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序章 種属



赤黒い汁に、熟練の者が切ったであろう一ミリの違いもない千切りの人参が顔を見せている。隣に座るのは、同じく千切りの玉ねぎ。そしてその世界に調和をもたらすように散らばり、彩りを添える小口切りの青ネギ。

 器は、内は煉瓦色、外は黒色の使い古された汁椀。顔の前を立ち登っていく湯気から香る鰹出汁の風味は、一日の終わりを告げ、お疲れ様。と肩を撫でるようだ。

 いつもの光景、当たり前のように並ぶ献立。一番自分を呼んでいるその完成された味噌汁を両手で包む。少年は、母の温もりを感じながら顔の前まで持ってくる。

「いただきます」

 いつからだろうか。目に見える繊細な愛情を感じられなくなったのは。幸せの味を忘れてしまったのだろうか。

 

 二千五十年、完全なる管理社会がほぼ完成しつつある世界。繰り返し勃発していた紛争は終わり、人工知能によって計算された、最速で最短な平和への道筋に従い、人間は国境という壁を破壊。その新世界全体の秩序の前では、文化も、歴史も、もはや人に優越観と差異を持たらすものでしかない。ほとんどの国の政府がひとつの連名に加入し、もはや世界が一つになるのは時間の問題であった。平和を超えた平和。それは全てを人工的に管理することでバランスを調整し、常識の徹底により人間の価値観が統一されたことを指す。争いのない完璧な世界。もうあと一歩で手が届きそうな。

 

 都内の高校の昼休み。十七歳の花時丸かじまる くうを囲む会話の一コマ。

「お前の弁当って梅干しが変な位置にあるよな。そうおもわね? 」

 空のとなりに座る佐竹さたけは、ご飯でふくらんだ頬のこもった声で、机を囲む四、五人に同調を誘うように言う。

 空の弁当は、角丸の長方形の二段弁当。一段目は米。二段目に冷凍の唐揚げや、アルミカップに入った明太子スパゲティがある。佐竹が言った一段目のご飯には、卵のふりかけが一面にかかり、端に梅干しが埋まっている。

「いや、普通だろ」

 変、という意味が理解できなかった空は、すこし尖る口調で言う。

「いやいや、梅干しが真ん中にあって日本国旗みたいだから日の丸弁当だろ。何言ってんだおまえ」

 咀嚼したものを飲み込み、尖った口調に対抗して強気で言った。

「これ別に日の丸弁当じゃないし」

 些細な違いにイラだち言い返す。

「こいつめっちゃ屁理屈言うじゃん」

 佐竹が雷同を促すと、集団は頷いて笑った。その笑顔の視線の輪に自分がいない事はすぐにわかった。

「はぁ? なんで、ていうか別にどんな弁当だろうが俺の勝手だ・・・ 」

「うるせぇ喋んなよ」

「じゃお前の弁当は・・・」

「黙ってろよカス」

集団は空の言葉を遮り、目を合わせ言ってやったといわんばかりに嘲け笑う。

 この笑いは、決して傷つける人がいない。いや、そんなことは無い。言葉を飲み込み、梅干しを口へ運んだ。

 過剰に気にしているだけだろうか。

 捉え方次第だろうか。でも・・・

 あぁ、また。

 心の中で呟いた声は、透明だが、確かに存在する壁として、空の体を覆った。イジメというにはあまりに小さく、仲良しというには無理があるもの。

 しかしその小さな出来事は、いつだって本質を証明する確かな証拠であることに変わりない。空は感覚的にそれを知っていた。

 特に意味はない。弁当だろうが勉強だろうが。梅干しだろうが、一夜干しだろうが。なんだっていい。自分が常識であり、皆の良し悪しを図る測定器であれば。他者の感情や意見などどうでも良いのだ。そして皆は、この窮屈なスクールカースト世界にて、少しでも階級が下がらないように自分より弱いものを、より弱い方へ誘導し地位を守る。すなわち、常識的であることを示唆し、そうじゃないと思われるなにかを軽視、軽蔑する。いつだってそうだ。今更別に驚きはしない。


 空は虚な瞳を机に落とす。


「これが人間じょうしきなんだろ」


 机に描いた、羽根の生えた少年が飛んでいる落書きに、ボソっと呟いた声は、エコーのように頭に鳴り響く憎き笑い声にかき消され、自分でも聞こえなかった。

 いっそ落書きの中に入って、自由に飛んで行けたらいいのに。

 力のない眼からその絵に念を送る。すると、その感情に答えるように落書きの少年は振り返り、穏やかな表情でこう言った。

「お前は、何に期待していたんだ?」

 幻覚だろうか。しかし今の空にはそんなことは問題ではなかった。

 期待。別にそんなものは・・・。そう思いかけた時、違和感が騒ぎ出した。

 ならばなぜ、なにが悲しいのか。何が気に食わないのか。

 俺は、何を期待していたんだ。

 いつのまにか周りの声は完全に聞こえなくなっていた。溜息をこぼし、完食した弁当に蓋をした瞬間、世界が歪んだ。

 頭で理解をする暇もなく、視界は突然低くなり、空の体は、今いる二階の教室の床をすり抜け、誰もいない、ただただ真っ暗な闇の中に落ちていった。どこまで落ちたのか、まだ落ち続けているのかわからないが、どこか懐かしく知っている場所のような気がした。叫んでも踠き喚いても、自分が動いているのか、声が出ているのかさえわからない。まるで心だけが、そこに存在しているようだ。

 

 屁理屈いうな。

 

 佐竹の声がする。空を省いて円になり笑い合う皆んなの姿が見える。

 

 おまえ黙れよ

 

 喋るな

 

 お前学校くんなよ


 なんで生きてんの?

 

 今まで本質を叩きつけた、経験したあらゆる言葉と情景が、むき出しの空の心を刺してゆく。どれだけ伝えようとしても、多数が正義と定義付けられた集団意識にかき消されるもどかしさに駆られた。

 絶対の闇。どんな色もそこでは生きる事ができない。それを実感し、絶望した。

 その時、自分でも気づいていなかった思いがこみ上がるのを感じた。それは驚くほど無抵抗に口から零れ出た。

「みんなと違っていたいわけじゃない! ただ俺は、俺でいたかっただけなんだ」

 夢中で叫んだ声がやっと理解できた時、何事もなかったかのようにあの食卓の席に座っていた。

 世界で一番安らげる場所。毎日帰れる場所。鼻に馴染んだこの家の匂いが、さっきまでの心慌意乱な世界でボコボコになった心を癒していく。氷がとけるように、体の力みが座っている椅子の下まで流れ落ちていく。

 いつもの光景、当たり前のように並ぶ献立。一番自分を呼んでいるその完成された味噌汁を両手で包む。空は、母の温もりを感じながら顔の前まで持ってくる。

「いただきます」

 いつからだろうか。目に見える繊細な愛情を感じれらなくなったのは。幸せの味を忘れてしまったのだろうか。

 いや、忘れるわけがない。味の感想を口に出してしまえば、滲み出てしまいそうな感情は、猫舌で熱いものに弱いと涙ぐんだ目に隠した。

「本当は、本当は俺・・・」

 いつもと同じ、少ししょっぱい味噌汁だ。

 


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