第二十一話 心の磯
例えば会社で、新入の部下がヘマをしたとしよう。当然上司はそれを叱責し、提携先に迷惑がかかるようであれば謝罪。つまらないものと言われる菓子を持って部下と共に向かう。不機嫌そうに腕を組む相手の前で、深々を頭を下げる。
失敗を納得する暇もなく、ただ謝ることを強要された気がした部下。しかしいつも厳しい上司があまりにも必死に頭を下げるので、そのミスがミスであることを、ゆっくりと自覚した。
部下はそんな姿を見て、理想の上司像を学ぶ。
帰りに寄った居酒屋の安酒で乾杯。先輩は落ち込む部下の肩を叩いて慰めた。
(誰もが通る道だ。気にするな)
部下は自分の不甲斐なさに悔しさを覚え、自宅でシャワーを浴びながら唇を噛みしめる。
(おれもいつかあんな上司に)
やがて、仕事が捗るようになると、部下も様々のものの見方ができるようになる。というよりも、様々な意見を多く聞くようになる。
(お前の上司、あんまり評判よくないよな)
自分の意見とは関係なしに、詳しく知りもしない人のことに面白がって食いつく連中。そのせいで風の噂が一人歩きして巨大化していく。
(お前らが先輩のなにを知ってんだ)
なんてことは毛頭言えない。会社では常に、多数が正義なのだ。
(君、最近売り上げいいらしいね。どう? こっちの部署に移って来ない? 給料も上がるよ。ぶっちゃけ、あいつからも離れたいでしょ? )
出世して上の人との付き合いも多くなる。しかし本心は言えない。軽はずみには、言うべきではないのだ。
そんな最中、いつもの帰り道、あいも変わらず安酒を飲む上司の姿を見かける。
(お前も出世したな。俺を踏み台にしたんだろ)
部下は拳を握った。
(俺は、俺はずっと貴方に憧れてきたんです。どれだけ貴方が、人にそしられようとも、堪えてきました。俺なんかの為に、頭下げてプライド捨てて。その安酒飲ましてくれて背中撫でててくれた貴方だから。どれだけ悔しくても、ずっと。ずっと。頑張って来ました。全ては、いつか貴方の隣に立って、一緒に仕事できようになる為に)
(お前・・・ )
人は堪えなければいけない時がある。
目先の自由の為でなく、本当の目的を果たす為に。
「というわけで、居候しに来ました」
開いたままのドアの前に体育座りをしている柊が歯を閉じたまま言った。
「さっき別れたばっかだよな? 」(つか前もあったけど、この冒頭の話なんなの?)
日が昇ると共に洞窟を出て、昼過ぎ頃やっと家に着いた直後、すぐに彼女らはやってきた。
帰る途中でアンガーとアルたちはそのまま狩へ向かった。
俺と勝平は家に帰って、魚取りの準備して先に川へ行こうと思ってたところだった。
「泊めてやるとは言ったけど・・・ 今度会うときは敵って言ってたの誰だよ」
柊の後ろで奈々山総司がウロウロしている。
「おい。後ろの男はなんて言ってんだ」
勝平は不機嫌に言った。
柊は、また唇を半分噛んだまま喋った。
「その男が! 言ってるんですよ。ここに来たいと。話し聞いてましたか? 」
いたるところに浮き出る怒りマーク。特にこの黒髪の長身モデル体型の女性から発される怒りはあまりに透明で、刺さるほど鋭い目つきに威圧された。
「あああなるほど! あなたが部下でしたか! 」
堪えてるんだ。本当の目的果たす為に堪えてるんだ。
「まあ、とりあえず上がれよ」
総司は胡座をかき、柊は正座して不思議そうに部屋を見渡した。
「確かにいい家ですね。zoo臭いけれど」
動物園って言えば?
「すぐ汚れるんだよなー。割と掃除してると思うんだけど」
「足りません」
「す、すいませんね」
ポリタンクから水を空き缶ですくい、そのまま飲んだ。
「それ川の水ですか? 」
「そう」
「あの川は上流のサバンナから続いてます。途中の岩や藻を通してろ過しているとは言え、どんな寄生虫がいるかわからないので熱を通したほうがいいですよ」
口から霧状にして水を吹いた。
「やっぱり? よく下痢になると思ったんだよ・・・ 」
「はしたない」
口を拭うと、座って会話を続けた。
「詳しいんだな」
「私たちには本がありますから」
「本? 」
「辞書、図鑑、に近いですが、色々調べられるんです」
「すっげ! 便利だな! 現実から持ってきたのか? 」
「持ってこれるわけないでしょう。私たちの所持アイテムでした」
「所持アイテム? どういうこと? 」
「あなたは家だったんでしょ? 」
頭にピンときた。
「もしかして、一人一つ、何か持たされてる。とか? 」
「正解。知らなかったんですか? 」
都合がいいとは思っていた。家があって、川があって、海があって。やっと意味がわかった。
「記憶が曖昧なんだ」
「今までよく生き残れましたね。生活に役立つアイテム一つをランダムで渡されるんです」
なるほど。繋がってきたぞ。俺は家。勝平は種。柊は本。じゃあ・・・
「総司、だっけ。そっちは何を持ってるんだ? 」
総司は沈黙したまま、目を泳がせる。
「はぁ。温泉です」
ため息をついて柊が代弁した。
「温泉! すげっすね空さん! 」
勝平は目を輝かせる。
あったら嬉しいけど無いならなくてもいいかも・・・
「総司さんは雪山からのスタートでした。激しい寒さに耐えるべく、備えられたかもしれません。結局は寒さのせいで食糧が見つからず、移動してきて私と出会ったんですけどね」
「なるほど・・・ 大変だったな」
雪が降るほど寒い中でのサバイバルなんて、一体どうやって夜をこえればいいんだ。
想像のつかない世界の生活だ。柊もジメジメしたジャングルだし、ほんと拠点の環境に関して俺はメチャクチャ恵まれてるんだな。
・・・ていうか。
「え、ここ雪山あんの? 」
「あー! やっぱり来てた」
アンガーの大きな声が外から聞こえた。
ぞろぞろとアルたちが集まってくる。
「おいおい。冗談じゃないぜ。こんなあぶねえ奴らナワバリにいれんじゃねえよ! 」
「馬鹿じゃねえの? 」
「馬鹿なんだよこいつ! 」
「お前ら! 空さんになんて口の聞き方だ! 」
勝平はカルたちを追い回した。
「また仲間が増えそうだけど、お前らどう思う? 」
「俺は空さんについていきやす」
「反対だね」
アルたちは即答する。
一番警戒心が強いのはアルたちだ。それは悪いことじゃないのはわかっているつもりだけど。
「待ってください。私たちは別に仲間になる気はないです。ただ安全な寝床を探してるだけです」
柊は冷静な顔で言う。
「はあ? お前調子いいこと言うなよな! 居候するっていうならもう負けを認めて空さんにつくのがスジってもんだろうが」
「いいえ! 私はまだ認めません! 勝つつもりです! ただ! あの不気味な洞窟の、ガタガタの岩の上で、虫が身体中を駆け回る感覚の中眠るのに耐えられないだけです! それ以外は! 万に一つ! ここに来る理由はありません! 」
強く言い切った柊。
静かな部屋に、空の思いが溢れた。
「ワガママ・・・ 」
部活堪えきれてないじゃん。思いっきり自己の欲丸出しじゃねえか。
「お前の気持ちはよく分かるぜ。一度アイツらの恐怖を味わえば、二度と忘れないだろうな」
勝平はヤケに声を低くしている。
空は目を細めた。
「お前ら虫に謝れよ」
「だが、それとこれは別だ。人に世話になるだったら、それなりの対価を払うのは当然だ」
どうしようかな。
長い距離を歩いて疲労した足をさすり、窓から外を見た。
相変わらず心地の良い風に揺れる木々の葉。
戸惑う心の天秤の声を聞いた。
勝平は俺を信じてくれている。絶対とは言えないけれど、もう戦いを挑んでは来ないと思う。
でもこいつらはそのつもりで一緒に居させてくれと言う。
『隙があれば攻撃します。それを前提でそばに置いといて下さい』
別に戦うのが俺だけならいい。でも俺が不意をくらって負ける事で、困る奴らがいる。
俺じゃなくても、みんなを攻撃する可能性だってある。
それで誰かが傷ついたら、きっとアンガーは許さないだろう。
いやそもそも自分を許せないと思う。
この場で仕留めておけば、誰も傷つかずに済んだのにと。
本当に、負けたら全部終わってしまうんだな。
「オイラは大丈夫だ」
そうはっきりと聞こえた声の主はドアの外から空をまっすぐに見ていた。
「空が思うように、すればいいよ」
朗らかに、自身に満ちた顔をしている。
空は切り出した。
「わかった。良いよ。居候しても」
「礼を言います」
深々をお辞儀をした。
「でも条件がある」
「何でしょう」
「戦う相手は俺だけだ。もし他に攻撃したら・・・ えっとー。あれ。こ、今度こそ容赦しないからな」
下手くそな脅しを、真面目な顔で言った。
「空さん! 」
「良いんだよこれで。こいつらが勝負にこだわるのも理解できる。それに敵は近くに置いといた方がいいとも言うしな」
「約束は守る」
総司は珍しく口を開くと、立ち上がって外に出て行った。
「では私たちも相方を連れて来ますので、後日改めて来ます」
そう言うと、柊も立ち上がり、軽く会釈をして出て行った。
アルたちに威嚇されながら。
次の日。早速彼らはやってきた。大きな荷物と、互いのパートナーを連れて。
「某、名はフェイト。一匹オオカミでござる。好きな言葉は忠誠」
毛並みはグレーの綺麗なハイイロオオカミ。総司の相方らしい。
柊のクビに釣り下がっているアナコンダが、頭をニョロニョロと起き上がらせる。
「ワタシはミラ。んー特に言うことはないわね」
見慣れない柄模様と異様に太い体が、背筋をゾワゾワと逆撫でた。
ミラは柊から降りると、部屋の中をゆらりと動いた。
「ひえええ! 」
勝平は、足元を動くアナコンダに驚きを隠せず飛び跳ねる。
ミラは堂々と動き、貝や蟹を入れる用の水の入った大きなツボの中へ潜って行った。
「ごめんなさい。アナコンダは水場を好むの」
「う、うん」
「ライオンとハイエナは何処へ? 」
「サバンナに行ってる」
「余裕ですね。今襲ったっていいんですよ? 」
「は? 卑怯だぞお前ら! 」
「いや、そういうことでしょう? 実際、条件は飲みましたけど、そんなもの貴方たちを殺して消してしまえば、なんの役にも立たないですし」
「サイコすぎ。空さん、こいつらやっぱ危ないっすよ! 」
「でも、そっちの方は、そうは思ってないみたいみたいだぜ? 」
外をウロウロする総司を見つめて言う。
柊は大きくため息をこぼした。
「これからどうするんですか? 」
「とりあえず、また海岸歩いて物資調達と、磯と川で食料調達」
「分かりました」
それから人間四人と、フェイトは海岸へと向かった。
「凄い景色ですね」
柊は日差しを手で遮り、海の水平線を見ていた。
総司とフェイトもゆっくりと浜を堪能しているように見えた。
「はじめて海なるものを見た」
フェイトは波に興味津々で、匂いを嗅いでは少し舐めたりしている。
柊は海岸に並ぶ大量のゴミに目を止める。
割れたプラスティック製の大きな浮き。ポリタンクやペットボトル。細々としたゴミは小枝に織り混ざっていて、主に食品の包装やレジ袋だ。
空と海が繋がっている蒼い幻想的な世界の真後ろで、不衛生と汚染という印象を植え付ける現実がそこにはあった。
「汚い」
柊が無意識に言った言葉は、心の底からそう思っていることを裏付ける。
「亀がいますぜ」
勝平が呼ぶところに行くと、虫が群がる大きなウミガメの死骸があった。
「なんで死んでるんすかね」
「汚染物を食べたことによる窒息死。ですかね」
柊は淡々と述べた。
生気のない淀んだ目。伸びきった手足。
抜け殻のように萎れた亀の体に、哀れみを募る。
「罪深いよな。おれたち」
思わず空は言った。
「近年は、国を挙げての環境保護活動が行われて、流される汚染ゴミは六割減ったと聞きました。この仮想空間は何十年か前の時代設定だと思います。しかしまじまじとこれを見ると、解決しなければいけないことなのだなと改めて思います」
死骸の匂いを嗅ぐフェイト。
動物から見てこの死をどう思うのか。
今の空は少しだけ分かった気がした。
フェイトは何も言わず、何もなかったように通り過ぎて行った。
そう。生きる命があれば、死ぬ命がある。そこに感情はいらない。
憐れむ暇も言われもない。
それが弱肉強食の、自然の摂理。
「ならばどうする」
総司が喋り出した。
「人間社会の生活や利便性を欠いて、地球環境の為に尽くせるのか」
「他に方法はあります」
「無駄だ」
総司は足元の貝殻を拾う。長い前髪が潮風に揺れる。
「人間社会が成長していく上で、失われていく命があるのも、また一つの自然なことだ」
「じゃあこうやって消えて行く命があって当然というんですね。それが貴方の身近な人間であってもそう言えるんですね。なんとも無情な人」
「俺はお前のように、目の前で死を見たことで初めてそう思うような人間が嫌いなだけだ。人間のせいで消えてきた動物は、ほかにも腐るほどいる。食べ物も、密漁も、殺戮も、実験も。何食わぬ顔をしてその死体の上に立ってきただろう。お前は結局、一時的な憐れみに流されてかわいそうだと嘆いているだけ。毎日食べている飯にそう思ったことはあるか? ないだろうな。だが、こいつらにとってはどの死に方も同じだ。食用に殺されようが、こうしてゴミで詰まって死のうが、同じ死なんだよ。そして、紛れもなく、殺したのは俺たちだ」
「な、なんですって! 」
「おいおい! お前ら仲良いいんじゃねえのかよ! 」
両者の間に入った勝平。
「ていうか総司。お前ちゃんと喋れんのかよ」
「・・・ ダメなのか? 」
寂しそうにいう総司。
「い、いや全然? どうぞ続けて」
空は肩をすくめる。
柊はムッとして一人で歩いて行ってしまった。
空は焚き火の材料と、流れ着いた衣服をカゴに入れながら、総司の言葉を考えていた。
同感だった。様々な人間の取り組みが、自己満足にしか見えないのは。
でもアンガーの思いも覚えてる。
それが嬉しいと思う生き物もいると。
「一体おれたちは・・・ 」
立ち止まった。
足元にあるよくわからない汚れのこびりついた二リットルの凹んだペットボトル。
まるでどうなりたいのか。どこへ行きたいのかわからない自分たちの愛情の権化に見えた。
わかんねえな。なにもかも。
軽く蹴り飛ばした。
その後、大体の取集を終え、家に帰ると畑の前に柊が立っていた。
会話を弾ませようと、空は声をかける。
「凄いだろ? 半日で作ったんだぜ」
「素晴らしいです。これが安定して収穫できるようになれば、どれだけ生活が安定するか」
「だろだろ? 俺のアイテムも捨てたもんじゃなかったな! 」
勝平は嬉しそうに鼻を擦った。
「何を植えたんですか? 」
「しらねえ」
空と勝平は声を被せた。
「それじゃあ育て方間違ってるかもしれないじゃないですか」
「え? 土に植えればどれも一緒じゃねえのか」
口を開けたまま勝平がつぶやく。
「後で本で調べましょう」
長い髪を片方へかき分け、うなじを見せた。
集めた収集物を家において、今度は川へ向かうその途中。
「今日集めた服も、家にある服も、全部海岸で取ったんですか? 」
「ああ、そうだ」
「服なんて普通流れてこないでしょうに」
「そうなのか? 」
「プラスチックや発泡スチロールなど水に浮くものは流れるでしょうが、布は沈みますから」
「あそっか」
「もしかしたら、衣類系のスポーン地点もあの海なのかもしれません」
「スポーン地点? 」
「仮想空間で定期的に物が復活する地点です。例えば山菜や枝など集め続けて入ればやがて枯渇します。そうなると食料や物資のあるところへ移動しながら生活しないといけませんし、万が一生活できないほど枯渇してしまい、生活がままならないかもしれません。ですから定期的に物を再配置してバランスをとるんです」
「お前よく知ってんなぁ」
「不思議に思いませんでしたか? 前と同じような場所で同じものが取れ続けること」
「思えば、いまからいく川も、二、三日経てばまた取れるなぁ」
「それは間違いないですね。普通何度も同じ場所で魚はとれません」
「まじかよ」
「それにしても、そうなると本当に運がいいですね。家に、服、川と。海。ほとんど揃ってる。しかも相方はライオン。正直、恨みたいです」
「ええ? なんでだよ」
「私があなただったら、どんなに良かったことか。さっさと皆殺しにして一抜けするのに」
「おい、総司。まじこの女危ねえぞ」
勝平が総司に肩を組む。
「触るな、坊主」
首に回った腕を強く振り払った。
「はあ? なんだおめえ! 」
勝平のメンチを感じ、走り出す総司。すかさず追いかける勝平。二人の姿はあっという間に森の中に消えた。
「ふ。何やってんだあいつら」
少し吹き出して笑った。しかし柊の曇った顔は解れなかった。
こいつは、本当に金を信じて来たんだな。その為だけに。
それが叶わなければ、なんの意味もないと言えるほどに。
そうこう話しているうちに川についた。
空気中の水分が肌に張り付くのを感じる。
総司と勝平は息を切らして仰向けに寝ていた。
「おい。今からが仕事だぞ? 」
「へい! 空さん! お前も起きろネクラ黙秘」
勝平が総司の腹を叩くと、総司は倍の強さで叩き返した。
「はあ? まじなんなんだおまえ! 」
二人はまた川下の方へ走って行ってしまった。
「おい! どこ行くんだよ」
「放っておきましょ。それで何をするんですか? 」
「漁だ」
空は勝平とやってきたことと同様に、柊にも教えた。
誘い込むように囲んで引き上げる。
バタバタと網の中で動く魚を見て、柊は純粋に嬉しそうな顔をした。
空は少し笑んで安心した。
ちゃんと笑えるんだな。
日が高く登ったその帰り道、柊は屈み込んだ。
「何してんだ? 」
「ヒラタケです」
柊が指す木の根っこの裏側に、大量に繁殖している傘の大きなキノコがあった。白っぽい茶色だが、見た目は大きく、不気味な風貌に危険を感じた。
「うわぁ。食べたら死ぬんじゃない? 」
「大事な食料ですよ! 」
柊はちぎってカゴに入れた。
「あ、こっちにセリもあります」
根っこの水溜り付近に生えている緑色の草のようなものも、柊はカゴに投げ入れた。
「これも食べれるのか? 」
「そうです。ほら、ここにも、エノキタケ」
「おお。すげえな柊」
キノコと山菜を採りながら、二人は家路を辿った。
家に着くと早速料理の準備を始めた。
「花時丸さん、魚はお願いしていいですか? 山菜は適当に茹でます。キノコは焼けばそれでいいです」
「おっけい」
石包丁で腹を開き、素手で雑に内臓を取り出すと、海水から蒸発してとった塩を塗る。
後は焼くだけだ。
隣で、柊は業務用油の缶に水をいれ、セリを茹でている。味付けは勿論塩しかない。
特に話すことなく時間が過ぎていき、勝平と総司が疲労困憊で帰って来た。
「磯、なんかあったか? 」
「へい」
勝平が持ってきたカゴの中には、ウニとバテイラ、イボニシなど小さな貝が数個入っていた。
「遊んでただろお前ら」
「違うんすよ! 空さん! こいつ全然言うこと聞かなくて! 」
「貴様の言うことなど聞いてられん」
「カアアアアアアアア」
みるみる怒りボルテージを上げ沸騰していく勝平。
「もーいい加減にしろよ。とりあえず砂抜きしとけよ」
「総司さん。キノコ洗ってきて下さい」
渡されたキノコをボールに入れて、川の水でゆすぐ。
勝平は、はちきれんばかりに膨張した血管を浮かばせて、壺から水を取り出そう手をいれた。
するとヌメッとした感触と、硬いものに当たった。
「ひえええ! 」
「あら、失礼ねあんた」
ミラはゆっくりとツボを出て、外に出て行く。
勝平は飛び跳ねて部屋の角に寄ると、こちらを振り返り嘲る総司の表情が目に入った。
「てめ笑ってんじゃねえ!」
勝平は一思いに、カゴに入っていたウニを総司に向かって思い切り投げた。
総司の後頭部に突き刺さり、ウニはその場に留まった。
「ぎゃああっはっはっはっはw」
腹を抱えて笑い倒れこむ勝平。総司は小刻みに震えながら小さい声で呟いた。
「絶対いつかブッ殺す・・・ 」
あまりに斬新なコントに空は思わず笑った。となりにいた柊の顔は見なかったが、確かに笑う声が聞こえていた。
そんなこんなで今晩の献立が完成。
アユの塩焼き。
バテイラとイボニシの塩茹で。
ヒラタケとエノキダケの直焼き。
セリの塩茹で。
「頂きまーす」
アユは言わずもがな安定したおいしさを持つ。問題は新メニューの貝系とキノコだ。
貝殻から小さな身を抜いて、口に入れた。
「あーーにげえ! これは苦いぞ」
身は固く、エグミのある味だった。しかし食感はまさに貝。サザエなどとあまりかわらないコリコリした感じだ
続いてヒラタケ。エノキダケ。
「ほとんどシイタケですね。ちょっとだけ独特な味はありますが」
そしてセリ。
「あー。癖強い! でも俺は好きな方だな! 三つ葉の上位互換だ」
初めて恐る恐る食べるものは、大量には食べきれない。怖いし、アクがあるとベロが痺れたり、ずっと口の中の違和感が残ったりする。
だからあまり満腹にならない方がいいもかもしれない。
「でも、やっぱりもっと食べたいよなぁ」
悔しそうに空は言う。
「畑はまだまだ期待できない。そうなると、やっぱ動物たちの手を借りて、肉にありつくしかないんじゃないすか? 」
「そうですね。状況を考えるとタンパク源はやはり肉からとるのが、無難かなと」
「よし。次からは肉を食べることを目標に動いて行くぞ」
晩飯を終え、陽が完全に沈もうとする頃、アンガー達は帰ってきた。
ぞろぞろと家に上り込むケダモノたち。
相変わらずアンガーもアルたちも、口の周りを血みどろにして帰ってくる。
「いやー今日は危なかったなぁ」
「でも、諦めないでよかったすねアニキ」
「アンガーも随分と動けるようになってきたね」
「なーに。まだまださ! 」
すると外からキルの怒りの声が聞こえて来た。
「おおおおい! なんかクセェと思ったら、あの犬小便してんじゃねーか! 」
「うわ、許すまじ! 」
「連れてこい! 」
フェイトは焦って逃げ出した。
「待て! 其、自分の家にはマーキングするのでござる! 」
「そりゃ俺らもおんなじだべや! 」
ハイエナに追い回される狼。総司はいても立っても居られなくなった。
「おい坊主! 今すぐ止めさせろ!」
勝平はチャンスと言わんばかりにでかい態度で答えた。
「はあ? 」
鼻をほじりながら煽る勝平に、総司は限界を感じた。
「貴様・・・ 外へ出ろ。その腐った性根叩き直してやる」
「上等だコラァ! 」
勢いよくドアを開けて出て行った二人に、フェイトとカルたちは映らない。
「あの戦いはいいんですか? 」
「まぁ、バケモノになんないならもういいや」
微笑んで見つめるドアの外から、ミラが帰って来た。
「ミラ。何食べてきたの? 」
「う、ウサギ」
苦しそうな声で言うミラのお腹は異常に膨らんでいた。
「もしかして、丸呑みしたの? 」
アンガーは興味津々で、お腹を突いた。
「ちょっと触んないでよ。デリケートな時間なのよ」
二人と二頭の獣が加わった夜は、かつてないほど騒がしかった。それでいてとても充実した時間を、空は感じていた。
隣で満足そうに柔らかな表情を浮かべる柊が、釣られるように口を開く。
「今日は、楽しかったです」
「そっか。よかった」
にっこりと笑ったあと、空はボソッとまた言葉を溢した。
「金で幸せは買える。そう言ってたね」
「はい。・・・何か言いたげですね」
柊は、目を尖らせた。
「お前が現実で欲しいものって、本当に、お金で解決できるのか?」
柊は少し考えた。
「・・・わかりません」
視線を遠くへやった。
「毎晩、両親の喧嘩を聞くのが苦しくて。話題はいつも、互いの稼ぎが少ないから私が、俺が、辛い目にあっているんだと。離婚するしないの話は結局まとまらず、ただただ言いたいことを言い合ってるだけ。私のことなんか目もくれない。だったらいっそ、満足するだけのお金があれば、二人はまた仲が良かった昔のように戻るのではないかと。そう思ってここまで来ました。でも・・・」
ミラは柊の膝に乗って寄り添う。
「でも、それで解決するのか今は正直分かりません。貴方に負けてから、自分に自信が持てません」
「だったら、もし俺に金が入ったら、全部やるよ」
「え? 」
ミラとアンガーは驚く。
「それで大丈夫か? 」
「わ、わかるわけないじゃないですか! 後になってみないと・・・ 」
「そうじゃなくてさ。お前が、今楽になるかって聞いてるんだ」
「わ、私? 」
「今、少しは気が楽になるか? なんだか俺には、お前の目が何かを睨んで、遠ざけてるように見える。苦しそうに見えるから」
「なんですかそれ。・・・余計なお世話ですよ! 」
柊の怒鳴り声に気持ちを突き飛ばされた。
視線は柊の足元へ動く。
よく言われてた。
無駄に首突っ込んで、結果誰が得をしたのか。何のために、ほんの僅かな勇気振り絞ったのかわからなくなるようなこと。
いじめられた子に声をかけた時。
ちょっとしたいざこざで傷ついた顔してた人に声かけた時。
怪我して地に落ちた鳥を抱えた時。
放って置いて欲しい。一人にしてくれ。誰も俺を見ないでくれ。近寄らないでくれ。
そんな感情が、刺々しくて誰も寄せ付けないのに。
俺は、いても立ってもいられなかった。
「でも、無駄なことなんかじゃないんだ」
アンガーが空の隣に来て言った。真っ直ぐな思いを乗せた瞳には、濁り一滴見えない。
「何よ。女にはね、放っておいて欲しい時があるのよ」
ミラは長い舌をチョロチョロと出した。
たしかに全部俺の自己満足。
でも。
「でも、それでも俺たちは、余計なお世話に、お世話になってきたから今こうしていられる気がするんだよ」
だから俺は、それでも君に寄り添う。
跳ね飛ばされるくらいでいい。
何か一つでも、君が変わるきっかけになればいい。
「強がることは悪いことじゃない。でも自分を押し殺してまでそうしたところで、意味はあるのか? 」
柊は少し考える。
目を右往左往させながら、動揺を隠すように、顎に手を当てる。
「そ、それでも結果が望むものになれば、私はそれでも・・・ 」
「そうならなかったら? 報われなかったら? 納得できるか? 人を殺してまで金を手に入れても、結局なにも変わらなかった時、次は誰を恨むつもりだ?」
柊は息を留めるように、思考を停止した。
ミラは心配そうに柊を見つめる。
「詳しいところは分からない。でもそれはきっと、お前だけが背負えばいい問題じゃない。お前が人殺しになって大金を得たとしても、全て良い方向にいくなんて絶対にない。人の心はそう、単純じゃない。むしろ拗れるだけだ。仮に叶ったとしても、人の幸せを奪ったお前はずっと後ろ指刺されて生きていくことになる。お前が奪った人の怨念の重みは、一生お前を苦しめる」
言葉を粒立てて続けた。
「それは本当に、幸せと言えるのか?」
柊は瞳を潤わせて俯いた。
胸の中で、閉じていた蓋が少しだけ開く。その隙間から、一粒ずつ、思いがシャボン玉のように浮かんでいった。
もっと、世界は綺麗だった。
みんな笑ってた。
でもいつからか、全てが淀んで見えた。
いつしか変わってしまった日常が、そうさせたのかな。 私が変わったから、世界も違ってみえるのかな。
きっと後者。
家がどうだろうが、環境がどうだろうが、幸せになれる人は幸せになれる。
私は、そこまで強くなかった。
何かのせいにして、真っ直ぐに向き合えなかった。
仲裁することも、止めることもできなかった。
「私は強く、なれなかったんです。ちゃんと二人と向き合えなかった。だから・・・ お金のせいにした。貴方の言うとおりです。総司さんにあんな事言っておきながら、本当は、誰かの首を締め上げるほど、苦しくなっていたのは私。・・・覚悟なんて、全然できてなかった」
ちゃんと話合おうって。
ちゃんとお互い話を聞こうって。
何で言えなかったのかな。
頬を伝う涙。肩を落として、吐息を漏らす。
「・・・こんなはずじゃ、なかったのになぁ」
お父さん、お母さん。ごめんね。
「私が、もっと強かったら・・・ 」
その言葉に、胸が深く痛んだ。
白い肌が艶めいて濡れていく。真っ赤な唇に沿う女の子の涙に、空もまた、目の奥を熱くした。
「強くなんか、なくたっていいじゃないか・・・ 」
震える唇を噛みしめた。
「誰も、強くなんかない。でも誰も悪くなんかない。みんなただ、何かを変えたかっただけだ。だってそうだろ? じゃあ弱いことって、そんなに悪いことなのか? 人は一人じゃ生きていけないって、大人たちはえらそうに言ってたじゃねえかよ! だから、助け合うんだろうが!」
怒りを混ぜた空の言葉は、柊の心を先導していくように共感を伴った。
「強くないから俺も奪われ、壊されてきた。でもその度に、ずっと守られてきた」
言葉じゃなかった。ましてや物でも。お金でもなかった。ほんの小さなこと。その積み重ねが、俺に教えてくれた。
寄り添ってくる猫の温もりも、いつもの母の笑顔も、嫌ことがあって、当たり散らして夜遅く帰ってきた時、家のテーブル置いてあった晩飯も。
ただそこにあった小さな優しさが、俺を見捨てないでくれたんだ。
寂しげに、悲しげにも図太く、強かなその愛情が、俺を生かして、苦しめて、そして助けてくれた。
置いては行かない。
だから君も、誰の思いも置いてゆくなと
教えてくれたんだ。
「あの時、俺を殺さないでいてくれた事も。たまに見せてくれる笑顔も、俺嬉しかったんだ。その優しさは俺を生かした。また俺を守ってくれたんだよ」
必死に空の目を見ていた。
崩れてしまいそうな心の芯を、空の言葉で、支えようとしていた。
「お前が持ってるその優しさはきっと、お前が好きだった両親が。その余計なお世話が、教えてくれたんじゃないか? 」
小さな体の柊が、大きなテーブルに埋もれるように座っている。テーブルには大きなバースデーケーキ。そしてピンクの包装紙の中から出て来たのは、一冊の本だった。
—爬虫類図鑑—
トカゲや蛇が大好きだった柊にとって、それは好きなものを愛せる方法が乗った計算式だった。
「奪う強さなんていらない。苦しくなるだけだ。でも誰かの心に寄り添う時、俺は救われて、お前は笑った」
柊が零す涙はミラの体の曲線を滴る。
膝にアンガーの爪が食い込む。
「金が全てとか、もうそんな維持張らないで」
アンガーの手を握った。
「お前らしく、生きて欲しいんだ」
震える手で、ミラをぎゅっと抱きしめた。あの頃、一人っ子の柊を、両親が抱いてくれたように。
磯の香りが部屋中を漂っていた。生臭くて、服にまでこびりつく。でももっと生臭くていいと思った。あまりにもクサいこの心の磯が、早く潮に満ちて沈んで欲しい。
アンガーは優しい目で柊とミラをじっと見つめる。
ミラ。今は君が。
本当の柊を鏡してあげるんだ。




