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超越者が紡ぐ物語  作者: あるき
オルペウス「長き琴の調べに宿るもの」(全6話)
20/44

6狂乱と静寂(了)

 最後に待ち受けるのは、あまりにも無残な終焉であった。オルペウスは神々への敬意を保ちつつも、あるときからディオニュソス神の崇拝者――いわゆるバッカス神の信女たち(メナデス)から離れた行動をとっていたとされる。詳細な理由は諸説ある。ある伝承では、エウリュディケだけを慕い、他の女性を顧みなかったことがバッカス神の怒りを買ったとも、あるいはディオニュソスの儀式を軽んじたためとも言われる。


 いずれにせよ、バッカス神の酩酊と狂乱に身を任せた女たちは、祭礼の場でオルペウスに襲いかかった。彼女たちは酒神の熱狂に突き動かされ、正気を失っていた。オルペウスは竪琴を抱えて逃れようとするが、もはや理性の通じる相手ではない。狂騒の中、オルペウスは引き裂かれるように殺され、その身体は四散し、首だけがヘブロス川を流れたという。のちに、その首と竪琴はレスボス島に漂着し、なおも歌い続けたとか、あるいはアポロン神によって祀られたとも言われる。


 私は、なぜここまで悲惨な最期が彼を襲ったのか、淡々と観察せざるを得ない。愛、友情、忠誠を貫いた先に待っていたのは、理解を拒む狂気に他ならなかった。しかし、この出来事は決して無意味ではないと感じる。かつてオルペウスが奏でた琴の音は、彼自身の死後も世界に響き続けたからだ。


 その死がもたらす真実。それは、オルペウスの身体がどんなに切り裂かれようと、彼の詩と音楽は不滅である、ということかもしれない。彼の名は神話となり、人々の記憶の中で生き続ける。友や愛する人を思い、忠誠を誓い、その思いを歌い上げる。それは一人の人間の人生を超え、時代を超えて伝承される。ギリシアのポリス文化が花開き、ローマ帝国に継承され、中世を経てルネサンス期に古典回帰の運動が起こったときにも、オルペウスの存在は再発見されている。そして現代に至るまで、音楽や詩、さらには絵画やオペラの題材として、無数の芸術家にインスピレーションを与えた。


 そう考えると、彼の死とは終わりではなく、一つの転換なのかもしれない。皮肉にも、悲惨な最期を迎えることで、オルペウスの伝説はより深い悲哀と尊さを帯び、後世の人々の胸に強く刻まれた。時代が下るにつれ、人々は「忠誠や友情、愛を貫くとはどういうことか」を考える際に、この詩人の生涯に思いを馳せるようになる。失われた存在を追い求めて冥界まで赴き、それでも守れず、最後には狂気に翻弄される――そんな悲劇にもかかわらず、人々はそこに“美”を見いだすのだ。


 私は、“美しいもの”には必ず哀しみが伴うという原理を、オルペウスを通じて改めて感じた。人は失うからこそ、その大切さを痛感する。友情にせよ、愛にせよ、それをずっと得続けることは叶わない。だが、それを知りながらも追い求める姿こそが人間の美しさなのだろう。オルペウスは死の間際までエウリュディケへの愛と、友情への誠意を忘れなかった。だからこそ、彼の物語は悲しみを湛えたまま“崇高”となり、永遠に語り継がれる運命を得たのだ。


 やがて、オルペウスの首が流れ着いた地には神殿が建てられ、竪琴は星座となって夜空を飾る。これは後世の言い伝えに過ぎないかもしれない。だが、神話とはそうした伝説の積み重ねによって成り立つ。バッカス神の狂乱に身を投じた女たちが正気に戻ったとき、彼女たちは自らの行いを嘆き、一部はオルペウスを祀る立場に転じたという説もある。いずれにしても、オルペウスの死は暴力によって奪われたにもかかわらず、彼が残した“音楽”と“詩”は浸透し、人々を捉えて離さなかった。


 最後に、私自身がここまで観察したことを総括しよう。人が大切なものを失うとき、それは何を記憶にとどめ、どう未来につなぐかという問いを突きつける。オルペウスは自らの悲しみを詩や音楽で昇華し、それを後世に伝えた。その結果、彼の思いは永遠に生き続けている。人々は彼の物語を語り継ぐ中で、愛や友情、忠誠の尊さを再認識し、その尊さがもつ“哀しみ”もまた美として受け入れるようになった。なぜこんなにも美しく悲しいのか――それは、どんなに強く祈っても永遠には続かないからだ。すべてが有限であるからこそ、得難い輝きを放つのだと、私は淡々とした眼差しで断言できる。


 かくして、詩人オルペウスの物語は幕を閉じる。だが、それは同時に始まりでもある。愛を貫くとはどういうことか。友情を誓い合うとは何を意味するのか。そして、失った者をどう未来へ引き継ぐか――オルペウスの最期が象徴する“狂乱と静寂”は、後の世に数多の問いを投げかける。人は悲しみを抱えながらも、それを超えて新たな詩を紡いでいくのだ。

(了)


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