第十四話 常習
貝殻を拾った。石で削って刃をつくればよい切れ味になるのではないかと。
海風の心地よい朝の浜辺で、空とアンガー、そして勝平が掘り出し物を探している。空は先ほどの勝平の言葉が気になって聞き直した。
「種? 」
「何かの種なんすけど、大きい袋にいっぱい入ってて、それが何個もあるんすよ」
「そっか。持ってこないとな」
「でもウチまで結構、遠いっすよ? 」
「まぁなんとかなるさ」
微笑んで、椰子の実を勝平に投げた。
「帰ろう! 」
晴れ渡る空を背に、空たちは家路を辿った。
取って来た椰子の果汁を飲み、中にある果肉を手でほじくって食べた空と勝平。アンガーは割れた殻に頭を突っ込んでいる。
「まてよ? 行くにしても遠いなら今日のご飯を集めてからじゃないとなぁ」
「一応食べれる木の実がなってますぜ」
「どっかいくの? 」
アンガーの顔は椰子の水に濡れている。
「今日サバンナに行こうと思うんだ」
「ほー。狩りでもするの? 」
「あ、久々に挑戦してみるか? 」
「オイラ、今なら勝てる気がするぞ・・・ 」
「多分アルたちも協力してくれますよ! 」
「よっしゃ! 行ってみるか! 」
重要なタンパク質となる肉を求めて、川の上流を登りサバンナへ向かった。
勝平は、寝巻きに使っているであろうグレーのスウェットと来ているが、上半身は裸だ。ここに来て破れたのだろう。大きくて長めの半ズボンとTシャツを着ている空の服も所々破れているが気にしない。素足での生活になれ、足の裏の皮が厚くなったような気がしている。
初めは歩くのが痛くて苦しかったものも慣れればそれが当たり前になる。
慣れとは恐ろしいものだ。
生活の中では些細な常識の違いでさえ大きなストレスとなる。
着替えがない。トイレがない。洗面所もなければ、綺麗なタオルもない。歯磨きも、シャンプーも、洗顔も。時計も、携帯も。
なので彼らはもう役一ヶ月歯磨きもせず、髪も体も洗っていない。
足についた泥や砂もそのままに、外で小便と大便を垂れ流している。
不潔。不衛生こと極まりない。
病気になると言われるだろう。
しかしそれが当たり前ならばどうだろう。
異なりとは本来、通常という概念が通じない場合に生ずる、その人間固有の価値観から生まれるものだ。
これが普通。当たり前。という範囲に属した時に、それは違いではなくなる。
だから彼らにとって、別に不潔でも、不衛生でもない。
だから不健康な生活をおこなっている意識もない。
なので病気にもならない。
思い込みによって引き寄せられる現実は凄まじい程変化する。
慣れとは恐ろしい。そして救いでもあるのだ。
「なぁ」
「どうしました? 」
「遠くね? 」
もう二時間は歩いていた。海原のように地がうなる乾燥平原は、一向に景色を変えない。
「だから言ったじゃないですかー」
「いや、ここまでとは。舐めてた・・・」
「まだ半分くらいっすよ」
「うわー・・・ 」
ジメジメと汗ばむ体。スネには草や虫がまとわりつく。草負けには慣れた。しかし全身が体温を下げようとしている中で、地面から伝わってくる熱は、退屈に見える薄い空へは登らずその場に漂い続けているらしい。
このままでは体力が持たん。
狩りできる体力が残らない。
といっても今すぐどうにかできる状態でもない、休憩を挟みながら勝平の家まで行くしかない。
「実を言うと、空さん達と戦った時も、この距離歩いて来てたんで最初から足ガクガクだったんすよねー」
「なるほど。だからおまえ歩いてたのか。そりゃ助かった」
「それにしても、よくこんなところでずっと生活してましたよね。昔の人は」
「確かに。こんな機会がなけりゃ俺たちには無理だな」
歩幅の狭くなった歩みで、ゆっくりと進む。
「可愛そうに」
「似合わねーその言葉」
「な! 俺も同情したいんすよ! 」
「でも、可愛そうではないんじゃない? 」
「なんでっすか? 」
「なんていうか、俺達自身、現実の生活はなんてこと思わないだろ? それが普通だってみんな思ってる世界で生きてるから。だから昔の人もそれが普通だったなら、なんてことない当たり前の生活をしていただけ。辛くもない、逆に楽でもない、そんなあたり前の。ね」
「なるほど・・・ さすがっすね! 」
「へっ。だろう? 」
調子の良い言葉に調子よく返した。
「慣れればなんてこたない当たり前の毎日さ。今の俺たちの生活が幸せで、昔の人が可哀想って感覚は自惚れだね。そりゃ、文明が進んだ分便利なのは俺たちだろうけど、どっちの生活も、健康に生きていければそれだけでしあわ・・・・ 」
空は言葉に詰まった。
「どうかしました? 」
「いや・・・ 」
ポツポツと歩く中、思考の迷宮でまた疑問と矛盾に出会った。
じゃあ俺はなんで苦しかったんだろう。
「なぁ勝平」
「へい」
「幸せ、だったか? 」
「・・・ 」
二人共考えていることは同じだった。
答えの出ない問題に、頭だけ立ち止まった。
「おーい、ハイエナがいるぞ」
先にいたアンガーは振り向いて、獲物を追い回すハイエナの群れの接近を知らせた。
「おっ! あいつらだ! 」
勝平は手を振ってハイエナに向かって走り出した。
「おーいみんなー! 」
ハイエナはこちらに目もくれない。
上手に群れから一匹を引き離すと、ハイエナは次々と噛み付いた。噛みつかれる痛みと、ハイエナの体重でヌーは倒れこみ、砂ホコリと枯れ草に沈んだ。
圧巻のハントだった。大地を駆け抜ける動物の命のやり取り。一瞬のミスが死を招く、荘厳な儀式のように。
空は驚いた。
あんなものと真正面から戦っていたのか。
「おいおいアネキ! ヘナチョコがこっちきてますぜ! 」
「なんだって? 」
「アネキ! ヘナチョコが手を振ってますぜ! 」
「アネキ! ヘナチョコが笑ってますぜ! 」
「アネキ! ヘナチョコが今・・・ 」
「うるさいね! わかってんのよ! 」
大きな体をした一頭のハイエナを慕って子分たちが騒いでいる。
「誰がヘナチョコだ! アル! 帰ってきたぜ! 」
勝平は追いつくと、息を切らして膝に手をついた。
「なんだい。家出したんじゃなかったのかい? 」
「いろいろ探索してたんだよ。ほら、よく家が壊されてたから困ってただろう? 」
勝平は身振り手振りをして、誤魔化している様子だ。
「そーかい。あんた出て行く時『ああもうこんなとこ無理だ!』って泣き叫んでたくせにねえ? 」
「ひゃっはっはっは! 」
ハイエナたちの嘲た笑い声が響く。
「それはお前・・・ あれだよ。あのー・・・ 」
空とアンガーも近くに着くと、黙って会話を聞いた。
「おいカペイ。どーせまた泣いてどっか逃げるんだろ! 情けねぇ! 」
「まったくだぜ! 」
「情けねえったりゃありゃしねえ! 」
「だからいつまでたってもカペイなんだよ! 」
「カペイじゃねえよバカどもが! 」
ハイエナの群れと勝平の罵声が、場面を忙しくする。
「騒がしいな」
「仲間なのかなんなのかよくわからんぞ」
ハイエナの一頭が空とアンガーに気づいた。
「げっ! ちびライオンとヤバイヤツだ! 」
「おおお! またでやがった! 」
警戒するハイエナ達は、こちらに威嚇した。
「争いにきたんじゃないよ! ちょっと話があって」
アンガーも負けじと威嚇して返す。
「勝平、どういうことだい? 」
「アル。あいつらと協力しないか? 」
「協力? ライオンと? 冗談じゃないよ! 」
「そうだそうだ! 」
「ハイエナだったらよ? ハイエナだったらなんでも協力してやんのによー 」
休みなく野次が飛び交う。
「オイラだって御免だね! 」
他の種類の動物が協力し合う事なんてあるんだろうか。
空は疑問に思いつつも、勝平の隣に行きアルと話した。
「アル、だよね? 俺は空」
「アタイを殴り飛ばした人間ね。よく知ってるわよ」
「そ、それは。まぁ。ごめん」
「なんで謝るのよ。まぁアンタは勝平と違って度胸のあるヤツだから話は聞いてやるわ」
「ありがとう。えっと、この間みたいな戦いは、みんな怪我するし、食料が手に入るわけでもない。いい事は何一つないんだ。協力できれば、俺たちには家がある。安全なね? そのかわり、狩りを手伝って欲しいんだ」
「んー。確かにウチにはまだ小さいのもいるから、食われない為にも安全な縄張りがあるのはありがたいわね」
「アル。これはチャンスだ! こんな暑くて虫がやばい場所とオサラバするチャンスなんだ! 」
「ほとんどアンタのわがままじゃない。アタイらは別にどうってことないのよ」
考え込むアルを差し置いて、他のハイエナは仕留めたヌーに興味津々だ。
「アネキィ! もう食っていいっすか! 」
ヨダレを垂らしてヌーを囲んでいる。
「お待ち! わかった。協力してもいいわよ。でも気に食わないことがあったらすぐ出て行くからね」
そういうとアルはヌーに近づき、噛み付いて硬い毛皮を破り始めた。
アルたちは亀裂の入った毛皮の間に口先を入れて、肉をほじくりながら食べ始めた。鼻や顎が血だらけになって、先程まで話していた存在が残酷で野蛮な生き物だったことを思い出させる。
「うわ・・・ 」
肉ってこんな・・・ こんなにグロテスクなことをしないと食べられなかったのか。
空は唾を飲み込んだ。
強い日差しがうなじを焼く。
「空。オイラも食べていい? 」
「えっ? ああ。う、うん」
目を点にしてアルたちの食事を見るアンガーの顔は、それ以外何も考えられないといわんばかりに真顔だった。
アルたちの背に近づくも、群は食事に夢中だ。体と体の隙間にアンガーは頭から切り込んで、身を挟んだ。
「ね、オイラも・・・ 」
群れは背を向けたまま強く押し返し、意図的に譲らない姿勢をみせる。
アンガーはその勢いに負けてしまい、集団から弾かれてしまった。
だんだんといらだったアンガーは爪を地に刺す。
「ジャマ・・・ 邪魔だぞ! 」
アンガーが吠えると、アルは合図し、群がりに隙間を作らせた。
悲惨に皮膚の剥がれたヌーの体内の露出。赤黒い血は、繊維状にほつれた肉に滴る。首から胸にかけて大きく、荒々しく裂けている。その断面の毛皮を手で引っ張れば、スルスルと皮だけが綺麗に剥がれそうなだと思えるほど、ひとまとまりだったヌーの体は分解されていく。
アンガーは、血の匂いに引き寄せられるようにそこに行くと、大きな血肉の穴に顔を入れた。
毛が、トロミのある液体に濡れていくのを感じる。しかしもう理性などありはしなかった。
食べたい。そんな言葉も思いも無くていい。
これは善悪などない。
当たり前のことだ。
アンガーは真っ暗な世界の中で顎を動かし、手頃なサイズの肉塊の存在を口先で感じ取ると、噛みちぎり、奥歯で刺し潰した。
その時、全身に漲るエネルギーが暴発した。
魚でも、草でもない。でも食べたことのある味。懐かしい。
考えも雑念もどこかへ飛ばして食事に夢中になった。
アルたちも他に開けた穴から顔を突っ込み、忙しそうにしている。
一言も喋べることなく、ただクチャクチャと食塊を咀嚼する獣たちの食事の中に入る勇気はなく、空と勝平はそこに立っていた。
「こないだのタコ・・・ 飯食ってる時、幸せだって俺は思いました」
勝平は笑った。
「まぁそうかも」
ブチハイエナとホワイトライオンの豪快な食事を見て哀感を隠せなかったはず。しかしアンガーの血に濡れた顔が語る表情を見るとどうも誇らしく思う。
強さって。生きるって。それだけで誇らしのかもしれない。
なにか大きな幸せを求めてたのかもしれない。ずっと。俺は、生活という当たり前の上に幸せは存在するものだと思ってた。
でも違った。幸せはずっとあった。日々《ここ》に。
「アンタたち逃げるよ! 」
ざわめき出す一帯。
アルたちは一斉に獲物から離れると、威嚇をしながら引き下がった。
「何が起きてるんだ! 」
勝平は辺りを見渡す。すると近くの大木の下には筋骨隆々の立派な一頭のヒョウがこちらを見ていた。
「でかっ! 」
空と勝平は声を揃えて逃げ出した。
しかし逃げてないものが一頭いた。
ちびライオンは獲物を背にしてヒョウに敵意を放っていた。
「バカか! 」
空は早急にアンガーのもとに駆け寄り、首の皮を引っ張って抱えると走り去った。
「やっべぇデカかった! 」
だいぶ距離を離し、一息ついて勝平は言った。
「つまり横取りってやつか? 」
空はアンガーを下ろした。
「ヌーだけですんでよかったと思うべきね」
アルは全員の存在を確認しながら言う。
「全く。ああいうのがいるからアブねぇぜ」
勝平は汗を拭った。
「くっそおおおお! 今度来たら追い返してやる! 」
「おまえなぁ・・・ 」
血の気の多いアンガーを空は叱ろうとした。
「アンタ。アタイたちはまだ子供なの! あんなベテランの成獣相手にしてたら即死よ! 」
「ぬうううううう」
「まぁこいつなりに守ろうとしたんだよ」
悔しさが歯の隙間から吹き出すアンガーを空は宥めた。
「変なプライドは捨てることね。じゃないと、ロクなことにならないわよ」
アルはそういうと歩き出した。
「帰るわよ」
一行はアルと仲間たちを先頭に、勝平たちの家へと向かった。木の数も増えて、葉っぱに緑色が見られるようになってきた。背丈のとても高いサボテンも鋭い針を備えて天に伸びている。
「あれ食べられるんすよ」
勝平はそう言うと、長い木の枝を拾い上げ、サボテン(ベンケイチョウ)の天辺を叩いた。
すると、上から手のひらサイズの赤黒い実が落ちてきた。蕾のような形で、水分を多く含むのか、非常に柔らかく落ちた反動で形が変形している。
「これめっちゃ美味しいんですよ! 」
勝平はそう言うと、拾って一口食べた。
「どぞ! 」
半分になった実を、空も疑う事なく口に入れた。
「甘い! 」
食感は柔らかく、メロンの中心あたりの食感に近い。
ちゃんと栽培して出来た果物のように美味しいと感じる。自然の恵とは思えない。
それから家に着くまでの間、ベンケイチョウを見つけては実を食べた。意外とよく見つかり、十個以上はお互い食べた。
その間アンガーは珍しくアルたちと先頭を歩いている。
砂や岩場、雑草、雑木を抜けて、丘を登り降りし、到頭日が暮れてきた。
「はぁ、はぁ、空さん。やっと見えてきましたぜ」
「どれ? 」
「あれっす」
アルたちは立ち止まると、座り始めた。
しかし特に何も無い。さっきまでの景色となんら変わらない場所だった。
「ええ? 家じゃないじゃん、場所じゃん」
「まぁ結構売地にされてますね」
焚き火をした形跡と、寝ていたであろう砂場には、屋根代わりだった木の骨組みと束ねた枯葉が倒壊している。
「作るのは何日もかかったのに。壊すのって簡単ですよねえ」
悟ったように勝平は呟いた。
「もう慣れただろ? 」
空はそう言うと地べたに寝っ転がった。
「はああああ疲れた。」
空には雲ひとつなく、茜色が映える。
ここからみる夕焼けの太陽は、何倍にも大きい。まだまだ大きくなりそうだ。
アンガーは空の腹の上に乗ると、丸くなって寝た。
勝平もアルたちが添い集まったハイエナのベッドに飛び込んだが、勝平の体の形に合わせて端に避け、地面に落ちた。
幸せとは。
人によっても、辞書によっても表現に変わるもの。しかし空の感じた幸福は、すべての共通点を又ぐ線になり得るのかもしれない。
慣れとは恐ろしいものだ。そしてやはり希望でもある。
しかし巨大な虫達との共存に慣れる日は来るのだろうか。




