フランと魔導書
「辛気臭い場所ね、アンタの家みたい」
「ここだと私は法に縛られていないらしいですよ、フラン」
「アンタの雑なマップ説明で三十分以上さ迷ったからチャラよ、アヴィ」
手元で読んでいた本から眼を離して、久我の方を……いや、フランの方を見る。私と同じで、ほとんどリアルに近いアバターを用いている。チャームポイントたる明るい髪色、学院の制服だろう仰々しい服を着こなし、その上に白衣を羽織っている、白衣というには変な色が裾に付着しすぎているが。
それと正確には27分と13秒である。フランの体感時間は少し盛りすぎである。
「それがアンタが言ってたラテン語で書かれた本?」
「違う、こっちは訳された…と思われる写本、原文は机の方」
机の上に無造作に置いていた方の本を指で指して、そう言う。
フランは原本に手を触れて、中身を開こうとするが、やはり開けない。持ち主以外には開けないようになっているのだろう。早々中身が他の誰かに盗み見られるのは困るから、少し有難い仕様だ。
「内容は?」
「多分、こっちに英語で訳されてる。私はラテン語読めないから」
「多分?」
フランにも見えるように、机の上に広げて置く。
中身は英語特有のクセがあるアルファベットがA~Zまで満遍なく一頁びっしりと描かれた本。序文だと思われるそれ。一見して文法もくそもない、ただのアルファベットの羅列にしか見えないそのページ。
「序文五ページ、後悔がびっしりと詰まった研究日誌です。」
「文法もクソもないこれを解読できたの?」
「昨日の貴方の反応からして、ある程度復号に自信はありました」
中身はおおよそ後悔と、これを読む人間がどうか前の持ち主からの信頼たる人物であったことを願う内容。それと、魔法の失敗によっていろいろ起きたこと。これから先の頁に、前の持ち主が知り得る全てと、原文たる魔導書を決して粗雑に扱わないでほしいことなどが書かれていた。
ま、私は前の持ち主の事の一切を知らないので、書かれている事を守る義理はない。せいぜい利用させてもらえるだけさせてもらおう。
「答え合わせも兼ねて、頼んでた情報は持ってきましたか?フラン」
「まぁね。『ラテン語』や『英語』で書かれた魔導書を探したけど、少なくとも学院の図書館とか、私が見れる場所にはなかったよ。有るのはせいぜい私の魔導書みたいな『独自の文字』で書かれた本だけ。というかアルファベットでかかれた本自体無かったよ。記録は確認できなかったけど…」
「うん。上出来です。私の予想は当たってましたね」
「目線が腹立つ、情報料取るぞ」
そもそも昨日のフランの反応からして、この本たちは相当異質。恐らく記録を探せばアルファベットで書かれた本の記録は残っている。ようは読めなければいいのだ。この星に存在しない言語で書かれたそれは、暗号化ととっても別に問題はないだろうから。
つまるところこの本、最初の序文の内容にもあったが…
「これ。この星の本じゃないですね」
「なんだって?」
フランが聞き返してくるが、少なくともこの本の設定をすべて遡ると、おそらくだが私たちの地球の、5世紀だか7世紀辺りが出自の人間が書いた本なのだ、これは。
フランに手渡しで本を渡すと、まじまじと見はじめ、ぺらりとページを捲った。手渡しで渡せば、所有者でなくともページを捲り、内容を確認できるらしい。嬉しい誤算だ。
「フラン、頼みたいことがあるんですが」
「ヤダ」
「実はこれ、五ページ事に変換表が変わって読めなくなっているんですよね」
「話聞いてる?」
「しかもこれ、文字だけで、原文にある図が写されていないんです」
「ねぇってば」
「大丈夫、貴女でも解ける暗号です。羊皮紙が使われていたのは紀元前から10世紀頃位だって知っていましたか?」
「まってってば」
「『頻度分析』知っているでしょう?知らない?教えますよ」
フランはため息を吐きながら、インクと羽ペン、そして手帳を机に置いた。
「....後で私のもアンタに手伝わせるからね」
「悪い子でいいというのは楽しいですね、フラン」
***
「それで、ひとつ思ったことがあるんです。」
「この私に解読を手伝わせてる事以上に憂慮すべき事態があるなら、私に聞いてみてもいいんじゃない?」
「この世界、言語体系どうなってるんです?」
原文の方に描かれている図式を紙に書き写している最中、少し気になったことをフランに聞いてみる。フランの方に目を向けると、フランの方も大分作業が進んでいるようだった。
やっぱり単純な反復作業だと私よりフランの方が向いている。
「そもそもアンタにそういう説明をする為に今日会ったんだけど」
「そうですか、説明してくれます?」
「コレが無かったら幾らでもするんだけど」
「片手間でもいいですよ」
「良くないわよ」
ペンと紙を置いてこっちに怒気の籠った視線を送ってくるフランに目を向ける。昨日言っていたチュートリアルチャートという奴だろうか。先輩風を吹かしたいのだろうが、どういう説明がくるかまったくもってわからない。
「アンタがアウトロープレイを始めたせいでいろいろ調べる範囲を変えなくちゃいけなくなって大変だったわよ」
「そうですか、フランは変わらず学生として進めていくんですか?」
「まぁね、そもそもこのゲームの目標わかってる?」
「賢人とやらになる」
「よろしい」
曰く、ワールドミソロジーオンラインは魔法という超常現象を操るゲーム。はじめて二日程度の初心者が起こしやすいと言われる『VR酔い』も少ない、所謂現実度がとても強い。魔法についてだけなら今あるどんなゲームにも負けないカスタム性、自由度が高く、どんな方法でも強くなれるとのお墨付き。
「問題はその魔法のカスタマイズ方法が全く持って解明されていない事」
「魔法の使い方はわかってるのに?」
「残念、魔法の使い方も実は良く分かっていないのが現状」
魔法を使うには何かしらの触媒が必要らしい。
確実に確認できている限りでは、魔法陣、杖、指輪、本。噂レベルの物を含めるなら文字だとか言葉だとか、そういう物もあるらしい。
「魔法の発動方法は多分三つ。『文字』を知っていること。魔力という物を知覚していること。それを外に伝える触媒があること。」
「それで?」
「普通のゲームなら、文字を工夫したり、それこそ文字で文章を作ったりして魔法の工夫をする。だっけどまぁ…なんともこのゲームは不親切!なんと文法さっぱりわからない!」
おどけたようにそう言う。同じような魔法を見つけることはできても、それぞれ文章とは言い難い、何より魔法陣の書き方すら分からない。触媒によって効果すら違ってくる。
「でも私、触媒とやらがなくても魔法使えましたよ。」
「アンタが使ったのは民間に流れてる魔法!そういうのは何もなくてもなんでか使えるのよ、そういう例外があるからこそ、魔法というシステムが良く分かんない物になってる。」
「学校ではなんと教わりました?」
フランは私よりもっと他人から学びを得ている。ほかの人から教えられたのならば別の答えがある筈だ。
「神が秘した術、人が知れるモノではないってね」
「怠惰ですね」
「まったくだね。でも確かに魔法を教えてくれてるから、手っ取り早く知りたいなら学校に通うべきだね、私みたいなのなら適正アリってところかな」
今の所、プレイヤーが発見できた魔法は全て単語の継ぎ接ぎ。まともに文を描こうとするなら魔法陣がいる。だけど魔法陣を描くには単語がいる。単語はともかく魔法陣を描くには文法を知る必要がある。
「かろうじて温情を感じるのは、程度にもよるけど二単語までならある程度法則性がわかることかな。」
「例えば?」
「<発光>」
魔法陣かと思われる、それを描いた紙をこちらに見せびらかしながら、顔から中心に一瞬だけ光り輝いて消えた。
見覚えなんてあるわけがないし、法則性なんかもわからない。これが二単語の魔法陣なら前に見せてもらった自己発火とは随分な違いだ。単純すぎる。
「正確には自己発光。円の数だけ単語が増やせる。大きい円に描いているのが『発光』」
「こっちの大きい円の中に入っている小さい円に描かれてる記号が『自己』ですね」
「ざっつらーい。さすがにこっちは見たことあるか」
しかし自己発火の魔法陣はもっと複雑だった。特に周りの円が。
「これは極力単純化した魔法陣。自己発火だとかのNPCから教えられる魔法陣は周りの円と装飾された記号とか色々あった。それがこのゲームの魔法のカスタマイズだと、私は睨んでる。」
「つまり?」
「私が今これと同じように自己発火の術式を描いても、アンタがやったみたいに燃え続けるなんてことは出来なかった」
「なるほど?」
「そして三単語以上の魔法は単純化している陣では発動すらしない。何が困るって言うと、こういう単語が使えないって事」
解読していたメモから一枚抜き取り、私に見せてくる。
空の場所、物質に占有されている物、全てが入っている箱…わかりにくいにも程がある文章の羅列。魔導書ってみんなこんな感じなのですか?
「…多分『空間』ですか?」
「多分ね、アンタの魔導書大当たりじゃん、変な単語ばっかりだよ。」
「使えなきゃ意味ないって話をした後に言うんですか?」
今のまま空間を魔法に入れても、空間のすべてが指定されてしまい、まぁおそらく発動しないだろう。仮に発動しても空間全てを燃やす魔法なんてものに実用性があるかもわからない。少なくとも私には自爆以外に使い方が思いつかない。
「賢人になるためには、まぁ当然魔法のカスタマイズがいる。アンタがここでも一番になりたいんだったら、早いところ魔法のカスタマイズ方法を調べた方がいいよ」
「大暴れしろって事ですか?」
「何処をどう解釈したらそうなるのかわからないけど、それでもいいと思うよ。アンタは『ゲーム』をしているんだからね」
呆れ顔でそうこぼす彼女の顔には少し疲れが見て取れる。報連相だけはしっかりしろと眼だけでも訴えてきているのだろう。
「一つ聞いていい?」
「何?」
「結局知恵の塔ってどこにあるの?」
その言葉を聞くと、また苦虫を噛んだような顔をして、顔を歪ませる。この顔をするという事はそういう事だろう。
さて、学校に通っているフランが知らないという事は、余所者には知る由もない、そういう扱いが為されているか。
そういえばふと思ったが、賢人になることを目標にしているゲームに設置されている学校が、なんでまた、人が知れない事だと教えているのだろうか。普通逆じゃないだろうか。
もしこれが普通なら、ゲームというのは不親切で不親切で仕方ないだろう。わかりやすい指標がない勉強なんて少なくとも私はやりたくない。
「…まぁ、色々始める前に全文書き写してからか」
「それを手伝うのは~?」
「もちろん貴女です、フラン」
フランは頭を机に強打した。