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超越者が紡ぐ物語  作者: あるき
イリヤ・イワノビッチ・イワノ「越えてはならぬ領域」(全8話)
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1禁忌への序章

 私は時空を超えて存在する“観察者”として、人間の歴史を幾重にも俯瞰している。その歴史には多くの輝かしい功績がある一方で、越えてはならない一線を踏み越えてしまったがゆえの破滅もまた無数に刻まれている。今回語るのは、その一線を越えたために破滅へと追いやられた一人の科学者の物語だ。名をイリヤ・イワノビッチ・イワノフ。ロシア帝国からソビエト連邦へと激変していく時代の狭間で、彼は学問的野心と人間の倫理の境界とを取り違え、己の人生を危機へと誘った。


 イリヤ・イワノビッチ・イワノフが世に名を知られるきっかけとなったのは、家畜の改良などに用いられる「人工授精」の研究において先駆的な成果を上げたことである。1870年7月20日に生まれた彼は、若くして生物学者、畜産学者として頭角を現し、当時のロシアで大きな影響力をもつ科学アカデミーからも一定の評価を得ていたという。ロシア帝国末期から革命期にかけての混乱の中、科学が国家の発展に寄与する手段として熱望された時代背景があった。農業や畜産を革新すれば、ロシアの大地はより豊かになり、国力が増すとの期待が高まっていたのだ。


 だが、イワノフの研究は、単に家畜の品種改良に留まらなかった。彼の胸の奥底には、“種間の壁”を超える実験を行ってみたいという、制御不能なほどの好奇心が芽生えていたのである。人間と動物がどこまで近縁であるのか、その根源を突き止めたい――それは当時の進化論や生物学の知識をさらに発展させる、ある意味で壮大な試みともいえた。しかし同時に、科学者としての名誉や興味を超えた危険な要素を孕んでいたことは間違いない。


 人間の身体は神の造形か、それとも進化の果てにあるただの生体機構か。ロシア帝国末期からソビエト連邦初期にかけては、宗教的価値観と革命思想、そして近代科学の台頭が混ざり合い、人々の価値観が急速に変化していた時代だ。新しい世界を切り拓く一端として、「人間そのもの」を研究することは、国家から見ても魅力的かつ怪しげな響きをもっていた。だからこそイワノフもまた、自分の研究が革命政府にとって有益であるならば、支援を得られるはずだと考えたのかもしれない。


 だが、彼の視線が向かう先は、人類が踏み込むべきではない闇の領域だった。メスのチンパンジーに人間の精子を注入し、“人猿混合体”を生み出すこと――それは倫理観を大きく揺さぶる行為であると同時に、科学者の好奇心としては危険なまでに魅力的なテーマでもあった。こうしてイワノフの人生は、輝かしい人工授精の功績と、“禁忌実験”と呼ばれる闇との二面性を帯びながら、破滅への道を歩み始めるのである。

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