第二十話 嫌悪
アルの強烈な後ろ足蹴りに目を覚ました勝平は、横たわるアンガーと空を見つける。
「空さん! 」
すぐさま駆け寄り肩を揺らしたが、軟体動物のように揺れる体に異常なものを感じた。どんなに揺らしても全く抵抗が無く、傾ければ転がるだけ。恐る恐る揺らすのをやめた。
「アル! 一体どうなってんだ! 」
近寄って来たアルとウルが、黙ったまま見つめる先に二人の人間の姿があった。
「お、お前ら誰だよ・・・ 一体なにがどうなってんだ! 」
錯乱した勝平の声は熱帯雨林の夜に籠る。
「・・・寝床がある。まずはそこへ移動しよう。話はそれからだ」
男の方の人間はボソッと言う。
「冗談じゃないわよ! 誰がアンタたちのところなんかに! 」
怒りを露わにするウル。それを合図に一斉に立ち上がったハイエナ達は凄んで見せた。
「どういうことなんだ! あいつらはナニモンなんだ! 」
「バケモノよ! 」
勝平は目を見開いて驚いた。
一体、どんな理屈で・・・
「じゃ、じゃあコイツらがさっきの・・・ 」
血が飛び散らかった木や岩、深くえぐれた土を見回して、ゆっくりと魂を煮えたぎらせる。
「お前らが、空さんを」
立ち上がって男の方に近づいた。
「おまえらが・・・ 」
胸ぐらを掴んで引っ張り、鼻と鼻が当たりそうな距離まで顔を近づけた。
「今話してる時間はない。夜のジャングルは危険だ」
男は冷静に喋る。
「うるせえよ。今すぐボコボコにしねえと気がすまねえんだこっちは! 」
「やれるものならやってみろ」
弦が切れ、殴りかかった勝平。しかし右フックは容易に避けられ、右ボディーからの下段蹴りをくらい、ひっくり返って倒れた。
そのまま男は顔面を踏みつけた。が、手答えの無さを感じる。
足は腕でガードされていた。プルプルと震えゆっくりと下がる隙間から、怒りに燃ゆる瞳が覗く。
「あーーーーー、くそがああああああああ! 」
その目の奥に緑色の発光体をみた男は、動揺してバックステップした。
「またか。冗談じゃない」
そういうと額に流れる血を袖で拭い、フラついて膝をついた。
「聞け。今倒れている男にも安全な場所が必要だ。今やりあって共倒れになるつもりか」
勝平は膝立ちになると、怒りを抑え込むように俯いた。
「勝平、信じちゃダメよ」
アルが足を引きずってきた。同調するように、十四匹のハイエナは、怪我した足ををかばうようにして跳ねながら勝平の背に集まる。
「いい加減にして下さい! 甘いんじゃないですか! 」
初めて聞く尖った声のほうを向くと、奥の木陰で座っていたはずの女の人間が、立ってこちらを見ていた。
「総司さん。私はお金の為に来ているんです。手に入れる為ならなんでもする覚悟で来たんです! 」
男は黙って聞いていた。
「今ならこいつ一人くらい私達なら倒せます! その後倒れてる方にもトドメを刺せばまだ勝てるんですよ! そうすれば私たちは・・・ 」
男は少し考えた後、またボソッと言った。
「デリートはしない。そう決めただろう」
「そんな決め事やプライドの為に、これから手に入るはずの幸せ全部逃すんですか! 馬鹿じゃないの!? 」
泣きじゃくった後なのか、赤くなった目が必死さを訴える。
「俺には、もう分からん。やりたいなら勝手にやれ」
男は嘆くように、前髪を巻き込んで頭を抱えた。
「情けない。今更怖気付いたんですか。ミラ! 」
女の呼びかけで蘇るように高く体を伸ばすアナコンダ。女が伸ばした腕に巻きついていく。
「金で幸せは買えるんです」
発光しだす蛇と女。アナコンダが通った箇所から、空間の亀裂とともにゆっくりと光が体を覆う。
そのなんとも不思議な光景をみて成り行きを察した勝平は、無感情に口を開く。
「アル」
「なんだい」
「俺はどうしようもねえ奴だけど、空さんと出会って、変わりたいと思えた」
「・・・ そうだね」
「でももし変われたとしても、これまでして来たことは変わることはない。だからせめてこれからは人の為に、自分を投げ出せるようになりたいと思った」
「うん」
「空さんを守りたい。間違ってねえよな? 」
「当たり前だよ」
ハイエナ達は横一列になり勝平と並ぶ。
「家族を守りたいと思うのは、どんな生き物でも一緒さ」
勝平は立ち上がり、女を睨んだ。
「やるならさっさとやろうぜ」
「貴方に何が出来きるの・・・ 」
長い黒髪が扇子のように広がり不気味に蠢く。腕はまた伸び、瞳孔が縦長に動き始める。
しかし変化が止まった。
女は勝平の差し迫る目力に気圧されていた。その目に宿る緑色の光が、光線としてこちらに飛んで来たのだ。
みるみるうちに頭全体を包みこんでいく光は、自身と全く同じものだった。
「・・・は、はぁ? 嘘でしょ」
女は腰が抜けたように、座り込み、その失意に反応して光は収まった。
勝平もそれを見て怒りを鎮めると、瞼を閉じ。目の輝きに蓋をした。
「何故かはわからんが、全く勝てるイメージがわかん。柊。このまま挑んでもし勝てたとしても、その先に本当の幸せがあるとは俺はどうも思えん」
微笑んで呟く男にもはや闘志は無い。抜け殻のように座り込んでいた。
「理解不能です」
その戦意喪失は、蒸し暑い森の中、たしかに戦いの終わりを告げた。
ようやく訪れた静けさに、名も知らぬ虫の声が響く。
勘九郎と拓扉が乗った車両が出ていくのを、GPSで確認している切島。壁も透明化を停止して白色に戻した。
バッグの中をさぐり、手元に出したのは古い銀色のノートパソコン。
開いてパスワードを入れると、すぐに映像が映った。
黒い山の斜面を歩く一人の男が見える。
(勘九郎さん。私も一緒ですよ)
画面の光を反射するメガネの奥で、思いを募る。
(出来ることを、やるしかないんです)
真摯の念を持って見つめる映像の中の男は、ようやく山頂まで登った。
煮えたぎり、燃える水の噴水。
男は優しく、その赤く輝く液体を手ですくった。
森に立っていた。体の感覚は無くて、浮いている感じだ。
そのまま気持ちが良くなって、思い切りジャンプすると、周囲の木々を容易に超えて、よく飛んだ。
地面が遠くなっていって、木の集まりが一体に見えるようになる。地形を理解し、遠くの山から続く斜面の続きが、ここまで来ているのが分かる。
楽しさが心に溢れかえり、自然と笑みを浮かべる。
後ろを向いて、夜空をみた。
闇の中をじっと見ていると、水面のように細かに振動する膜に気づく。
夜空という天井に、鼻先が当たりそうな距離。
指で触れてみると、波紋が広がる。
何も考えず、ゆっくりと顔から膜に浸って通り抜ける。その先にはまた、鏡写しの森が広がっていた。
ゆっくりとその森へ上昇していく体。
一定の間隔を置いて、少しずつ速度が上がる。
どこか不安をよぎらせた。
上がっているのでは無く落ちているのを理解すると、それは危機に変化した。
どんどんスピードを上げ、風が顔の皮膚と服をバタバタと吹き荒らす。
「うわあああああああああああ! 」
耳から脳まで入り込んでくる風音のせいで、声が出ているかもわからなかった。
先端が見え始めた木々。どうやら木にはあたらず、隙間の地面に追突しそうだ。
心臓の鼓動が異常に加速する。緊張していた。恐怖していた。
そして木を通り過ぎた瞬間、一瞬で地面は目の前に来た。
「空!! 」
「わっ!! 」
アンガーの声で飛び起きた空。汗でビショビショだった。
周りを見ると、そこは薄暗い洞窟で、焚き火の明かりがゆらゆら照らしていた。
となりに勝平とアルたちの姿も見える。
「こ、ここは」
膝の上にいるアンガーの背に手をやった。
「あいつらの家」
アンガーは目を瞑ったまま言う。
空が「あいつら」と認識したのは、壁際に寄りかかっている一人の男と女。
「おまえら・・・ あ・・・ 」
二体のバケモノ。それを掴む感触。解けたバケモノから生成された人間。
次々に映像が頭の中を駆け巡った。
「そうか。思い出した」
空はいろいろ聞きたい思いよりも先に、沈黙を欲した。
とりあえず、戦いは終わったんだろう。
だからこうしてみんな。
空は頭をかいて、小さく息をした。
「食べますか? 」
近づいてきた女が、棒のようなものを渡して来た。
空はその見た目を見て少し引いた。
「なんですかこれ」
「蛇です」
「へ、へぇ」
周りを見渡し、助けを求めた。端にいる男の方は焼いた蛇らしきものをむしゃむしゃと黙して食べていた。
勝平も食べているようだった。
「じゃ、じゃあ。はい」
焦げた蛇の巻きつけられた棒をもらい、まじまじと見つめた。
頭は切り落とされているが、体は、蛇でしたと言わんばかりのフォルム。
ウナギだと思いたい。
口に近づけ、薫匂いを嗅いだ。
匂いは、鶏肉の焼けた匂いだ。
しかし油断はしない。これはまやかしだ。
ぎこちなく、一噛みし、ほぐれる身を食べた。
「美味しい・・・ 」
ほぼチキン。すこし独特な風味はするが、あまり気にならない。骨に沿って引っ張ればすぐ身が取れるし、細い骨ならすぐ砕けて食べられそうだ。
妙にお腹が空いてきた。
空は勢いに任せて、かぶりついた。
ぱっくりと縦に裂けている蛇の体。きっとそこには内臓は入っていたのだろう。
脇腹にある肋骨部分の肉を、何度も食いちぎる。肉が少なくなると棒から外し手で掴んだ。多少の熱さは我慢して、夢中になって食べた。
いつのまにか背骨だけになり、それを焚き火へ放り投げた途端に、とてつもない感謝の念が押し寄せた。
「あの、ありがとう」
女は長い黒髪をなびかせて振り向く。
「いいえ」
少し頭を倒すと、また前を向いて歩いて行った。
「空さん! 意外とイケたでしょ! 蛇! 」
勝平が勢いよくとなりに来た。
「ああ。ほんと。てか無事だったんだな」
「いやぁあどうなるかと思いましたけどねえ! あいつらがここに連れてきてくれて、なんとか夜を越せそうです」
「あの後何があったんだ? 」
それから勝平から一連の流れを聞いた。
二人が戦うことを躊躇したこと。
金関係の目的があること。
トドメを刺さなかったこと。
まだ何かを知っているわけじゃ無いけど、深い理由があって戦いに来たんだろうな。
みんな、それぞれ。
何やら作業をしている男と女。
今晩のお礼を言いたくて仕方なく、空はアンガーを滑り落とし、歩いて行った。
「なあ。えっと。今日はありがとう」
「・・・ 」
男は黙っている。
あれ、聞こえてない?
「名前とかさ! 聞いてもいいかな? 」
男はチラチラと目だけでこちらを数回見るが、作業を続ける。
「おい。空さんが聞いてんだろうが! 何とか言えよてめえ! 」
勝平が眉を釣り上げてはいってきた。
「お、おい。いいって」
空は勝平の胸を手で押さえて進行を止める。
「ごめんなさい。総司さんは滅多に喋らないの」
女はペットボトルを数本持ってやって来た。
「嘘つけよ! 外じゃあんなに喋ってたじゃねえか! 」
勝平は男指差して言った。
「あんなに喋ったのは私が彼と出会った時以来です」
女はペットボトルを置いて膝の高さの角ばった石に座った。
「八束 柊と言います。彼は奈々山 総司ともに十七です」
「カッペイ・アズマヤだ。こっちは師匠の花時丸空さん」
「恥ずかしいから止めろよ」
勝平の胸を指す親指をはたき落した。
「アズマヤさん、花時丸さん、ですね。聞きたいことは多少ありますが、とりあえず、助けるのは今晩だけです。明日には帰ってもらいます」
「ああ、わかってる。こっちも聞きたいことがいろいろある」
空と勝平は地面に座った。
何から聞こうと考えたが、うまく頭が回らなかった。
「・・・ まぁ、その。なんで助けてくれたんだ? 」
「結果的にそうなっただけです。花時丸さんだけならまだしも、アズマヤさんまで『あれ』になったら、お互い無事に家に帰れる補償は無かったですから」
「おお。勝平もあれになったのか? 」
「なってないっすよ! 」
「でもなりかけていました。もし私が後一撃打とうものなら、間違いなく」
「あれは、一体なんなんだ」
少し考えた後、柊は続けた。
「私たちは、あれをある男から教えてもらいました。仮想空間に関するシステムの副作用とも言える現象で、自と他の意識が共振し、結合すれば、人間を超えた力を手にできる。そうすれば戦いを一方的なものにできると」
「んな馬鹿な・・・ 」
「男はそれを教えるとどこかへ消えてしまいましたが、おかげで私たちはこのバトルロワイヤルで勝ち抜く術を得ました。私は総司さんに負けたので、下につくことにしました。結果的にその総司さんは貴方に負けたので、私たちは貴方に従わなければならないのが定石ですね」
「空さん。これでまた舎弟が増えましたね」
「馬鹿か。上とか下とか、そんなルールどこにもないだろ」
「私も実は同じ意見です。しかしながら、奈々山さんが協力的ではなかったので結果的に戦いを終えることになりました」
「そっか」
空は静かに、戦いの終わりに安堵した。
「ですが」
柊は膝の上で拳を作った。
「私は、まだあきらめていません。隙があればいつでも戦いを挑んで一番になります」
「お前まだそんな事いってんのか」
「『最後まで生き残ったものには一生遊んで暮らせるだけの富』それを聞いて、目的が変わりました。私も、それが欲しい。両親に楽させてあげたいもの。貴方達だってそうでしょ? そのために来たんでしょ? 」
「最初は俺も自分の為だった。でも今は、空さんについていくことだけが理由だ。金はもういい。負けたし。殺さないでくれた」
「殺さないでって。別にここで貴方を殺しても、現実では死なないんですよ? 」
「うーん」
勝平は悩んだ。
「でもさ。なんかイメージできないじゃん? 」
穏やかに空は言う。
「自分が死ぬ瞬間も、相手を殺す瞬間も。死っていうものをイメージできないんだよ。あまりにリアルすぎて本当に死ぬんじゃないかって不安になるし。それになんでか分からないけど、いろんな気持ちが入り込んでくるんだ」
「というと? 」
「前に、勝平を殺そうとした。槍を構えて、腹に一発。刺せばそれで終わったはずだった。でも出来なかった。こいつのいろんな感情が、一気に俺の心に入り込んでくるような感じがした。それでふと思った。
確かに、現実の体は無事なのかもしれないけど、今ここでこの槍を振り抜いてしまったら、本当に殺してしまう気がした。
こいつの心を、殺してしまうんじゃないかって」
「空さん・・・ 」
「なんで泣いてんだよ」
鼻水を長くたらした勝平は、背中を向け男泣きした。
「で、でも、そのせいで一生分の幸せを無くすんですよ? それでいいんですか? 」
焚き火に目を細めた。
一生分の幸せ。か。現実での俺の幸せってなんなんだろう。
なにが一番嬉しいかな・・・
頭に浮かんだのは台所に立つ母の背中だった。
「俺にはまだ、何が幸せかなんて分からない。確かにお金がいっぱいあれば美味いもの食えるし、好きなもの買えるし」
「そうですよ。お金があるから人は幸せになれるんですよ」
「そう、なのかな・・・ 」
確かに、お金で買える幸せがある。それは間違ってない。でもなにかが引っ掛かる。
「まぁでもさ、俺はその辺の記憶が無いからその一生分の富が本当にもらえるのか確証がもてねえし、俺は殺しあう気にはなれない」
「記憶が・・・ そうですか」
柊は焚き火に薪をくべた。
「もし、現実へ戻った時、そのお金を別の誰かがもらったら、皆を殺して置かなかったことをいつか後悔しますよ」
「んー、それだけは無いかなぁ」
空は断言した。
「なぜ言い切れるんです? 」
「悩んできたから。後悔したくても、できないほど。この道しか、この答えしか選べなくなるまで」
柊はムッとした。
「一体にそこまで何にこだわってるんですか? 」
「わかんない。でも、それじゃ喜ばない人がいるんだ」
幼い空が見上げる母の顔は影に隠れている。しかし自然につり上がった口角が、穏やかな風貌を想像させる。
「そうですか。私にはわかりません。もう寝ます」
柊はそういって、藁のひかれた床に転がった。
焚き火から木の爆ぜる音が、心地良い、ひんやりとした洞窟内。
その後一切の会話は無く、慣れない全面岩の家の中で一行は朝日が昇るまで休んだ。
やがて、甲高い鳥の声が早朝に響く。
「いやあーほんと、色々あったけどまぁ助かったよ」
洞窟の日陰を出て、優しい朝日を浴びる空と勝平。その後アンガーとアルも調子良さそうに出てきた。
「次会った時はまた敵です」
柊はツンとした表情を変えない。
「そーかいそーかい分かりましたよ」
勝平はあくびをした。
「でも一回は一回だ。ウチの近くに来たらいつでも泊めてやるよ。俺たちの家はちゃんとした家だから、きっと気にいるぜ」
「そうそう、こんな辛気臭えところと比べ物にならないちゃんとした『家』だからな! もう一回言おうか? 家! 」
勝平は皮肉を込める。
「な! 家。ですって・・・ 」
柊は動揺している。
「じゃあまた! お互いガンバロウ! 」
光の中へ元気に歩く空たち一行を、黙って見ていた奈々山総司。
あまりに真っ直ぐな視線は、何かを見据えたように感じさせる。
「え? 」
柊はその視線に気付くと、鈍い嫌悪感を放った。




