7最後の瞬間
1932年3月20日、追放先のアルマトイにてイリヤ・イワノビッチ・イワノフは静かに息を引き取った。死因には諸説あるが、長引く心労や肺炎、栄養状態の悪化などが重なった結果だとも言われる。いずれにせよ、政治犯あるいは危険人物として遠ざけられ、まともな医療を受けることも叶わず、彼は最期を看取る者もほとんどいない孤独の中で生涯を閉じることとなった。
私がその瞬間を観察すると、そこにはただ、どこへも行き場のない科学者の夢と、取り返しのつかぬ失敗に対する後悔が垣間見えた。彼は意識が混濁する中で、自分が踏み入った禁忌の領域を思い返していたのかもしれない。メスのチンパンジーに人間の精子を注入した光景や、人間の卵子を求めようとしたあの焦燥の日々――それが正しかったのかどうか、もはや答えを出す力も残されていなかっただろう。
イワノフの死は当時、大きく報道されることもなかった。共産党の幹部たちは、彼を“危険な研究者”として公然と扱うよりも、静かに歴史から抹消するほうが得策だと考えたフシがある。彼の研究成果や資料の多くが散逸し、現在まで十分に伝わらないのは、その背景があったためだ。こうして彼の名は徐々に忘れ去られていき、その存在が再び語られるようになったのは、ソビエト崩壊後の混乱期を経て、歴史資料が一部解禁されてからに過ぎない。
もし、彼が生き続けていたなら、種間交雑実験を続行しようとした可能性も否定できない。あるいは、科学の進歩に伴い、遺伝子の仕組みがより明確に解明されていけば、いかに不可能に近いことかを悟り、自らの過ちを認めたかもしれない。しかし、実際の歴史はそうは進まなかった。ソビエトの粛清の嵐の中で身を落としたイワノフは、夢も信念も、残された家族さえも失い、破滅へと至る最期を迎えたのである。
こうして人間が越えてはならない一線を誤って越えてしまったとき、その代償がいかに重いかを、イワノフの人生は雄弁に語っている。科学技術が人間の本質を解き明かす力を持つのは事実だが、それは同時に制御不能な暴走を引き起こす可能性も秘めている。イワノフはまさに、その危うさの中で身を焦がし、名誉も自由も失い、最後は誰にも気付かれない形で人生の幕を下ろしたのだ。




