第一八話 共振
夜空が近づいてきた。星々の煌めく暗闇に溺れているように感じた。大きかった月はより大きく見えた。手を伸ばせば、触れそうなくらいに。
色はよくわからない。灰色っぽく見える。でも代わりに全てのものの動きが見える。どういう風に動くのか。どう動くつもりなのかもわかる。
風が読める。
ただただ夜風に吹かれるままに、そこに立ち尽くした。
なんでここにいるんだ。俺は誰なんだ。
目の前に見えるよく分からない生き物二体が、俺を睨んでいるのがわかる。今にも攻撃してきそうだ。
ふと後ろを見ると、勝平が眠っているのが分かった。近くにいるアルたちは俺を警戒している。すごく怖がってる。
なんで怖がってるんだよ。俺だよ。俺は・・・空。
そうか。思い出してきた。
込み上げてくる灼熱の怒りが、体に力を注ぐ。
思い出した。
二体の化け物を睨んで、ゆっくりと歩き始めた。
お前らが俺を怒らせたんだった。
全身の毛が逆立つのを感じる。
痛めつけられた記憶が少しずつ戻るたびに、腕や足に尋常ならない力がこもる。
なんだこれ。この感覚。妙に気持ちが良いな。
あれ。俺どうなってんだ。
ふと我に戻った空は自分の手を見た。
両手の平。甲。おなか。腰。太もも。スネ。足。
奇妙な違和感とゾッと背筋をなぞられる感情が、一気に爆発した。
「グオオオオオオオオオ! 」
うわああああああああああ!
心の中で叫んだ声は、今の体では言葉にできなかった。
奇態な肉体が自分のものだと知ると不安と恐怖が爆発し、理性を打ち砕く。脳みそが爆発しそうな感覚の中、思考はまとまらない。今にも四肢が弾け分裂してしまいそうだ。
その生き物は、辺りの木々に荒れ狂うままに攻撃して、次々に倒木していく。
ヤバイイイイイイイ
ハァ、ハァ!
助けて・・・ 誰か!
心の中、無意識に呼びかける。幻想の中で空中に浮いた自分の体。その両耳を誰かが抑え、外部の音を遮断した。
大丈夫。ゆっくり息をして。
優しくも懐かしい声が心の中に響く。
そんなこと言ったって! はぁ、はぁ! 怖いんだ! 見えないものが見える! 風が見える! 地面が動いて見える! 地面に潜る小さな虫も! 飛ぶ小さなたくさんの虫も! 化け物の匂いも、勝平の匂いもわかる! 木も空気の匂いもわかる! 遠くで飛ぶ蝶々の羽の音も聞こえる! 足元を動くムカデの音も! 俺の心臓の音も聞こえる!
ハァ、ハァ。
頭に入り切れない。追いつかない! 頭が爆発する。溺れる! 息が出来ない! 苦しい!
すると懐かしい声の主は耳を抑えた手を離し、もう一度耳に強く打ち付けた。
大丈夫。大丈夫だから。オイラがついてる。
大丈夫。ずっと一緒だ。
優しい声の主は、光の中にゆっくりと姿を現した。
アンガー・・・
真っ白な幻想の中で流した涙は、光となり上昇していく。
アンガーはしっかりと空の目を見て言った
まだ、終わってない。
暴れていた白い生き物はいきなり動きを止めた。
騒音が止み、急激に訪れた静けさに耐えられず、犬型の化け物は生き物に殴りかかった。
しかしその拳が生き物に届く前に、犬型の頭部を右手で鷲掴みにした。
犬型は生き物の腕を離そうと爪を刺し、思い切り引っ張るがビクともしない。
徐々に血を流し始める化け物の頭部。痛みを訴える唸り声をあげた。
白い生き物はそのまま化け物を背にある大木に強く打ち付けると、左手で首を絞めた。
鷲掴みにした手の平の隙間から見えた生き物の顔は、化け物に強い恐怖心を与え、震えあがらせた。
真っ赤な瞳に、丸く広がった虹彩は、まるで暴力で弄んでいるように無邪気に光った。口に鋭く見える二本の牙が覗く。いつでもお前の首を裂けるぞと。
後ろから蛇型が下半身を生き物の首に巻きつけ、攻撃を止めさせようとした。
生き物は、犬型を右手で軽々しく遠くへ投げると、振り向いて蛇型の肩に手を置いた。蛇型は危険を察知したのか、すぐに首絞めを止めて離れようとするも、肩を掴む手が離れない。
唸り声をあげる化け物を逃す事なく、生き物はそのまま両の肩を握力で握りつぶした。
力抜けてぶらぶらと揺れる腕を掴み、生き物は犬型の方へ思い切り投げ飛ばした。
空とアンガーは妙な気持ち良さを感じていた。
ああ、負けねえ。負けるわけがなかった。
そんな思いを感じると、自然と獣化した体から喜悦の咆哮を轟かせた。
化け物を始め、その場にいる全ての生き物の動きが止まった。
一歩でも、一滴でも汗が落ちようものなら、一瞬で殺される。野生の本能がそれぞれに誰が強者で、だれが弱者かを知らしめた。
少し体を屈ませて、俯いた顔から赤く怪しい目が二つ、化け物を睨みつける。
こっからが本番だろ。
どっちから殺してやろうか。
ゆっくりと近づいて怯んでいる化け物二体の前にいくと、無情な笑みを浮かべる。
ゆっくり、じわじわと嬲り殺してやる。
アンガーと空の意識は一つの体に同時に存在していた。
お互いにないものを捕捉し合うように、複雑に精神が絡み合う。
空には戦う力を。
アンガーには不屈の勇気を。
隣合わせになるピースは世界に一つしかない。そのピースはやがてここで合わさる事を知っていたようだ。まるでここで合わさる為の人生だったというように。
目の前で倒れている化け物たちは立ち上がろうとはしない。
化け物たちは理解したようだ。勝てる見込みがない事を。
この世には決して叶ぬものがあることを。
空はなんとも心地よい殺気の中で、アンガーという意識から、動物が見る人生の感覚を高速で理解した。
そうか。命に大小はない。死ぬ命も生きる命も。悲しむ暇なんてない。命なんて有って無いようなものなんだ。
死んで当たり前。生きて当たり前。
わざわざその尊さに干渉する必要なんてないんじゃないか。
だって、みんないつか必ず死ぬんだから。
もし特別に大切にしたい命があるとすれば、それは俺たちの、心の勝手な思いやりなんだ。友だから、家族だからとか。
もともとは、咲いては、散るもの。どんな散り様であろうと、遅いか、早いか。それだけなんだな。
だからここで、お前ら化け物を殺しても、罪じゃない。
俺が強くて、お前が弱かったから。
それもまた世界の当たり前で。
理由なら、それだけで十分なんだ。
生き物は拳を大きく振りかざすと、立ち上がれない蛇型に狙いを定めた。
顎から首にかけて撃てば、骨ごと砕け散る。まるで道端に咲いた花を蹴り散らすように。
ただ、それだけのことなんだ。
拳を放てと意識が命令を出す寸前に、それは聞こえた。
「オレタチノマケダ」
「? 」
不気味な声のした方を向くと、犬型がこちらになにかを訴えるように見つめている。
すると犬型から緑の煙が立ち上り、全身を緑色に発光させた。ゆっくりと二つに分離した発光体は、徐々に肉体を形成する。
一つは長袖の男へ。もう一つは灰色狼へ。
どちらも酷く憔悴していて、顔色が悪く息が上がっている。
「お前の勝ちだ」
倒れそうに震え揺れながら、長袖の男は言う。
蛇型は動揺して動けない。空とアンガーも同じだった。
化け物だと思っていたコイツらは、俺たちと同じ存在だった。
冗談だろ。化け物じゃなくて、人間なら尚更。
なんでこんな事が出来るんだ。
生き物は怒りに震えた。
逆立つ毛と尻尾は白い炎のように火柱を立てる。鋭く天に昇る鬣が固まり、頭部に二本の角を形成した。
関係ねえ。俺の仲間を傷つけたのは変わらねえ。
シンデアヤマレクソドモガアアアアアアアア!
生き物は地響く唸り声をあげると、また大きく手を開き鋭い爪を光らせた。
蛇型は戦おうとする意思を捨ててはいなかった。動かない両腕を揺らしながら、長い下半身を使ってゆっくりのし上がる。
「止めろ柊! これ以上やっても無駄だ! 」
長袖の男は力を降りしぼって叫んだ。
蛇型は、焦りと執念を魂に燃やしながらも、瞳には悲しみと絶望を浮かべた。
萎れるように蛇型は縮んでいき、ゆっくりと優しく発光していった。
二つに分離した光が形成したのは、黒髪のロングヘアの女と、オオアナコンダ。
女は、挫折を露わにし、下を向いたまま座り込んだ。
空はまた余計に怒りを爆発させた。
だから、何やってんだ。
お前らがどう結論つけようが関係ねえよ。
俺が、個人的に、お前らの無事が気に食わねえって言ってんだよ。
人間に戻り立ち上がる気力も失せた二人に、攻撃しようとした時、アンガーの意識が呼びかけてきた。
空らしくないね。
空はイラだった。
はあ?
まるでオイラたちみたいだ。
どういう意味?
動物みたいだっていってるの。
そりゃ今は動物みたいなもんだろ。
空は人間だろ?
人間だぜ?
じゃあ人間らしくしなよ。
お前に人間らしさの何が分かるんだよ。
今、オイラは人間の魂と繋がって、空は動物の魂と繋がってるんだよ。
それが?
影響してるよ。動物の本質が。
俺は俺だ!
いつもの空じゃない。
お前だって! いつもと違ってなんかおかし・・・
獣が本能的に敵を嬲り殺しにする感覚を空は初めて感じているんだ。だからうまく理性と冷静さを保てない。逆にオイラは行動する前に考えることを勉強したみたいだ。
あー。お前が言ってる事が正論に聞こえてきた。
生き物は動きを停止して、その場に立ち尽くした。その凶暴な肉体の中で、二つの意識は交信し合う。
アンガーは続ける。
深呼吸して。動き回る自分の意識をちゃんと掴むんだ。空はどんな命も愛おしく思える心を持ってる。
大丈夫。絶対出来る。
アンガーに誘導され、徐々に落ち着きを取り戻した空は、アンガーの冷静さのベクトルに近い精神に移動を成功する。
徐々に見えてくるアンガーの姿が、空を落ち着かせた。
この人たちを殺せば、空はきっと後悔する。人間は暇だから、他の生き物の気持ちを考えようとするらしい。絶対わかりもしないくせにね。でもね空、オイラ今ならわかるんだ。それが人間のいいところなんだよ。わかったつもりになって、自分勝手になんでも完結させて自己満足に走ろうとするその心。
無駄なようで、邪魔なようで、余計なお世話なのに。
僕ら動物は、それが嬉しくてたまらないんだ。
それはきっと、人間も同じじゃないかな。
アンガーがそう言ってにっこりと笑うと、まばゆい光に包まれた。
生き物の肉体は発光し、数式と文字の羅列の煙を焚いた。
穏やかな夜風に乗り、ゆらゆらと分離すると、二つの生き物を形成した。
怪我は治り、傷一つない体。どちらの生き物も、しばらく覚めぬ夢の中に眠った。
都市高速を自動運転車で進む拓扉と勘九郎。二人が向かい合わせに見る間に、球体型の映像が浮いている。
「改谷」
「はい」
「も、もう一回説明してくれ」
「・・・どこからです? 」
申し訳なさそうに勘九郎は嘆願した。
「詳しいところは私もわかりません。しかし研究者の話によると、あの仮想空間は思っている以上に危険なんです」
「ああそこは聞いた」
「は・・・。 簡単に言うと脳に信号の映像や音を送ってるわけじゃないんです。コンピューターに意識を移植していると言った方が正しいと言いました。より簡単に言うと、現実とほとんど大差ない夢を見ているんです」
「そして? その次! 」
「あまりにリアル過ぎる世界は、本当に現実だと思い込んでしまうんです。仮想空間で起きた事が、現実だと認識してしまった場合、現実にある体が反応してしまう事があると。例えば、勘九郎さんが、目隠しをされて誘拐されたとして、腕をナイフで切られました。貴方は腕から血が流れるのを感覚的に察知し、流れ出る大量の血のせいで意識が遠くなっていく。そしてやがて死ぬ」
「そりゃ死・・・」
「しかし本当は切られていなかった。プラスチックの定規で腕を擦り、スポイトで水をそこにかけただけだとしたら」
「じゃあ死な・・・」
「死ぬんです。プラシーボ効果と言われていて、そういう実験があったと言います。目隠しをされて、自分に何が起こっているのか分からない時。日常的にいえば、梅干しやレモンを見ただけで唾がでたり、失った手足が痛んだり、と。頭で想像したことや、感覚から認識できることを元に、人は事実を脳で作り上げます。そして脳が、時に勘違いを起こして、『死ぬ』と結論づけてしまった場合。人は死ぬんです。要は、思い込みによる想像を本当に現実化してしまんです」
「馬鹿な・・・ 」
勘九郎は顎髭をさする。
「つまり、もし、仮想空間で、脳が死ぬと判断する程の事態にあってしまった場合、彼らの現実の肉体は活動を停止する可能性があります」
喉を滴る冷や汗をそのままに、勘九郎は黙った。
「彼らは今、思い込みにより目まぐるしく創造と破壊を繰り返す世界で生きていると言えます」
「全てが、思い込みで動く世界・・・ 」
「そうです」
都市高速はビルとビルの間にはいり、車内を暗くした。赤と青のライン状のライトのみが光る。
「まあ、しかしWTOもその辺は抜け目なく処置済みのはずです。人間の体にも、事実と虚実の相違がないようにいくつもの防御システムはありますので滅多には、それで死ぬことはないと言っていいでしょう。もし仮に、仮想空間であることを全く知らずに入った者がいれば、わかりませんがね」
「そ、そうだよな! はは」
「面白いですよね。いわば精神のみが混在する世界。肉体という、神が創りし完璧な殻が消えて、剥き出しになってしまった心は、意識的にコントロールできるわけでなく、無意識下に存在する潜在意識のみが動かすことができると仮説を立てた場合、もしその潜在的意識を掴み、コントロールする事ができれば、彼らは仮想空間において、これから起きる全ての物事を支配できることになる。欲しい力や、なりたいもの。全てを具現化できることになる」
「そりゃすごいな。だがしかし、俺たちの体、殻は一体、何から何を守ってくれているんだ? 」
「・・・これは私の完全な持論ですが、自分の意識を、別の意識などによる強すぎる影響からではないかと思います。物理的かつスピリチュアル的な観点においても、意識、魂の類を自立と安定させる為に必要な殻。しかしこうなってくると、ますますあの仮想空間は危険ですね。・・・ 一番問題なのは、もしなんらかのバグが生じて、別々の意識が、融合、または結合してしまうようなことがあれば、一体どうなって・・・ 」
思考の計算式の答えに行き詰まる拓扉。
「つ、つまり、どういうことだ? 」
「い、いえ、あくまでも例えばですよ。でも、意識を守る殻がない世界ならば、ありえなくもない。一心同体、以心伝心、不離一体。もし、もしも高いレベルで複数の意識が高揚し、共鳴、共振してしまったら」
勘九郎は、余裕のある笑みを消して真面目な顔をした。
「まさか・・・ 」
「ですが無いとは」
暗い道を抜け、夕焼けの斜陽が勘九郎の鋭い瞳を焦がす。
「やはり、ちゃんと自分の目で確認しなくてはいかんな」
なにかを悟った勘九郎と拓扉は、ゆっくり回る映像を見る。そこに映るWTOの本部。
陰謀と陰謀が混じり合う真実への穴に、二人は足を踏み入れようとしていた。




