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超越者が紡ぐ物語  作者: あるき
パラメーデース叙事詩
7/44

7余波

パラメーデースの死後、ギリシア軍内で特段の混乱は起こらなかった。むしろ、裏切り者が処罰されたことで、兵士たちは安心感を得たという。皮肉なことに、これによって士気がいくらか回復したのだ。人々は「内部の敵」がいなくなったと、戦争に専念できるようになったというわけだ。

だが、真相を知る者――オデュッセウスの策略に荷担した一部の将校たち――は内心で恐怖を抱いた。自分たちもいつか、オデュッセウスに利用される側になるかもしれないからだ。だが、その恐怖心がかえってオデュッセウスの権力を強化した。彼に逆らえばどんな報復を受けるかわからない。こうして、オデュッセウスの地位は一層安泰になった。

一方、パラメーデースの父ナウプリオスは息子の死を知り、激しい怒りを募らせたという。後にナウプリオスがギリシア軍への報復として、夜の岬で偽りの灯火を焚き、帰還する船団を難破させたという伝説がある。これが事実かどうかは諸説あるが、ナウプリオスが息子を殺した者たちを恨み、復讐を誓ったことは想像に難くない。


やがてトロイアは陥落し、ギリシア側は勝利を収める。ギリシアに帰還した英雄たちは、それぞれの物語を持ち帰った。オデュッセウスもまた、10年近くの放浪の末に故郷イタケーへ帰った。彼の波乱万丈の帰路は『オデュッセイア』として語り継がれ、その知恵と勇気は後世にまで名を残す。

しかし、パラメーデースの名を讃える者はほとんどいなかった。あの戦争には数多くの英雄が参加していたため、史官や詩人たちも、より光輝ある人物を題材に選んだのだろう。あるいはオデュッセウスの影響力を恐れ、パラメーデースの真相を語ることを避けたのかもしれない。

事実、ホメーロスの叙事詩(『イーリアス』『オデュッセイア』)には、パラメーデースの名はほぼ登場しない。後世の悲劇詩人が断片的に触れたり、散逸した“キプロス物語”でパラメーデースの逸話が語られたりしたにすぎない。そのため、現代においてもパラメーデースは断片的にしか知られていないのである。

もし、あのとき彼が存命のまま戦争を乗り切っていたなら、あるいは彼が主導して木馬の計略を考案していたなら、トロイア戦争の歴史も変わっていたかもしれない。それほどまでに、彼の才覚は大きな可能性を秘めていた。だが、いまさら“もしも”を語っても仕方がない。人間の歴史は、一度決まった流れを大きく変えることは難しいのだ。


パラメーデースの死は、ギリシア軍の闇を映し出す鏡ともいえる。才能ある者が嫉妬や謀略によって葬り去られ、それを止めるだけの知性や勇気を、周囲の人々が発揮しなかった結果である。

私のように俯瞰する立場から見れば、彼の死は明らかな悲劇であり、戦争を長引かせる要因にもなったとさえ思える。軍内部が健全な競争ではなく、裏切りと排除の論理で回っていたのだから。

人間の知恵は、仲間を救い、生活を豊かにするためにあるはずだ。しかし、自己保身や権力欲に駆られたとき、その知恵は容易に破滅をもたらす。パラメーデースは最後まで、知恵を軍のために使おうとした。だが、人々はその価値を理解せず、オデュッセウスの計略に踊らされた。

この悲劇は、その後のギリシア神話の叙述にほとんど反映されなかった。しかし確かにあった、もうひとつの物語――私はそれをこうして静かに語り記すことで、彼の智謀が、真実が、闇のままでは終わらないことを示したいと思う。


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