第二十七話 激越
発光がまだ消えないうちに、ヒグマの化け物はグングン巨大化した。
空とアンガーの全長より、頭三個分は余裕で飛び抜ける。幅も倍はあり、圧倒的な体重の差がある。
空間が振動するほどの唸り声をあげ、面と向かって威嚇し合うと手を掴み合い、純粋な力勝負をかけた。
普通に考えれば、パワーで勝ち目がないはずの戦況だが、それが理解できるほど冷静ではなく、膨張していく憎悪に身を委ねていた。
ものすごい悲しみの感情が暴発している!
アンガーは空の意識に結合し、すぐに感情と記憶を共有した。
空、君の中には一体、どれほどの・・・
空はまた思い出の中を見ていた。
陽だまりのような優しさの中に咲く笑顔の影。
俺はずっと知りたかった。
一緒に背負いたかった。
きっとその影の正体は、自分が障害を持っているからじゃなくて、そのせいで、俺や、じいちゃんばあちゃんに、自分が納得できる事が、できないから。
ずっと。
ずっと貴方は、自分を責めてきたんじゃないのか。
よかったよ俺は。
学校内を一緒に歩くときの友達の目も。
ショッピングモールで俺の肩に手を置いて足を引きずって歩く時も、俺は一度も、気にした事なんてなかったよ。
ただ貴方が楽になるなら、なんだってやったさ。
これからだって、貴方の幸せをずっと・・・
でも、お前がいう神様って奴は。
ドコマデヒトヲクルシメレバキガスムンダ?
白い鬣の化け物は、狂気と憎悪に満ちた相貌を静かに浮かべると、ヒグマの化け物の手をゆっくりと握りつぶし始めた。
骨が軋む音が鈍く聞こえる。
苦しむヒグマの化け物は、咄嗟に手を離し、すくい上げるように、殴り飛ばし、距離をとった。
白い鬣の化け物はガードしたまま吹っ飛ばされるも、地面をえぐりながら踏みとどまった。
雨が無数の葉を叩く音が耳を塞ぐ中、相手の思いだけははっきりと伝わってくる。
(不幸に負け、憎しみに囚われた哀れな人。貴方はもうお終い)
お前に決めつけられたかねえんだよ。
怪しげな黄金に輝く目で、ガードした腕の下から睨みつける。
勝手に人を判断しやがって。
自分勝手に幸か不幸か選ぶような神様なんて、そんなもん神様じゃねえ。俺ら人間と変わらねえよ。
(人間と。同じですって・・・ 許せない・・・ )
ヒグマの化け物は、大きな唸り声とともに、全速力でこちらへ突進してきた。
(死んでやり直しなさい! )
平等に人に幸せを与えるのが神様じゃねえのか!
白い鬣の化け物も、猛スピードで突進した。
どちらも臆する事なくフルパワーで衝突する。
亀裂が入り、ジリジリと割れる空間に、大きな波がいくつも流れた。
正面からぶつかり、波動と音が響き、一瞬だけあたりの大粒の雨の落下を停止させる。
(人を妬んで、嫉妬して、欲望に駆られてるから幸せを手にできないだけのくせに、なんでも神様のせいしてんじゃないわよ! 自分のせいでしょうが! )
自分のせい?
白い鬣の化け物はぶつかっている肩をズラして弾き、右腕を振りかぶると思い切り腹にストレートを打ち込んだ。
あの人に何の罪があった。
何が悪かったんだあああああああ!
深く深く、腕は腹に食い込んでいく。
激昂の雄叫びを轟かせ、全身に怒りを燃え上がらせる。
ヒグマの化け物は吹っ飛ばされ、大木を折りながら転がっていった。ヨダレを垂らして、弱った鳴き声を出す。
俺たちだけじゃねえぞ。
世界には、理不尽に奪われる夢と命がある。
病気も、殺しも、事故も。
誰も手を差し伸べてくれないこと。
お前のように、単純に物事を終わらせてしまうような人間が、思いも、涙も、何もなかったかのように無視して、全部闇に消してしまう。
なんであの人じゃなきゃダメだったんだ。
なんでうちの子じゃなきゃダメだったんだ。
なんでこんな目に会わなきゃいけないんだ。
こんなに可愛かったのに、こんなに愛していたのに、こんなに輝いていたのに。
誰が奪った何がいけなかった俺が悪かった神は何を見ていた何が気に食わなかった何故なんだ。誰か教えてくれ。
奪われた幸せは、どこへ忘れ去られてしまうんだ。
叶わなかった夢はどこに消えてしまうんだ。
俺はそれが納得できえねえんだよ。
奪われていい夢なんて、一つ足りともあってたまるかよ!
(疲れない? )
・・・ ?
気の抜けたような声がして、白い鬣の化け物は動きを止めた。
(そんなに考えて)
つ、疲れる?
疲れるから、考えないのか?
疲れるから、苦しみから目を逸らすのか。
目の前で苦しむ人がいても、無視するって事? 疲れるから?
分からない。
空は小さくこぼすように低い声で奇妙に笑ってしまった。
そんな気持ちのくせに、よくも神だなんだと・・・ 結局こいつは・・・
暗い空を少し見上げて、雨を顔面に受ける。
あー、馬鹿馬鹿しい。
気がつくと、歪む空間を纏い、木にもたれて座っていたヒグマの化け物の顎に強烈な膝蹴りを入れていた。
そこからめまぐるしい連撃を顔や腹に激情のまま放った。ヒグマはガードが間に合わず、血しぶきをあげて攻撃を受け続ける。
結局お前は神という名を自分に都合のいいように使ってるだけなんだな。
反撃の左フックをさばき、手で押さえると、飛び上がって両足で関節を踏み潰して折った。
ヒグマの凄惨な鳴き声を無視して、また白い鬣の化け物は空気を裂くような怒涛の猛攻撃を続けた。
ヒグマの化け物は、徐々に弱々しい鳴き声を漏らし、必死で耐えようとする。
なぁ、これが憎しみだよ。
これが痛み。
もう叶うことのない者たちの夢や思い。
簡単に終わらせられた不幸から生まれた怨みと悲しみ。
お前が悪人と決めつけた人たちの受けた傷だ。
止めてみろよ。なぁ。
大好きなアヌだか神だか知らねえが、呼んでみやがれ。
祈れ。
今度は、右腕の上腕の骨を叩き折った。
もはや防御のしようがない、ヒグマの化け物は血塗れてうなだれる。微かに顔を上げて、白い鬣の化け物をみる表情は震えて、可哀想なほど弱い鳴き声を出す。
ヒグマの化け物のフラフラの頭を上から片手で掴み、爪を食い込ませる。
神は、お前を守ってくれたか?
感情はなかった。その鈍い黄色の瞳には、何も映らなかった。ただただ、遠い記憶の中に溺れている。
鬼・・・ 悪魔・・・
そんな声が聞こえた気がした。
鬼か、悪魔か。そうだな。否定しない。構わない。
言っとくけど、俺を産んだのはお前らだからな。
死んでやり直せ?
そりゃお前らだろ。
頭部に爪を食い込ませ血飛沫をあげる。
死ね。
手を振りかぶった。しかし手は動かなかった。
別の化け物が、白い鬣の腕を掴んでいる。
狼型、総司か。
よかった。生きてたんだな・・・
(花時丸、もう十分だろう。お前の気持ちはよく分かった。ちゃんと分かったから、もう止めよう)
戸惑った表情で総司を見つめた。
総司、おまえもこいつと同じなのか?
こいつらは・・・ こいつらは所詮、自分に都合のいいようになれば文句ないような奴らだぞ? 人の気持ちなんて考えやしない! なんでも勝手に決めつけて、思い込んで、見たいように、言いたいように言いやがるような・・・
狼型の化け物は、白い鬣の化け物の腕を優しく下ろした。
(そうかもしれない。だが、お前が憎んでいるのは、そういう人間の風習だろう? こいつはその中のちっぽけな端くれの枝に過ぎない。こいつも、お前が言う被害者の一人なんだ。思考の自由が許されなかったものかもしれない)
はあ? 何言ってんだよ・・・
わかんねえよおおおおおお!
白い鬣の化け物は暴れ、腕を振り回して解こうとした。
(花時丸、お前は人より感受性が強すぎるせいで、普通人が見えないことまで見えて、聴こえて、感じてしまうんだな)
必死で腕を掴み、抑えつけた。
(それはきっと損な生き方を選んでしまうんだろう。しかし今まで、お前ほど優しい人間を、俺は見たことがない)
狼型の化け物は歯を食いしばり、思いを募った。
(そんなお前に、ついていきたいと思った)
支離滅裂に弾ける意識の中で、空は泣いていた。
どうすれば、よかったんだ・・・
徐々に落ち着いていく、白い鬣の化け物を抱いて、狼型の化け物は目を瞑る。
(どうか、牙を納めてくれ)
ゆっくりと上昇する光に、三頭の化け物は包まれる。
総司とフェイトを残した、動物と人間二組は、姿を現すなり、深い深い眠りについた。
「信仰とは逆に、人間にできた最初の亀裂であるとも言える。
違いと、差異を産み、差別が誕生したからだ。
そういった一つの固定観念に縛られることもまた、人間の愚かさの一つであるということは、言わずもがなである。
しかし中には、人類が誕生する以前に、信仰や、文化が存在したという説もある。
それが意味するものとは、そもそもナチュラルに進化してきた生き物としてではなく、信仰や思考が植え付けられた状態で、人類の歴史が始まったのではないかということ。
つまりは、誰かの、意図的にそうなるように仕組まれていた。
これらの類の説に絡めて、人類を創造したのはアヌだとし信じ、人工知能を駆使し全知全能の力を持つアヌ神を蘇らせたと、恐ろしいほどに信じ込んだ団体が、『超越教。別名、アヌの世界』です」
「なんじゃそら」
「理由なんかどうだっていいんですよ。どんな説だってこじつけと想像によって結びつけられてるんですから」
「そんなもんかねェ」
勘九郎と拓扉の会話が廊下で続いていた。
三階の大きな窓から外を見下ろすと、ちょうど団体の抗議活動が行われている。
小型の音声拡張器を喉に貼り付け、大々的に、大袈裟に、リーダー的な大人が台に乗り身振り手振りをする。
「この時代、そんなに宗教が流行るとは思えんがね。もはや若者が、歴史を知らん時代なのに」
「主なリーダー格は、壊滅したと言われるあっちの大陸の遺族ですからね。まぁ、神にもすがりたいもんですよ。故郷をいきなり失ったんですから、まともじゃあいられませんよ」
「そうだな。本当に・・・ 」
「あまりの衝撃に世間ではデタラメなんじゃないかとか、都市伝説として受け取ってる人が多いですけどね。実際、事件後では連絡や交通手段の一切が停止して、一般人は確認のしようがないんですから。しかし、噂もありまして」
「ん? 」
「消えたはずの被害者であるものから、返事が来たとかなんとか・・・ 」
「おい、冗談じゃすまされないぞ? 」
「いえ、決してふざけたつもりはありませんよ。情報があったのは事実ですので」
「衛星でも、ドローンでも壊滅は確認した。そんなしょうもない噂、話すだけムダだぞ」
「はい。すいません。気をつけます」
「いやー、それにしても、少年少女たちの頑張りを見たいもんだがねぇ」
「仮想空間ですか? 」
「どんな生活してんのか、どんな顔してんのか、気になるよ〜」
「見ますか? 」
「何言ってんだ。切島さんにダメってフラれちゃっただろうが」
「『鍵』手に入れました」
「え、なんだって? 」
「勘九郎さんの部屋のパソコンから、プログラムのファイルにアクセス出来るはずです」
拓扉が見せたのはUSBメモリのようだが、異様な形をしている。
「一体どうやっておま・・・つかお前、これ犯罪だぞ・・・ 」
「私はただポケットに入っていたそれを渡しただけです。誰のなんて知りません。勝手に私のポケットに入っていました」
「どうするべきか・・・ 」
「知らぬが特! 誠意は損なり」
拓扉は明言した。
「貴様・・・ 良かろう」
何事も無かったような顔をしてスタスタと廊下を歩いた。
背後で拓扉のメガネは光る。
バレませんよ、絶対。
硬い靴底が、カーペットを擦る音のリズムには一片の狂いも無い。




