第十一話 燈
足元にひれ伏す勝平を、無情に見つめる。
「山のような大金か。いいね。やってやるよ」
折れて先の尖った細い流木を、空はゆっくりと拾い上げて言った。
「現実でもずっとこうやって奪ってきたんだろ? 弱い奴から、金も自尊心も奪ってきたんだろ? 」
「や、やめろって! 」
見上げた空の顔は先程までとは別人のように見える。
「自業自得だ。お前みたいな奴が傷つけてきたから、俺みたいな奴が産まれたんだ。死んで当然だ、ましてや殺そうとしたんだからな! 」
勝平は怯えた顔をして空を見上げている。
「俺たちが王になる。ここで一番になって、欲しいもん全部手に入れてやる! 」
空が振り上げた自然加工の槍は、真っ直ぐに勝平の腹を向いている。
「馬鹿は死ななきゃ治らねーんだ」
最大まで溜め込んだ腕の力を一気に放ち、真っ直ぐ振り下ろした。
空は目を瞑った。槍の重さが手の感覚から消える。放してもそこで槍は刺さったままだろう。
見えなくてもわかる。
この感触は一生忘れない。そう確信した。
数分前
鋭い突風が、真横をすり抜けた。白い閃光のように駆け抜ける。
そのままハイエナ達数頭をトントントンッっと滑るように通り過ぎると、ハイエナは勢いよく飛んで転がった。
その後一時停止したその閃光は、ゆらゆらと尻尾と逆立った毛をなびかせながらたたずんだ。
体内でゴロゴロと鳴り響く威嚇が、心の底まで敵意を突き立ててくる。鈍く光を反射する目は、理性を忘れた獣のものだ。
あれは本当アンガーなのか。
空はただそこにたったまま、異様な光景に緊迫した。
焦りを大袈裟に、飛び跳ねてアンガーを取り巻いているハイエナ達は、噛み付く瞬間を狙って前後のステップを繰り返す。
しかしアンガーは、そんなもの御構い無しに一瞬たりとも目を逸らさずにゆっくりと歩き追い立てる。ハイエナは近づく事が出来ずに、後退を余儀なくされたようだ。
空がみるアンガーの後ろ姿と、ハイエナがみるアンガーの正面は、きっと全く別物なのだろう。一体彼らは、あの小さな体に何を見たのか。
「何やってんだお前ら! 」
声を荒げて叱る勝平の指示も通らず、ハイエナ達は勝平の近くまで下がっていった。
「クソが。調子に乗るんじゃねぇぞ 」
勝平はアンガーにスタスタと近づいていった。
馬鹿か!
空は思った。同情しそうな程、今のアンガーが危険な事が分かっていたからだ。
感覚的に空に身についていた危機察知能力。それがどれほど身に危険なものなのかを直感や経験に基づき把握する力。
己の力が劣るはずがない、そう思い込んでいる。または怒りで冷静に物事を理解できない状況において、それは十分に発揮できないのだ。
愚行。特に自然界において、それが生死を分ける重大なミスだという事を、勝平は知らなかった。
砂に足を取られ、思うようなスピードが出ないまま、蹴り飛ばそうと近づいた。
勝平は、アンガーを蹴れる間合いに入ったが、そこにアンガーの姿はない。そして瞬間的に何やら首に何かの感触と共に冷気を感じた。
勝平はふと我に帰り、足元にアンガーを見つけた。しかし首の違和感が気になり手で触ると、その手が大量の血で濡れている。
「は? なんだ・・・ これ 」
勝平は禍々しい自分の生き血に激しく動揺して、骨が抜けたように座り込んだ。
アンガーは振り返る事なく続けてハイエナ達を追う。
今話しかけるのはやめた方がいい。アンガーの邪魔にならないように、俺ができる事に集中するんだ。
ゆっくりとアンガーの元へ近づいて行った。
すると、なんの合図も無しにいきなりハイエナ達とアンガーのめまぐるしい乱闘が始まった。
なんとも言えない獣の荒い鳴き声がとても悲惨に聞こえた。捲き上る砂ホコリ、動きに準じて舞う風に、フワフワと抜けた獣の毛が散ってゆく。
その空間が漂わせるオーラは、少しでも手を入れてしまったら、シュレッターのように指先から切り刻んでいきそうな程だ。
空は黙って本物の弱肉強食の戦をしっかりとみるしかなかった。
目にも留まらぬアンガーの攻撃。残像だけが空中に残る鉤爪の曲線は、乱射する波動のようだ。ハイエナは次々に頭をよろめかせ、弱々しい鳴き声と共によろめく。しかし負けじとハイエナも得意の噛み付きで喰らおうと攻め続ける。一匹ではなし得ない多方向からの牙の刺突は、アンガーの背と尻を着実に捉えはじめている。
頑張れ。
そう願うしかなかった。いま入り込めば、逆に足を引っ張ってしまいそうで。
大丈夫、勝てる。お前は強い。強いから。
手に汗と血を握り、目を離さずに見入った。
荒れ狂う戦いの中、しぶとく、勇ましく、抗ったアンガーはついに、素早く飛躍して間合いに入り込むと、一頭のハイエナの喉元にしっかりと噛み付き、投げるように打ち倒した。
野生に支配された意識の狭間に微かに回る戦いに洗練された智徳。アンガーは最後の一噛みで、息の根を止めてやろうと、乗っかっているハイエナの首に鼻を構えた。
しかしハイエナは、死に物狂いに手足を大きく周し、釣り上げられたマグロのように体を曲げ伸ばして飛び跳ねた。
悲しみと恐怖を混ぜ合わせたような鳴き声は、空の心を震わせる。
発狂、している。もう、十分じゃ・・・
胸が苦しくなった空は、アンガーを止めようと自然と体が前に出始めていた。
その途端、ハイエナはクルッと回って体を起こすと、アンガーを振り落とし猛烈なスピードで森の中へ消えて行った。すぐさま他のハイエナも後を追い、ドタバタと所々足を踏み外しながら退却した。
アンガーは立ったまま、ハイエナの方を見ていた。
・・・終わったのか?
突然去った嵐に困惑しながらも、静かになった空気の中に肩を落とした。
声が聞きたい。
猛烈にこの欲求だけが湧き出てくると、スタスタと歩いた。直ぐにアンガーはその場でバタッと横になった。しかし心配よりも嬉しかった。
良くやったよ。早くそう言ってあげたい。黒くて分厚い殻を自分の力で破って、納得できない現実を己が手で捻じ曲げた。
本当に強いな。相棒は。
微笑に目を潤し、少し駆け足で空は向かう。
その景色の中で、アンガーのすぐ横に服が血で濡れてやつれた勝平の姿が目に入った。
勝平は何やらブツブツ言いながら、倒れているアンガーを強く踏みつけ、もう一発横から蹴り飛ばした。
なんとも気色の悪い光景に空は武者震いした。
体を怒涛に任せ、勝平の後ろに追いつくと後頭部から首筋にかけて思い切り殴り飛ばした。
勝平は、首を抑えたまま四つん這いで息をしている。
「・・・ははっ。はっはっはっは」
勝平は狂ったように笑い出した。
「俺はなぁあ! 負ける訳にはいかねぇんだよ! こんな奴らにこの俺が負けてらんねぇのよ! ・・・ふざけんな。ふざけんなあああああ! 」
勝平は嘆く。
「どいつもこいつも俺を・・・ 」
勝平の謎めいた言葉に空は戸惑う。
「どいつもこいつも・・・ 俺をクズ呼ばわりしやがって! 大体俺だって親があんなじゃなけりゃ、こんなにゃならなかったんだああああ! 」
空は黙ったまま、砂を叩く勝平を見た。
「誓ったんだよ・・・ 姉ちゃんに! 大金が手に入ったら、一緒に家出て暮らすってな・・・ 金が要るんだよ。だから小せぇ金でも奪えそうなもんは奪ってきた! 」
悔しさを吐き出す勝平の姿は良く知っている気がした。空は倒れたアンガーの息をする顔を見て、体を撫でた。
「クズが」
アンガーに触れたまま呟いた。
「黙れ負け組があああ! 」
勝平に初めの余裕はない。きっと最期の足掻きだろう。アンガーの首への一撃が深いんだ。
「そうだな。俺は自分の居場所を作れずに、お前みたいなやつに色々奪われてばっかりの弱い人間だ」
硬い毛を撫でながら、穏やかに眠っている顔を見つめる。
「それでも、お前みたいな奴よりは絶対マシだって思ってる。人を脅して、傷つけて、殴って、奪う。お前らって害悪以外の何者でもないよな」
「金がいるんだよ仕方ねえだろうが! 」
「嘘つくな。人を傷つけて力を誇示することに、満足してるだけだろうが」
「そうやって、育てられてきたんだよ俺は! 」
血が垂れて赤く染まった砂に、勝平は叫んだ。
がむしゃらで不器用な心根は、途方もない青空に吸い込まれる。
空は撫でていた手を握りしめて勝平の方に歩いた。
「だったら・・・ 」
血に濡れたシャツの胸ぐらを掴み、くしゃくしゃになった勝平の顔に思いを浴びせる。
「だったらなんで、人の痛みが、解らないんだ! お前が何されて生きてきたなんて知らねえけど、お前が感じた痛みは、お前が人にやってきた事なんじゃないのか! 」
「そうだよ! それが普通だと思って生きてきたんだ! 」
「お前の普通なんか知るか! みんな普通に生きようとしてるだけだ! それをお前が邪魔してんだよ! 」
勝平は何かに気づいたようにハッとすると、空の目を見つめたまま黙りこんだ。
双方の吐息が流れる空白に、山頂を回る鷹の甲高い鳴き声が響く。
「・・・産まれて来なきゃよかったのか? 」
悲しそうに眉をハの字にして、勝平は言葉をこぼす。
空はドキッとした。全身に痺れがまわった。
そういう現実で生きてきた。そういう事なのか。
しかし、同情する気にもならなかった。同情してはいけない気がした。
少し考えている内に、疲労や怒り、それに反するように滴る哀憐の感情が、八方に激しい綱引きをする。
ぶつけようのない思いを嚙み潰し、引っ張って伸びた服の胸元から手を離して、付き押した。
空と海の境界線。丸みを帯びて見える水平線は、世界の輪郭を想像させる。
空はもう一度勝平の方を向いた。
「お前がアンガーにした事は許せない」
ゆっくりと勝平の近くまで歩いて行く空。勝平は空の顔をみると、怖じけずいて体の気怠さと共に座りこんだ。
体力も、知力も、限界だった空が、今にも崩れてしまいそうな体を組み立てていられるのは、アンガーを連れて家に帰らねば、という意識だけだった。
足元にひれ伏す勝平を、無情に見つめる。
馬鹿は死ななきゃ治らねーんだ
目の内の暗闇の中、鼓動は早くなっていた。
憎い人間はいる。死んだ方がいい人間はいる。
あらゆる悲惨で残酷なニュースについて、空は純粋にそう思う。
そんな奴がいなければ、傷つく事が無かった人。奪われる事が無かった人。
実際そんな人間を目の前にして、そいつにどんな言葉を投げつけても、どんな暴力を与えても、同じ苦しみを喰らわせても、きっと笑い狂っているんだろう。
だったらもう、いない方がいい。また同じ過ちを繰り返すだけだ。
空は純粋故に、そう思う。
にぎり直した槍に力が入る。
でもこいつは・・・
その時、弱々しい声が聞こえてきた。
「・・・だったんだ。ただ・・・ 誰かに分かって欲しかったんだよ・・・ 」
ゆっくりと目を開けた空は、仰向けで大の字になって泣く勝平を見た。
槍は勝平の脇腹辺りの服のみを貫き砂に刺さっていた。擦った脇腹からは血が滲んでいる。
「なんか嫌な事があったら、怒りが、込み上げてきて。どうしようもないこの気持ちと、なんだか分からねぇ苦しさを・・・誰かに知って欲しくて、でもどうしていいかわかんなくて・・・ 」
天に謳うように、勝平は鳴いた。
「そうでもしなきゃ、ずっと一人のような気がして」
のめり込んだ足を暖める砂浜。寝転んでいる勝平の型を縁取る。
「ただ・・・怖かったんだよ・・・ 」
勝平の歔欷に寄り添うように空は優しく喋り始めた。
「昔、言われた事がある。誰だって—
誰だって苦しい現実の中で生きているって。お前より辛い思いをしてる人は沢山いるって」
突き刺さった槍で体を支え、虚ろな目をして空は続けた。
「確かにそう。でも、それでも、俺にやって来る明日は、やっぱり苦しいものだった。俺の目に映る世界じゃ、やっぱり自分が一番苦しく思えた。人なんてどうだっていいから、俺が感じている苦しみを、なんで分かち合ってくれないんだって。俺もそう思ったよ」
耳元で語りかけるように続けた。
「でも、考えてみたらわかった。人は、人の辛い話なんか聞きたくなくて、苦しみから逃げたがる。だから簡単な言葉で終わらせたがる。」
前髪で見え隠れする砂浜をぼんやりと見つめる。
「人の苦しみを知りたいなんていう暇な人間いないんだよ。そんなに世の中優しくない。誰が好き好んで人の悲しみ背負いに行くかって。みんな目の前の事で一杯なんだよ。お前だって、自分の事で張り詰めてたから、何も考えず人に当たったんだろう? お前が傷つけた人も、誰かの助けを求めてたかもしれないんだ。
・・・誰も、助けちゃくれないんだよ・・・ 」
勝平は、何も言わずすすり泣きしていた。
「でも俺は・・・ 」
空は自分の気持ちを確かめた。俺がアンガーにした事や言った事は、あいつが動物で可愛そうな過去があったからじゃない。
あの時の自分と重なったからなんだ。
自分が、言って欲しかった事。
「俺は・・・ 置いて行きたくない。いつか、誰かが俺にもそうしてくれるんじゃないかって思って。そんな事はなかったけど。でも、それでもいい。人の気持ちを知らんふりして生きていくよりは。ほんの少し、本当にほんの少しだけど、自分がマシな人間に思えるんだよ」
空は少し微笑んだ。
ただ見えなくてなってるだけなんだこいつは。
深い傷と一緒に隠してしまった、本当の思いも。
「お前にはないのか? なりたい自分は」
勝平の方を見て、空は穏やかに言った。
動揺する目の震えは、心の中を探っているようだった。
「わかんねえ。今は・・・ なんにもわからねえよ」
熱い目頭を手で抑えて隠した。
「そっか。ならこれから、ゆっくり探せばいい」
空は途切れ途切れにそう言うと、力尽きて勝平の隣に倒れた。
陽がじんわりと照りつける浜辺の、心と心の激しい衝突。変わらず波を打ち続けていた海の温度は、ひんやりとして気持ちが良い。それは表情朗らかに眠る空の指先を、優しく包み込んだ。




