5陰謀の足音
戦争が長期化すると、ギリシア側でも疲労が蓄積した。士気が下がり、補給も困難を極め、何より決定的な勝利を得られず不満が募る。アキレウスとアガメムノーンが衝突し、アキレウスが一時的に戦線を離脱するという事件もあり、内部の亀裂が深まっていた。
そんな状況下で、オデュッセウスは自らを存分に活かす場を見出した。彼は部隊の指揮よりも、細かな作戦や工作に力を入れるようになる。トロイア内部へと密偵を送り込み、情報を集める。そして有名な木馬の計略へと繋がっていく道を模索した。
しかし、その過程でパラメーデースの存在がオデュッセウスの気に障るようになっていたと言われる。パラメーデースは軍全体を考え、兵站や各部隊の連携、情報共有を推進していたが、これはある意味でオデュッセウスの“単独行動の自由度”を奪う行為でもあった。オデュッセウスにとって、自由に動けないことは不利益だったのだ。
また、パラメーデースは冷徹な分析を行う人物であり、場合によってはオデュッセウスの策略の危険性を指摘したかもしれない。これがオデュッセウスの野心に障り、ついに彼はパラメーデースを排除する方向へと動き始める。
後世の悲劇作品などで伝えられるのは、オデュッセウスがパラメーデースを貶めるために、トロイア側からの“密書”と“金貨”を捏造したという話だ。金貨はトロイア王プリアモスからパラメーデースへの賄賂という形に偽装され、密書はパラメーデースがトロイア側に“寝返っている”と示唆する内容であった。
古代ギリシアにおける文書のやり取りは、蝋板やパピルスなどを用いて行われ、封印を施す場合もあった。もちろん簡単に偽造できないわけではないが、戦時下の混乱であれば、いかようにでも捏造できただろう。オデュッセウスは何らかの手段でパラメーデースの兵の一人を買収し、金貨と手紙を彼の寝所へとこっそり置かせたのだ。
さらにオデュッセウスは、計略を成功させるため、同盟軍の中でも影響力を持つ将軍たちを事前に説得していた。パラメーデースは裏切りの兆候があるから要注意だと吹き込み、疑惑の芽を育てておいたのである。そしてある日、オデュッセウスが皆の前で「パラメーデースがスパイだ」と告発し、“証拠”を取り出して見せた。
戦時下の軍には、情報漏えいや裏切り者への処罰が厳格に求められる。わずかな疑惑でも死罪を免れない雰囲気が、軍全体に漂っていた。これこそ、オデュッセウスが狙っていた状況だった。人間は不安を抱えているとき、証拠の真偽を冷静に検証するよりも、集団の意向に流されがちなのだ。
こうしてパラメーデースは、一夜にして「裏切り者」の嫌疑をかけられた。当時のギリシア軍は、長い戦いの疲労と苛立ちが頂点に達していた。人々は敗北の原因を他者に求めたがるものだ。そこに“わかりやすい悪”として名指しされたのが、パラメーデースだったのである。
軍議に呼び出されたパラメーデースは、懸命に弁明した。自分はトロイア側と通じたことなどない。捏造に違いない。しかし、オデュッセウスは状況を誘導し、周囲の将校にも圧力をかけさせた。アガメムノーンをはじめ指導部は、軍の士気を保つために早急に決着をつける必要を感じたようだ。結論は短期間で出された。
古代における集団心理は、現代と比べてもより直接的だ。指導者が処罰を決めれば、そのまま刑が執行される。しかも戦争中だ。正しい手続きを経ることは期待できない。こうして、パラメーデースへの嫌疑は真に受け止められ、彼を裁く声は急速に高まった。
彼は軍の全員を説得しようとした。しかし、もともと注目される英雄ではなかったため、人々は「自分には関係のない話だ」と思っていた。むしろ、裏切り者がいるなら早く排除してしまおう――そんな殺伐とした空気が蔓延していたのである。




