2若き才能
ギリシアにおいて、「ナウプリオス」といえば航海術に長けた人物として知られる。ある伝説によれば、ナウプリオスはエウボイア島の岬で灯火を偽って船を難破させ、ギリシア軍への報復を遂げたという話もある。実際にどこまでが事実かは不明だが、彼が海を渡る技術を極めていたのは確かだ。
そんなナウプリオスの息子として、パラメーデースはアルゴリス地方で生を受けた。生まれながらにして、父の航海術を学び、風や潮の流れを読む力を鍛えられた。まだ幼いながらも、彼の瞳には理知の光が宿っていたという。父ナウプリオスは、息子の聡明さに大きな期待を寄せ、さまざまな学問を教え込んだ。
当時のギリシア世界では、“教育”といっても今のような体系的な学校制度があるわけではない。主に家庭で、師弟関係を結ぶ形で学問や武術を伝えていた。詩や音楽はムーサイへの捧げものとして重んじられたし、武術はポリスを守るための必須の技術とされた。パラメーデースは若くして読み書きを覚え、詩を暗誦し、父と共に船に乗り、実地で海の恐ろしさと雄大さを知る。
やがて、彼は船乗りだけでなく、戦での策略立案や交渉術にも興味を示した。彼の頭脳は“可能性”に満ちていたのだ。地域を越えて、いずれ大きな戦が起こるとしたら、それを収束させるために何が必要か――まだ幼少期の彼は、ぼんやりとそんなことを考えていたらしい。
パラメーデースの幼いころの逸話は、ほんのわずかしか伝わっていない。その中で特徴的なのは、彼がヘリコン山に近い地でムーサイを祀る儀式に参加した話だ。ヘリコン山は詩神たちの聖地として知られ、そこで詩人たちはインスピレーションを受けた。音楽や詩の神秘を肌で感じたパラメーデースは、後に軍の士気向上に音楽を活用するアイデアを持ち込んだとも伝わる。
また、他の少年たちが武術や狩りに熱中するなか、パラメーデースは数的思考に興味を抱き、碁石のようなものを用いて戦術を練っていたという。これらは全て伝承の域を出ないが、そのエピソード群から「若き天才」の萌芽を感じ取ることはできる。
古代ギリシアでは、数学や天文学、哲学の萌芽期であり、その後のピタゴラスやプラトンへと繋がる素地があった。当時の“理性”の萌芽は必ずしも体系的ではなかったが、一部の才覚ある人物は、世界を抽象的に捉える方法論に気づいていた。パラメーデースもまた、そんな先駆けの一人であったかもしれない。
若き日、パラメーデースは各地の都市を渡り歩いては学問を修め、時に人々の争いを収める手助けもしていたという。そんな折、彼はイタケーの王子オデュッセウスと出会った。オデュッセウスもまた希代の知将と呼ばれる人物。両者の交わりは、後の歴史を大きく左右することになる。
オデュッセウスは、すでにタペロス島やドゥーリキオン島との交渉をまとめ、イタケー周辺の安定に貢献していた。まだ王には即位していなかったが、父ラーエルテースに代わり実質的な統治を担っていた。その狡知とも言える交渉術は若くして高く評価されていたので、パラメーデースも一目置いた。
二人は何度か会話を交わし、知略について議論したという。最初のうちは互いに好意的だった。しかし、並び立つ天才が時として反発し合うのは必然だった。議論が進むにつれ、互いに相手を尊敬しつつも、どこかで競争心が芽生えた。オデュッセウスもパラメーデースも、それを素直に認めはしなかったが。
この時点ではまだ、二人の間に暗い影は落ちていなかった。どちらかといえば、良き友人にもなれそうな気配があったのだ。しかし人間の運命は、神々が思う以上に複雑に紡がれるものである。やがて、トロイア戦争の勃発が二人の関係を大きく変貌させることになる。




