3トロイア戦争へ
トロイア戦争の発端は、スパルタ王メネラオスの妃ヘレネがトロイア王子パリスによって奪われたことにある。これ自体は神々の争い――アプロディーテー、ヘーラー、アテーナーの美の競争――が背景にあったとされている。しかし、地上世界で言えば、一人の王妃の強奪は、複数のポリスを動かすに足る重大事だった。
ギリシア世界の名だたる王たちは、「ヘレネ奪回」を大義名分として連合軍を組織する。もっとも、それは単に妻を取り戻すための私闘ではない。エーゲ海の覇権をめぐる政治的・経済的駆け引きの色彩も強かった。トロイアは当時、小アジア西部の要衝にあり、エーゲ海と黒海をつなぐ航路を事実上握っていたからだ。
ミュケーナイの王アガメムノーンがこの連合の総大将を務めることになった。その弟がヘレネの夫メネラオスであるため、ギリシア側は大義名分を整えやすかったとも言える。この時点で、各地のポリスや領主たちに「参戦要請」が飛び、オデュッセウスやパラメーデースなどの若き知将たちにも声がかかった。
だが、オデュッセウスはすぐに参戦を承諾しようとはしなかった。すでに妻ペーネロペーとの間に子テーレマコスをもうけ、王国を治める身として、長期の遠征は望まなかったのである。この時に起こったのが、有名な“狂気を装う”事件だ。
オデュッセウスは、自らを農夫に見せかけ、馬や牛に塩を撒きながら畑を耕すという狂気のふりをした。こうすれば誰もが「彼は正気を失った」と判断し、徴兵されることはないだろうと考えたわけだ。そこにやってきたのがパラメーデース。ある伝説では、アガメムノーンに命じられて“真偽”を確かめに来たとも言われる。
パラメーデースは、オデュッセウスの芝居をすぐに見抜いた。子どもテーレマコスを耕す牛馬の前に置いたのだ。父としての愛情があれば、オデュッセウスは躊躇なく子を危険にさらすような真似はできない。結果、オデュッセウスは狂気の演技をやめ、パラメーデースに追及された。
この場面こそ、パラメーデースが広く「智将」として知られたきっかけとなる。しかし同時に、オデュッセウスの心にパラメーデースに対する警戒心、あるいは恨みが芽生えた瞬間でもあった。
当時、パラメーデースはそれに気づいていたか、いなかったか。彼は任務として粛々とオデュッセウスの真意を暴いたにすぎない。だが、それが後に大きな悲劇を招いた。これが、二人の“才覚”がもたらした最初の衝突であった。
こうしてオデュッセウスも参戦を余儀なくされ、ギリシア全土から多くの将が集結した。神のような武勇を誇るアキレウス、巨体と怪力のアイアス、王家の血を引くメネラオスとアガメムノーン、騎兵に長けたディオメーデース、などなど。多くの英雄が注目を浴び、歌に謳われ、盾や甲冑に煌めく意匠が施された。
しかし、そのような派手な栄光の外側にいたのがパラメーデースである。彼は表舞台で勇壮な行為をするよりも、むしろ情報の集約や補給路の確保など後方戦術の整備に知恵を注いだ。アガメムノーンの軍議にも参加していたが、オデュッセウスほどの求心力は持ち得なかった。
英雄譚の多くは、派手な武勲や敵将との一騎打ちに注目が集まる。智謀はあくまでその後ろ盾にすぎないと見なされがちだ。パラメーデースは、ちょうどその裏方に回る形になった。彼の将としての手腕は徐々に評価されつつあったが、それが後世に残ることはなかった。
この時点で、パラメーデースの運命は大きく分岐し始める。ギリシア軍はついにトロイア領へと舟を進め、10年にも及ぶ長い戦いが幕を開ける。彼の才能は、その長い戦争の中で、いくつも花開くことになった。しかし同時に、その才能ゆえに彼は悲劇を迎えることになる。




