めた罰だろう。

 不意に一歩、化け物に近寄った。

 理由はわからない。

 火の中にゆっくりと入った。痛みは全く感じない。

 炎が体を包むと、心の中で、何かが沸騰していくような感じがした。

 何か分からないものが、グングン込み上げてくる。

 私・・・  

 言葉を待たずに、頭上から炭になった柱が落ちてくると、真っ暗な世界に落ちて行った。

 

 生温い涙が頬を伝う感触で、ゆっくりと目を開いた。

 

 体を起こすと、一面木でできた部屋にいた。

 奥で座る男の子をみて思い出す。

「化け物・・・ 悪魔・・・ 」

 周りにいる坊主の男、髪の長い女性、手当てされ布を巻いている男らを敵視した。

「選択肢は二つ、仲間になるか、ここで消えるか」

 柊は冷たい目をして問う。

「仲間? 仲間っていったいどういう・・・ 」

「答える必要はねえよ」

 勝平は肩を反らし、背骨を鳴らして近寄る。

「空さんをボコして、総司をボコして。俺は、なにも知らなかった・・・ クソッ」

 半分自分を責めるように言葉を捨てる。

「お前はここで終わりだ」

 勝平の沈んだ目に余裕はない。

「ちょ、ちょっとまってよ! 」

 女の子は尻を擦って壁まで後ずさりした。

「待ってくれ勝平」

「・・・ 空さん」

 俯いたまま呼び止める。

 女の子の怯えた顔は、空の胸を刺激し様々な感情が綱引きをさせていた。

 殺すという行為への嫌悪。生かすことへの不安。

 何よりも空はそもそも、自分がここまで彼女を追い詰めてしまったことに対する罪悪感が、その選択を濁していた。

 頭が回らず、モヤがかった世界で惑い続けるような苦しみに襲われる。

 まだすごく疲れてる。体がだるい。頭が重い。

 考え込む空を片目に写し、総司が口を開く。

「お前がいなければ俺は死んでいた。お前が戦わなければ、あのパワーにみんなが対抗できたとは思えない。とりあえず、今ここに俺がいるのはお前のおかげだ」

 空は小さく息をする。

「俺は・・・ 殺したくない・・・ 」

 納得がいくまで考えたわけじゃない。

 でも単純に考えていいのなら、俺は・・・

「ふっ。アッハッハ! なによそれ。はーあ。私もまだまだね」

 女の子は、笑い止むと表情を落ち着かせた。

「殺してよ。情けかけてもらって生きるくらいなら、信仰に順して名誉ある死を選ぶわ」

 視線を外し遠くを見る。

 全てを悟ったような顔を、柊は不満そうに見つめた。

「そんなこと・・・ 言うなよ・・・ 」

 空は悲しげに呟く。

 冷たい風が部屋の中を駆け回る。誰の口も動かないまま、時間が過ぎ去ろうとした時、柊が切り出した。

「・・・何処に、名誉があるんですか? 」

 女の子はゆっくりと振り向く。

「なに」

「貴方の命を賭けるほど、それに価値があるんですか? 」

「貴方にわかるもんですか」

 開き直って、思いを投げる。

 柊は手を振り上げると、いきなり女の子にビンタした。

 意表を突かれ床に倒れる。

「カッコイイつもりですか? 」

 冷静さを保ちながら、柊は大きな目で顔を見る。

「簡単に投げ出しちゃって、子供みたいに。小さいのは体だけじゃないんですね」

「は、は? 貴方になにがわかるのよ! 」

 起き上がって、顔を近づける。

「信仰だかなんだか知りませんが、命を賭けて何かをやり遂げたところで、意味なんてないのに」

「大きな財力があれば、宗教はもっと巨大なものになる! そうなればもっと、沢山の人を幸せにできる! それに私の命を賭けるといっても、現実に戻るだけで、大した犠牲には・・・ 」

「いいえ。そうは言い切れません」

「は? 何バカなこと・・・ 」

 女の子は少し嘲る。

「馬鹿は貴方です。そんな莫大な金を、国が庶民に出すと思いますか? あの部屋に来た大人たちはギャンブルだって言ったんですよ? 明らかに公認のプログラムじゃない。おそらく彼らは、私たちが足を踏み入れてはいけない場所の住民ですよ。だとしたら、私達の身の安全が保証される確証はない。サバイバルゲームだというのなら、実際に死人が出る可能性だって無くもないんです」

 女の子は目を泳がせる。

「もしそうだったら、もう二度目覚めることはないですね。そして、私たちも高校生にして立派な人殺しです。貴方もね」

 度を失い、うろたえた。

 ひ、人殺し? 私が? 

 善人として生きてきた、この私が・・・

 お父さんの笑顔が、強く胸を締め付けた。

 悪いことをしてはいけない。

 正しいことをしなければいけない。

 悪いことって一体・・・

 じゃあ正しい事ってなんなの? 

 巡る記憶の中の薄暗いリビングは、ロウソクの小さな火だけで照らされている。

 どんよりとした雰囲気を漂わせて、女の子の存在すら無視するように、父親はただ歩く。

 嫌・・・ 

 優しいお父さんでいてよ・・・

「私は・・・ 私はそれでも・・・ 」

 不安と葛藤の討論は、表情に出ていた。

 しかしあらゆる疑心は、これまでの生活が産んだ歪みによりすぐに消えていく。

「最後まで・・・ 尽くしていなければ・・・ 」

 女の子がいい終わる前に、柊は胸ぐらを掴んで引き寄せた。

「いい加減にして下さい。まだ分からないんですか? いいように利用されてることに。

 ・・・良いんですよ? 尽くすなり、努力するなり、全力でやってもらって。科学も宗教も、似たような物で、人々が幸せになる方法の一つなんですから。・・・でも、それなのに、」

 怒りは全身に回った。

「なんでその過程に無駄に失う命が無ければいけないんですか! もうそんな時代は終わったんですよ! それとも貴方方が掲げる神さまは、未だに犠牲を払った先に合理的な平等があるとでも言うんですか! 」

 半狂乱になって引っ張られる女の子。

「そんなもんなら消えてしまえ! そんな神様に賭ける命なんかあってたまるか! それでも死にたいなら蛇の餌にでもなってから死ね! 」

「お、おい柊! 」

 勝平は柊を引き離そうと間に割って入る。しかし柊は止めない。

 女の子は必死に振り払おうとする。

「・・・るさいうるさいうるさいうるさい! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! 」

 女の子は暴れまわって倒れこむと、空の元へ膝を擦って行った。

「もぉはやく殺してよ! すごく苦しいの! はやく楽にしてよ! 」

 空の肩を強く揺さぶって、女の子は激しい不穏に駆られ、喚き散らした。

 その嘆きに込められた痛みは、空にも痛いほど伝わっていた。鼻の先で喚き散らす女の子に心臓が騒ぐ。

 分かってるんだ、もう。頭と心じゃ、おかしいことやってるって。

 でも認めてしまったら。

 その殻を壊してしまったら。

 何もかもが、今まで生きてきた世界そのものが、ひっくり返る。

 ここまでなのか。

 洗脳、トラウマって。

 こんなにも人を歪めてしまうのか?

「ねェ・・・ 」

 女の子は、恐ろしい形相の顔を向けた。跡が残るほど、肩を締め付ける。

「正しさって、一体なんなの? 」

 真っ直ぐに投げられた疑問を空は迷うことなく心の内に受け止めた。

「教えてよ・・・ 悪魔・・・ 」

 目の中で涙が膨らんでいく。

 そっと女の子の手に手を重ねると、空は哀憫に満ちた思いを、小さな声に落とした。

「少なくとも俺の世界は、善悪なんて決めれるほど単純じゃなかったよ」

 正しいこと、悪いこと。

 それがわかれば、俺ももっと楽に生きれただろう。

 思い出していた。

 正義を掲げていた幼い日の自分を。

「人の為、世の為。なんて。所詮、意味はないのかもな。人は、助けられようが、られまいが自分の世界を淡々と生きていく。要は、その人の片付け方次第。感謝するのかしないのかとかさ。

 仕舞いには、俺自身も、結局どうしたいのかもわからないくせに、形だけ人の為だと言って、中身のない行動をしてきたような気もする」

 いてもたってもいられず、何事も実践してきた空には、それを裏付けるのに十分な経験があった。

「俺が正しいと思うことをどれだけ実践したって。たとえどれだけ君に、伝えようとしたって、その結果に正解はない。答えはない。完璧な正しさなんてない。人にも、社会にも、他の何者にも、決められるものじゃなかった」

 俺の言葉も行動も、君にとって正しいかどうかさえわかりはしない。

 でもたったひとつ。確かなことがある。

「だから悩んできた。迷ってきた。考えてきた。ずっと探してきたし、これからも探していく。いつか、その時間と答えに納得できるように。ちょっと大変だけど、正しいと思えるものなんて、そんな心のあり方だけなんじゃないかな」

 痛みの疼いた、ぎこちない笑顔で空は続けた。

「まぁ、なんだかんだいったって、結局口だけだ。何も、できやしなかったけど」

 また、母の背中を連想する。

 冷えた手で、背中をさすったあの日。

 どれだけ考えて、悩んでも・・

「何もできなかったんだ。俺には」

 空の目にも、涙が溢れた。

「でも君は、頑張ってきたんだろう? 君は君なりに。ずっと一人で、頑張ってきたんだろう? 」

 女の子の頭に手を乗せる。

「もう終わりにしよう。人の決めた善悪の中で生きるのは」

 優しく、悲しみを含んだ瞳で真っ直ぐに貫く。

「少しずつでいい。ゆっくりでいい。これからは、君自身が、良いことと悪いことを決めていくんだ」

「わた・・・しが?・・・ 」

 流れ出した涙と、嗚咽が混ざり、喉を詰まらせながら女の子は言う。

「そうやって君が創った世界を生きることで、初めて君は、幸せになれるんだ」

 ポタポタと空も涙を零した。

 自分でもわかならないほど自然に溢れ出る言葉に身を任せ、求め、求められるように、女の子の心に触れた。

「それを喜んでくれたんじゃないかな。君の大切は人は」

 お父さんの穏やかな笑顔が、空の微笑みと重なって映った。

 海の満ち引きのように、引きずられた想いが、空から女の子へ流れていく。

「幸せになれ。そう、言われたんでしょ? 」

 慟哭し足元に崩れた女の子の情動は、まるで氷河が崩落するように激しい。

 辺りの海に高い波を引き起こすように、部屋にいる四人も、心を強く揺さぶられ涙を拭った。

 さり気なく、部屋を出て行った総司は、去り際に柊の肩を叩いた。

 

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